（１００）

　仙次郎は、ペンを片手に姉の美佐江に質問をしていた。

「いま、泉美さんのご主人である隆一さんから、色々と妹さんの話を聞いたんです。実は、その話の中で、妹さんが、このようなことになった原因を姉である貴女の婚約時に起因しているのではないかと、専門的な立場で疑問を持ったんですよ。」
『私の‥‥‥ですか？』
「ええ。貴女は、ご両親に代わって妹の泉美さんの世話を中学に上がるまでしていたそうですね。」
『はい。両親が仕事が遅い事もありましたし、泉美とは、歳が離れていたこともあって、両親に代わって、私が、色々と面倒を。』
「‥‥‥そう言う意味では、泉美さんは、お姉さんっ子だとお父さんも言っていたそうですが？　間違いありませんか。」
『はい、いつも私に甘えていましたし、両親より私の言いつけを聞く方が多かったのは確かです。』
「なるほど‥‥‥つまり、貴女を信頼していたといえますね。」
『ええ‥‥‥‥そうかも‥‥‥』
「‥‥‥その後、貴女は婚約が決まり、婚約者を家族に紹介するために家に連れてきた。今のご主人ですね。」
『ええ、そうです。』
「その時、泉美さんは、どういう感じでしたか。」
『‥‥‥‥んー‥‥‥あまり、覚えていないのですが‥‥‥‥寂しそうな顔をしていた記憶があります。』
「なるほど。‥‥‥‥‥まあ、そうでしょうね。それでは、少々、失礼な質問をさせてください。」
『‥‥‥は‥‥‥はぃ‥‥』
「婚約者、つまり、今のご主人は、その時、貴女の自宅に、泊まっていったのではないですか？」
『ぇ‥‥‥ぁ‥‥はい‥‥父に勧められてお酒を飲みましたし、車でしたので、危ないから泊まっていけと父に言われまして。』

　仙次郎は、僅かに口元で笑みを見せた。

「更に、失礼な事をお聞きします。その夜、貴女は、ご主人とセックスしましたね。」
『ェッ‥‥‥ぁ‥‥‥‥あの‥‥‥‥‥‥‥‥‥そ‥‥‥‥‥』
「そうなんですね。」
『‥‥‥‥‥‥‥は‥‥‥‥‥はい‥‥‥‥‥‥』

　美佐江の言葉は上ずっていた。

（‥‥‥‥やはりな‥‥‥）

「もう、私の次の質問はお解かりでしょう‥‥‥‥‥‥‥‥その様子を泉美さんに見られた‥‥‥そうじゃないですか。」
『‥‥‥‥‥‥‥ぁ‥‥‥‥‥は‥‥‥はぃ‥‥‥』
「ありがとうございます。‥‥‥いえ、決して変な意味ではありませんので。」
『‥‥‥‥はぁ‥‥‥‥』
「貴女が、妹さんに見られていると気づいたのは、いつですか？」
『‥‥‥‥そ‥‥‥それは‥‥‥‥‥あのぅ‥‥‥最後の‥‥‥‥‥つまり‥‥‥』

　仙次郎は、美佐江に気遣ってこちらからしゃべり掛けた。

「全て終わってからですか？」
『‥‥‥‥はぃ‥‥‥そうです‥‥‥‥』
「なぜ、気づきました？」
『‥‥‥‥‥あのぅ‥‥‥‥‥‥泣き出したんです‥‥‥‥‥』
「泉美さんが？」
『‥‥‥はい‥‥‥』
「何故でしょう？」
『‥‥‥‥そ‥‥‥それは‥‥‥‥』
「解りました。私が言いましょう。‥‥‥‥つまり、貴女は、ご主人とのセックスによる快感で声を漏らしていた。しかし、まだ、小学生である泉美さんは、そうは聞こえない。当然、クライマックスが訪れる訳だが家族が居るため大きな声を出せない。つまり、声を押し絞ったわけです。
　だが、貴女の、その声が、泉美さんには、苦痛の声に聞こえてしまった。恐らく、ご主人に苛められ、貴女が泣いていると思ったんでしょう。」

