▽

「ねえ…アタシなんかより、絶対ヒロちゃんのほうが頭いいんだから、どうやったらいいのか、早く教えてよー」
「秀吉みたいにやればいいのさ」
「もう！　どうしてゴロちゃんみたく優しくしてくれないの！？」
「バッグの中を覗いてみな？　そうすれば秀子なら、すぐにわかるさ」
　美保の下腹には、いやな予感まで詰まってきた。
　サングラス男はいちばん頭がいいだけあって、実に用意周到だ。腹筋を使った必死の抵抗も、無駄になるかも知れない。

「もしかして、自転車の空気入れ使うのー？」
「さすがは秀子だ」
「だけどさー、自転車の空気入れなんか、管に繋げっこないじゃーん……」
「馬鹿だなデコ。ヒロミが大学で習ってるやつは機械工学だか精密工学だか、そんなやつなんだぞ。ちゃんと繋げられるようにしてあるに、決まってんじゃんか」
「あ、ほんとだ。ゴロちゃんも頭いいね」
「頭だけかよ」
「ううん。優しくてチンチンがおっきくて、精力もすっごい強くて前戯も超うまい」
「へへ…やっぱしそう言ってくんないと」
　パンチ頭の性格は優しくない。精力や前戯はどうだか知らない、ただ、陰茎は確かに大きい。
　これまで美保は男を三人しか知らないが、彼らに比べ、パンチ頭の陰茎は長さも太さも段違いだ。

「さあ、ガバマンでユルユルの豚のケツ、入れるよ？」
　勝手にすればいい。
　ただひとつ注文を付けるなら、いい加減に侮蔑的なキャッチフレーズだけは外してほしい。
　忘れたい過去の男たち、今も生存している筈の三人の男たちは、セックスの最中に『美保ちゃんのオマ○コはきつくていい』と言って、そんなに何度も動かさないうちに射精した。
　なかなか射精してくれなくなったのは、最初の日の３回目以降。翌日とそのまた翌日も１回目だけは、かなり早かったように記憶している……のは問題。まだ忘れ去れていない証拠だ。

　ガングロ女が声に出して息を詰めた。空気入れを押し始めたのだ。
　美保も息を詰めて、腹筋で対抗する。

《んんんっ……ああ……》
　敵わない。腹筋が内圧に負け、膨満感がさらに高まっていく。下腹が苦しい。

《ああ…だめ……》
　大変だ。膀胱が強く圧迫を受けているせいで、オシッコがしたくなってきた。
　洩れないように、今度は肛門を締める筋肉に力を込める。どういう理由なのかは知らないが、そうするとオシッコも我慢できるのだ。

《だめ…だめ……》
　もうだめだ。肛門を締めてからまだ十秒と経っていないと思われるのに、意識的に締めておくことさえ難しくなった。

「いや…もう、やめて……おなか…苦しい……苦しい……」
　苦しさに耐えられない。
　胃袋が肺の近くまで押し上げられているような感覚に、美保は意識が遠のいた。

「あーっ…豚のケツが、洩らしたー……」
　ガングロ女のあきれたような大声で、美保は現実に意識を引き戻された。

「あーあ、絨毯まで超びしょびしょじゃん」
　恥ずかしい。まだ洩れ出ているオシッコが、恥毛をぐっしょりと濡らし、膨らみきった下腹にまで伝っている。

「うう…ううう……ううう……」
　我慢していた泣き声が、狭い唇の隙間から出ていく。涙までが、オシッコのように頬を伝って流れ落ちていく。
　ただひとつ無理にでも救いを探せば、膀胱が空になった分、下腹の張りがわずかに減少したように感じられる点だが、もちろん涙腺を締めたり、声帯の震えを止めたりする効果までは持たない。

