帰り着いたときにはもう10時を回っていた。 美知はため息をつきながら、築20年のアパートのカンカンとなる階段を上った。211号室。鍵を開け、部屋に入る。自分の部屋だが、そこには受け入れてくれる温かさなどはなかった。ただ外と隔絶された暗い空間が、そこに広がっているだけだ。 電気をつけると、そこがまぎれもなく自分の部屋であることを証明するかのように、そこにベッド、テレビ、食卓などが見える。それは、この部屋に越してくるにあたって、買いそろえてから何一つ変わってはいない。 九州北部の小さな町で生まれた美知が、中国地方の中堅都市に住み始めて３年になる。中学からエスカレーター式の女子高に通い、そのまま大学を卒業して、この町の食品会社の事務に就職した。就職活動のとき、投げやりに受けた試験に合格し、思ってもみなかったこの町で暮らすことになったのだった。 コンビニで買ってきた弁当を食べてから、コーヒーを飲む。そして、このままでいいのかな、といつものように問いかけた。きっと、これが大人になっていくということなのだろう。そんな風にぼんやりしていると、高校時代、さらにもっと昔のことが、懐かしく思い出される。その光景はやけに鮮明で、その日の天気、風の匂いまで思いだされた。 私の横には、背の高くて頬骨が張った、少し冷たい感じがする顔の男の人がたっている。 わたしは何かを話しかける。彼が何かを言って、私は笑う。けれど、何をしゃべっているかはわからない。 いつの間にか風景は、古びた神社に変わっている。男の手が私の背中を抱きよせ、私の顔はその男の胸に押しつけられた。心臓の音が聞こえる。彼の体はとても熱く、まるでその熱が伝わってきたかのように、自分の頬が紅潮していくのを私は感じた。 彼が何かを耳元でささやく。私はめをふせたまま、うなずく。彼の手が私をなでた。 私は驚いて彼の顔を見る。そこにはいつものつまらなそうな眼をした彼ではなく、私の目を見つめ返す、二つの瞳があった。その中に、オレンジ色が揺らめいているように見えた。その瞬間、それ光が私の言葉を奪ってしまう。目を閉じた私に、彼が言う…。 ふと我に帰ってみると、美知は制服のスカートの中に手を入れている自分に気付いた。自分が情けなく感じられたが、その中で美知のものは、暖かく湿っていた。やめようと思ったが、体は熱くほてっていて、やめられそうにはなかった。急に考えるのが面倒になって、美知は何年かぶりに自分で自分の体を慰めた。 美知は、あえいでいる自分を対象物として眺める。一人の部屋の中、熱い息を吐きながら、快感をむさぼる一人の牝。左手を離し恥部から離し、床に落ちている下着で拭いて、机に突っ伏す。もう、本当に何もかもが嫌になった。自分に対する過度な期待や、まじめで素直というイメージ。ブスだとか、負け組だとか、ストレートに言ってくれればいいのに。そのほうがどれだけ楽だか知れない。 もちろん、自分が恵まれているということは分かっている。父はテレビコマーシャルをするような企業に勤めていて、母は美しくやさしかった。何かとトラブルを起こしやすい年代のときにも、自分はうまくやり過ごす事が出来たと思う（自分では思うということだけれど）し、高校、大学への進学も、問題なく通過することができた。困難なことがなかったとは言わないけれど、自分なりの答えを出していけば、道は開けていくという自信の様なものもあった。 でも、彼のことだけを思い出すたびに、自分が無力で何もできない人間であるような気にさせられた。それが、心の奥でしこりの様に残っていて、時々やるせない気持ちにさせられた。そのせいで、美知は何かから逃げるように、少女時代の大部分を過ごした街をはなれ、この町にやってきたのだった。 友行…それが彼の名前だった。 次の日、私は会社を休んだ。電話に出たのは部長だった。部長は、気さくな中年の女性で、わけ隔てなく接するので、みなの評判も良かった。その反面、仕事には厳しいので、私は一瞬身がまえたが、体調が悪い旨を伝えると、すぐ承諾してくれた。私の体を心配してくれたので、少し申し訳ない気持ちになったが、やはり昨日の自分の姿を思い出すと、人に会う気にはなれなかった。 朝は、洗濯や掃除などをしているとすぐにつぶれてしまった。一息つくと、また友行の姿が頭をよぎった。どうしちゃったんだろう？自嘲するようにつぶやく。その言葉は、どこに行くことなく、しばらく部屋の中を漂った後、静かに消えていった。フェードアウトで終わるアルバムを聴き終えた後の様な静寂が広がる。 