（１３０）

　美優は、気だるさを感じながら、自宅に戻った。
　疲れた表情を浮かべながらドアを開けて部屋に入っていく。

「おう、帰ったか。」

　仙次郎が、奥のキッチンから声を掛けた。

「‥‥‥‥あ、仙次郎君‥‥‥‥‥‥もう来てたの。」
「もう、来てたって、８時だぜ。とっくの前に来てたが‥‥‥‥」
「ぁ‥‥‥そ、そう‥‥‥‥」
「どうした？‥‥‥‥元気ないな。」
「ぇ‥‥‥そ、そんなこと‥‥‥ちょっと疲れただけよ。」
「‥‥‥そうか‥‥‥ま、いいや。いまワイン冷やしたところだ。簡単な料理を作っておいたから、食べようぜ。着替えてこいよ。」
「ぇ‥‥‥あ、うん‥‥‥‥ありがとう。じゃ、着替えてくるわ。」

　美優は、自室に入って、着ているパンツスーツを脱いだ。
　下着だけになった美優は、鏡に全身を映して顔を見つめた。
　美優は、やるせない気持ちが、全く消えないでいた。

（‥‥‥‥‥‥どうすればいいの‥‥‥‥ねぇ、どうすればいいのよ。）

　一人、心の中で呟く美優‥‥‥‥‥‥

（失いたくない‥‥‥‥今を‥‥‥‥‥仙次郎君を‥‥‥‥‥）

　仙次郎を失いたくない。それは美優にとって正直な気持ちだった。
　美優の邪心が、全身を覆ってしまっていた。
　仙次郎に察せられてはいけない、気づかれてはいけないと。
　明るく振舞おうと、今の自分を隠していく美優‥‥‥‥
　美優は、ブラジャーを外し上からＴシャツを着ると、フレアースカートを穿いてリビングに戻った。

　仙次郎は、寛ぎながらテレビを見ていた。
　後ろから仙次郎に抱き付いていく美優‥‥‥‥

「仙次郎君‥‥‥御飯食べようか‥‥‥‥」
「おう、もう、ワインも冷えてるだろう。」

　仙次郎は、振り向きながら美優にキスをすると立ち上がってキッチンに向かった。

「美優、一緒に運んでくれ。」
「‥‥‥‥うん。」

　美優は、何種類かのつまみをトレーに乗せてリビングのテーブルに運んだ。
　ワインクーラーに入れたボトルを運ぶ仙次郎‥‥‥

「さて、栄養をつけてから‥‥‥クククッ‥‥‥」
「もう、仙次郎君ったら‥‥‥」
「‥‥‥‥でも、期待してるだろう。」

　仙次郎は、ワインのコルクを抜きながら美優に、おどけた顔を見せた。
　二人は、グラスを合わせると料理に箸をつけていった。

「美味しいわ。」
「長く一人暮らしをしてるからな。この程度は軽いぜ。」

　自慢気に、そう口走る仙次郎‥‥‥‥

「でも、これからは、美優が作ってくれるし、楽できるかも。」
「‥‥ぇ‥‥‥ええ‥‥‥そうね‥‥‥」

　美優は、仙次郎のその言葉に胸が締め付けられた。

「‥‥‥ん？‥‥‥美優、どうした‥‥‥さっきから、おかしいぞ。」
「そ、そんな事無いわ。‥‥‥ぁ‥‥あの、つまり‥‥‥その、幸せすぎて‥‥‥」
「ハハハ‥‥‥‥美優、そんな大袈裟に言うなって。」

　仙次郎は、ワインを喉に流しながら料理を頬張っていった。

　美優は、仙次郎を見て決意した。
　今日、亜希子と会った事を仙次郎には黙っていようと。
　亜希子から、仙次郎に連絡する事は、まず無い。
　黙っていれば、仙次郎との幸せな生活が続けられる。
　美優は、次第に重い気持ちが消えていくのを感じていた。

