（１０９）

　斎藤と社に戻った仙次郎は、佳代に洋平を呼ぶよう言付けた。

「解りました。」
「ついでに、関口君も一緒に連れて来るように伝えてくれ。」
「はい。」

　落ち着かない斎藤‥‥‥‥
　仙次郎に促されてソファに腰掛けた。

　暫くして、関口が洋平に付き添われて部屋に入ってきた。

「仙次郎、関口君を連れてきたぞ。」
「ああ、入ってくれ。」

　関口は、不安そうな表情を浮かべて部屋の中に足を踏み入れた。

「！‥‥‥‥‥さ‥‥‥‥‥‥斎藤‥‥‥さん‥‥‥」

　驚く関口‥‥‥‥‥

「どうぞ掛けてください。」

　仙次郎は、関口を斎藤の正面に座らせた。
　二人の間を挟んで腰掛ける仙次郎と洋平‥‥‥‥

「さて、それでは、お二人に話をさせて頂こうか。」

　仙次郎の言葉に、洋平は、耳元で小さく囁いた。

「仙次郎‥‥‥‥大丈夫なのか？」

　眼だけで頷く仙次郎‥‥‥‥
　洋平は、小さく溜息をつきながら膝の前で指を組んだ。

「斎藤さん、関口さん‥‥‥‥この４年間、辛かったでしょうね。」
「‥‥‥‥‥‥‥ぇ？」「‥‥‥‥‥‥‥は？」

　仙次郎を見る斎藤と関口‥‥‥‥

「まず、話をする前に、私は、貴方達の事情を全て知っていると理解してください。」

　関口が、恐る恐る口を開いた。

「‥‥‥‥ぁ‥‥‥あの‥‥‥全てとは？」
「斎藤さんの弟と君が、大学時代に付き合ってた事、その弟さんに君が貢がせていた事、弟さんは君にフラれ、それを苦にし自殺した事、斎藤さんの両親が、息子の自殺したショックで後追い自殺した事‥‥‥」

　驚きを隠せない関口‥‥‥‥‥
　しかし、仙次郎は、淡々と話していく。

「兄である斎藤さんが、君を追い復讐するため、榊原グループに入社した事、弟さんに貢がせた金と銀行の借金を埋めさせるために、君に暴力と‥‥‥‥」
「やめてぇぇぇーっ！‥‥‥ゥゥ‥‥‥‥もう‥‥‥もう止めてください‥‥‥」

　嗚咽を漏らす関口‥‥‥‥‥

「ゥッ‥‥‥ゥゥ‥‥‥‥ゎ‥‥‥私は‥‥‥‥‥‥私は‥‥‥‥‥」

　仙次郎は、関口が泣き止むのを待って話を再開した。

「では、本題に入りましょう。」

　涙を拭う関口は、俯きながら仙次郎の話を聞き始めた。

「斎藤さん、貴方は、何故、彼女が逃げ出さなかったか判りますか？」
「‥‥‥‥‥」
「まあ、関口さんは、貴方の弟さんにした身勝手で酷い仕打ちをひどく後悔した事もあるでしょうね。それを償うと決めた人間性を見て取っても、真は、悪い人間ではないと解せます。だが、貴方にとっては、そんな簡単に済ませれる問題ではない。」
「‥‥‥‥‥と‥‥‥‥当然です。」
「んむ。銀行に返す金は８００万でしたか。８００万円の金なら給料だけでも、４、５年で返せる。方法なんかいくらでもあるでしょう。しかし、関口さんも両親には頼れない。いや、頼れるはずはない。３人兄妹だし、無理を言って大学に行かせてくれたのだから。自分で責任を取ろうと頑張ったんでしょう。だが、それ以上に、自分自身の手で償わなければ意味がないと感じたのかな？」
「‥‥‥‥‥」
「関口さんは、４年間、君との関係が続いてきた中で、斎藤さんが、あのビルを購入したい事を知った。斎藤さんが言ったように両親の思いと、悔いと、夢を実現したい事を知ったからです。彼女は、借金を返すだけでなく、あのビルを購入して、彼女なりの貴方に対する精一杯の誠意を見せようとしたんですよ。」
「‥‥‥‥ぇ‥‥‥‥せ‥‥‥関口が‥‥‥」
「斎藤さん、彼女が、なぜ、ＳＭクラブに勤めたか解りますか？　‥‥‥それは、通常の風俗店より倍以上も給料がいいからだ。しかし、君は、そんなところで働く必要はないと止めましたね。」
「‥‥‥‥‥」
「心のどこかで、そこまでする必要はないと思っていたからでしょう。しかし、彼女はそれを振り切って勤めた。斎藤さんの持つ人間性が、そこまでさせるな。と命令してるんですが、関口さんは言う事を聞かない。だから、訳の解らない怒りで、つい手を出してしまった。」
「‥‥‥‥‥‥」
「しかし、風俗に勤める理由が彼女にはあった。銀行に借金を返す前に、更に急いで、金を貯めなければけない理由が出来てしまったんです。」
「‥‥‥‥？」
「２ヶ月前に、そのビルを購入する買い手がついた事を知ってしまったからです。そう、貴方ですよ斎藤さん。」
「‥‥‥ぇ‥‥‥ええっ！‥‥‥ど、どういう意味‥‥‥」
「ところが、彼女は、ビルの買い手が、斎藤さん、貴方とは知らなかった。ビルが、売られる前に彼女は、購入契約をしようとビルの持ち主であるあのパブの店長に必死で交渉しに通っていたんです。そして交渉は成立した。」
「‥‥‥‥‥き‥‥‥君だったのか。」

