（５７）

　別荘では、先に着替えた亜美が、翔子の身体を丁寧に拭き服を着せていた。
　裕二は、鏑木の胸を固定し吸気の上下をさせないように胸の処置を済ませる。

　玄関のドアが開き２階に上がってくる音が聞こえた。
　裕二が、咄嗟に身構える。
　しかし、入ってきたのは、遠藤と西田だった。

「香坂ぁーっ！・・」
「しょ、所長・・・・・」
「・・・・・・こ、香・・・坂・・・・・・」

　遠藤と西田は、部屋に入った瞬間、ここで起きたであろう事を即座に理解した。　
　俯く裕二に、遠藤が声を掛けた。

「ディックは、俺と西田が倒した。３人はメイクハウスで監禁している。」
「そうですか。わかりました。」

　遠藤が、亜美を見た・・・・

「亜美君・・・・・」
「所長・・・私は大丈夫です。この程度なんかで・・・・」
「・・・・・！？」

　遠藤は、亜美の雰囲気が極度に変わったことに気付いた。
　しばし、亜美を観察した遠藤が、亜美とよく似た人間を瞬時に思い出す。

（亜美君・・・・遂に・・遂に、化けたな・・・・・常務とそっくりだぜ。）

　しかし、遠藤は、ある意味、こんな形で亜美が変化したのを悔しく思った。
　遠藤は、唇を噛みながら心の中で康平に謝罪した。

（常務・・・亜美君を、こんな目に合わせてしまって・・・・・すいません・・・）

　遠藤は、裕二らにディックとの件を話した。

　遠藤と西田は、ホテルのロビーで見つけた女の一人、ダイアンを尾行したのだ。
　ダイアンが入った場所は、ハワードという米国菓子会社の事務所だった。
　無人である事が、幸いし遠藤と西田が踏み込んだのだ。

「電話をしていたようだが、直ぐに切ったんだ。最初は紳士的に話をしていたが、女が暴れ出した。甘く見たようだな。西田が二人の女の関節を外したんだ。」
「それで・・・」
「ちょうど、そこへ電話が掛かってきた。マーベラス本社からだ。」
「え・・・」
「荒尾常務が、到着しマーベラスの幹部と会談を始めたらしいんだ。ボスのディックが、なにやら英語で怒鳴っていたが、その後、俺にしばらく待ってやると言いやがった。常務が仕掛けたなと思ったよ。」
「・・・で・・・」
「ああ、西田が関節を外した女の痛がる呻き声を聞いてディックが暴れだした。俺は、止む無く、応戦したが手強くてな。しかし、奴も一人だ、西田の手を借りる訳にはいかん。結局、大人しくさせて、メイクハウスに監禁したよ。」
「そうですか・・・」
「香坂、今日中に話が付くと常務も言ったらしい。本部に連絡があったそうだ。」
「解りました。・・・・こいつらはどうします。」
「直ぐに、京本がセンター員を連れてくるはずだ。強制帰国させる。」
「解りました。」

　西田が鏑木を担いだ。
　亜美は、翔子を横から抱きながら立ち上がった。

「大丈夫か、亜美・・」
「ええ、私に任せて。」

　頷く裕二・・・
　そして、裕二ら６人は、センターに戻っていった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

　鏑木、そして亜美と翔子は病院で手当てを受けていた。

「課長、鏑木さんは、大丈夫なんですか？」

　裕二の問いに野口が答える。

「ああ、気を失ってた時間が長くて肺損傷は、ほとんどないらしい。さっき固定を済ませたようだ。一日入院したら動けるらしいぞ。」
「そうですか。」
「それはそうと香坂、亜美君の所へ行ってやれ。」
「・・ええ・・・しかし・・・」

　そこへ、話を聞いていた遠藤が近寄ってきた。

「裕二、行ってやれ。今は、特に俺たちも動く事はない。直に、荒尾常務から連絡が入る事になっているからな。」
「解りました。・・・・じゃ・・・行きます。」
「んむ。」