☆☆☆☆☆

　美優は、両足を仙次郎の腰に巻きつけて絶叫していた。

「‥‥‥ゥゥゥ‥‥‥ンッ、アァァァァァァァァァー‥‥‥」

　仙次郎も激しく腰を振っている。

「美優‥‥‥‥息が詰まるぞ。」
「‥‥‥‥‥だ‥‥‥だって‥‥‥気持ちよくて‥‥‥ゥゥ‥‥‥ァァァ‥‥‥‥‥」

　仙次郎は、美優を抱き起こして騎乗位にした。
　今度は、美優が、前後左右にと腰を振り始める。

「‥‥アゥッ‥‥ウゥッ、ウゥッ、ウゥゥゥゥゥーッ‥‥‥‥」

　既に、結合して３０分以上がっ経った。
　美優が、鼻声で唸るように仙次郎を見る。

「ゥゥゥゥ‥‥‥ングフゥゥゥゥゥー‥‥‥‥」
「美優‥‥‥俺も限界だぜ‥‥‥」
「き‥‥‥‥きてぇ‥‥‥‥せ、仙次郎君ぅ‥‥‥突き上げてぇぇぇぇぇー‥‥‥」

　仙次郎は、美優の体が宙に浮かぶのではないかと思うほど、上下に揺らし始めた。

「‥‥ウゥゥ‥‥ンァァァ‥‥‥イ‥‥‥イィ‥‥イヤァァァァァァァァァーッ！」

　美優は、身体を痙攣させながら昇天した。
　仙次郎も強烈な分身を美優の中に放っていく。
　美優は、仙次郎の首にしがみ付いたまま朦朧としていた。
　静かに美優を寝かせていく仙次郎‥‥‥‥‥

「美優‥‥‥最近のお前は凄いな‥‥‥特に、今日は‥‥‥‥」

　美優は、上下に腹部を凹凸させながら小声で囁いた。

「‥‥‥‥‥ぅぅ‥‥‥せ‥‥‥仙次郎君‥‥‥‥」

　仙次郎は、優しく微笑みながら、美優の髪をかき上げ、そっと唇を重ね合わせていった。
　美優との性戯は、夜中まで続いた。

　ベッドで仰向けに寝る仙次郎の肉棒を美優は丹念に舌で愛撫していた。
　肉棒を握り何度も何度も舌を往復させたり絡めたりしている。

「‥‥‥‥美優‥‥‥‥‥口で、イッチまいそうだぜ‥‥‥‥」
「フフッ‥‥‥‥だって、こうしてると、私が気持ちいいんだもの‥‥‥」
「‥‥ふっ、ふっ‥‥‥‥おかしな奴だ。‥‥‥休憩しろよ。」

　美優は、笑いながら起き上がると、仙次郎の胸に顔を預けていった。
　美優を抱きしめる仙次郎‥‥‥‥

「‥‥‥‥‥仙次郎君‥‥‥‥」
「‥‥‥ん‥‥‥なんだ。」
「私、今、こうして‥‥‥仙次郎君に抱かれたまま死んでもいいくらい幸せ‥‥‥」
「‥‥‥‥死んだら、気持ちいいこと出来ないぜ。」
「‥‥フフッ‥‥‥そうね‥‥‥」

　暫し、無言が続く二人‥‥‥‥

「‥‥‥‥仙次郎君‥‥‥‥‥」
「‥‥‥ん？‥‥‥‥‥‥どうした‥‥美優‥‥‥」
「うぅん‥‥‥いいの‥‥‥もう、いいの‥‥‥」
「‥‥おかしな奴だな‥‥‥」

　美優は、ずっと、仙次郎の胸に顔を預けたままだった。
　流れる涙が、仙次郎の厚い胸板に零れ落ちていく‥‥‥

　美優は、そのまま、知らず知らずのうちに眠っていった‥‥‥‥‥

＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜　

−　翌朝　−　

　美優は、複雑な気持ちで、朝を迎えていた。

「仙次郎君‥‥‥私、今日、仕事休むわ。」
「え？‥‥‥休むって‥‥‥調子でも悪いのか？」
「うぅん‥‥‥たまには、ボォーっとしていたくて。」
「ふぅーん‥‥‥でもいいのか？」
「うん‥‥‥他にも担当いるし、今日は、私が居なくても仕事は進むから。」
「そうか‥‥‥‥じゃ、俺は今から出かけるよ。」
「ええ。」
「今日も、早く帰ってこれるから。」
「‥‥‥そう‥‥‥美味しい料理作って待ってるわ。」
「ああ、期待してるぜ。」

