（３９）

−　翌日　−

　全ての検査を終えた剛士が、一般病棟に戻ってきた。
　しかし、沙良は、担当医からの説明で一気に顔色を変えていった。
「い・・・意識が戻らないって・・・・ど、どういう・・・」
「手術は、成功しました。脳も全く異常がないんです。麻酔も切れてるし普通なら、とっくに意識が戻るはずなんですが、回復しないんですよ。」
「・・・そ・・・そんな・・・」
「原因が、解らないんです。とりあえず、脳波や機能検査は毎日行いますが、しばらく様子を見ながら原因を探ります。」
「・・・・・は・・・・は・・ぃ・・・」
　担当医は、沙良に、そう説明して病室を出て行った。
　剛士は、鼻に酸素カニューレを挿され静かに目を瞑っていた。

（・・・剛士・・・・・）

　沙良は、ベッド横の椅子に座って剛士を見つめた。

　医師や専門スタッフは、毎日のように剛士を診察し容態を調べていった。
　しかし、相変わらず異常がないにも関わらず意識は回復しないでいた。

　手術から既に２週間が経ち、沙良の苛立ちもピークを迎えていた。
　沙良は、担当医に心痛な表情で質問をしていく。
「先生・・・・いったい・・いったい、いつになったら意識が・・・」
「清水さん、何度も言うようですが、彼には、異常が見つからないんです。ただ一つ考えられる事は、伊武さんの脳が、無意識の内に覚醒するなと命令しているとしか考えられないんですよ。つまり、外部刺激ではなく伊武さん自信の内部的な面々が原因じゃないかと考えられるんですが。」
「・・・・・つ、つまり・・・・このまま、一生・・・・」
「・・・・・・断言は出来ませんが・・・・その可能性も・・・・」
「・・・・・・」
　沙良は、医師の言葉にショックを隠せなかった。

　足取り重く病室に戻っていく沙良・・・・
　ベッドで眠る剛士を見ると涙が自然に溢れてきた。

（・・・・・・・・・・剛士・・・目を開けて・・・・・）

　沙良は、剛士の寝るベッドに顔を埋めた。
　やるせない気持ちが身体中に広がっていく・・・・・
　沙良は、色々な事が、頭の中を駆け巡った。
　剛士の意識が戻らなかったら、自分はどうすればいいのか。

（剛士・・・・・）

　もし、もし、このまま、剛士から離れていったら・・・・・
　無意識のうちに、沙良の脳裏に悪想が浮かんでくる・・・

《沙良、このまま出て行ってもいいじゃない、貴女には、一馬もいるし。》
《ずっと面倒見て、年老いてくつもり？》
《所詮、他人じゃない。この男より結婚したいって人を選んだ方が得よ。》
　
　沙良は、起き上がって剛士の顔を見つめた。
　静かに剛士の首筋に手を当てていく・・・・・・・
　体温が伝わってくる・・・呼吸もしている・・・
　しかし、意識が戻るかどうかは全くわからない。

（・・私・・・馬鹿な事を・・・・）

　沙良は、目に溜まった涙を拭くと剛士に向かって囁いた。
「・・・剛士、安心して・・・・・・ずっと・・・ずっと、一緒にいるから。」

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「え？　伊武さんをですか？」
　沙良は、担当医に、剛士を外の空気を吸わせてやりたいと申し出ていたのだ。
「ええ、もう３週間も経ちますし、手術の跡もいいんじゃないかと・・・」
「ええ、傷口は、大丈夫なんですが、特殊なストレッチャーでないと。」
「車椅子では駄目なんですか？」
「ええ。当然です。」
「・・・・どうすれば・・・」
「じゃ、病院のストレッチャー式の車椅子があるので、それを使いますか。」
「いいんですか？」
「ええ、全く構いませんよ。しかし、２人居ないと、重たくて動かせませんよ。」
「だ、大丈夫です。直ぐに友人に電話しますので。ありがとうございます。」
　沙良は、さっそく幸三に電話をして病院に来てもらう事にした。

　数十分後、沙良の連絡を受けた幸三が、病院に到着した。
「沙良ちゃん、兄貴を外に運ぶって？」
「ただの散歩よ。外の空気を吸わせてあげたいの。」
　沙良と幸三は、早速、ストレッチャーを借りると、剛士をベッドから移動させた。
　幸三が、前方を持ち、沙良は、剛士の顔が見える位置でストレッチャーを押していく。
　外に出ると、沙良は病院内の周囲の通路を散歩する事にした。

「沙良ちゃん、毎日大変だろう。」
「・・・そんな事ないわ。」
「・・・・・四郎さんも、言ってたけど交代で俺達が見るぜ。」
「うぅん・・・いいの。・・・私が見ていたいの・・ずっと・・」
「沙良ちゃん・・・」
　沙良は、そう言うと剛士の顔を見ながらストレッチャーを押し続けた。

