（４）

　一行は、輪島の北岸壁に到着した。
　以前あった別荘は、政府が買い取り国民保養所になっている。
　全員が、施設に入り康平に何やら装着している恭平たちを見ていた。

　礼子が不安そうに恭平に尋ねた。
「お義兄さん・・・な、何を・・・・」
「・・・礼子さん・・・・・私を信用してくれるね？」
　礼子は、恭平の言っている意味を即座に理解した。

　昔から康平に、義兄たちとの事をよく聞かされていた。
　凄まじくも、他に類を見ない兄弟愛と信頼に育まれた軌跡に何度も胸を打っていたのは事実だ・・・・・
　礼子は、疑うこともせずに義兄たちに了承する。
「・・・・・お義兄さんたちを信じます。」
　恭平と修平は目を合わせ頷いた・・・
「礼子さん、ボディーチェーンを・・・」
　礼子は、服の下に手を入れボディーチェーンをはずした。
　そして修平に手渡す。

　修平は、それを受け取ると甲斐と遠藤に手伝ってもらい康平を岸壁の先端に運んだ・・・
　修平が康平の頭部に皮製のリングを装着しヘッドホンを付けた。
　遠藤と甲斐は、恭平に促され岸壁から離れる。

　準備ができた、修平がスイッチを入れると康平の顔が、僅かに引きつっていった・・・・
　恭平が当時の状況を喋りながら康平に注射を打ち徐々に覚醒させていく・・・・

　礼子たちは、施設の前で恭平らを見守っていた。
　修平が康平の足に取り付けたワイヤーを岸壁に固定すると礼子から預かったボディーチェーンを岩影に置く。
　二人は、急いで礼子たちが待つ施設の前に戻ってきた。

　恭平がケースからライフルを取り出した。
　亜美が驚いて恭平に手を掛ける。
「きょ、恭平伯父さん・・・お父さんを撃つのっ？」
「亜美、心配するな。弾はゴムだ。ま、ショックはかなりあるがな。」
　恭平は、礼子の手を取り隣りに寄せる。
「礼子さん、康平が今からチェーンを拾うはずだ。」
　礼子は、恐々とした顔で恭平を見た。
「いや、・・・・必ず拾う。そして、あの時のように、君に向かってチェーンを頭上に上げて君に見せる。その時に、俺が康平に向かって弾を撃つ。その瞬間君は大声で、康平の名前を叫ぶんだ。いいかい？」
「・・・は・・・・・はい・・・」
　
　苦しみながら頭を抱える康平・・・・・手を地面につき頭を振っている。
　虚ろな目で周りをキョロキョロと見渡していた。
　そして、康平は、静かに起き上がろうとする。

　恭平が、ワイヤレスで何やら話し掛けている。
　康平は、頭を振りながら屈めていた上体を起こし周りを見渡した。

　恭平が、修平に合図をすると修平は、手に持った遠隔用のリーモトのスイッチを小刻みに回していった。

　康平は岩陰で、ふらつきながらも何やら探しているようだった。
　怪我もしていないのに肩口を押さえている。
　あの時、岸壁から落ちる前に負傷した左肩だ・・・・・

　恭平が、慎重にライフルを構え康平にスコープの照準を合わせた。

「礼子さん、そろそろだぞっ。」

　康平が、ボディーチェーンを見つけたようだ。
　屈んで、チェーンを拾ったようだ。
　康平が手にとってチェーンを眺めている。
　恭平と修平の額からは、冷たい汗が流れていた。

　礼子が息を飲む・・・・・
　康平は、チェーンをしばらく見つめていた。
　苦痛の表情だった康平の顔が見る見る笑顔に変わっていく・・・

（よし・・・今のところ順調だ・・・・・康平っ、チェーンを上げろ。）

　恭平の思い通り康平は、チェーンを握り締めると立ち上がりざま、礼子の方に向かって高く手を上げた。
　その瞬間・・・恭平は的確に、腹と太腿を狙って模擬弾を発射した。
　大声で礼子に叫ぶ。
「礼子さん、いまだーっ！」
「・・・こ・・・・、、康平ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーっ・・」
　康平の手からチェーンが離れ岸壁から落ちていく・・・
「・・・・・・・礼子・・・・・・・・亜・・・美・・・・・」
　
　修平は、康平が岸壁から落ちていく瞬間、タイミングよく遠隔用のスイッチを最高の位置まで回していった・・・
　康平の脳波に不思議な波長が連破する。
　康平は、岸壁から落ちていきながらも異様な感覚を感じた・・・・