　仙次郎は、そう言って仕事に出かけていった。
　仙次郎が出て行ったと同時に笑顔が崩れていく美優‥‥‥‥

　美優は、ソファに崩れ落ちるように腰を降ろした。

（何故？‥‥‥‥昨日、黙ってるって決めたはずのに‥‥‥‥何で胸が痛むの‥‥‥）

　美優は苛立つ心を鎮めようと必死だった。

（美優‥‥‥貴女のやってることは、本当に正しいの？‥‥‥‥）

　何度も何度も、自問自答を繰り返す美優‥‥‥‥
　だが、考えるたびに胸の苦しさは増していった。

　美優は、何もする事の無いまま、一日をソファの上で過ごした。
　気がつくと既に夕方を迎えている。

（‥‥‥‥も‥‥‥もう‥‥‥こんな時間‥‥‥‥）

　美優は、ゆっくりと立ち上がってキッチンに向かった。
　頭の整理が出来ないまま、夕食の準備に取り掛かっていく。
　冷蔵庫から材料を取り出し、料理に取り掛かる美優‥‥‥‥
　ふと、昨日の亜希子の言葉が頭に浮かんできた。

≪美優さん、仙ちゃんと結婚すればいいのに‥‥‥‥≫

　頭を振る美優‥‥‥‥‥しかし、亜希子の言葉が鮮明に耳に残っている。

≪‥‥‥‥‥‥明日の夜の便で‥‥‥‥‥‥≫　

　美優は、やりきれない表情で包丁を止めた。

「‥‥‥‥‥‥‥‥今日の‥‥‥夜‥‥‥‥‥アメリカ‥‥‥‥」

　美優は、濡れた手を拭うと自室に入っていった。
　パソコンを立ち上げ、空港の発着時間を調べ始める。
　今日の日付で、夕方以降にアメリカ行きの飛行機を調べる美優‥‥‥‥

　２１時１８分‥‥‥ワシントン行き‥‥‥‥‥

（時間的に、これしかないわね‥‥‥‥‥）

　美優は、パソコンを消すと、大きく深呼吸をした。
　項垂れる美優‥‥‥‥‥
　膝の上に、大粒の涙が、何滴も零れ落ちていった。

＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜　

「お、いい匂いがするな。」
「‥‥‥お帰り‥‥‥」

　キッチンを覗く仙次郎‥‥‥‥
　美優のヒップを撫でながら料理を後方から覗き込む。

「あぁん、もぉぅ‥‥‥‥‥‥仙次郎君、先にお風呂に入ってきたら？」
「そうだな‥‥‥そうすっか‥‥‥」

　仙次郎は、キッチンから出ると服を無造作に脱ぎ捨てて浴室に入っていった。
　仙次郎の後姿を見る美優‥‥‥‥

（‥‥‥仙次郎君‥‥‥‥‥）

　美優は、自分の体が震えていることに気づいた‥‥‥‥

（‥‥‥美優‥‥‥‥何で震えてるの‥‥‥‥美優‥‥‥‥‥）

＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜＜　

「ふぅー、美味かった。」

　仙次郎は、冷酒を飲みながらテレビを見始めた。

「良かったわ。気に入ってくれて。」

　美優は、キッチンで食器を自動洗浄機に入れるとスイッチを押した。

「さて‥‥‥‥‥‥‥仙次郎君、私もお風呂に入ってくる。」
「ああ、そうしろ。」

　美優は、エプロンをはずして浴室に向かった。‥‥‥‥

　湯船に浸かりながら美優は悩んでいた。

（‥‥‥美優‥‥‥いいの？‥‥‥本当に黙っていて。）

　美優は、考えれば考えるほど呼吸が苦しくなってきた。
　湯船から上がり、冷たい水を全身に浴びていく。
　引き締まっていく肌とは対象に、心の中は、ふやけて破れそうな状態だった。