　電話の向こうからも美佐江の恥しそうな姿が容易に想像できた。

『‥‥‥‥は‥‥‥‥はぃ‥‥‥ぁ‥‥‥あの‥‥‥‥‥大声で泣きながら‥‥‥お姉ちゃんを殺さないでと‥‥‥部屋に飛び込んできて‥‥‥‥‥‥』
「やはり、そうですか。‥‥‥‥‥‥」
『‥‥‥‥‥‥‥』
「重ね重ね申し訳ありませんが、何分ほど続けていたんですか？」
『‥‥‥‥‥あまり定かではありませんが‥‥‥１時間は‥‥‥』
「つまり、最初から泉美さんは見ていたんでしょうか？」
『‥‥‥‥ぇぇ‥‥‥‥何時から居たのと聞いたら‥‥‥‥‥‥私たちが部屋に上がってから直ぐと‥‥‥‥手にお菓子袋を持っていて‥‥‥‥』
「お菓子袋？」
『母が、持って行きなさいと言ったそうで。泉美が降りてこないから、両親たちも、てっきり私たちと遊んでいると思っていたんでしょう。』
「そうですか‥‥‥解りました。どうもありがとうございます。大変、失礼な質問をいたしまして申し訳ありませんでした。必ず妹さんを助けますので、どうか、ご無礼をお許し下さい。」

　仙次郎は、美佐江に丁寧に礼を言って電話を切った。

「先生‥‥‥‥」

　加藤は、身を乗り出して仙次郎に問い掛けてきた。
　しかし、仙次郎は無言で目を瞑っている。

（やはり、そうだったか‥‥‥‥‥）

　仙次郎は、やっと理解が出来たところだった。
　しかし、要因を決定付けるには、夫である隆一との関係を再度、聞き出さなければならない。

「加藤さん、もう一度、奥さんとの身体の関係を聞かせてくれますか？」
「ぇ‥‥‥ぁ‥‥‥はぁ‥‥‥」
「貴方は、痛がる奥さんを思いやって、月に一度程度しか求めないと言いましたね。」
「‥‥‥はい。」
「濡れないと解っているのに、月一でセックスをしていたわけですよね。」
「はい‥‥‥‥あの‥‥‥‥‥ジェルを使って‥‥‥‥」
「なるほど、今はインサートジェルが豊富ですからね。奥さんは、貴女と結合中は、どういう状態ですか？」
「‥‥‥ぇぇ‥‥‥その‥‥‥‥我慢をしているような‥‥‥‥つまり‥‥‥摩擦による痛みは少ないようなのですが‥‥‥」
「芯から濡れていないわけですね。‥‥‥つまり、貴方は独りよがりの？」
「そうではないのですが‥‥‥‥‥‥しかし、性欲を抑える事ができない時に。」
「つまり、それが、間隔にして、月に一度と言う事ですか。」
「ええ‥‥‥‥‥」
「しかし、奥さんが、感じなかったり無表情に近いと、射精は難しいでしょう。」
「‥‥‥は‥‥‥はい‥‥‥‥ですので‥‥‥‥」
「ん？‥‥‥‥何です？」
「つ‥‥‥‥つまり‥‥‥その‥‥‥アダルトビデオを見ながら‥‥‥」

（！！‥‥‥‥やっぱり‥‥‥‥‥そんな事だろうと思ったぜ。）

　仙次郎は、平静を装って話を続けた。

「ほぉぅ‥‥‥そうだったんですか。それは、毎回そうだったんですか？」
「ええ。妻が可哀想ですし、なるべく早く済まそうと。」
「なるほどねぇ‥‥‥」
「あの‥‥‥‥それが何か‥‥‥？」
「いや、いいんです。」

　仙次郎は、今までの加藤からの話と姉の美佐江の話しを統合して、内容を整理し始めた。

　姉の婚約、婚約者とのセックスの目撃、姉との別れ、自慰、結婚まで処女であった事‥‥‥男性への拘り、夫婦のあり方‥‥‥‥

　久しぶりに仙次郎の脳細胞がフル回転し始めた。
　それぞれをフローチャートにして一づつ要因になるであろう事を書き記していく。

（んぅーむ‥‥‥‥‥今一つ、決断できないな‥‥‥‥）

　加藤を無視して考え込む仙次郎‥‥‥‥
　テーブルに視線を落とし無言で頭を回転させていく‥‥‥‥

（愛‥‥‥夫婦愛‥‥‥ＳＥＸ‥‥‥‥‥？‥‥‥‥信用‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥不倫‥‥‥‥くっそー‥‥‥キーが見つからんぜ。）