美知は、いてもたっても居られなかった。外着に着替えて、電車に乗って出かけた。会社のほうに行くわけにはいかないので、あまり言ったことのない反対の街に出かけた。昼間だったので、人はいないだろうとも思ったが、車内は思ったより混んでいて、座る席は隣の車両でやっと見つけた。 携帯を見ようと思って、ハンドバックを探って、ようやく自分が携帯を忘れたことに気付いた。しかし、急にどうでもいいような気がして、窓の外の風景を眺めていた。電車に乗って、外を眺めているなんて、いつ以来だろう。車窓に写る見慣れぬ街並みを見ていると、自分が少しずつ自由になっていくような気がした。 美知は三つ目の駅でいったん降りて、食事を構内で済ました。けれど変えるという考えは、美知の中にはなかった。 切符を買って、その次の電車が来ると、それに乗ってさらに進んだ。山間の小さな町を通り過ぎて、県内でも有数の街に着いた。そこで多くの人が乗り降りし、あたりの顔触れは一新された。美知の隣に座っていたおばあさんも降りて、そこに地味な色のシャツに、ジーンズ姿の学生の様な姿をした男が座った。小柄で子供っぽい顔をしていて、男と言うよりも、まだ男の子と言った感じで、大学に入りたてか、もしかすると高校生かもしれない。その青年が、なぜか美知を引き寄せた。友行の面影は、全く感じられなかったから、そのせいではないだろう。 顔立ちははっきりとしているが、どこか地味な印象で、悪い言い方をすればパッとしない感じだ。まじまじと見てしまっていることに気づいて、美知は眼をそらした。 この時、美知の頭の中に、彼と親しくなりたいとかそういう考えが会ったわけではない。しかし、私たちが深く触れ合った人との出会いが、時として思い出せないように、この出会いも、始まりの予感など、美知は全く感じてもいなかった。 声をかけたのは、美知のほうだった。高校生なのかと尋ねると、少し驚きながらも、いえ、大学生なのだと答えた。青年は、緊張していて、話を続けるかどうかを迷った。悩んだ後、妹がけがをして、今から見舞いに行くのだと言った。美知は、大丈夫なの？と普通に聞き返した。 「はい、部活でけがをしたらしくて。足を骨折したとかで…」 「大変ね。病院はどこ」 「それが、○○県の病院で…。本人は別にいと言ったんですけど、親が来てやれというので」 「それは行ったほうがいいよ。妹も不安だろうし…」 「そうですね…」 何か言いたそうだったが、初対面の人間がさらに追及していいものかと少し迷った。 駅に到着して、アナウンスがされた。青年の降りる駅はまだまだ先だ。仕事をさぼったことと、見知らぬ場所にいることが、美知を積極的にさせる。 「ねえ。今日行くとつくのは夜中になるんじゃない？」 「え？えっと…。はい。本当は飛行機で行こうと思ったんですが、お金が足りなくて…。母にそう言うと、電車で来いって言われて。だから見舞いに行くのは、明日ですね」 「そう…。」 青年の横顔は、明るい日に照らされて毛穴まではっきり見えた。その中で、二つの瞳の中で、いろいろな色が揺らめいている。 「ねえ、私がお金出してあげようか？」 美知は自分でもあやしいとわかり、馬鹿げていると思った。しかし、気まずくなったら降りればいいのだと思いなおして、青年の顔をじっと見つめた。 「どういうことですか？そんなお金をくれるなんて…」 「私、死ぬつもりだったの」 美知は自分がそんなことを言ったことに驚きながらも、どうにでもなれというような気持で続けた。 「わたし、しぬつもりだったの。だから、お金はいらないの。ねえ、だから気兼ねする必要はないよ。」 「そんな…。どうして僕なんかに」 死ぬつもりなんてなかったが、こうやって話していると、自分は本当に死ぬためにこの電車に乗ったような気がした。 「いいじゃない。そんなこと。あなたはお金をもらって、妹のところにすぐに行ける。私は、人助けをして気持ち良くなる。問題ないんじゃない？」 「そういう問題じゃ…」 出だしは強かったが、相手が自殺しようとしているということを思ってか、言葉尻がちぎれてしまった。 「ねえ、最後の望みも許してくれないの？」 少し罪悪感があったが、美知はそんなことを言った。少年は見るからにうろたえて、泣きそうになった。 「ちょっと変な話だけど、いい話じゃない。だれにも迷惑かけないし、みんなが喜ぶ。私も、君も、あなたの家族もね」 もう少し押すと、少年は観念したように眼を伏せた。 「じゃあ、次の駅で降りよう。ね。そこであなたにお金を渡すわ。