　関口を見る斎藤‥‥‥‥
　仙次郎は、話を続けた。

「彼女は、必死だった。既に他が契約までしているのを承知で何度も店長の自宅に足を運んだそうです。それが君とは知らずにね。しかし、中々、店長は、首を縦に振ってくれない。‥‥‥‥‥だから、彼女はね‥‥‥持ち主である店長の陰湿ともいえる卑劣な要望を飲んでまで、あのビルの購入までこぎつけたんですよ。」
「い‥‥‥陰湿って‥‥‥‥まさか‥‥‥」
「そう‥‥‥抱かれたんですよ。」

　唇を震わせる斎藤、目を伏せる関口‥‥‥‥

「購入するための手数料と頭金が１０００万円だ。‥‥‥‥‥奈落で半年働くとちょうど溜まる金額です。関口さんは、それを計算して奈落を選んだんです。」
「‥‥‥‥‥そ‥‥‥そうなのか‥‥‥」

　黙り込む関口‥‥‥‥

「君に返す銀行の借金は、来月に終わる。更に４年間、奈落に勤めるとビルを買った総額の金も稼ぐ事ができる。そう思っていたところ、ビルの買い手が見つかったために、急がなくてはいけなかった。そして、奈落のオーナーに頼み込んで１０００万円を前借りしたんです。最初は断わられたそうですがね。」　
「‥‥‥‥‥‥‥せ‥‥‥関口‥‥‥‥‥お、お前‥‥‥」

　斎藤は、拳を強く握って関口を見つめている。

「斎藤さんが、ここに入社し、関口さんと接触して、その話を聞いた時に、恐らく、関口さんは、その事実に愕然としたんでしょうな。ショックでね。」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「斎藤さん、関口さんはね、弟さん、そして、ご両親に償おうと‥‥‥何年、いや、何十年掛かっても貴方の許しを得るために頑張ろうと決心したんですよ。」
「‥‥‥‥‥‥あ、‥‥‥当たり前です。」
「まあ、そうかもしれない。‥‥‥‥‥‥ところが、関口さんは、斎藤家の家族のために、自分の人生をも捨てる覚悟をしたんです。」
「そ‥‥‥そんな大袈裟な‥‥‥大体、なんで、そんな事が貴方に解るんです。」
「彼女の行動心理で解るんですよ。」
「ぇ？‥‥‥‥」
「斎藤さん、普通、４年間も、貰った給料を生活費以外、全て銀行に返すなんて出来ますか。貯金ではないんですよ。言ってみれば無報酬です。‥‥何の楽しみを抱いて生活するんです？‥‥‥‥しかし、貴方に言わせれば、そんな事は、当然と言うでしょう。まあ、そうかもしれません。‥‥‥それを解っているから、彼女は、それだけでは償えないと考えた。いつ、聞いたかは知りませんが、貴方が、両親が店を出すはずだった、あのビルを購入したい事を知ったんだ。それは、斎藤さんの両親の夢と、貧しくとも家族全員で必死になって頑張ってきた貴方たち家族全員の努力と夢を関口さんは壊してしまったという極度の罪悪感を感じたからですよ。」
「‥‥‥‥‥」
「関口さんは、自分は、どうなってもいいと決めてしまったんです。つまり、何年、何十年と言う次元ではなく、死ぬまで、斎藤家に償おうと思ったんです。だから、躊躇することなく風俗に勤めた‥そう‥‥‥関口さん自身の意思と自分の一生を貴方に捧げたんです。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「だから、貴方から逃げなかったんだ。奈落を止めろと関口さんに暴力をはたらいても、叩かれる関口さんは、苦にもしなかった。」
「‥‥‥‥‥‥」