「ねえヒロちゃん。こんなときにオシッコ洩らすのは、やっぱガバマンがユルユルで、絶っ対、締まりも超ー悪い証拠だよね？」
「まあ、それも証拠のひとつかもな」
「ねえゴロちゃん。それでもやっぱ、この女とやりたい？」
「ああ」
「どーーーしても、絶対絶対絶対絶対絶対絶っ対、やりたいの？」
「おいおい秀子。ゴローにそんなかわいそうなこと聞くなよ」
「何で？　どして聞いちゃだめなの？」
「ゴローは前々から、有名な芸能人とやるのが夢だったんだ」
「そんなこと言ったって……」
　美保には、涙の向こうに微かな明かりが見えてきた。
　パンチ頭はガングロ女の尻に敷かれている。彼女の独占欲がパンチ頭の性欲と願望を、しっかりと抑えてくれれば、パンチ頭からの強姦だけは避けられる。

　今はまだ蛍の光ほどの明かりに過ぎないが、後はサングラス男が余計なことを言わなければ、蛍の光からガングロ女への『仰げば尊し』に……全っ然、違う。
　蛍の光ほどしかない明かりが、はっきりとした一条の光へと変化するのだ。

「おい、秀子」
「なによ」
「秀子は俺が何で秀子と別れたか、知らないのか」
「そんなことくらい、とうに知ってるわよ。馬鹿にしないで」
　ガングロ女の口調はマジだ。喋り方も変わった。

「言ってみろよ」
「ヒロちゃんのチンチンが、アタシには全然おっき過ぎて、普通の日は、入れても全然動かせなかったからでしょう？」
《！！》
　超恐ろしい。美保の涙腺はマジに恐怖で縮み、涙が止まってしまった。
　どうやらサングラス男の陰茎は、パンチ頭より遥かに太そうなのだ。

「ねえ、違うの？　違わないでしょ？　だって、うっ……せっかくヒロちゃんがダイ…入れてくれても、私……うっうっ…痛くて痛くて、本気汁が出なくなっちゃうから、うっ…だからヒロちゃんは、私が…生理…ケチャマンに…なって…うっ、血がたくさん、出てる日にしか、うっ…ダ…やってくれなく…なっちゃったんじゃない……」
　美保の涙が止まった代わりに、今度はガングロ女が泣き始めてしまった。

　しかし、こんな女が泣こうと焼餅を焼こうと、気にしている場合ではない。そもそも美保は、サングラス男がガングロ女と別れた真の理由になど、少しも興味がない。当然、ガングロ女の話しに、真剣に耳を傾けることもしなかった。

　ただそれでも、美保にとって重要なことだけは、鼓膜が“拾い聞き”してくれた。要するにサングラス男は、生理の来ている女性を抱くことに、何の抵抗感も抱いていないのだ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　▼

（んー？　これも伏線か？）
　かなりにおう。『女性を抱く』と『抵抗感も抱いて』は単なる字面合わせだろうが、ガングロ女の言った『ダイ』と『ダ』が気になる。
　それまで『アタシ』でしかなかったガングロ女が、突如として『私』に変化し、生理のことをわざわざ『ケチャマン』などという初耳にして且つ“初目”ながらも、非常にわかりやすい単語に言い換えたた点にも引っかかる‥‥ようでは、盥さんの銀河小説『ケツをまくった変態は大変』に書かれていた超長い解説を、マジで何度も読み返した意味が全っ然ない。

　あの解説を担当した野々口さんは、その文中で『推理小説ではないのだから、伏線を気にして読む必要は更々ない』と強調していたのだ。そんな人が自分の著書で、読者に伏線探しを求めるわけがないと気づけば、次の行に視線を超即、マジで超高速移動だ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　▽

　もし美保の生理が、予定通りに始まったらどうなるか。どうにもならない。解放してもらえる可能性は、すでに風前の灯火状態を通り越し、突風通過直後の灯火。完全に消えた。

　あの三人の男から、強姦同然に犯されたときにしても、彼らは共通して『生』と『突き出し』…ではなく、生による中出しと避妊も求めていたから、美保には生理のときのセックス経験がない。

　おぞましさは拭えないが、生理で出血の激しい日のセックスなら、妊娠の可能性だけは、そもそも灯していないロウソク状態。それを考えれば、まあ我慢できなくはない。

　だが、最初に言われたように、敵の目的が無理やり妊娠させることにあるとしたら、その一カ月後に生理が来ないことを確かめるまで、延々と凌辱の続く可能性が高い。

　だからといって、今はもう、妊娠を強いられる可能性を気にしている場合ではない。まるで本当に妊娠でもしたかと感じられるほどに膨らんだ下腹の中で、暴風雨が荒れ狂っているのだ。