次の駅なら空港も近いし、そこまでのタクシー代もあげる。」 青年は聞き取れないような声で何かを言い、うなずいた。その姿を見て私は屈服させたということの喜びを感じた。この子は、今私のいいなりになっている。そのことが、美知を大きな気持にさせた。 いきなり美知に手を握られたので、青年は身をすくませた。おずおずと青年が美知のほうを見やった。ほほ笑む美知の姿が、友行の眼に入った。手を振り払うこともできずに、じっとしていると、駅に到着したアナウンスが聞こえた。 電車に乗る前日の夜の話だ。家で食事をしていた友行に電話があった。妹が、部活中にけがをしたので、見舞いに来てやれということだった。たかが骨折で、と思ったが、妹のことになると、母はうるさい。妹が落ち込んでいるというのに、来ないなら今後仕送りはしないとまで言われたので、仕方なく地元へ帰ることにしたの。 電車での移動となり、憂鬱なまま電車に乗って、すぐの空席に腰を下ろした。すると、隣の二十代ぐらいの、落ち着いた感じのする女性が声をかけてきた。 女性は駅に着くと、手を離し青年の肩に触れた。立ち上がると、女性は青年に立ち上がるように言って、それに従う。思えば、この女性について僕は名前すら知らない。ホームに着いた時思い切って、青年は女性に尋ねてみた。女性は少し驚いた後、「カタオカ・ミチ」とだけ名乗った。 そのあと、お互い名前を知らなかったことを笑い、青年に名前を尋ねた。 「今田です。」と青年が言うと、名前を繰り返した後、下の名前を聞いた。 「友行です。」青年が答えると、女性――先ほど名前を聞いた――は少し動揺した(ように見えた。 「じゃあとりあえずお茶でもしようか」とカタオカという女性は言った。 友行は驚いたが、まさか早くお金をよこせともいえないので、見ず知らずの女性の言葉を信じた自分を後悔しながら、観念して言葉に従うことにした。 駅の近くの喫茶店は、昼時という時間のせいか、どこも混んでいてなかなか待てずに入れるようなところはなかった。どんどん進んでいくカタオカさん――この呼び方は少し違和感があるが――について行った。その間、彼女は何もしゃべらなかった。 大通りから、裏道に入り小さな居酒屋通りを過ぎると、ラブホテル街にへと進んでいく。 「こんなところに喫茶店なんかありませんよ。」友行が抗議すると、少しさびしげな顔をして美知は友行を見た。 何をしているのだろう。美知は急にそんな思いに襲われた。一度思うと、あたまからはなれず歩いている途中ずっと思っていた。こんなウソまでついて、私は何をしているのだろう。青年もおかしいと気付いて、美知に抗議した。だけれど、ひくことはできなかった。 「いいでしょ。どうせ死ぬんだから」 「どういうことですか？説明してください。」 「友行君。お金はあげるから。ただちょっと、つらくなったの。死ぬなんて最初は思ってなかったけど、今ここで君に見捨てられたら、私もう生きていられない。」 あたりに人影は見られなかった。ただ、泣きながら自分を見ている一人の女性が、そこに立っていること、その女性についてほとんど何も知らないことが、友行を混乱させた。 「説明になってないですよ。」 「とにかくついてきてよ。私を助けて」 頭の中が空っぽになって、ただ思いのままに言葉を発している私がいた。青年は私をじっと見ている。その眼からは、何も伝わってこない。もう一度、美知は手を握った。青年はそれに抵抗しなかった。美知はゆっくりと歩き出す。青年もそれについて歩いて行く。 部屋に入り、二人はベッドに腰掛けた。どちらともなく、話を始めた。今までのこと、家族のこと、学校や会社のこと。友行はあまりどの話にも気がないように聞いていたが、会社の話をすると、質問を返してきたりした。美知は、愚痴は言いたくはないと思ったので、できるだけ肯定的に、親切な部長のこと、温和な同僚のことなどを話した。部長の旦那ジョークを話すと、楽しそうに笑った。 友行の話を聞くと、表面的な話が多かったが家族の話や、大学の話になると愚痴のような話も多かった。話していると、電車で隣り合っただけの二人がこんなところにいる不思議さが、別に変ったことではないような気がした。 「カタオカさんは死ぬって言ってましたよね」 突然の問いかけに言葉が詰まった。言ってはいけないウソだったはずだ 「ごめんなさい。でもウソをつこうと思ったんじゃなくて、勝手に…。ごめん。さっきからいいわけばっかりだね」 「いや…。」 美知は続ける言葉がなく黙っていた。