　仙次郎は、焦りを感じていた。

　見かねた佳代が、二人にコーヒーを運んできた。

「先生、少し休んだらどうですか。」
「‥‥‥‥‥ああ。」

　佳代は、テーブルの上の本を隅に寄せてコーヒーを二人の前に置いた。
　その時、隅に寄せた本が床に落ちてしまった。

「あ、すいません。」
「いいよ、僕が拾うから。」

　そう言って、落ちた本を拾い上げる仙次郎‥‥‥‥

（‥‥‥‥ん？）

　仙次郎は、広がって落ちた本に赤いペンでマーカーが記されている事に気が付いた。

（‥‥‥‥‥‥何だ？）

　その部分を見る仙次郎‥‥‥
　本は、創世記だった。

　オナンの故事‥‥‥‥
　子孫を残すことを避けて、精子を地面に流してしまった。
　‥‥‥‥‥邪悪な行為‥‥‥‥‥

（さっき、加藤さんに説明した文じゃねぇか‥‥‥何故、この部分に線を引いてあるんだろうか？）

　仙次郎は、考えに考え込んだ。
　念のため他の本も開き中身を確認する仙次郎‥‥‥‥
　色々な箇所に、マーカーで記している部分がある。
　仙次郎は、その部分を中心に目を通していった。

　無言状態が、１時間ほど続いただろうか。

（！‥‥流産‥‥‥‥夫‥‥‥信用‥‥‥‥愛‥‥‥そうか‥‥‥‥解ったぞ。）

　仙次郎は、大きく深呼吸して頭を整理した。

　加藤が、その様子を見て仙次郎にしゃべり掛けた。

「先生っ！」
「加藤さん、やっと解りましたよ。恐らく私の推測は当たっています。」
「え？‥‥‥この本と、奥さんのお姉さんの話で解りました。」
「義姉は‥‥‥その‥‥‥」
「お聞きになっていたしょう。義姉夫婦のセックスを見てしまったんですよ。」
「そ‥‥‥それが、原因で？」

　仙次郎は、自信満々の表情で応えた。

「いえ、違いますね。」
「え？」
「姉夫婦のセックスを見たというのは、あくまで起因です。」

　加藤は、全く意味が解らないといった表情を見せた。

「加藤さん、私の推測が、合っているという確証を得るためには、もう一つ、貴方に聞いておかなければならない事があります。」
「え‥‥‥‥そ‥‥‥それは？」
「今から、奥さんを呼びましょう。」
「えぇっ！‥‥‥」
「仕事に来ているんでしょ。」
「は‥‥‥はい‥‥‥‥しかし‥‥‥」

　仙次郎は、加藤の返事を待たずに佳代に告げた。

「佳代君、加藤さんの奥さんを、ここへ呼んでくれたまえ。」
「はい。わかりました。」

　加藤は、驚いた顔で仙次郎を見つめた。
　しかし、仙次郎は、余裕の表情で煙草をふかしている。

　暫くして、加藤の妻、泉美が応対室を訪れてきた。
　出迎える佳代‥‥‥‥

「どうぞ、お入りください。」
「は‥‥はい‥‥‥‥あの‥‥‥私に何か‥‥‥」

　そう言って室内を見渡す泉美‥‥‥‥
　そこに仙次郎と向き合う夫の隆一に気づいた。

「‥‥‥あ‥‥‥‥あなた‥‥‥‥どうして‥‥ここに‥‥」

　仙次郎は、泉美に声を掛けて中に入るよう促した。
　少々、驚いた様子で二人を見る泉美‥‥‥
　ソファに座ると怪訝そうに夫の隆一を見つめた。

「あなた‥‥‥どうして、ここに‥‥‥何かあったの。」

　加藤は、下を向いたまま、小声で泉美に応えた。

「‥‥‥‥‥僕達の事を高輪先生に相談したんだ。」
「え？‥‥‥‥相談って‥‥」
「僕と、純子君、そして、君と純子君の事もね‥‥‥‥」

　目を丸くして驚きを表す泉美‥‥‥‥

「ど‥‥‥どうして‥‥‥どうしてなの‥‥‥あなた‥‥‥‥」

　泉美は、身体を震わせながら隆一に問い掛けた。

「僕は、君と別れるつもりは無い。君を愛しているんだ。順子君には、もう会わない事を承諾してもらったよ。」
「どうして‥‥‥なんで、そんな勝手な事をするのよ。」
「泉美‥‥‥このままでは、純子君は、身体を壊してしまう。」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥君に恐怖を抱いているんだ。」
「‥‥‥‥‥‥‥」

　純子の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく‥‥‥‥

「‥‥‥‥‥ゎ‥‥‥‥私は‥‥‥‥あ‥‥‥貴方を‥‥‥‥私は‥‥‥‥」

　独り言のように呟く泉美‥‥‥
　仙次郎は、二人の会話を黙って聞いていた。

「先生‥‥‥」

　助けを求めるように、仙次郎に呼びかける隆一‥‥‥‥
　仙次郎は、小さく溜息を吐きながら泉美に話し掛けた。

「奥さん、貴女に黙って、過去を全て聞かせてもらいました。」
「か‥‥‥過去‥‥‥」
「ええ、貴女の小さい頃からの行動や趣味、生活習慣などを‥‥‥そして、慕っていた姉が婚約し、家に婚約者を連れてきた事も、その夜、お姉さんと婚約者のセックスを目撃してしまった事もね。」
「ァ‥‥‥ェ‥‥‥ェェッ‥‥‥‥‥だ、誰から‥‥‥‥誰からですか？」
「貴女のお姉さんにです。」

