息子の隆が鴨居の上に掛かった古びた横に長い額を見上げている。
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し、急ぐべからず　不自由を常と思えば不足なし…なにこれ」
　息子もこういうものに興味を示す歳になったかという感慨を覚えながら答えた。
「徳川家康の遺訓と言われているが、別の人が創ったと言う説もある」
　沙織がつぶやいた。
「”重荷”ってなんのことだろう」
　鋭い、大人でも重荷の中身までは考えない。沙織は俺の妹の子供、利発な娘だ。
「うーん、人それぞれに違うんだろうな」
　子供扱いした俺の答えに沙織は不満そうな表情を浮かべた。
「そうなのね。人が生きていくうちに背負い込んでしまうものじゃないかしら。　ほかの人にはその荷は見えないし、その重さも、背負う苦しさもわからないことが多いんじゃないの。お母さんはそう思うわ」
　舞が助け舟を出した。舞は沙織の母、つまり俺の妹である。
　舞は俺を見てにっこりと笑っている。最近、ますます母に似てきた。
　叔父が後ろから俺に声をかけた。
「純ちゃん、しかし、雄ちゃんには重荷なんて無縁な人生だったな。　平凡て言ったら何だけど、恵まれた何の苦労もないうらやましい一生だよ。それに綺麗な嫁さんに愛されて」
　伯母が自分の旦那を横目でにらみながら子供達に言った。
「そー、文（あや）ちゃんも若くて逝ったのが可哀そうだったけど、綺麗なまんまで、惜しまれて。私みたいに意地悪ばあさんなんて言われて長生きするよりよっぽど幸せよ。それに、雄ちゃんにあんなに大事にされて、本当に仲が良かったのよ」
　雄ちゃんは雄一俺の父、文（あや）ちゃんは文子（あやこ）俺の母である。
　俺の妻が皆を呼んだ。
「皆さん、御上人さまがお見えになりました」
　今日は父雄一の四十九日の法要のために、俺と舞が生まれ育った家に親戚衆が集まっている。木魚と読経の心地良いリズムが目を閉じた俺を遠い遠い昔へ誘う。

1　居間

　子供部屋のドアが開きすぐに閉まった。
　母が俺達兄妹の寝ているのを確かめに来たのだ。
　しばらくして俺は部屋を出た。
　子供部屋から居間まで十二メートルほど離れている。六畳間を通り廊下を八メートルほど歩いて来る。一分もかからない。ただ音のするドアを開けなければならない。そのドアを通らず遠回りして慎重に来たので部屋を出てから七〜八分はかかっている。テレビの音が大きい。それよりも心臓の鼓動のほうが大きく感じた。

　西側の障子の隙間から覗いた。
　居間はいつもより暗かった。部屋の中央にはコタツがある。
　コタツの上には男のための酒と小鉢が載った盆があった。母のメガネもある。
　そしてなぜか、山仕事で使う水筒がある。俺が居間を出る時はなかった。
　母はうつ伏せに寝ていた。俺は母を横から見ており、母の頭は左側にある。
　母はセーターを着ている。下半身は裸で膝から下は炬燵の中に入っていた。
　男も下半身裸で母の上に乗っていた
　男は母の身体に密着し腰を上下に動かしている。
　母の尻と太ももの白さが印象的だった。
　両手を重ねその上に額をのせているので母の顔は見えない。
　小さかった母のあえぐ声がだんだん大きくなってきた。

　男の腰の動きが止まった。
「ねえ〜」と母は腰を振った。
　男は動かない。
「ねえ〜」と母はもう一度腰を振った。
「何だ」
　辛うじて見える暗さの中で、男の横顔が笑っているように見えた。
　母は黙っていた。
　男は腰を浮かした。母の体との間に少し隙間ができた。
　母は慌てて小声でなにかを言った。
「何を」と言う男はニタニタと笑っている。今度は表情がはっきり見えた。
　テレビの音がうるさい。
「聞こえない」。男は完全に体を離した。男のものが見えた。大きい。
　母は「キン○○をいれて」と言ったようだ。
　母は顔を上げ男の顔を見てもう一度言った。
「もっとキン○○をいれて。オマ○○に入れて。お願い」
　はっきり聞こえた。言っている母の顔が見えた。泣いているような、笑っているような顔だった。その表情は今でも俺の脳裏に焼きついている。

　母はいつもメガネをかけている。ひどい近眼だ。
　大人の表現を借りるとしよう。
　　　母を好きな人は「冷静で理知的な女性」と表現するだろう。
　　　嫌いな人は「お高くとまった冷たい女」と言うだろう。
　メガネを取ると印象がガラッと変わった。彫が深く情熱を秘めた顔になるがほとんどの人は知らない。俺は子供の頃、化粧をする時や風呂に入っている時のメガネをはずした母の顔が好きだった。

　母を四つんばいにして男は膝をつき母の尻に後ろから腰をつけた。
　男はコタツの上の銚子に直接口をつけ酒を飲み干した。
　そして男は水筒をとり、母の顔を横に向け水筒を母の口につけた。母の喉がゴクゴクと動いた。
　水筒を畳の上に置くと、男の腰は動き出した。
　強く弱く前後に腰を動かす。その動きに早い、遅いの変化が加わる。
　時々男の動きが止まると、母は尻を男の腰に押し付け激しく左右に振った。
　子供を気にしているのだろうか、声はあまり出さない。必死に押さえているようだ。その分、苦しんでいるかのように体が激しく動く。男はそれを楽しむように突き立てる。