　裕二は、亜美と翔子が検査を受けている病院に向かった。
　病院に着いた裕二が、職員に検査室を確認する。

「６階ですよ。もう、そろそろ終わると思います。」
「解りました。ありがとう。」

　裕二が、６階に急いだ。
　そこへ検査服を来た亜美がちょうど部屋から出てきたところだった。

「亜美っ！」
「裕二さん、どうしたの？」
「あ、ああ、所長が行って来いってな。」
「そぅ・・・・・・・私は、大丈夫よ、内臓も子宮も異常無いって。」

　裕二は、ホッっと胸を撫で下ろした。

「翔子君は？」
「すこし、性器に裂傷があるけど、大丈夫って先生は言ってたわ。」
「そうか・・・・・」

　亜美は、裕二の顔を窺って微笑んだ。

「ね、裕二さん・・・ジュース飲みたいな。」
「ああ・・・解った。買ってくるよ。」

　裕二は、自動販売機までジュースを買いに行った。

　慌てて戻った裕二は、長椅子に座る亜美の横に腰掛けてジュースを手渡す。

「ありがとう。」

　ジュースを受け取った亜美が、栓を開けて一口喉に流し込んだ。
　裕二は、亜美を見つめている。

「ん・・どうしたの。裕二さん。」
「あ、ああ・・・・・・」

　裕二は、別荘で、あんな屈辱を受けたにも関わらず凛々しく光る亜美の瞳と精悍な顔つきを疑問に思っていた。

「何？・・・裕二さん・・・・」
「いや、亜美・・・お前、身体に１本、筋が入ったような気がするよ。」
「・・・・・」

　亜美は、ジュースを置いて何かを考えていた。
　そして、裕二の膝に手を乗せると前を向いたまま喋り始めた・・・・

「裕二さん、私、別荘で裕二さんが、大声で私の名前を呼んだときに身体中に電気のようなものが走ったの。自分では、解らない力が沸いてくるのを感じたわ。裕二さんと目を合わせた時、裕二さんが私の身体に入ってくるような錯覚を覚えたのよ。不思議だったわ。」
「・・・・・」
「そして、裕二さんが、男達を倒した後、・・・・私にこう言った。お前は、俺の全てだって。あの時、裕二さん、泣いていたでしょ・・・」
「・・・・」
「そして、後ろから・・裕二さんに抱きついた時に、裕二さんと・・・・私の何かが、解けあった感じがしたのよ。二人で一緒に鼓動しているのが判った。」
「・・・亜美、・・・・それは、俺も思った。何なのかな・・・よく解らないんだが二人の持つ、魂の様な魁が、お互いの身体を行き来してるような感じを受けたんだ。」
「え？」
「そして、更に、あの時、お前の身体の奥に眠っていた何かが誕生したんだ。」
「・・・・」
「いや、眼を覚ましたと言った方がいいかもしれんな。」

　亜美は、裕二の言っている事がよく解らない様子だった。
　裕二は、思考する亜美の表情を見て続きを話す。

「亜美、お前には、荒尾常務の血が流れている。」
「・・・・・」
「荒尾常務の持つ素質をお前は間違いなく受けついでいたんだ。お前は気付いていないかもしれないが、亜美、お前・・・・・」
「あの時・・・・あの瞬間・・・・女豹になったんだ。」
「！」
「お前は、今、悲観していない・・・・・・そうだろう？」
「・・・・・・ど、どうかな・・・」
「俺には解る・・・不思議だが、お前の心の中を読み取れるんだ。」
「・・・・・裕二さんと私って・・・何か不思議だわ・・・・・」

　亜美が、裕二に振り向いた。
　裕二も亜美を見つめる・・・・・・

「裕二さん、私たち・・・何度生まれ変わっても一緒になれると思う。」
「・・・・ああ、そうだな・・・・なれるかも。」
「なりたいわ。」
「・・・・亜美・・・・俺は、星が好きでな・・」
「え？・・・星・・・星座のこと？」
「ああ、中でも、鳳凰座に魅力を感じてるんだ。」
「鳳凰座・・・・か・・・」
「鳳凰座 は、ヨハン・バイエルって人が、４００年以上も前に新設した星座なんだ。原名は古代エジプト神話のフェニックスさ。」
「フェニックス・・・不死鳥ね。」
「ああ、姿は、鷲に似ているんだが、翼は、金・赤・青・紫の色で輝いているといわれてるんだ。ところが不死鳥は、木の樹脂から採った没薬と一緒に焼かれてしまうと、死んでしまうんだよ。しかし、その灰から再び若いフェニックスが蘇ると言われている。 」
「・・・裕二さん・・・」
「俺たちは、フェニックスの両翼だ。二人一緒で無ければ蘇えられないんだ。だから・・・・・何度生まれ変わっても・・・俺たちは・・・・亜美・・・・・・・・」