「・・・・・・・・？」

　後ろでは美紀や恵美子が悲鳴を上げていた・・・・・・・
　全員が一斉に岸壁の先端に走り出した。

　恭平と修平がワイヤーにぶら下っている康平を確認した。
　康平は目を瞑っている。気を失っているようだ。

　恭平と修平はワイヤーを静かに引き上げていった。
　甲斐と遠藤も二人を手伝う。

　甲斐が康平の足を握った。
　全員で上に引き上げると修平が康平の足首に巻いたワイヤーを外し恭平に合図した。
　恭平が頷き、胸ポケットから注射器を取り出して康平の首に刺す・・・・・
「・・・ゥッ・・・・クゥゥゥゥ・・・・・ッ・・」
　修平は康平の上体を起こし岩に持たれ掛けさせた。
　軽く平手で康平の頬を叩く修平・・・・

　康平が、ゆっくりと目を開けはじめた・・・・
「・・・ゥゥ・・・ッ・・・・れ、礼・・・子・・・・・・・・亜美っ・・・」
　礼子は、自分と亜美を呼ぶ康平の声で、朦朧としていた意識が覚醒していった・・・
　走りよって岩にもたれている康平の前にしゃがみ込む・・・
　康平は、ぼやけて見える礼子の顔が、徐々に鮮明に見え始めた。
　頭を振りながら、礼子を凝視した・・・・・・
　しっかりと康平の視線を受け止める礼子・・・・

「・・・こ・・・・康平・・・・康平・・・・・判る・・・私が判る・・？」

「・・・・・・・れ、・・礼子・・・・・俺は・・・・・い、一体・・・・」

　礼子は、康平が自分を判ってくれた事を確認した。
　康平にしがみつくと大声で叫泣しはじめた・・・

「ウッ、・・・ウッ・・・ウゥゥ・・・康平ぇぇぇぇーっ！」

　亜美も康平に飛びついていく。
　その姿を見て美紀、恵美子、澪も一斉に康平に飛びついていった。

「・・・な、・・・ど・・・どうなって・・・・君達は・・・」

　遠藤と甲斐が泣きながら抱き合っている。
　修平も恭平の襟を握り締め号泣していた。

　恭平は、涙を堪えながらも修平にいい聞かす。
「修平、康平のパストショックを防ぐぞ。康平の事だ。まず、大丈夫とは思うが、急いで処置をしよう。」
「わ、わかった。」
　修平は、涙を拭うと康平に抱きついている皆のところへ歩み寄った。
「みんな、聞いてくれ。今からが大切なんだ。現在を康平に認識させるための処置をする。」
　皆は修平の言葉に、後ろへさがった。
　康平が、目の前に居る恭平と修平を見つめた。

「・・ぇ・・・・兄・・・貴・・・か・・・」

　二人は黙って康平を見つめた。

「・・・・し・・白髪・・・が・・・・・皺・・・・も・・」

「康平。」

　恭平の言葉で、修平が康平の腕を持ち精神安定剤の注射を打った。
　そして脳波を調整する電磁波を送っていく・・・

「・・な、兄貴・・何するんだ？」
「康平、よく聞け。」
「・・・・・・」
「お前は、・・・・・お前は、１３年間、記憶を失っていたんだ。」
「・・・・・・・・・・・え？」
「後ろに居る人たちを見ろ。」

　康平が、みんなを見渡した・・・・
　眉間に皺を寄せ１人づつ、ゆっくりと顔を眺める・・・

（・・・・み、美紀・・・恵美子か？・・・・・・・み、澪っ！）

「荒尾っ！」

（・・・？・・甲斐・・・え・・・遠藤？・・・）

　康平が、礼子によく似た亜美を見た・・・・・

「・・・・あ・・・・・亜美・・・・・か？」

　亜美が康平を見て何度も何度も頷いている。

「康平、落ち着いて頭を整理しろ。お前はな、あの時、この場所で銃で撃たれ、この岸壁から海に落ちたんだ。」
　恭平が、康平の作務衣を左右に開く。
「脇腹を見ろ。その時打たれた傷だ。そして太腿にも傷がある。」
　不思議そうに康平は、傷口を見ている。
「偶然にも、助かったんだが、その時のショックで、お前の過去の記憶は、全部なくなってしまったんだ。」
　康平は、恭平の説明に目を瞑り無言で何かを考えているようだった。
　全員が静まり返る・・・・・・

