（２５）

　１週間後、フェニックスでの事件もニュースで流れたものの既に世間からは過去のものとなっていた。
　太平洋エレクトロニクスの桜山専務も胸を撫で下ろしていたようだが、グループ本部からは厳重注意を受け１年間の減給に処され恐縮していたようだ。
　現金なもので、専務夫人も大塚の怪我を知り元の生活に戻ったらしい。
　週末、明日から休みの裕二と亜美は、港駅前にある裕二のマンションで真裸で抱き合っていた。

「やれ、やれって感じだな。」
「でも、無事に済んでよかったわね。」
「ああ、内輪の仕事は神経使うからシンドイよ。」

　亜美は、溜息をつく裕二の顔の前に股間を持っていった。
　裕二が亜美の濡れている蜜壷を見つめながら囁く・・・

「亜美・・・・・日に日に大胆になっていくな。」

　笑って話す裕二に亜美も含み笑いで返答する。

「両親二人ともエッチだからね。血は争えないかも。」
「亜美は、どことなく、お母さんに雰囲気が似てるよ。」
「そ、そうかしら？　・・・こんな私って嫌い？」
「・・・・亜美・・・・俺は約束するよ。俺は亜美と離れる事は絶対無いってな。」
「・・・・ゆ、裕二さん・・・・・・・・」

　亜美は、寝ている裕二に抱きついた。
　裕二の言葉が嬉しくてたまらなかったのだ。

「亜美・・・・今、いくつになる？」
「え・・・２２よ。」
「そうか・・・・俺は、じき２７になる。」
「・・・・・・」
「この間、亜美がフェニックスで大塚に舐められていただろう。」

　亜美は裕二の問いに顔を赤くした。

「あ、あれは・・・苦肉の末に・・・・」
「いや、別に怒ってないよ。いや、怒りを覚えたのは確かだけど、そんな単純な気持ちじゃないんだ。何て言うのか解らないんだけど・・・・前に亜美の家で、荒尾さんと亜美のお母さんとの愛の形っていう話を色々聞いたじゃないか。」
「・・・ええ。」
「それも含めて、先日、鏑木さんと飲んだときに、鏑木さんと洋子との愛繋を聞いてみたんだよ。」
「・・・それで？」
「鏑木さんはもちろん、亜美も知ってると思うが洋子はＨ好きだし鏑木さん以外の男とも遊んでいたよな。俺は鏑木さんに、その事を聞いてみたんだ。鏑木さんは、笑ってて、中々、本音を言わなかったんだけど、一言、それって重要な事かって。」
「・・・え？　どういう事かしら・・・」
「鏑木さん曰く、洋子は、自分に対して絶対に愛を裏切らないっていうんだ。洋子も鏑木さんの気持ちを理解している。本当の愛は違う所にあるってな。」
「・・・よく、解らないわ。」
「俺も解らないよ。ただ単的に思うのは、鏑木さんは、その質問に対して、いい加減な事を言っていないなと思った。で、俺なりに色々考えてみた。」
「それで？」
「たぶん、たぶんだが、一生を約束した間柄になると、その事が解ると思う。」
「え？」
「鏑木さんと、洋子は婚約しただろう。今秋には式を挙げる。」
「うん。」
「つまり、鏑木さんは、全てにおいて肝が据わったんだよ。」
「！」
「鏑木さんは、どちらかというと表言も哲学的な言い方をするんだけど、俺にこう言ったんだ。」
「・・・・・何て？」
「香坂、１日は何時間ある？ってな。」
「え？」
「ま、違う答えとは思ったが、正直に俺は２４時間ですかって答えたよ。」
「・・・で、補佐は？」
「日付が変わるように、その日、一日にも区切りがある。俺と洋子の１日は、２５時間あるんだって答えたんだ。」
「・・・・？」
「要するに１日の・・　いや、愛の区切りがないって事を言いたかったんだろう。」
「・・・・」
「その本質を理解しようと思ったら、一緒になる女性を決めてスタートラインに立たなくてはと思ったんだよ。つまり、荒尾さんの様になろうと思ったら、その愛の奥を探るために相応しい女性じゃないと駄目だとね。」
「・・・・・裕二さん・・・・わ、私・・・・」
「亜美、それで・・・何か掴めるなら・・・・・俺は、・・・俺は・・・・」
「・・・・裕二さん・・・・」