《ああ…どうしよう……》
　美保の脳細胞は、対策に苦慮して、お尻を揺らせ始めた。

　すでに美保の大腸は、大きな過ちをふたつも犯していたことに気づいた。ガングロ女が得意とする『思い込み』と『決めつけ』がそれだ。

　その原因にも思い当たった。鼓膜に『空気入れ』という器具名称を吹き込まれたせいで、空気しか入れられる心配はないと思い込み、自転車の空気入れでは、液体を注入することは不可能だと、何の根拠もなく決めつけていたのだ。

「ゴロー。お前の口から、ちゃんと説明してやれよ。いい機会じゃないか」
「デコ。実はヒロミがデコと別れたのは、俺が頼んだからなんだ」
「ぐすっ…何で？　それ…ぐすん、ほんとのこと？」
「本当は…ただ頼んだわけじゃないんだ。俺がヒロミと殴り合いをして、俺が勝ったら、俺とデコが付き合えるようにしてくれって……俺からそう頼んだんだ」
「ぐすっ…どうして？　どうしてそんなこと頼んだの？」
「デコが坂本恵理に似てるから」
「それ…ぐすん、ほんとのこと？　ほんとに…ほんとの理由？」
「俺もヒロミと一緒で、デコに嘘は言わないし、お世辞なんか言える柄でもないのに、デコに無理して言う必要もないじゃんか」
「えーっ…マジ？　ねえ、マジにほんと？　アタシ、坂本恵理に似てんの？」
「ああ、デビューしたばっかの頃は、オデコの見える髪形してて、今のデコと超そっくりだった」
「そっかー…それでだったんだ……」
「だから秀子も、ゴローに何発かやらせてやれよ」
「うん、わかった。でも、絶っ対、アタシより少なくしてよ？」
「当ったり前じゃんか。俺だってガバマンのユルユルより、デコのほうがいいもんな」
「だけど、ヒロちゃんならちょうどいいかも知んないよね」
「それは俺にもまだわからないけど、とにかく俺には彼女しかいないから」

　一体どれほど太いのか。赤ちゃんを分娩するときの状況を想像すれば、メスや鋏で切り広げられるより、陰茎で裂かれるほうが痛いに決まっている。
　ただ、今に限っていえば、浣腸によってもたらされた腹痛のほうが、遥かに切実だ。

　前の穴に太い陰茎を押し込まれ、仮に裂けたとしても、局部的な痛みを覚えるだけ。いくらサングラス男でも、裂けて出血を起こしているような状態の陰部を前にして、『これで入れやすくなった』とは思わないだろう。

　そしてまた激痛に襲われているようなときに、快感を覚えることなど有り得ないと考えれば、電動マッサージ器を使われたときのように、我を忘れて喘ぎ、『ああ…いい…いい…ああっ…んっ、んっ……んん……ん〜ん…んん〜ん……』といった恥ずかしい言葉まで発する心配もない。

　確かに腰を揺すったり、呻き声くらいは発したりするかも知れない。いや、まちがいなく腰を動かし、呻き声も上げるだろうが、あくまでも激痛に耐えかねてのことだ。

　一方、後ろの穴を取り巻く環境は、前の穴と正反対。
　太いどころか、形さえ成していないような状態の物が、入ってくるのではなく、堪らえようもなく出ていってしまうのである。

　苦痛に対しては、男より女のほうが強い。それが肉体的なものか精神的なものかを問わず、女のほうが忍耐力がある。だからこそ神様は、出産を女の仕事として与えた。
　だが神様は、それを女の責務として命じたわけではない。

　それにもかかわらず、妊娠ができないというただそれだけの理由で、自分を恥じたり責めたりする女性の人数が、単に生殖能力を持たずに生まれたり、あるいは子供の頃に失ったりしたそのことだけで、世間を恥じて親まで責める人を含めた男性の数に比べ、圧倒的に多いのは、女のほうが男より遥かに羞恥心が強いためだ。