　亜美は、裕二の肩にもたれかかって囁いた。

「・・・・私・・・・・裕二さんを・・・・好きになってよかった。」

（５８）

　裕二は、夕方になってセンターに戻った。
　課長の野口と京本が、裕二に詳細を聞いてくる。

「香坂、３人の様子はどうだった？」
「ええ、亜美は、元気です。翔子君は、少々、ショックを受けていましたがセンター員だけあって気丈な態度でした。・・・恐らく大丈夫と思います。」
「そうか・・・・」
「鏑木さんも、直ぐに出てくるといっていました。」
「何っ、大丈夫なのか？」
「ええ、肺損傷は無かったようですし固定だけで手術はしないそうなので。ま、鏑木さんのことだから、逃げ出してでも出社すると思いますけど。」
「そうか・・・」
「ところで野口課長、所長は・・・・」
「お前が出てすぐ、監禁しているマーベラスのディックと話をするといって出て行ったよ。」
「え・・・ディック・・・と。」

　ちょうど、そこへ遠藤が帰ってきた。

「あ、所長、お疲れ様です。」
「ああ・・・皆もご苦労だった。」
「どうでした？」
「んむ・・・とりあえず説明をしてチップは渡した。当然、うちのデータを消滅した事も話したがな。」
「それで・・・」
「ああ・・・」

　遠藤が喋ろうとしたその時、２本同時にセンターに電話が入った。
　グーループ本社からと、調整談合のために渡米している康平からだった。

「あ、専務・・・はい。・・・ええ、今、荒尾常務からも電話が入っているようです。」
『そうか、わかった。では直接、荒尾君から聞いてくれたまえ。今後は、荒尾君の指示に従ってくれたまえ。ご苦労だった。』
「はい、失礼します。」

　遠藤は、急いで康平の電話を取る。

「遠藤です。」
『ご苦労さん。いま話がついた。』
「え！・・・・で、どうなりましたかっ！」

　遠藤は、録音ボタンを押して康平の話を聞き始めた。

　２０分ほど黙って聞いていた遠藤が、やっと口を開いた。

「解りました。では、監禁している連中は、明日、米大使館に送ります。」
『皆にも報告してやってくれ。俺は、明日帰る。』
「はい。・・・常務、・・・・・・大変ご苦労様でした。」

　電話を切った遠藤が、センター員に振り返った。

「所長っ！」
「んむ、今、荒尾常務から聞いた話を伝える。よく聞いてくれ。」

　センター員が、再度、遠藤に集中した。

「今件は、荒尾常務の力で、今後、太平洋グループの法外的なアタックはしないと約束してくれたそうだ。しかし、太平洋のデータを持っていることには違いない。それを懸念して常務が驚くような提案を先方に話し承諾させた。それは・・・・」

　センター員が息を飲んだ。

「うちの中央管理のセンター員と、アメリカのマーベラス･コーポレーションのＭＣ中央情報管理システムの職員と一人ずつ派遣として交換をする事になった。」
「！・・！・・！」

　センター員が、驚きの表情で遠藤を見た。
　京本が、声を荒げて遠藤に質問をする。

「所長、互いの人質ということですかっ？」
「いや、違う・・・・」
「では・・何故・・」
「それは・・・・・・・・・太平洋グループが、逆にマーベラスを狙うからだ。」

　再び、センター員が、一際、驚きざわめいた。

「しょ・・・所長・・・」
「俺も、荒尾常務の話に驚いた。・・・・・お互いの保険のためにじゃないかとな。しかし、法外的ではなく正規の実力でマーベラスを太平洋のグループ下にすると。」

　野口も遠藤に問い始める。

「向こうは、それを知って・・・」
「いや、知らないさ。知っていれば、首を縦に振らんだろうよ。相手は、マーベラス社員をセンターに置く事で了承したんだ。恐らく荒尾常務は、心内で笑いながらシメタと思ったに違いない。」