　浴室から出てきた美優は、バスタブを羽織って寝室に入った。
　ドレッサーの前に腰掛け、髪にドライヤーを当てていく。

　結局、美優は、自分に結論が出せないでいた。
　苛立つ心を押さえようとするが、それもままならなかった。

「おい、美優っ‥‥‥出たのか？」

　仙次郎が、ビールを持って寝室に入ってきた。

「‥‥‥あ‥‥うん‥‥今、髪を‥‥‥‥」

　仙次郎は、ビールをボードの上に置き、後から美優の乳房に手を当てた。

「アン‥‥‥もぉぅ‥‥‥いきなり何よぉ‥‥‥」
「はは。すまん、すまん‥‥‥」

　仙次郎は、ボード上のビールを取り、栓を抜いて美優に手渡した。

「ありがとう‥‥‥もう、テレビ見ないの？」
「いや、それなんだが、いま、旅行番組を見てたんだ。」
「旅行番組？」
「ああ‥‥‥‥‥美優、今度、一週間くらい休み取れないか？」
「どうかなぁ‥‥‥スケジュール見ないとわからないゎ。‥‥‥でも、なんで？」
「アメリカに旅行に行くか？」

　美優は、その言葉に驚いて、持っていた缶ビールを落とした。

「な‥‥‥何やってんだ。」

　仙次郎が首に巻いていたタオルで床を拭き始めた。

「ご‥‥ごめんなさい‥‥‥」

　美優も、タンスからタオルを出して一緒に拭き始めた。
　仙次郎は、気にせずに話題を進めていく。

「俺の恩師がアメリカに居るんだ。会いがてら、お前と一緒にと思ってな。」

（‥‥‥‥‥‥‥‥）

　美優は、床を拭く手の動きを止めた。
　そして、自分の意志とは別に、小さな声で仙次郎に言い放った。

「仙次郎君‥‥‥‥‥‥‥昨日‥‥‥‥亜希子さんに会ったの‥‥‥」

　手を止めて、ゆっくりと美優を見る仙次郎‥‥‥‥

「‥‥‥‥ぇ？」

　仙次郎は、一瞬、美優が何を口走ったのかを理解できないでいた。

「な‥‥‥‥なんて言った‥‥‥美優‥‥‥」
「亜希子さんと‥‥‥‥‥‥会ったの‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」

　美優は、仙次郎に視線を合わさず、下を向いたまま昨日の亜希子との事をすべて仙次郎に聞かせた。
　表情を変える事無く美優の話に耳を傾ける仙次郎‥‥‥
　全てを話し終えた美優は、我に返ったかのように泣き声で囁いた。

「‥‥‥ご‥‥‥ごめんなさい‥‥‥‥‥黙っていて‥‥‥ごめんなさい‥‥‥」
「美優‥‥‥‥」
「恐かったの‥‥‥仙次郎君が‥‥‥仙次郎君が消えてしまうのが恐かったの。」

　美優は、嗚咽を漏らしながら、そう仙次郎に囁いた。
　美優を見つめる仙次郎‥‥‥‥‥

「‥‥‥ハ‥‥‥ハハ‥‥‥美優‥‥‥俺は、もう‥‥亜希子を‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥ゥゥゥ‥‥」