　康平が元来持つ天性的な思考能力と強靭な精神で徐々に恭平の説明を理解していく。
　・・・・そして、康平は、苦笑いをしながら言葉を吐いた。

「・・・そうか・・・・そうなのか。・・・・１３年間もか・・・・」

　康平は、ゆっくりと立ち上がった。
　海を見て、暫し思考を繰り返している。

　そして、数回、納得するように首を振ると康平の顔が優しさに満ち溢れた笑顔に変わった・・・・・
　礼子と亜美を交互に見る・・・・

「礼子っ！　亜美っ！」
　康平の呼びかけに礼子と亜美が飛びつきながら抱きついていった。

「・・・・亜美・・・・美人になったな。」
　亜美は、泣き叫んでいて康平の声が聞こえない。
「礼子・・・・相変わらず綺麗じゃないか。」
　礼子も、全身を震わせて何度も康平の名を呼び続けた。

　後ろで全員が、声を出して泣いていた。
　礼子と亜美を抱きしめながら皆を眺めた・・・

「美紀っ、恵美子っ・・・おぉ・・・澪っ！」
「荒尾っ・・・俺の名も呼べっ！」
　甲斐が真赤な顔をして叫んだ。
「・・ふっ・・甲斐・・・・少し髪が薄くなったな。」
「・・・う・・・こ、このやろう・・・」
　遠藤が、腕で涙を拭っていた。
　康平が遠藤を見つめる・・・・
「・・・遠藤・・・・・遠藤だな。」
　康平の声で遠藤が嗚咽を漏らした。

　全員が康平を囲み抱き合った。

　恭平が安堵の溜息をつきながら修平の肩を叩く。
　修平は、極度の緊張感と安心感で膝を折った。

「ふぅー・・・・兄貴・・・・・・久しぶりに疲れたよ。」
「ああ、俺もだ。」
「康平め・・・俺たちを見て白髪やら皺やらぬかしやがって。」
　そう言いながらも修平も涙を流していた。
　恭平が、皆に囲まれている康平の顔を見て近づいていく。

「康平っ！」
「に、兄さん・・・心配掛けてすまん。」
「そんな事はいい。それより、あの人が判るか？」
　恭平が十王寺を指さした。康平が顔を向ける。
「・・・・・・・・？」
「十王寺厳三郎さんという、お前の命の恩人だ。お前は１３年間、あの人と生活していたんだ。」
　康平は、皆から静かに離れて十王寺の前に歩み寄った。
　康平が十王寺の手を握り深々と頭を下げる。
「・・・私を、私を助けていただきありがとうございます。」
「いや、礼を言われる筋ではない。今では責任を感じておるのだ。」
　康平は、涙を浮かべて感謝した。
「いえ、生きていたおかげで、また・・・・また、最愛の妻と娘と・・・友人と・・」
　十王寺は、康平の手を振り払うと跪いて頭を下げた。
「どうか、このじじいを許してくれ・・・・・あの時、直ぐにでもお前さんをそれなりの手はずで、どこかに預けていれば・・・・」
　康平は十王寺の手を取り立ち上がらせた。
「私の命の恩人です。それに・・・それに、これは運命だったんです。」
　十王寺は、康平の言葉に頭をうな垂れた。

　礼子と亜美が二人に近づいた。
「十王寺さん、・・・・・主人の言うとおりですわ。貴方が居なければ・・・・私と娘は・・・・・。」
　亜美も礼を言った。
「ありがとうございます、十王寺さん。」
「すまない・・・・すまない・・・・」

　修平が、大声を出した・・・・・
「さぁーっ、帰ろう。康平を連れて！」

　全員が、修平の合図に笑顔が溢れる・・・

　康平は亜美と礼子を両脇から抱きながら岸壁を後にした。
　甲斐や美紀達も康平を取り囲みながら一緒に歩き出す。

　遠藤が煙草を取り出し康平の口に咥えさせた。
　澪が咥えた煙草に火を付ける。
　康平は大きく煙を吸い込むと咳き込みながら紫煙を吐き出す。
　恵美子の含み笑いに、遂に全員の笑い声が最高潮に達した・・・・・

　そして・・・・・
　あの時と同じように、同じ場所で波が岸壁に当たる大きな音が鳴り響いた。

　康平が立ち止まる・・・・・
　礼子は康平の手をきつく握り締めた。
　恭平も１３年前を思い出したのだろう、礼子に声を掛けた。
「礼子さん、・・・・今度は振り向いていいかな？」
　礼子が涙声で返事をする。
「ええ。」
　全員が、礼子の返事で一斉に後ろを振り向く。
　その瞬間、波の飛沫が包むように全員に降りかかってきた・・・

　岩波を受けた岸壁の上には、全員を包むように鮮明な虹が浮かんでいた・・・・・