　つまり元をただせば、無限の面積と資源を持つ地球を作るだけの能力が、自分にはないことを自覚していた“限知限能”の超超優秀な神様が、もし女たちが全裸で闊歩していたら、腕力と精力の強い男たちの子孫だけが残り、人口も増えすぎて大変なことになると考え、男より女のほうに、より多く羞恥心を配分した結果なのである。

　ガングロ女と違い、人並み以上の羞恥心を備えた美保にとっては、前の穴が裂ける痛みよりも、鼓膜を裂いてしまいたくなるような音とともに、後ろの穴から噴出させたときに覚えるはずの、胸の張り裂けそうな痛みのほうが遥かに大きい。

　噺家の明石家ハヤシなら、その違いを『出る物が物だけに、ウン十倍、なんちゃって。でも、あの盥さんなら、絶対“ウン汁倍”って書く筈、なんちゃって。汁という字は、じゅうとも読むから、なんてことは常識、はっきり言っちゃって』と言うだろう。

　なぜなら、ガングロ女たちがトイレに行かせてくれるとも思えず、ましてや個室に一人で入らせてもらえるとは考えにくく、美保の視界には、オマルもオムツも入っていないからだ。
　そしてごく近い将来、ガングロ女が変態仲間をビデオ鑑賞会へ誘う際に、『豚のケツがビービーブーブー鳴る所も、超バッチリ映ってんの。マジでバッチーんだけどさ』というくさい台詞を付け足すことも、美保には見えているからである。

「ねえ、ヒロちゃん。タイマーは？」
「悪い。準備が間に合わなかったんだ」
「ヒロちゃんらしくないじゃん」
「いや、普通のタイマーじゃ、ピピピとしか鳴らないし、デコに満足してもらえないと思って、ブザーが鳴るように改造しようとしたんだが……」
「そういうことなら許す。ヒロちゃんも天才じゃないし、ブーブー鳴るタイマーを作ってくれようとした、その気持ちに超免じて、マジに許して進ぜよう」
「おい、いつからデコは女王様になったんだよ」
「いいじゃん。ゴロちゃんが細かいこと言うと、太いチンチン、鞭で叩くよ？」
「俺が悪うございました」
　サングラス男はガングロ女のために、鞭まで用意してきたらしい。

「ねえ。それじゃ一応、どれくらい緩いか、そろそろ確かめてみたほうがいいんじゃん？」
「女王様の仰せの通りかと」
「ヒロちゃんの準備は？」
「バッチリでございますれば」
「ヒロちゃんも鞭ほしいの？」
「悪い。俺は果物の女王ならどれも好きだけど、女王様が嫌いだから」
「アタシのことは？」
「ゴローには少し負けるけどな」
「大好きってこと？」
「俺が、ああそうだって答えれば、秀子感激ー？」
「ぎゃはは…やっぱヒロミは最高、ゴリラ感激ーっ！」
「ほら！　豚のケツ！　さっさと立て！！」
　またしてもサングラス男が余計なことを言ったせいで、イリア…違う、ジェニー…も違う、女王様はご機嫌を斜めにしてしまった。

　ガングロの女王様がマンゴスチンを好むかどうかは知らないが、左手の爪をエメラルドグリーンに塗っていることから考えて、『マスカット・オブ・アレキサンドリア』のようなジューシーなフルーツを献上できれば、少しはご機嫌を直してもらえることだろう。

　だが、美保の手元には、そうした果物の女王が一個もない。
　現在は岡山で果樹園を営む両親に、たとえこの場で連絡できたとしても。連絡さえできれば、美保と血の繋がりはなくても、我が子同然に育ててくれた優しい母が、直ちに外へ出てブドウを収穫してきてくれるとわかっていても。今からではとうてい間に合わない。
　美保はガングロ女王に厳しい口調で命令されるままに、お尻を突き出すような格好で立たされた。