　男は膝を立て両方の腿で母の尻を挟みつけ、犬が交わるような格好になった。
　そして腰をゆっくりと廻しながら母の髪をつかみ顔を男のほうに向けさせ何か言っている。
　母は首を小さく縦に振ったり横に振ったりしている。目は閉じている。
「目を開けろ」
　男が言うと母は目を開けた。焦点が合っていないような目だった。
　男の腰が離れた。反った男のペニスが光っていた。
　男は母に又水筒の中身を飲ませた。中身は何だろう
　母は仰向けに寝かされ男がその上に乗った。

　俺はそこから離れ自分の部屋に戻り布団に入った。妹の寝息が聞こえる。
　時計を見た、三十分しか経っていない。何時間にも感じた。
　体が震えだした。今日は十二月十一日、体は冷え切っていた。しかしこの震えはそれだけではない。
　二十分ほどして母の足音がしてドアが開いた。そしてすぐに閉じた。
　やはり来た。母は男が来たとき必ず部屋の様子を二回見に来る。
　そのため、もっと見たかったが早めに切り上げた。
　しばらくして車のエンジンの音がして縁側の障子が明るくなった。父が帰ってきた。男はまだいるのだろうか。

　俺は純一、中学二年、小学六年の生意気な妹、舞がいる。
　母は文子（あやこ）三六歳。家にいるが山の経理の仕事を手伝っている。
　父、雄一は村役場の職員で四七歳。歳の離れた夫婦だが両方とも初婚だった。
　俺の家は昔は代々名主をしたという。このあたりでは裕福な名の通った家だった。
　農地は戦後の開放で家の周りだけになったが、山林は二百町歩はある。
　男はこの村に住み、妻も子もいる。歳は四十ぐらいだと思う。辰五郎といった。
　男は専属でこの家の山林の仕事をしている。
　山の仕事のために男の外に十人近い使用人を使っている。
　男はそのまとめ役、責任者であった。「頭（かしら）」と呼ばれている。
　父や母に会って仕事の報告、指示を受けるために家によく出入りしていた。

　母は頭のいい女性だった。都会育ちで大学も出ている。
　普段はそれを表に出さず父に仕え、社会活動にも熱心だった。
　子供の教育にも熱心で怒ると怖い母だったが俺は母に全身で愛されている安心感があった。

　人前では他の使用人に接するのと変わらずあの男にも接していた。
　その母があの男と「何かある」という疑惑がひと月ほど前から芽生えていた。
　確信があったわけではない。子供ながらも何かを感じ取った。

　三ヶ月ほど前の夕方、母に山小屋へ酒の肴を持っていくように言われた。
　この山小屋は里山と本山（ほんやま）との境にある。
　他の山小屋は仕事のためだけの山小屋だったが、この小屋は仕事にも使うが使用人の気の置けない集会場だ。
　”頭”の願いで父が作った。周りはすべてこの家の山で普段よその人は誰も来ない。俺の家からそんなに離れていないが、一度坂をあがり下がった窪地にあるため騒いでも声は漏れない。
　小屋に近付くと使用人たちの酔っ払った声が聞こえた。
　普段は真面目なのだが酒が入るといつも話題は女の話に決まっていた。
　あそこの女がとか、旅行に行って女をどうしたとか。今日もまた同じことだろう。
　小屋に近づこうとして俺の足は止まった。母のことを話している。
　母の女としての品定めとセックスがしたいということを卑猥な言葉で盛り上がっていた。
　俺は少し引き返し歌を唄いながら小屋に近づき戸を明けた。
　使用人のひとりが「坊ちゃんのお母さんは上品でいいですね」とお世辞を言った。
　ほかの男達も父や母をほめた。俺は黙って酒の肴を渡した。
　あの男は離れたところで道具の手入れをしていた。さっきの話にも入っていないようだった。いつもそうだ。男は世辞を言わないが礼儀正しかった。俺に会うと軽く会釈をするが、その日は目を合わせなかった。

　男は父が留守だと以前は玄関で帰ったが、最近は夜でも居間に上がりこんだ。
　そのうちに父が留守のときに来ることが多くなった。
　男が来ると酒が出た。男への母の態度が昼とはどこか違って見えた。
　男が居間にいるとき、母は俺達が布団に入ってしばらくすると子供部屋をのぞきに来た。俺が薄目で見た母はいつもの母ではないような気がした。
　しばらくして居間の照明が暗くなり、テレビの音が大きくなった。
　そうして疑惑は膨らんでいった。

　以前両親のセックスを見たことがある。
　そのときはショックだったが、あとで分かることだがそれは淡白なものだった。
　母の反応もほとんどなかった。これまでこれが普通のセックスだと思っていた。
　両親のセックスを見たあとも、母は俺にとりやはり「おかあさん」だった。

　そして今夜、母の浮気の現場を初めて見た。そこにいたのは母とはまったく別の女だった。今までの「おかあさん」と今夜の母がどうしても結びつかなかった。
　おれは混乱し眠りについたのは明け方だった。しかし翌朝、不思議と冷静だった。その後もずっと。このことを父には話さなかった、話せなかった。母とも何もなかったように接した、接することができた。そして、自分の中にいる別の人間に気がついた。母の浮気を覗き興奮する変態男。

　それから母が居間でケモノになるのを何回か見た。
　しかしこれまでのことはその後この家に起こることのほんの序曲に過ぎなかった。

つづく