　裕二は、何かを亜美に言いたげな感じだったが、堪えているように見える。
　ベッドから降りてガウンを羽織った裕二は、デッキチェアに腰掛け煙草に火をつけた。

　紫煙を吐き出しながら後ろのカーテンを開ける裕二・・・・
　外の街の灯りが、やけに眩しく見える。
　ふと横に眼をやった亜美が、裕二の座るデッキチェアの横にチェロが立て掛けてあるのに気がつき裕二に問い掛けた。

「裕二さん、チェロを弾くの？」
「あ、ああ、これか・・・・・・フッ・・・趣味でな。」
「私も大学出るまでフルートをやってたのよ。」
「へぇー、そうなのか。」
「でも凄いわ。裕二さんは、楽器を演奏する風には見えなかった。」

　笑いながら小声で答える裕二・・・・

「でも、亜美みたいに習ったわけでなく独学のいい加減な演奏さ。」

　そういうと、裕二がチェロをとり肩に当てて弦を手にした・・・・

「・・・・聞くかい？」

　亜美は笑みを浮かべながら嬉しそうに頷いた。

　裕二は、煙草を灰皿にもみ消すと瞼を閉じて静かに弦を当てた・・・・
　チェロの優雅な重低音が部屋に充満していく。
　亜美にとっては、初めて聞く曲であったが、楽器は奏でる者の心を表わすようにチェロを弾く裕二の気持ちも、また亜美の心の奥深くに突き刺さっていった。
　まるで人が語っているような心に染み渡る音に亜美は吸い込まれていく。
　裕二の弾くチェロは、まるで物語のように夢想を浮かばせていた。
　自然と亜美の瞳から雫が頬を伝っていった・・・
　外の灯りのブルーライトに照らされた亜美の涙が銀色に反射している。
　亜美は、目を瞑り裕二の演奏に酔っていった。

　まるでそよ風がやむようにチェロの弦響が終わる・・・・
　亜美が、裕二に向かって手を叩いた。

「素敵っ・・・裕二さん、上手じゃない。」

　裕二が、照れ笑いをし亜美を見つめながら囁いた。

「この曲は、自分の一番愛している女性に愛を告白し、そして、女性の愛を知るために、愛を込めて作ったボルディガという無名のトランペット演奏家の曲を俺がアレンジして、チェロ風に作り直したんだよ。」
「そうなの・・・・素敵な曲だったわ・・・感動しちゃった。」

　亜美が零れた涙を拭きながら笑みを見せる・・・
　それを見た裕二が、立ち上がって亜美を引き寄せた。

　そして・・・・・亜美の頬をそっと両手で包み唇を合わせていく。
　長い接吻を交わしたあと、裕二が亜美の瞳を凝視した・・・・

「・・・裕二さん・・・・・どうしたの？」

　長い沈黙の後、裕二がゆっくりと亜美に囁いた。

「亜美・・・・俺と一緒になってくれ。」
「・・え・・・・・・」

　驚く亜美が、裕二の眼に吸い込まれていく・・・・
　まるで身体全体が宙に浮くような不思議な感覚を覚えた。

「・・・・・・ゆ・・・・・裕二さ・・・ん・・・」
「お前を離したくない。ずっと・・・・ずっと、俺の・・俺の側に・・」

　亜美は、仕事以外では、今まで一度も見たことのない裕二の真剣な眼差しに胸の鼓動が一気に加速していった。

（・・・ゆ、夢かな・・・・・・現実よ・・・・ね・・・）

　亜美は、自分を見つめる裕二の眼から視線が外せないでいた・・・
　そして、裕二の気持ちに、どう応えていいのか言葉が浮かんでこない。

　亜美は、瞳を閉じた・・・・そして自分の鼓動を伝えるべく裕二に抱きついていく。

「・・・・・・・・・わ・・・私・・・・・・・・・・・・・・・・・・私・・・・・裕二さんが・・・・好き・・・・・私を・・・・・・・・私を・・・・・・・・裕二さんのものにしてくれるの・・・・・・・・」
「亜美・・・・俺は、お前を・・・・生きていく糧としたいんだ。」
「私・・・・裕二さんを・・愛してる。・・・貴方と・・・・一緒になりたい。」