「どれどれドレミ？　美保美保ミホホ？　ねえねえヒロちゃん？　最初にこのネジを緩めればいいんだよね？」
「御意に御座ります」
「ふーん…ヒロちゃんは、豚のケツに顔を近づけさせてほしいんだ」
「ギョイーッ！！　女王様、出てくる物が物だけに、どうかそれだけは勘弁を、なんちゃって。軟らかいやつしか出てこないから、漢字もみんな取り替えて、勘便勘便勘便だけを、軟便も軟便も軟便も繰り返す、なんちゃって」
「ねえ…明石家ハヤシのギャグなんかパクって……恥ずかしくないのー？　それに今のは、超典型的な下ネタじゃん」
「確かに」
「だいたいヒロちゃんはね、調子に乗りすぎ。それじゃ豚のケツと一緒じゃじゃーん」
《？…？？…？？？》
　ガングロ女王のジャジャーンを合図に、どこかから空気の洩れる音が聞こえてきたと思ったら、おなかがだいぶ楽になった。まるで腸の中の空気そのものを抜かれたような感じだ。

《！？》
　何の予告もなしに、肛門から管を抜かれた。

　それはそれで有り難く、肛門が反射的に締まってくれたのも嬉しいのだが、腹痛の耐え難さと、今にも出そうな感覚には、少しも変化がないのが悲しい。悲しくても涙腺が涙を絞ることさえ忘れるほど辛い。辛いだけでなく、汗腺が脂汗を絞り出すのに多忙を極めるほど苦しい。
　
　美保は全身を震わせながらも、大腸に加えられている拷問に耐えた。肛門を守備する全筋肉が、全身全霊を捧げ、前例のない屈辱から美保を守ってくれているのだ。

　そんな肛門の努力と忠誠を裏切るようでは、自分一人が良ければいいというような、どこかの国の女帝と一緒。
　なによりもダイヤが好きだったくせに、『地中海の赤い珊瑚が大好きなの』とぬかすようなブリッコタイプに似合わず、やたらと鞭を鳴らしたことと、ブリッコ歌手で鳴らす増田星子も顔負けの無知さぶりとで、今もその名を世界に轟かせている中世ヨーロッパのフランス王妃、アンマリネー・ヘアネットと同類だ。

「えっと……あと十二秒かな？」
　敵はストップウオッチを使って集めたデータを、忘れることなく活用している。

「テェン……ナイン……エイッ……セヴン……スィクス……」
　発射…いや、糞射…失礼、噴射までのカウントダウンが始まった。
　たとえ明石家ハヤシでも『これこそがアンマリネー、なんて言っても受けないのは常識。美保ちゃんが噴射しても受ける物がない、なんちゃって。あの盥さんなら、絶対、そんなくさいギャグを連発するやつは、アンマリ・イネーって言う筈、なんちゃって』とは言わないだろう。

「スルィ……トゥー……ワァン……ズェロはおまけで……いーい？　レディ…ゴーッ！」
《だめ、だめ、出ないで…出ないで……お願い…出ていかないで……》
　美保は大腸の中の“食物カス”と“堆積ガス”に哀願と懇願を繰り返した。
　すでに肛門は喘いでいる。広がりそうになっては慌てて閉じ、また全開になりかけては、辛うじてすぼむといったことの繰り返しなのだ。もうこれ以上は、無理を強いられない。

　かのベルサイユ宮殿には、トイレがひとつもないらしい。従って、あのアンマリネー・ヘアネットでさえ、人目を忍ぶようにして、立ったまま垂れ流すしかなかったという。しゃがめばドレスの裾が汚れ、悪臭を振りまきながら歩くしかないからだ。

　そこで彼女は『平等』と『公平』の嘘くさい旗を掲げ、宮殿に集う貴婦人たちに対しても、宮殿内で用を足さない限り、帰ってはならないという法律を作ったうえに、逆らえば肛門に鞭の柄を突っ込み、前門に嵌っているメノウのような天然珠を鞭で叩くと脅したと伝え聞く。

　貴婦人たちが王妃の命令に従ったのは言うまでもないだろうが、そんな経験を持つ彼女たちでも、たぶん現代に生きていれば、全裸で、しかも立ったままの格好で、三人もの人に見られながら、ペルシャ絨毯の上に噴出させることなど、いくらガングロ女王に『レディ』と煽てられても、絶っ対にできない……かどうか、その点は定かではないが、美保にはできない。