　泉美は、信じられないような表情で仙次郎と隆一を交互に見ていた。

「そして、お二人の付き合ってた頃のお話や、結婚後の夫婦生活、何よりも貴女が、ご主人とのセックスが、困難と言う事もです。」

　呆然とした表情で仙次郎の話しを聞く泉美‥‥‥‥
　隆一は何も喋らないでいる。
　仙次郎は、隆一のフォローを兼ねて泉美に話し掛けた。

「奥さん、ご主人は、貴女を愛しています。」

（！‥‥‥‥‥‥‥ウ‥‥ソ‥‥‥）

「‥‥‥！？」

　仙次郎は、声を出さずに口を動かした泉美の言葉を読み取った。

「奥さん‥‥‥‥‥いま、嘘、と言いましたね。」

　驚く泉美‥‥‥‥‥

「ぇ‥‥‥‥‥‥い‥‥いえ‥‥‥別に‥‥‥」

　泉美は、焦って目をそらした。

「‥‥‥‥まあ、いいでしょう。」

　隆一と泉美は、無言のまま俯いていた。
　仙次郎は、沈黙を破るように話を始めていく。

「奥さん、ご主人は、貴女とのセックス、そして浮気を勧めた真意、そして離婚を告げられた事に、ひどく悩んでいます。さらに、その浮気相手である、貴女の部下、津谷順子さんとの関係、貴女が、彼女とするプレーに対しても悩んでいるんです。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「しかし、なぜ貴女がそう言う行動をとったのか、そして、ご主人とのセックスで濡れないのか、津谷さんを押し付けて別れようと言ったのか先ほど解りました。」
「！‥‥‥ぇ？」

　泉美は、仙次郎の言葉の意味が直ぐには理解できなかった。

「貴女は、ご主人を愛しています。いや、正確に言うと愛していたと言うべきかな。ところが、別れたい。と、ご主人に言ったにもかかわらず結局は、まだ愛している。」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「自分でも判らなかった。この１０年間、貴女は、自分自身に問い掛けていたんでしょう。自分は、夫を愛している。いや、愛しているはずだとね‥‥‥‥苦しんだでしょうね。」
「‥‥‥‥な‥‥‥‥何を‥‥‥‥」

　泉美の顔が、著しく歪んでいく‥‥‥‥‥

「そして、１０年間悩みぬいたその思いに、ある時、ふと気づき始めた。つまり‥‥‥‥‥つまり、貴女は、ご主人の愛を疑い始めたんです。」

　顔を上げる隆一‥‥‥‥
　その言葉に、妻の泉美も仙次郎を見つめ直した。

「‥‥‥‥‥‥‥‥そ‥‥‥そうなのか‥‥‥泉美‥‥‥」

　泉美は、答えなかった。いや、答えたくなかったのだ。

「いつから‥‥‥いつから、信用しなくなったんだ。５ヶ月前か？　それとも‥‥‥‥２ヶ月前‥‥‥純子君と関係してからなのか？」

　顔をそむける泉美‥‥‥‥

　仙次郎が、呆れた様子で隆一に答えた。

「１０年前からですよ。」
「‥‥‥え？‥‥‥‥‥‥えぇーっ！‥‥‥‥何ですってぇぇー！」
「厳密に言うと、流産してから‥‥‥そうですね、奥さん。」
「‥‥‥そ！‥‥‥‥そんな‥‥‥ま、前から‥‥‥‥」

　大声を上げる隆一‥‥‥

　何も知らないはずの仙次郎が、意のままに話す様子を見て泉美は驚いた表情を見せていた。

「先生‥‥‥‥なぜ、それが判るんですっ！」

　泉美も不思議そうに仙次郎を見つめている。
　そして、小声で呟くように喋りかけた。

「な‥‥‥何で、‥‥‥‥何で、先生‥‥‥解りますの？」
「‥‥‥‥‥それは‥‥‥私が、心理学者ですので。」

　仙次郎は、そう言って泉美を見つめた。

　泉美は、仙次郎の人の心を見抜く実力に舌を捲いていた。
　誰も気づかなかった自分の気持ちをたかが２日程度で察した事を‥‥‥‥

　唖然とした表情で声を出すこともままならない泉美‥‥‥‥‥

　それを見た仙次郎は、テーブルに載った本を手にすると泉美にそれをかざしながら小さく頷いて見せた。