（２６）

　裕二は、亜美を包むようにしてベッドに座っていた。
　頬を裕二の厚い胸板に預けそっと瞼を閉じている。

「亜美、今度、親父とお袋に紹介するよ。」
「えぇ？」
「いいかな？」
「え・・・えぇ、もちろん・・・でも・・・急にお邪魔しても・・・」
「実は、来週、野暮用で九州から出てくるんだ。」
「裕二さんの、お父様は何やってるの？」
「普通のサラリーマンやってたよ。３年前に定年して、今は、地元に帰って、お袋と仲良く暮らしてるさ。」
「そうなの。お兄さんたちは、確か、もう全員が結婚してるのよね。」
「ああ、俺が亜美を紹介すると親父もお袋もホッとするかもな。」
「一番、手が掛かる子だったから？」
「はは、それもあるかもな。」
「フフッ、じゃ、今とあまり変わっていないわね。」
「どういう意味だよ。・・・・・それより、まずは君の両親にも、ちゃんと報告をしておかないといかんな。」
「・・・嬉しい。」
「よし、善は急げだ。明日、行こう！」
「えぇぇーっ・・あ、明日？」
「何で？　居ないのか？」
「・・え・・・い・・・・居ると思うけど。」
「じゃ、いいだろう。何か問題あるかな。」
「そうじゃなくて、私が恥かしいかな・・・と。」
「恥かしい事かな？」
「だってぇー・・・」
「ま、いいさ。とりあえず亜美からも話しておいてくれよ。」
「・・・うん、わかったわ。」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

−　翌日　−

　裕二と亜美は、康平と礼子に結婚を報告するために家に訪れていた。
　亜美は、裕二の表情が妙に硬いように見えた。

「裕二さん、緊張しないでね。」
「あ、ああ、大丈夫。言葉も何度も練習してきたしな。」
「れ、練習・・・」
「ああ、おかしいか。準備万端じゃないとな。」

　亜美は、裕二が仕事でも、あまり緊張した顔を見せたことがないためか、多少、不安が募ったものの、笑いが込み上げてきた。
　玄関を開けて声を掛ける亜美・・・
　家の中からは返事がなかった。

「おかしいわね、居るって言ったのに・・・」
「居ないのか？」
「だって鍵が開いてるもの。」

　亜美は、確認するため裏の庭に歩いていった。
　康平と礼子は、庭のテーブルでお茶を飲みながら談話していた。
　裕二と亜美が二人に声を掛けた。

「あ、やっぱり・・・お父さん。何度も呼んだのに。」
「あ、すまん。聞こえなかったよ。」
「こんにちは。突然お邪魔しまして。」
「やあ、香坂君、久しぶりだね。相変わらず亜美とやってるかい？」

　顔を真っ赤にする裕二に、すかさず礼子と亜美が康平を叩いた。

「あたたっ・・」
「あなた、失礼でしょ。亜美の上司なのよ。」
「俺も一応、上司だぞ。」
「そ、そうかもしれないけど・・・・」
「い、いえ・・・構わんです。気軽に言っていただいた方が私も・・・」
「ごめんなさいね、香坂さん。」
「いえ、全く気にしていません。」

　謝る礼子と亜美を無視し康平が話に割って入った。

「ところで今日はなんだい？　昨日、亜美から家に居てくれって、電話があったけど、また、何か聞きたいことでもあるのかい。」
「いえ、実は・・・・・ちょっと、お話が・・」

　礼子が気にして康平に声を掛けた。

「あなた、座ってもらいなさいよ。」
「ああ、そうだな。どうぞ香坂君、掛けてください。」
「はい、失礼します。」

　裕二と亜美は、康平と礼子の前に座った。
　礼子が、二人にコーヒーを入れて差し出す。

「で、話というのは？」

　亜美が裕二を見つめた。
　裕二は、軽く深呼吸をして一気に康平と礼子に話を始めた。

「荒尾さん、私は、亜美を愛しています。昨夜、亜美にプロポーズしました。亜美も承諾してくれました。亜美と人生を共にします。亜美を私に下さい。」

　凄い早口で喋る裕二に、康平も礼子も何がなんだか解らなかった。
　ポカンとしながら裕二の喋った言葉を頭の中で繰り返す康平と礼子・・・・

　そして少し間を空けて声を出した。

「えぇぇーっ！」

　反応が遅い二人に亜美が呆れながら声を発する。

「お、お父さんも、お母さんも、何なのよ、この間は？」

　康平が、すかさず質問をした。

「まさか、子供でも出来たか？」
「馬鹿言わないでよ。もぉぅ・・・」
「い、いや・・・心の準備ができていなかったから・・・」
「それより、お父さん、お母さん・・・何か言ってよ。」