　仙次郎は、涙を流す美優を抱きしめた。

「‥‥‥美優‥‥‥」
「‥‥‥‥‥仙次郎君‥‥‥‥‥亜希子さんは‥‥‥‥‥」

　仙次郎は、美優を抱き上げてベッドに降ろした。
　バスタブを強引に剥がし、覆い被さっていく。

「‥‥‥せ‥‥‥仙次郎君‥‥‥‥仙次郎君っ‥‥」

　仙次郎は、無言で美優を抱き始めた。
　頭が真っ白になった美優は、仙次郎に身体を預けていく。

「‥‥‥‥‥ァァ‥‥‥アァァァァー‥‥‥‥」

　いつの間にか、仙次郎の肉棒が美優の蜜壷に奥深く突き刺さっていた。
　美優は、強く仙次郎に抱きついたまま、本能で攻撃を受け入れていく。

　宙を暴れ回る修羅の如く仙次郎は美優を攻め続けた。

　仙次郎の流す汗が、美優の顔に落ちていく。

「アァァァァァァァァァァー‥‥‥イィィ‥‥‥イィィィィィィィーッ！」

　仙次郎の燃え滾ったような熱い分身が、美優の蜜壷の中で爆発した。

「‥‥‥ウングゥゥゥゥゥー‥‥‥」

　呻く美優‥‥‥‥‥‥‥

　全てを出し切った仙次郎は、美優と抱き合ったままフレンチを繰り返していた。

　ゆっくりと仰向けになり美優を抱きしめる仙次郎‥‥‥‥
　暫し無言の後、仙次郎は、囁いた。

「‥‥‥‥‥‥美優‥‥‥‥明日の料理は、鍋にしようか。」

　抱いた後に口走る言葉ではなかった。

　美優は、仙次郎が明らかに動揺している事に気づく‥‥‥‥‥
　しかし、反面、自分に対して最大最善の気遣いをしている事にも気づいた。
　その時、亜希子の言葉が、美優の脳裏に自然と浮かんできた。

≪美優さん、最後に美優さんと会えて良かったゎ。‥‥‥仙ちゃんと‥‥‥≫

　その時、美優が知らず知らずのうちに抱いていた狐疑心に鋭矢が刺さった。

（‥‥‥！‥‥‥‥私‥‥‥なんて‥‥‥‥なんて馬鹿な事を‥‥‥‥‥）

　美優は、心の中の棘が吹き飛んでいくのを感じた。
　仙次郎の胸から起き上がって声を発した。

「仙次郎君‥‥‥今夜、２１時１８分の飛行機で、亜希子さんはアメリカに飛ぶわ。」
「‥‥‥え？‥‥‥‥‥‥‥‥お‥‥おい、美優‥‥‥だから、俺は‥‥‥」
「バカッ！‥‥‥‥‥私も、私も亜希子さんと同じように、同じように‥‥‥‥‥仙次郎君の心の中を読めるのよっ！」
「‥‥‥み‥‥‥美優‥‥‥」
「‥‥‥‥仙次郎君、行くのよっ。」
「え？」
「亜希子さんの所に行くんだってば‥‥‥亜希子さん、仙次郎君を待ってるわ。」
「‥‥‥美優‥‥‥‥‥しかし‥‥‥‥」
「絶対、待ってるはずよぉっ！」

　美優は、仙次郎の手を引っ張り起こした。

「‥‥‥美優‥‥‥今更、何を‥‥‥‥‥」
「仙次郎君の馬鹿っ！‥‥‥‥それでも心理学者なのっ！‥‥‥‥‥解ってるはずよ、亜希子さんの気持ちがっ！」

　美優を見つめる仙次郎‥‥‥‥

「美優‥‥‥俺は‥‥‥俺は‥‥‥お前を‥‥‥‥お前と‥‥‥‥‥」
「言わないでっ！」

　涙を流す美優‥‥‥

　仙次郎は、美優の気持ちが手にとるように解った。

「行くのよ‥‥‥行かなくちゃ駄目っ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「行きなさいってばぁーっ！」
「‥‥‥‥‥‥美優‥‥‥」
「仙次郎君なら、私の‥‥‥本当の気持ちも解っているはず。だから‥‥‥だから‥‥‥‥私に振り向かずに行きなさいっ！」

　俯く仙次郎‥‥‥

「‥‥‥くっ‥‥‥‥み‥‥‥‥美優‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

　美優は、ベッドから降りるとハンガーから仙次郎の服を外してベッドに置いた。

「‥‥‥‥‥美優‥‥」

　美優の美しいボディラインがルームライトに照らされてシルバーシルエットを作っていた。
　動く事が出来ない仙次郎‥‥‥‥
　そんな、仙次郎を見つめながら美優は静かに真気の言葉を放った。

「仙次郎君、少しだけど‥‥‥ほんの少しだけだったけど‥‥‥‥貴方と‥‥貴方と一緒に居ることが出来て‥‥‥とても‥‥‥とても、幸せだったわ。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥美優‥‥‥」
「さぁ、仙次郎君‥‥‥‥‥‥行って。」
「美優‥‥‥‥‥」