　野口が、先を読んで遠藤に確認をした。

「所長、もしかして・・・内に派遣されたマーベラス社の社員を・・・・」
「野口、さすがだな。・・・そう。引き抜く。」
「・・・・」
「その役目は、香坂・・・・お前だ。これは荒尾常務からの命令でもある。」
「お、俺が・・・ですか・・・」
「ああ。・・・・時間制限は無い。作戦は、今後、俺と幹部で練っていく。」
「・・・わかりました。」

　京本が、険しい顔で２度目の質問をした。

「しょ、所長、センターからは？」

　京本の質問に、皆が静まり返った。
　遠藤が、妻の美津子に視線を送る。
　美津子は、視線を受け止めると目だけで遠藤に頷いた。

「マーベラスは、うちのセンターの詳細を知り尽くしている。そういう意味では、平職員を送る事は、絶対に出来ない。」

　美津子が、遠藤の横に足を運んだ。
　センター員が、美津子を凝視する。

「我が、センターからの派遣職員は、・・第二課長の遠藤美津子に出向してもらう。」

　遠藤の発表に、センター員全員の体が硬直した。

　遠藤にとっては、決死であろう決断だったに違いない。
　しかし、咄嗟に考えたこととはいえ遠藤には考えがあったのだ。

　だがセンター員は、苦痛の表情でうなだれた。
　センター員の雰囲気を読み取った美津子が言葉を発した。

「みんな、聞いて。まず、感違いを説くわ。所長である遠藤は、妻である私を送る事がベストと考えたのには理由があるの。まず、現担当の京本課長と野口課長を外すと、センターでの機能が停止してしまう。そして、男性であると間違いなく警戒をするわ。そういう意味では、マーベラス社も必ず女性職員を送ってくるはず。決して、妻だからと言う理由でない事を理解してほしいの。」

　美津子が、遠藤の顔を横から見つめた。

「そういう事よね・・・センター長・・・・」

　遠藤は、表情を変えることなく頷いた。

「・・・以上だ。」

　センター員の同様は明らかだった。
　康平との電話中に、妻美津子を派遣することを決めたに違いない。
　そして、たった今妻の美津子に相談せずに発表をした。
　しかし、美津子は遠藤の心の中を読んでいたのだ。
　さらに、遠藤の気持ちを考えたからであろう。

　派遣職員とは言いつつも、やはり人質と言っても過言ではない。
　みな、センター長、遠藤の心中を察しているに違いない。

「さて、みんな、ご苦労だった。今日は、これで終わろう。」

　遠藤の声に、皆が静かに散らばった。
　遠藤もコートを羽織ると真っ先にセンターを出た。
　美津子も、表情を崩すことなくデスクに戻り帰り支度を始める。

　数分後、誰もいなくなったオフィスで煙草をふかす裕二・・・・
　その時、ドアを開けて美津子が顔を覗かした。

「あら、香坂君、まだ帰らないの？」
「あ・・いえ・・もう帰ります。」
「そう。・・・・・・頑張るのよ・・香坂君・・」
「課長・・・・・・」

　美津子は、裕二の言いたい事を理解したのだろう・・・・

「大丈夫よ・・・私もセンターで課長を務める能力を持ってるのよ。」
「・・・・課長、・・・・・・・・・・・頑張って下さい。」

　美津子は、裕二の言葉にウィンクを返して出て行った。
　ブラインドを上げて外を眺める裕二・・・・

（派遣・・・か・・・・・）

　ふと、下を見ると美津子が歩道の時計台に向かって走っていた。
　美津子を目で追う裕二・・・
　走りよった時計台には、コートを着た男性が美津子を待っていた。
　声を掛けたのであろう美津子の姿に振り向く男性・・・・
　その男は、遠藤だった。

（所長・・・・）

　遠藤は、美津子に笑顔を見せ、肩を抱くように引き寄せる。
　美津子も遠藤に甘えるように身を委ね、ゆっくり歩き出した。

（所長・・・・・・所長・・・・・・・・・・・・・・・・・・）

　涙を浮かべる裕二・・・・・・
　歩道を歩く二人の背中が、裕二には、とても大きく見えた。

　裕二は、ブラインドを下げると大きく深呼吸をしてセンターを出た。