　康平が礼子の顔を窺うと、礼子がにっこりと微笑んだ。
　康平も眼で笑みを見せる。
　亜美と裕二に目を向けた康平は、静かに喋り始めた。

「ま、何となく解ってたけどな。まさか今日とは思わなかったが。」
「え？」

　裕二と亜美は、康平を見つめた。

「香坂君、君と亜美の結婚は反対じゃないよ。」
「あ、ありがとうございます。」
「ま、亜美が君と付き合い始めた時点からひょっとしてって思っていたんだ。」
「え・・・そ・・・」
「まあ、女房が言うには、亜美は自分と性格や考え方がそっくりだし、香坂君を見て、私に雰囲気がよく似ているって言ってたんだ。色んな意味で状況が似ているからね。」
「・・・・う、嬉しいです。」
「で、なぜ急に結婚を決断したんだい。」

　裕二は、この間の事件の事、康平と礼子との関係、疑問、そして鏑木と洋子との事がキッカケになった事や康平を目指している自分と亜美の葛藤を事細かく正直に話した。

　黙って聞く康平と礼子・・・
　康平は、裕二の的を突いた考えや結婚観、そして人生観を聞き感心していた。

（この男・・・・なかなかだな・・・）

　康平は、一切、話に割り込まず最後まで裕二の話を黙って聞いていた。
　そして、裕二の話が終わり、少し間が開いた後、礼子が康平の膝に手を置いて囁いた。

「あなた・・・話してあげたら。」

　一瞬、厳しい表情を見せた康平だったが、気持ちの整理がついたようだ。
　明るい顔に戻ると、裕二に話しをし始めた。

「香坂君、男はね、ある意味、居場所が必要なんだ。君にはあるかい？」
「居場所ですか・・・・」
「ああ。・・・・・まあ、私から言わせれば、まだ亜美は、子供だ。私の女房もちょうど、亜美と同じ歳に私と一緒になったんだけどね。やはり子供だったよ。」

　康平は、笑いながら礼子を見た。

「君の本当の居場所はどこだい？・・・自宅か？・・・・センターか？　それとも実家か？・・・・・・私はね・・・妻の心の中なんだよ。」
「え？・・・」
「つまり、俺と言う男の居場所を女房の心に置いた事によって、それを確実に受け入れた女房も瞬時に大人になったんだよ。」
「！・・・あ、荒尾さん・・・・」
「そして、私と妻、礼子は、いつも、どんな時でも通じ合う事ができるようになった。いや、求めていたのかな。でも、お互いの執着が色々な奇跡を起こしてくれた事も事実だ。だから、センター勤務時代に実績を残せたんだ。そして私自身も成長した。」
「・・・・・・・・」
「香坂君が、亜美の心の中に居場所を置くことが出来るのなら、俺は何も言わないよ。亜美も、心の底から君に惚れているようだし。それ自体は、全く問題はないと思う。ただ一流を目指すなら、君一人が頑張っても駄目だ。君も亜美も同気していないと。」
「・・・・はいっ。」
「香坂君、ただ愛し合ってるから結婚するなんてつまらんじゃないか。君も亜美も目標があるんだ。だから君らは結婚に至ったんだろう。」

（・・・・荒尾さん・・・・・そ、そこまで・・・）

　裕二は、思った。康平の人を読み取る技術は半端ではないと・・・・
　まさに自分が目指そうとする一端の醍醐味を康平に見せ付けられた一瞬だった。

「荒尾さん、全くその通りです。」
「んむ。しかし、後一つ、後一つだけ、君に足りないものがある。いや、持っているのだが目覚めていないとでも言うべきかな。」
「え・・・それは・・・」
「これだけは、教えようにも言葉では無理なんだ。」
「は、はぁ・・・」
「要するに、その場面がこないとね。」
「・・・・・？」

　頭を傾げる裕二に満面の笑みを見せながら康平が囁いた。

「ま、一応、私と妻の娘だ。月並みな返答だが亜美を大事にしてやってください。」

　そう言って、康平が、裕二に頭を下げた。

　亜美は、心の底から康平に感謝した。
　まだ、二人が気付いていない大事な部分を康平が教えてくれた事を・・・
　本当は、自分達で探せと言いたかったに違いない。
　亜美は、これ以上無い康平らしいプレゼントともいえる助言に涙を堪え切れなかった。

　涙を流す亜美を見て礼子が康平の手を握る。

＜あなた・・・・ありがとう。＞

＜ああ、亜美も気付いたようだな。また、一つ成長するだろう。＞

裕二も、これ以上なく感激と感謝の気持ちで一杯だった。

（荒尾さん、僕は、必ず亜美と・・・・・そこまで到達します。）

　裕二の精悍な表情を見て康平も満足していた。
　この男なら大丈夫だろうと・・・・・