　仙次郎の身体に服を掛けていく美優‥‥‥‥

　仙次郎は、戸惑いながらも服を羽織った。
　しかし、なかなか足が動かないでいる。

「仙次郎君のお馬鹿っ‥‥‥男らしくないわよ。」

　そう言って仙次郎を寝室から出し、背中に手を当て玄関まで押していった。

　仙次郎は、玄関前で止まった。

「美優‥‥‥‥‥お‥‥‥俺は‥‥‥」

　美優は、必死で悲しみを押し殺して笑顔を作った。

「私は‥‥‥‥‥私は、大丈夫よ。」
「‥‥‥‥‥美優‥‥‥」
「ほらっ、早く行かないと、もう時間がないわ。」

　美優を見つめる仙次郎‥‥‥‥

　仙次郎の脳裏に、美優と過ごした時間が、オーバーラップした。
　短い時間に何度も、そのシーンが駆け巡っていく。

　その時、亜希子の声が仙次郎の耳の奥に響いた。

≪‥‥‥‥‥‥‥仙ちゃん‥‥‥≫

　仙次郎の脳裏に浮かぶ美優とのシーンがストップする。

「‥‥‥‥‥‥！」

　仙次郎の瞳の中心を覆う膜が、剥がれたように光を帯びた。
　美優もそれを感じとったのだろうか、強い口調で言葉を発した。

「‥‥‥行くのよっ‥‥‥仙次郎君っ！」
「み‥‥‥‥美優‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥す‥‥‥‥‥‥‥‥すまんっ！」

　仙次郎は、そう言って部屋を飛び出した。

　立ち尽くす美優‥‥‥‥‥

（‥‥‥‥‥これで、いいんでしょ‥‥‥‥神様‥‥‥‥）

　ゆっくりと崩れ落ちるようにしゃがみこむ美優‥‥‥‥

「‥‥‥‥仙次郎君‥‥‥‥‥貴方は‥‥‥いつでも私の心の中にいるゎ‥‥‥」

　そう小さく呟くと、美優は、大声で泣き出した。
　外で玄関のドアにもたれ、止めどない涙を流す仙次郎‥‥‥‥‥

(み‥‥美優‥‥‥‥美優‥‥‥‥‥‥許してくれ‥‥‥‥‥)

　仙次郎は、心の中でそう呟くと気持ちを振り切るように走り出していった。

☆☆☆☆☆

　亜希子は、空港ロビーで出発の時間を待っていた。
　搭乗ステーション前で椅子に腰掛け、外の夜景を見つめている。
　ふと、亜希子は思い出したようにバッグから皮製の小さな財布を取り出した。
　中を開く亜希子‥‥‥‥
　亜希子は、一つのリングを取り出した。
　仙次郎とのブライダルリングだ。
　離婚してから一度も填める事のなかったリングを亜希子は、そっと指に滑らせていった。

（‥‥‥‥仙ちゃん‥‥‥‥‥もう、会う事はないけど、ずっと‥‥‥‥‥‥ずっと、こうして一緒にいようね。）

　亜希子は、心の中でそう呟いて皮製の財布をバッグにしまった。

　搭乗時間を知らせる放送が流れた。
　ゆっくりと立ち上がる亜希子‥‥‥‥

　２１時１８分発、ワシントン行きの航空機が、ライティングを開始しながら轟音を上げ始める。
　ゲートが開かれ、搭乗員が両脇に立って笑顔で搭乗者を迎え始めた。

　外の航空機を見ながら、亜希子は歩き出した。
　その時、ガラスの向こうに見える航空機にダブって仙次郎の顔が映し出された。
　亜希子は、幻覚のように現われた仙次郎の顔を見ながら寂しそうに笑って心の中で呟いた。