　２周ほどすると、沙良と幸三は、剛士を挟んで道路が見えるベンチに腰掛けた。
「沙良ちゃん、何か飲み物でも買ってくるよ。」
「うん、ありがとう。」
　沙良は、剛士の手を握りながら、向かいのビル前の並木を見上げていた。
「剛士・・・・秋が、そろそろ終わるわよ・・・・」
　沙良は、剛士に聞かせるように小声で囁いた。
　返事をするはずのない剛士に寂しさを感じながら沙良は溜息をつく・・・・

（・・・・もう、目をあけないの・・・・・・剛士・・）

　沙良は、寂しそうな表情で剛士を見つめた。

「お待たせ。」
　幸三が缶コーヒーを買ってベンチに戻ってきた。
「ありがとう、冬木さん。」
　幸三は、剛士を挟んで沙良の隣に腰掛けた。
「・・・・・沙良ちゃん・・・・・辛いだろう・・」
　突然、そう呟いた幸三の声に肩を震わせる沙良・・・・
「ご、ごめん・・・」
「・・うぅん・・・いいの・・・・・でも、看病が辛いんじゃなくて・・・・」
　幸三は、沙良の気持ちが痛いほどわかった。
　この先どうなるのかもわからない状態で精神を維持するのは並大抵の事ではないからだ。
「・・・・・ん？」
　幸三が、顔を顰めながら沙良に問い掛けた。
「沙良ちゃん、何か匂わないか？」
「え・・・・えぇ・・・・そういえば、ガソリンの匂いがするわね。」
　幸三が、ベンチから立ち上がって向かいの道路を見た。
「なんだ、真ん前はガソリンスタンドだよ。　今、ローリーがタンクに給油しているんだ。」
「・・そう・・・なら、匂うはずだわ。」
「・・・？・・しかし、やっぱりおかしいな。匂いが強すぎるぜ・・」
　その時、幸三は、ローリーの６つある給油口の一つから大量に漏れる油を確認した。
「な・・・・・お、おい、漏れてるぜ、沙良ちゃん・・」
「えっ？」
「道路に流れてるじゃねぇか。・・・・俺、ちょっと教えてくるよ。」
「うん・・・そうね。前を通る車が危ないし。」
「沙良ちゃん、これ持ってて。」
　幸三は、持っていたコーヒーを沙良に預けて道路に出ようとした。
　その時・・・
　強烈な閃光を放ち、けたたましい爆音と黒煙が立ち上り一気に炎が上がった。

「ウアァァァァァァー！」　「キャァァァァァーッ！」

　沙良と幸三は、ベンチから飛ばされ後方に倒れていく。
　爆風で周りのガラスは割れ金属片が飛び散っていた。

「ゥゥゥ・・・・・・ッ・・・」
「さ・・・・沙良ちゃん・・・だ、・・・大丈夫か・・・」
「ぇ・・えぇ・・・・ど、どうなったの？・・」
「わ、わかんねぇー・・・」
　沙良と幸三は、ゆっくりと立ち上がった。

「・・ぁ・・つ、剛士・・・・剛士ぃぃーっ！」
　沙良はストレッチャーに乗せたままの剛士を思い出し急いで走り寄った。
「え？・・・そ、そんな・・・い、いない・・・冬木さぁぁーんっ！　」
　沙良の大声で幸三も急いで駆け寄った。
「どうし・・た・・・え？・・あ・・・兄貴・・兄貴は？・・・兄貴ぃぃぃぃぃーっ！」　ストレッチャーに乗っていたはずの剛士の姿がなかった。
　慌てながら周りを見渡す沙良と幸三・・・
「そん・・な・・・・・剛士ぃぃぃぃーっ！」
「・・・どうなってんだ？」
　周囲は、黒煙が上がり、けたたましく鳴り響くサイレンの音が遠方から聞こえ始めている。
　ベンチ後方の花壇あたりを必死で探す沙良と幸三・・・
「い・・いない・・・剛士が・・・ま、まさか・・・・剛士・・・」
「沙良ちゃん、落ち着けっ！俺達の方が前にいたんだ。吹き飛ばされるわけはないぜ。」「で、でも・・・」
「どこかに居る！探そう。」
「ぇ・・・ええ・・・」
　数分後、炎が強くなると共に、徐々に煙が薄くなっていった。
　消防車が何十台と現場に近づいてくる。
　沙良と幸三は、明るくなり始めたガソリンスタンドに目をやった。
　その時、道路から立ち上る煙の中に一人の男が立ちずさんでいた。
　拳を握り、燃え盛る炎を見つめている。
「おい、あんた・・危ないぞっ！　下がれ！」
　幸三が、大声で、男に叫んだ。
　沙良も、幸三の声で、その男に目をやる。