　俯いたまま何かを考え込む斎藤‥‥‥‥

「しかしながら‥‥‥‥斎藤さんの気持ちも、この４年間で、かなり動き始めた。」
「‥‥‥‥‥‥」
「たぶん、いや、本心でしょう。関口さんを、もう許してもいいと思い始めたんだ。」
「ぇ‥‥‥」

　驚きながら、顔を上げる関口‥‥‥

「そうでしょう、斎藤さん。」
「ぅ‥‥‥そ‥‥‥それは‥‥‥‥」

　心を揺さぶられた関口‥‥‥‥‥‥‥

「‥‥‥先生、、何故、‥‥‥‥‥‥‥解るんですか‥‥‥。」

　仙次郎は、今度は関口に対して話を続けた。

「関口さん、それは、斎藤さんの人間性で判ります。小さい頃から、家族を助けてきた努力、厳しくも弟の面倒を見る優しい心、必死で頑張る両親を見てきた斎藤さんは、人を敬う精神を持っている。そして、貧しいながらも幸福とは何かを家族から学んだ。そう‥‥‥‥愛を知っているからですよ。」
「‥‥‥‥‥‥」
「つまり、貴方が身を削って、辛い思いをしている事に疑問を感じ始めたんだ。そこまでさせていいのかという斎藤さんの愛と慈悲の心が強く動いたんです。」

　歯を食いしばり黙って聞く斎藤‥‥‥‥

「これが、斎藤さんの人間性です。そういう性格の斎藤さんだ。態度に表れてしまう。つまり、４年間の斎藤さんとの関係で、関口さんは、その人間性を見抜き始めた。」

　斎藤を見つめる関口‥‥‥‥
　斎藤は、関口の視線を感じながらも眼を合わせる事が出来ないでいた。
　
　仙次郎は、二人を見ながら話を続けた。

「‥‥‥‥‥そして、成るべくしてというべきでしょうかね‥‥‥‥‥数年前から、関口さんに対しても憎しみとは違う感情が芽生え始めた。」

　自然と声を上げる関口‥‥‥

「ぇ‥‥‥‥‥‥‥」

　仙次郎は斎藤を見て問いただした。

「そうでしょ、斎藤さん？」
「‥‥‥‥な‥‥‥何が‥‥‥です‥‥‥」
「斎藤さん‥‥‥‥自分でも気づいてるはずだ。」
「だ‥‥‥だから‥‥‥‥‥‥な‥‥‥‥何を‥‥‥」
「関口さんを‥‥‥‥好きになってきた事を‥‥‥ね。」

　驚く洋平‥‥‥‥
　それ以上に、関口は、驚愕して仙次郎を見た。

「ば‥‥‥馬鹿な事を‥‥‥僕は‥‥‥‥‥」
「そうですかねぇ？‥‥‥‥‥関口さんも、貴方の事を好きなんですよ。」
「！ぇっ‥‥‥‥」

　体を硬直させる関口‥‥‥‥‥

「こういう話をしなくても貴方は感じていた筈だ。関口さんが自分に対して好意を持っているんではないかと。でも、それが言えなかった。違いますか？」
「‥‥‥ぅっ‥‥‥」
「‥‥‥それはね‥‥‥‥今も言いましたが、貴方の人間性に惚れたからです。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「そう‥‥‥彼女も‥‥‥‥斎藤さん、貴方の事を好きなんですよ。」

　もはや、関口は、仙次郎に対し隠し事はできないと感じていた。

　詳しい話を仙次郎に聞かせたわけではない。
　自分の行動と斎藤の話だけで、ここまで完璧に判断されるとは思っていなかったからだ。
　関口は、人の心理を探る仙次郎の実力に脅威を感じていた。

「さて、どうします‥‥‥‥お二人さん‥‥‥‥」

　無言の斎藤‥‥‥‥
　そして、関口が小声で呟いた。

「‥‥‥いいんです‥‥‥‥もう‥‥‥‥いいんです‥‥‥」

　そう言いながら、関口は、震える手でバックから一枚の封筒を取り出した。

「‥‥‥‥‥なんですか、それは？」

　仙次郎の質問に関口は、小声で囁いた。

「‥‥‥ぁ‥‥‥あのビルの‥‥‥‥購入‥‥契約書です‥‥‥‥」

　僅かに肩を震わせて、その言葉を聞く斎藤‥‥‥‥
　しかし、その封筒には視線を移さなかった。
　仙次郎は、その封筒を手に持ち言葉を吐いた。

「関口さん‥‥‥これをどうするんです。」
「‥‥‥‥‥‥ぁ‥‥‥あの‥‥‥‥斎藤さん‥‥‥に‥‥‥」
「ふむ、しかし、斎藤さんはこれを受け取るでしょうかね？」
「‥‥‥‥‥‥‥で‥‥‥‥でも‥‥‥」
「貴女なら受け取りますか？」