　だからこそ美保は“食物カス”と“堆積ガス”を最後の頼みの綱として、後ろ手に拘束された両手で必死に握り締めてきたのだが、綱が脂汗で濡れてしまえば……今にも腰が滑り落ちそうだ。

「ほらほら美保美保美保ちゃんちゃん。ちゃんとお尻を持ち上げてないと、豚のケツさんの鳴き声を聴く楽しみが、半減しちゃうじゃん。そんなことになったら、みんなブーブーブーイング」
　乗り乗りの女帝、ガングロ女に、両手で腰をつかまれ、姿勢を元に戻された。

《ああ…もう、だめ…出ちゃう…うう……出ちゃう……あっ…！？！？》
　出てしまった。鈍く短い音と一緒に、洩らしてしまった。

　しかし。美保の心臓が、再び腎臓ほどにも縮むほど驚き、脳膜が疑問にすっぽりと包まれ、肛門が反射的にすくんだ理由は、立ったままゲル状のウ○コ、いや、ゼリー状に近い液状の“下痢ＢＥＮ”を迸らせたせいではない。
　美保の鼓膜を震わせたのは豚の鳴き声だけでなく、その超直後に、それとはまったくマジに異質な音が鳴り響いたからだ。

「どうだ秀子。気に入ってもらえたか」
「秀子超感激ーっ！　ヒロちゃんマジ最高ーっ！！」
「ゴローに次いでだろ？」
「そんなの超当然ー！　マジ当ったり前の話しーっ！！」
「そうか、それなら俺も、家の物置を引っかき回した甲斐があるよ」
「でも、そんな盥、よく取ってあったね。うちのママも物を大切にする人だけど、盥はプラスチックのやつだよ？」
「取ってあったんじゃなくて、誰も物置の片づけをしないから、捨てることもしないだけさ」
　異質な音の発生原因が特定できた。美保も生母を亡くしたばかりの頃は、幼い弟や妹の洗濯に、金盥を使っていた。産みの母が長く入院していたために、家財道具のほとんどを手放すしかなかったのである。

「美っ保っさーん。どーお？　豚のケツさんも、気に入ってくれた？」
　返事をする余裕がない。お尻を振って便意を堪らえるのに忙しく、首を横に振る暇もない。

「豚のケツも、一人でブービー鳴らすだけじゃ寂しいじゃん。うちのパパも、毎回ゴルフコンペに出てるのに、ケツから二番目のブービー賞しかもらえないのは寂しいって、帰ってくるたびにブーブー言ってるし、なんちゃって」
　ガングロの女王様は超ルンルンで、マジ乗り乗り。兵庫県は明石のゴルフコースに連れて行けば、林の中がディスコに変わる。
　美保がそこに同行させられたなら、おそらく『林でコヤシを撒け。撒けば芸の肥やしになる、なんちゃって』とまで言われかねないほどの勢いだ。

「ロッキーの代役やってた児玉義男だって、裁判は一人じゃ寂しいって言ってたし、なんちゃって。彼の裁判見物に行く児玉孝哉も、立花孝を連れてくし、なんちゃって。やっぱ田中さんと一緒にトライスターに乗ってったときと一緒で、帰りは新幹線のコダマが返ってきたほうが楽しいじゃん、なんちゃって」
　すでにガングロの女王様は、新幹線のヒカリの窓から尻を出しているような『箱乗り』状態。悪乗りの典型。

　トイレでもない場所で、下痢ＢＥＮを噴出させることだけでも、美保にとっては耐え難いほどの恥ずかしさだというのに。

　ましてやそこに、子供でも音の発生源と発生原因を特定できる鈍い音が添えられ、下痢ＢＥＮの噴出を鼓膜でも実感させられるのは、この世から消え去りたい…とまでは思わないにしても、俗に言う『穴があったら入りたい』どころか、マンホールの蓋が開いてたら迷わず飛び込みたいほどの、そこまでの心境に陥ることを、この女王様なら充分に知っていると承知しながら。

　美保を極限まで辱める目的で、鼓膜が二重に震えるようにと謀ったサングラス男を、『ヒロちゃんマジ最高ーっ！！』とまで絶賛した秀子という女は、おそらく二重人格を持った変態だ。