すると部屋のどぎつい色が目に付いた。それはひどく下品で、考えがないように思われた。 「こういうことはよくやるんですか」 「え…？いや、信じてもらえないかもしれないけど…」 会話が現在のことに話が及んだことで、美知は少し揺らいだ。ラブホテルの一室で、電車で隣り合わせただけの男と女が二人で座っている。これは、フツウなことではないのだろう。でも、美知は、これが間違ったことだとはどうしても思えなかった。 「確かに、友行は自分のことをよく知らないし、求めてもいなかったはずだ。でも、私は友行と居たくて、友行もそれにこたえてくれている」そんな風に考えた後、美知は自分が自分勝手な考えをしたことを恥じた。 ふと、友行のほうを見ると、じっとこっちのほうを見ていた。美知は、眼をそらす事が出来なかった。美知を見つめる友行の瞳の中には、いくつもの色がゆらゆらと浮かんでは消えていった。美知の頭の中で、点と点がつながった。 「そうだ、あの時彼は私が必要だと言ったのだ。ずっと、一緒にいよう、と。」 その時美知はあの時の自分が、もうどこにもいないのだと知った。自分を必要としてくれた人を見捨てて、他のものを求めた、身勝手な女が。私は彼を捨てた。私を心から求めて、何かを挙げたいと思っていた彼に。 美知は知ることができた。何も知らない、世間知らずな女の子だった私は、彼がすべてを与えてくれると信じていた。だから、それができない彼を不愉快に思い、恨んだのだ。できる限りの力で、私を愛そうとしてくれたあの人を。何もしてくれない、ただやさしさを求めるだけの私なのに。 美知は、25歳の女として青年を誘った。そのような自分を、受け入れることができた。 18歳のどこにでもいる青年はよく分からない様な顔をしながらうなずいた。美知は友行のほほを軽くなでた。まだ産毛の様な髭が、いとおしくかわいらしかった。お互いに服を脱いで、美知は友行の勃起したペニスをなでた。 「結構大きいのね」 「普通じゃないかな」 美知は、ペニスをやさしく握ると、その手を上下させ始めた。友行も手を伸ばして、美知の形のいい胸をいたぶると、美知は声を上げ熱い吐息を吐いた。 「ねえ、まだ大丈夫？」 「なにが？」 「まだイっちゃいそうじゃない？」 「少し、ヤバいかも…」 「じゃあ、一回出しちゃおうか」 そう言うと、美知は友行のペニスを口に含んだ。顔をゆっくりと前後させ、舌は熱くほてったものを離さない。口の中で美知の舌は、まるで生きているかのようにうごめいた。 「ちょっと待っ…」 友行がヤバいと思った瞬間、友行のペニスは美知の口の中ではねて、暖かい液体を、口の中に注いだ。それは、完璧な快感であった。足先から、脳天まで突き抜けていくような快感の後で、体の力が抜けた。 余韻がまだ体から抜けてはいない。美知は、友行が出した精液を飲み込んだ後、役目を果たしてなおかたいままのペニスをやさしくなでた。 「気持ち良かった？」 「すごく…」 「じゃあ今度は友行の番」 そう言って、美知は友行の手を、自分の恥部へと導いた。 「ここをなでて」 友行が言われたとおりにクリトリスをなでると、美知は体をピクリとふるわせた。友行は包んでいる皮をむいて、じかに触れる。 「あ…。ぅんっっ…」 しばらく手でいじっていると、美知が声をあげて体を反らせた。 「すごい…。もう固くなってる…」友行のペニスは、再び美知の体を求めていた。 美知が目で合図を送る。友行の腕が美知を引き寄せた。美知のヴァギナは柔らかく湿っていて、友行を受け入れた。 「すごい…。ああ！」 友行がゆっくりと動かし始めた。美知が、手を伸ばし、友行の背中に手を回す。友行のものは、二回目だというのに、驚くほどに固くなっていく。 「うんっ…。あんッ。」美知は恥ずかしさも忘れて声を上げた。 友行の動きはさらに激しくなっていく。 「もっと…ねぇもっと！！んぁああ！」 美知が激しく声を上げ絶頂を迎える。 「うあっ！」 急に締め付けられたペニスは、考える間もなくはじけた。 美知が目を覚ますと、すでに朝日が部屋に射しこんでいた。あのあと何回交わったかははっきりとは覚えていない。体には、まだけだるさが残っていて、背中の筋肉がはったようになって、首を回すと痛んだ。しかし、隣には友行の姿はなかった。部屋を見渡した美知の耳に、確かなリズムを刻む足音が聞こえてきた。 |
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| 2009.11.28掲載 |