|
３、
こんなやりとりがあったといっても、毎日のメールに特別な変化があったわけではない。
礼儀正しい日常会話が続いている。もちろんこれだけで十分楽しいのだ。
文学、音楽、美術の趣味も会っているし、知らない作家を教えあうこともある。
しかしお互いのメールの端々に「会いたい」という言葉が加わるようにはなっていた。
東京と札幌の距離に加え、互いに仮想恋愛の相手として出発している。会いたいといっても実際に会うという意味ではないはずだった。
一月以上が過ぎたある日、彼女からこんなメールが来た。
「今度の連休に東京に行きます。家族と一緒です。先生のお近くに参ります」
彼女は僕を先生と呼んでいる。
「日程は？お泊りはどこですか？」
話の流れからこんなことを聞くのも不自然ではないだろう。
でも僕はこの時すでに本物の彼女に会いたい気持ちで一杯だった。
旅行の中心は、子供たちをディズニーシーに連れて行くこと。
ご主人は大学の同期会やらいろいろと個人行動の予定を入れている。それを申し訳なく思っているのか、銀座にでも行って好きな舞台でも見ればいいと、半日の自由を妻に与えた。水曜の夕方だ。
ところがそんな時に限って先約がある。
もちろん断れない相手ではなかったが、サイトで出会った見知らぬ人妻とのデートにそこまでする自分を安く見積もられたくないと思えたのも事実だ。
「ちょうどその時間は仕事があります」
予定を尋ねられたわけでもなかったが、僕はそう返信した。すると彼女は、
「もちろんお仕事ですから。でも、もしかしたら会ってくださるおつもりでしたか？」
と返してきた。
「もちろんです。地元ですからご案内するのが筋です。でもご家族の旅行ですね、忘れてください」
会わないつもりなどと気取っていながら、すっかり会うつもりになっている自分を見透かされて戸惑った。
「会いたいです。わがままを言っているのは分かります。でもどうしてもお目にかからないといけない気がしてしかたがありません。でもお仕事ですね、ごめんなさい」
思わず電話をかけてしまいたい気持ちを抑えることにした。
メールだけが持つ独特のコミュニケーションがある。今はそれを堪能している。
「お泊りのホテルまで30分もかかりません。観劇からお帰りになる頃、ロビーにいますからご挨拶だけさせてください」
こうして僕は彼女とホテルのロビーで会う約束をした。
そしていつものような内容の、いつもより少しだけ思わせぶりなメールやりとりを続けるうちに、その日が来た。
彼女たちが東京に着いたのは三日日前だ。家族で過ごした三日目の午後が彼女の自由時間だった。
「今ホテルを出ました」「懐かしいブティックでオーダーしてみました」「帝劇です」「今、休憩時間です」「今終わりました。銀座でタクシーを拾います。30分で着くそうです」
彼女から律儀な報告が届く。
僕が少し早めに目白のホテルの駐車場に着きメールを送った。
「今駐車場です。これからロビーに向かいます。濃紺のスーツです」
彼女からの返信はこうだった。
「ごめんなさい。主人がロビーにいないとも限りません。そこではお会いできません」
「わかりました。では駐車場でお待ちします」
そう返して僕は車の場所と特徴を伝えた。
夕方といってもまだ明るい。主人の帰りを待つ運転手が黒塗りのセダンを磨いている。
僕は誰を待っているように見えるだろう。
少ししてヒールの音が聞こえた。小走りでこっちに向かってくるのが分かった。
片手に携帯を持った女性が紺色のメルセデスを探している。
僕が車から出て会釈すると彼女はすぐに気がついたようだ。
「ほんとにごめんなさい」
そうささやき、周囲を気にするようにすぐに助手席に乗り込んだ。
少しだけ息が荒い。ハンドバックの他にブランド店のペーパーバックを持っている。
もう一度わびた彼女は僕の顔を見て微笑んだ。
初めて会う相手だがすでに打ち解けた気分だ。
「やっと会えましたね。銀座まで行けずにすみませんでした。僕がここまでお送りすればよかった」
これは正直な気持ちだった。約束も変えずにすんだはずだ。
「ご主人が、いや、お子さんが待っていますよね？」
「ええ、ですからあまり長い時間は。終演時間、主人は知っていますから」
そういう彼女の表情は少し曇って見える。
荷物を足元に置き、少し考えてから僕の目を見て彼女はいった。
「ごめんなさい。５分か１０分くらい。それなら道が混んだと言えますし・・・」
そういい終わらないうちに僕は彼女の手を握った。
見つめる目には驚きと、それ以上に一途な何かが見えた。
「雪子さん」
僕は彼女の名を呼んでキスをした。
彼女は一瞬こわばり、しかしすぐに力を抜き、握られた手をそのままに、自分から少し唇を開いた。
僕が舌を差し込むとそれに応じて舌先を動かした。
僕は握った手をほどいて片手で彼女の髪をなで、もう片方の手でブラウスの上から乳房を触り、キスを続ける。
淫らなニュアンスを帯びてきたキスに、彼女の気持ちの高ぶりが現れている。
僕はブラウスのボタンを一つはずし、ブラの隙間から手を差し込み、中指と薬指の間で乳首を挟んだ。
その瞬間、彼女は再び身体をこわばらせる。
僕は先を急ぐように胸元の手をブラウスの間から抜き、今度は膝上丈のスカートのすそから差し込んで腿の内側をさすり始めた。
「あ、あっ・・・」彼女の口から漏れる声は少女のようにか細かった。
僕はキスをやめ、片手でうなじをさすりながら彼女の目を見つめた。
「先生…」見つめ返す彼女の目には少しだけ緊張の色がある。
僕は再び唇を重ねながらスカートの中の手をゆっくり股間へと進ませた。
身体をこわばらせていた彼女は、少しだけ片膝を上げるようにして自分から指戯を受け入れた。
もちろんここから本格的な性戯に至ることはない。これは挨拶程度なのだ。
僕はシートのヘリをつかんでいる彼女の手をつかみ、ズボンの上から硬くなったペニスの存在を確かめさせた。
反射作用のように、彼女はそれを握るようにして手を上下させる。
僕は下着とストッキングを間に挟んだままクリトリスの辺りを小刻みにさすった。
ビクッと体が反応したかと思うと、
「だめです」
と急に驚いたように彼女が身体を引いた。
もちろん嫌がっているのではない。今は、これ以上はだめなのだ。
「雪子」
優しく名前を呼ぶ僕の首に彼女が両手を回してしがみつく。
無言のまま二人は深く息を吸って、吐いた。
「ごめんなさい、もう行かないと」
ブラウスのボタンを戻し、髪をかきあげ、エルメスのバックから取り出したハンカチで化粧の崩れを気にしている。
「ごめんなさい。でもどうしてもがまんできませんでした」
僕の言葉に小さくうなずきながら着衣の乱れを気にする彼女は少し照れているようだった。
ドアを開けようとする彼女を見て僕はとっさに車を降りてエスコートしようとしたが、やめることにした。
この瞬間を誰かに見られたらきっと怪しまれると思ったからだ。
そんなことを察することができるのは大人の女性だ。
「そのままでいらしてください。人目がありますから」
そういうと彼女は一人で重いドアを開け、再び小走りでホテルの玄関に向かって行った。ヒールのリズムが少しだけ乱れているように聞こえた。
| 