　ガングロの女王様は、人の神経を逆撫でするのが大得意。十八歳程度にしか見えないくせに、同性の羞恥心を煽るのは十八番。
　育ってきた家庭環境を考えれば、蒔絵の箱入り娘でないことのほうが不自然にもかかわらず、そんな行為を『十八番』すなわち“オハコ”にしているのは、二重人格であることのなによりの証拠。
　美保にはそうとしか考えられない。いや、そう考えれば、すべてに納得がいく。

「おい、秀子」
「アタシはね、いつも食後と寝る前に歯磨きしてるし、ファッションセンスと爪に磨きがかかってる分、ギャグのセンスはまだ磨かれてないの。だから今のギャグは詰めが甘くて、“デコ上がり”が悪かったことは知ってるの、なんちゃって。エスカレーターの逆昇りは得意でも、鉄棒の逆上がりは苦手だったし、なんちゃって」
「いや、俺が言いたいのは、なにか忘れていませんかってことなんだ」
「あ、そうそう、早漏居候。デコちゃんオデコが広いのに、ころっとコロコロ忘れてた」
　女王様が上機嫌だということは、その忘れ物が、美保を徹底的に慰み者にする行為であることの証明に他ならない。

「ねーえ？　もしアタシが豚のケツさんに、ブービーブービー鳴かなくなるプレゼントを、タダであげるって言ったら、ほしいー？」
　ほしいに決まっている。
　だが敵は二重人格。変態の女王の仮面の下には、鉄面皮な策略家の女帝の顔を隠しているのだ。
　美保のような女が三人集まり、絞りに絞った文殊の知恵も、やたらと姦しいガングロ女の姦計の前に出れば、一文の価値もなくなってしまう。
　どこかの国が設置を検討している『高速増殖原型炉』の将来と一緒だ。
　
「そっかー。やっぱり、ダイヤモンドより硬い鉱物と、ダイヤより高い宝石と、タダより高い物は、どれもひとつもないっていうのは、大人の常識だもんね」
　超ー当ったり前のことだ。

「ほんとはね、タダじゃないの。豚のケツさんが、アタシがこれから教えてあげる短い台詞を、そのまんま復唱してくれることが条件。もちろんそれは嘘じゃないよー？　アタシ、嘘つきはマジで大っ嫌いだし、だから今も、ちゃーんとホントのこと言ったでしょう？　どーお？　試しに聞いてみる気あるー？」
　美保は迷わず頷いた。
　レコード店でおこなう購入前の試聴と同様、試しに聞くだけならタダ。
　腹まで黒いガングロ女に指示される台詞を、あえて復唱する屈辱や不利益と、自らが発する鈍い噴出音も、金盥からの跳ね返り音も、どちらも聴こえなくなる安心感、あるいは聴かれなくなる嬉しさとを、秤に掛ければいいだけの話しだ。

　そして五秒後。美保の耳元から、ガングロ女王の唇が離れていった。

「ねえ、ヒロちゃん。『買いに行く行くベルバラの漫画』って、何の年だっけ」
「ベルサイユ条約が結ばれた年だ」
「今にも出る出る豚のケツは？」
「今年の年号が入試に出るわけないだろ」
「あそっか。それもそうだね」
《ああ…出ちゃいそう……》
　肛門が喘いでいる。早く決めなければ、手遅れになってしまう。

「それじゃ……いい音聴かそう豚のケツ…いよいよ出すぞ豚のケツ…もっと鳴れ鳴れ豚のケツは？」
「一度に言われても、覚えきれないから、思い出せるものも思い出せないだろう」
「ふーん…。超頭のいいヒロちゃんが、今のみっつを覚えきれないくらいだから、マジで超超超超ーアッタマ悪い豚のケツが、一度じゃ覚えられなかったのも、超超当然で、マジ当ったり前の話しだったかも知んないよねー」
　一度で覚えた。平安京遷都の年も、源頼朝が鎌倉に幕府を構えた年にしても、今ならまだ思い出すことができる。
　だが、もしそれを口にすれば、死ぬまで忘れられない台詞として記憶に残りそうだ。