　寂しそうな顔をして俯く関口‥‥‥‥

「一つだけ受け取ってくれる方法があります。」
「ぇ？‥‥‥そ‥‥‥それは‥‥‥」
「クッ、クッ、クッ‥‥‥私の口からは、言わない方がいいでしょう。」

　そう言って、斎藤を見据える仙次郎‥‥‥‥
　斎藤は、ゆっくりと仙次郎に視線を合わせた。

「‥‥‥‥‥」
「斎藤さん‥‥‥‥もう、貴方の気持ちに整理はついてるはずだ。」

　洋平が、オロオロしながら、仙次郎、そして斎藤と関口を見ている。
　仙次郎は、持っていた封筒をテーブルに置いて腕を組んだ。

「関口さん、もうじき斎藤さんの口から、貴女に対する気持ちが出ると思いますよ。」

　その言葉に、斎藤は、髪の毛を両手で鷲掴みにして伏すように体を丸めた。
　無言が続く斎藤‥‥‥‥
　静粛した部屋は、緊張した空気が張り巡っている。

　時間は、無造作に過ぎていった。
　どれくらいの時間が経ったろうか。
　斎藤が、上体を起こしテーブルの上に乗る封筒を見つめた。
　徐にそれを手に取って握り締める斎藤‥‥‥‥
　そして、大きく深呼吸をして言葉を吐いた。

「‥‥‥‥‥‥関口‥‥‥‥‥‥俺と‥‥‥‥‥俺と‥‥‥店を‥‥‥」

　言葉が、詰まる斎藤‥‥‥‥‥

　嗚咽を漏らし始める関口‥‥‥‥‥

「‥‥‥‥ゥ‥‥‥ゥゥ‥‥‥‥」

「俺と‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥俺と‥‥‥‥‥‥一緒に‥‥‥‥‥こ‥‥‥この‥‥‥‥ビルで‥‥‥‥‥‥‥店を‥‥‥‥‥構えてくれないか？」
「‥‥‥ぁ‥‥‥‥‥ぁ‥‥‥‥ぅぅ‥‥‥‥」
「だ、だから‥‥‥だから、奈落を辞めろぉーっ！」
「‥‥‥ゥ‥‥‥ゥゥ‥‥‥‥‥‥ゥ‥‥ゥワァァァァァァァァー‥‥‥」

　関口は、斎藤のその言葉に平伏しながら号泣した。
　斎藤の今の一言で、自分の犯した罪が許された事が解ったからだ。

「斎藤さん、よく言った。‥‥‥‥‥‥いや、言ってくれると思っていたよ。」
「‥‥‥‥‥‥た‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥高輪さん‥‥‥‥‥」
「関口さん、斎藤さんが言ったように奈落は、辞める事だ。‥‥‥‥金は、二人で店を頑張って返していけばいい。」
「‥‥‥‥‥で‥‥‥でも‥‥‥高輪さん‥‥‥関口は‥‥‥金を前借りして‥‥‥」
「何、大丈夫さ。‥‥‥‥‥奈落のオーナーは、僕の知り合いでね。即答で、了解してくれるよ。」
「‥‥‥本当ですか？」
「ええ。」

　泣き止まない関口に、斎藤は、優しく声を掛けた。

「関口‥‥‥‥‥もう、親父も、お袋も‥‥‥そして‥‥‥そして、光男も、‥‥‥‥‥‥お前を許してるだろうさ。」
「‥‥‥‥ぅぅぅ‥‥‥‥‥」
「俺には、それが解るんだ。‥‥‥‥それでも、まだ償えなえきれないと言うならば、俺と一緒に、店を‥‥‥‥‥。一生‥‥‥俺と一緒に‥‥店を支えてくれないか。‥‥‥‥それを‥‥‥お前の償いとしてほしい。」

　涙を堪えて、そう言い放った斎藤‥‥‥

「関口さん‥‥‥‥‥斎藤さんに返事を‥‥‥」

　仙次郎に促されて必死で涙を止める関口‥‥‥‥
　頷きながら涙声で答えた。

「さ‥‥‥斎藤さん‥‥‥‥‥‥お‥‥‥お願いします‥‥‥貴方と‥‥‥‥」

　関口は、そう言って、再度、泣き崩れていった。

　洋平が、汗を拭い緊張した体を解いて深く長い溜息を吐いた。
　そして、仙次郎を見ながら安堵の表情を浮かべる。

「さすがだ‥‥‥‥‥‥仙次郎‥‥‥‥‥」

　親指を立てて洋平に応える仙次郎‥‥‥‥
　仙次郎は、満面の笑みを浮かべて樹里に電話を入れた‥‥‥‥‥