（仙ちゃん‥‥‥‥さようなら‥‥‥）

　歩き出す亜希子‥‥‥‥
　しかし、仙次郎の幻覚は消えなかった。

（‥‥‥‥‥‥‥‥？）

「亜希子ぉぉーっ！」
「‥‥‥‥‥え？‥‥‥‥‥」

　耳を疑う亜希子‥‥‥‥
　聞き慣れた声が、亜希子の耳に突き刺さる。

　亜希子は、恐る恐る後ろを振り向いた。

「‥‥‥ぁ‥‥‥‥ぁ‥‥‥‥‥‥せ‥‥‥‥仙ちゃん‥‥‥‥‥‥」

　仙次郎は、荒い息を吐きながらゲートに近づいてきた。

「‥‥‥あ‥‥‥亜希子っ‥‥‥‥‥」
「‥‥‥せ‥‥‥‥仙ちゃん‥‥‥」

　驚く亜希子‥‥‥‥‥
　まるで、二人だけのために、時が止まったように周りの空間が静粛していく‥‥‥

「‥‥‥‥‥ど‥‥‥どうして‥‥‥‥‥」

　息を整えた仙次郎が、亜希子にゆっくりと、そして優しく声を掛けた。

「忘れ物を‥‥‥‥大事な忘れ物を届けに来た。」
「‥‥‥‥‥え？‥‥‥‥」
「お前にとっては、‥‥‥‥‥大きな忘れ物だ。」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「亜希子‥‥‥‥‥ここに、高輪仙次郎という大きな忘れ物があるだろうっ！」

　亜希子の全身に稲妻のような衝撃が走った。
　亜希子の心の中は、一気に空っぽになっていく。
　萎んでいた仙次郎に対する愛が一気に膨れ上がり、そして爆発するように破裂した。
　亜希子は、荷物を放り投げた。
　そして、号泣しながら仙次郎に飛びついていく‥‥‥‥

「ウァァァァァァァーッ！」

　仙次郎は、飛びついてきた亜希子をしっかりと抱きとめた。

「仙ちゃぁぁぁーんっ！」
「‥‥‥亜希子ぉっ！」

　亜希子は、人目を憚らずに大声で泣いた。

「馬鹿やろう‥‥‥お前はな‥‥‥俺がいないと‥‥‥‥‥」

　仙次郎も、声にならなかった。
　ただ、ただ、強く抱きしめるだけで、自分の気持ちを亜希子に伝えていった。

≪‥‥‥仙ちゃん‥‥‥何故、美優さんを置いて‥‥‥私に‥‥‥‥≫

≪‥‥‥亜希子‥‥‥美優が、お前をと‥‥‥‥≫

≪‥‥‥でも‥‥‥‥美優さんは‥‥‥‥‥≫

≪‥‥‥俺にも解らないが‥‥‥美優には、魂を植え付けてきた感じがするんだ。≫

≪‥‥‥魂‥‥‥‥≫

≪ああ‥‥‥‥俺の魂だ‥‥‥‥だから、だから、美優は、生きていける‥‥‥≫

≪そう‥‥‥‥‥‥‥私‥‥‥もう、仙ちゃんを離さないけど‥‥‥‥いい？≫

≪‥‥‥‥そうでなければ、美優を置いてきたりはしない‥‥‥≫

≪‥‥仙ちゃん‥‥‥‥‥愛してる‥‥‥‥あなたの全てを‥‥‥≫

≪いま‥‥‥‥いま、俺と亜希子の愛が沸騰しているのがわかるんだ。二人で、とことん落ちていこう。‥‥‥‥‥愛欲の世界へ‥‥‥≫

≪‥‥‥うん‥‥‥‥‥うん‥‥‥‥‥ゥゥゥ‥‥‥‥≫

　　　　　　　　　　　　　　　　　完　

〜　エピローグ　〜

　一年後‥‥‥‥‥

　たった今、ある病院で、一人の女の子が誕生した。

「福島さん、元気な子ですよ。」
「‥‥‥‥‥ぁ‥‥あぁ‥‥‥」

　生まれたばかりの赤ん坊を美優に見せる助産婦‥‥‥‥‥

「よく頑張りましたね。福島さん‥‥‥」

　美優は、嬉し涙を流しながら、生まれたばかりの赤ん坊を見つめた。

（仙次郎君‥‥‥‥‥‥‥‥ありがとう‥‥‥‥ありがとう‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥私、‥‥‥私、生きていく糧が見つかったわ。‥‥‥）

　美優は、心の中で、そう呟くと、そっと赤ん坊の頬に手を延ばしていった。
　仙次郎との思い出が、浮かんでは消えていく。

（神様‥‥‥‥無事に誕生させてくれてありがとう‥‥もう‥‥‥もう、私に‥‥‥‥悪戯はしませんよね。本当にありがとう‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥神様‥‥‥）

　美優は、涙を浮かべながら赤ん坊の小さな手を握って、心の中でそう囁いた‥‥‥‥