「それならさー。これわかる？　ケツ出して…鳴らせば泣くよ…豚のケツ」
「そんなのあったか？」
「ふふ…ほんとはアタシが作った俳句、なんちゃって。ほんとは狂歌、なんちゃって。ほんとのところは時事川柳、なんてことは常識、はっきり言っちゃって」
「今みたいな川柳は、最後に『お粗末』をつけたほうがいいぞ」
「そーお？　おそ松は最初に生まれたんじゃない？　なんちゃって。犬の久松にケツを振った豚のお染は、近松門左衛門に豚のケツと呼ばれたせいで、犬の真似して門松にオシッコかけて、おなかに天罰が下りましたとさ、お粗末、なんちゃって」
（ああ…もう、だめ）
　美保は、肛門が開く前に、唇を開くことに決めた。

「美保は…豚の、うっ、ケツが……ケツの穴から……ブビビビー……うっ、ブビビビビーと…ユルユル…うっ…ウンチを…洩らす時の…汚らしい、オナラの、音を…もう、聴きたく、ありません……ブビビビー…ブビビビビーは…もう、聴いて…ほしく、うう…ありません…ううう……」
「あら、良くできました。はい、ちょっと前かがみに……そうそう、豚のケツちゃんは、立ったままウンチを洩らすけど、お利口さんね……はい、ご褒美ビビ！」
《んっ！》
　肛門になにかを押し込まれた。かなり太い。

「さあ、身体を起こしてー？　そうすれば、豚のケツちゃん一頭の力だけでは、ブウとも鳴くことができませんよー？　お尻に栓をしましたからねー？」
「うう…ひどい……ひどい……ううう…そんなの、ひどい……えーん、うえーん」
「普通に泣くことだけはできるじゃん。だから、栓を外してほしくなったらね、どう言って頼めばいいか、ね？　豚のケツにだって、簡単にわかるでしょう？」

　誰でもわかる…とは、肛門が裂けても言えないが、『盥』の使い方を知っている人や、すでに金盥を、心ならずも使わせてしまった人なら、普通はわかる。いや、明石家ハヤシのギャグを半分拝借すれば『そんなの常識、はっきり言っちゃって』だろう。

　今度は『美保は豚のケツが、ケツの穴からブビビビー、ブビビビビーとユルユルウンチを洩らす時の、汚らしいオナラの音を、また聴きたくなりました。ブビビビー、ブビビビビーを、また聴いてほしくなりました』と言って頼むしかないのだ。

　某テレビ局では近々、中味の濃い感動的なドキュメンタリー番組を、シリーズで放送するらしいという噂が、美保の耳にも入ってきた。

　タイトルは、世界の喜劇王がみずから脚本を書き、監督、製作、主演まで一人で四役…ではなく、四人分の働きをした名画のタイトルを、なぜかパクったような、いや、プライムタイムに放送するためという口実で、明らかにパクった『プライムライト』。

　そしてその主題歌を唄うのが、顔にニスを塗ったのではないかと思われるような化粧でも有名な、あのジャワニス・チャップリンとタメグチで話せ、北海道ならではのパウダースノーを顔に吹き付けたとしか見えないほどの、粉っぽい化粧をする島中美雪。

　彼女の喋り方を聴けば、頭のネジが緩んでいるのは明らかだが、シンガーソングライターとしての才能は誰もが認めるところであり、美保の最新ヒット曲も島中美雪の作品。

　そんな彼女が『プライムライト』のエンディングで唄う『ヘッドランプ・テールランプ』の歌詞がまたいい……とか、あの叙情あふれるメロディーを聴いていると、生きる希望や勇気が湧いてくるんだ……などと、もしその曲を聴いた後で、そんな感想を抱く人がいたら、それは世界の喜劇王の名画を観た経験を持たない人か、あるいは観たときの最も重要な台詞を、すーっかり忘れた人か、どちらかだろう。

　その映画の中で、老紳士に扮した世界の喜劇王は、心の病から踊れなくなった若いバレリーナに、こんなような意味の言葉をかける。

『将来を悲観して、自殺未遂を図る必要なんか、キミのどこにあるんだい。キミの人生には、光り輝くような素晴らしい瞬間が、まだまだたくさん残されているじゃないか。そうした幸せをつかむために戦うんだ。自分と戦うんだよ』