（・・・？・・・パ、パジャマ？・・・・え・・・・）

　男は、ゆっくりと沙良たちの方に振り向いた。
　その男は、剛士だった。

「・・つ！”　つ！”・・・・剛士ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーっ！」
「ぁぁ・・・ぁぁ・・・あ、あ、兄貴ぃぃぃーっ！」
　沙良と幸三の大声に、剛士は、ゆっくりと振り向いた。
「・・沙良っ・・・・・こ、幸三・・・か・・・」
「うわぁぁぁぁぁぁー・・」　「剛士ぃぃぃーっ！」
　沙良と幸三は、剛士に向かって走り出した。
「兄貴っ！　兄貴っ！　兄貴っ！　兄貴ぃぃぃーっ！」
「ゥゥゥ・・・つ・・・剛士・・・・・」
　沙良と幸三は、剛士に抱きつきながら泣き始めた。
　消防車やパトカーが到着しクラクションを鳴らされると車内マイクで注意を促される。
「・・・・さ、兄貴、危ないから、こっちへ・・」
　沙良と幸三は、剛士を病院の敷地内に引き込んだ。
「ど、どうしたんだ・・・お、俺は・・・・え？」
「剛士・・・解るの？・・解るのね・・・」
　沙良は、そう言って号泣し始めた。
「解るって・・・・俺は・・・・・」
「兄貴・・・」
「そ、そうか・・・手術して・・」
「３週間以上も・・意識がなかったんですよ、兄貴っ！」
「・・・・さ・・・・３週間？」
「ええ・・ずっと、ずっと・・沙良ちゃんが・・・兄貴から、一時も離れずに・・・」
　剛士は、自分に抱きつきながら泣く沙良を見つめた。
「沙良・・・・・」
　剛士は、沙良を強く抱きしめた。
「沙良・・・・・・・し、心配掛けたな・・・・・」
　沙良は、声を押し殺して剛士にしがみ付いた。
「兄貴、とりあえず病院の中に戻りましょう。」
「あ、ああ・・・」

　いつの間にか、消防隊が燃え盛る炎に放水をしていた。
　剛士ら３人は、炎を上げるガソリンスタンドを背にしながら病院の中に戻っていった。

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　病院の中は、怪我をした人間が運ばれ、ごった返していた。
　スタンドの従業員とタンクローリーの運転手ら３人が死傷したが通行人等は、運良く命に関わる怪我はしていないようだ。
　剛士の意識が戻った報告を受けて担当医と脳神経外科の医師が、病室に足を運んでいた。
「・・・伊武さん・・・正直、我々にも手の打ち様がなかったんです。」
「そうですか・・・・」
「手術自体は、成功したんです。・・・・しかし、しかし原因が全くわからずに。」
「・・いえ、先生達には感謝しています。こうして意識が戻ったんですから。」
　剛士は、丁寧に医師達に頭を下げた。

　担当医は、再度、検査をした後、退院を許可するといってくれた。
「じゃ、伊武さん、もう少し安静にしていてください。」
「解りました。」
　医師たちが病室を出ると、落ち着きを取り戻した沙良が剛士に問いただしてきた。
「でも、剛士・・何で、急に・・・・？」
「解らん・・とにかく覚えているのは、遠くから逃げろという声が聞こえたんだ。」
「・・・・・」
「俺は、幻影を見ていたのかな・・あの爆音が、爆弾か銃砲に聞こえたんだ。反射的に周囲の様子と怪我人の確認、敵の行動を把握しなければと思ってな。」
「それで・・・あの黒煙の中に・・・」
「ああ・・・・・恐らくＳＡＳ時代と錯覚していたのかも。身体に染み付いた癖が、俺を覚醒させたのかもしれない。」
「でも・・・良かった・・・・本当に・・・」
　そこへ、幸三から連絡を受けた四郎が、慌てて病室に駆け込んできた。

「剛士君っ！」
「おう、四郎・・・・心配掛けたな。」
「心配って・・・馬鹿っ・・・この３週間、仕事にならなかったわよ。」
「・・・・お前の、その気味悪い声を聞くと意識が戻ったって気になるよ。」
　剛士の言葉に沙良と幸三も笑いを上げる。
　そして、直ぐに穂波と麻衣子も駆けつけてきた。

「剛士さん・・・・・よかった・・・・・よか・・・」
　穂波は、嬉しさで、それ以上声が出なかった。

「・・・穂波、麻衣子、ありがとな・・」
「伊武さん・・・・」
　麻衣子も目に涙を浮かべながら喜びを全身で現した。

「さ、兄貴の退院祝いは、派手にやるぞぉ！」
「そうそう、私のお店でやりましょう。」
　四郎の言葉に全員が顔を横に振った。
「何でよ、いいじゃない。全部私が持つわよ。」
　病室が、徐々に騒がしくなってきた。
　また、いつもの通り、剛士を囲んで明るい生活が戻ってくる。
　沙良は、笑顔を振り撒きながら剛士の手を強く握っていた。