（９３）

「裕二、着いたぞ。」
「ええ。」

　裕二は、車を少し離れた路上に停めることにした。
　西田は、持参したモバイルノートを開くと鏑木からの情報にアクセスを始める。

「お、さすがに早いな。・・・裕二、見てみろ。」

　裕二は、西田のパソコンを運転席から覗きこんだ。

「第三企画課の社員リストですか？」
「ああ、以前、鏑木が太平洋グループ全社員の詳細リストを作成したからな。常に最新情報が見て取れるようになっている。個人の詳細も、ほぼ完璧だぜ。」
「ほぉー、彼女らは、一流大学出身ばかりですね。とても、こんな事をやるようには見えませんが。」
「恐らく、脅し、麻薬、そして何らかの形で強制命令されているとしか思えん。そうでなければ、課員全員が、こんな事をするとは、とても考えられんよ。」
「全員がここでですか？」
「いや、判らん。第三企画課は、いつも２、３人の留守番しかいないが、業務を考えると誰も疑わないからな。しかし、全員ではないだろう。」
「課長、彼女らの顔は頭に入れました、まずは入ってみましょう。」
「んむ。」

　裕二は、西田と共に風俗街に入っていった。
　昼間とはいえ、有名な風俗街とあって風俗目当ての人が沢山いる。

「さすが、港風街ですね。賑わいありますよ。」

　港湾線沿いの風俗店が集中したこの場所を地元では略して港風街と呼んでいた。

「そうだな。俺も独身時代は・・・・・・おっとっ・・・」

（プッ・・・課長も通ってたな・・・・・）

　周りには、学生、スーツを着た者、見るからに営業途中であろう者もいる。
　何度も裕二らに声を掛ける客引きを無視し、二人は、裏路地にある「Ｕ」というビルの前で立ち止まった。

「ここだ。」

　建物を見上げながら西田は、裕二に声を掛け５階建てのビルに入っていった。
　中には、受付があり、その横には広い応接室のような部屋がある。
　店員らしき男が、裕二らに声を掛けてきた。

「いらっしゃいませ。お客様方は、初めてですか？」
「ああ。」
「かしこまりました。ご説明をさせていただきますので受付へどうぞ。」
「わかった。」

　裕二と西田は、受付に行くと店員から説明を受けた。

「当店は、２階から５階までが店舗でございます。まず２階はヘルス、３、４階はソープ、５階が、プライベートの個室となっております。それぞれに、写真リストがご用意してございますので、各種別を選んだ後、アルバムからお客様のお好きな女性を選んでください。」
「なるほど、解った。」
「店種と女性が決まったら受付で入室料をお支払いいただき、プレー料金は直接、女性にお渡しください。あと、アルバムに赤いカードが張ってある女性らは、現在、他のお客様とプレー中ですので、ご了承くださいませ。」
「わかった。」
「では、そちらの応接室でお選び下さいませ。ドリンクはフリーになっております。」

　裕二らは、アルバムを持って応接室に入った。
　中には、他の客が、店員に呼び出されるまで、ドリンクや酒を飲みながら待っている。
　特に裕二らを気にするでもなく、映画を見たり本を読んでいたりしていた。

「さて、裕二、何人いるか調べよう。」
「ええ。」

　早速、アルバムを開き、企画第三課の女性を調べる二人・・・・
　しばらく、ページをめくりながら確認をしていた。

「裕二、かなり、女性らのメイクが、リストの写真と違ってて判り難いな。」
「まず、ホクロ、そして目鼻や口の形を見ましょう。そこだけは、メイクでは変えようがないんですから。」
「そうだな。」

　再度、念入りに写真を見ていく二人・・・
　１０分ほど経って裕二が声を発した。

「大体判りました。４人います。」
「そうか、俺は３人しかわからなかった。・・・で、どうする？」
「指名してもいいですが、問いただすわけにもいきませんしね。」
「そうだな・・・・んー・・・とりあえず写真だけでも撮っておくか。」

　裕二は、頷くと小型のカメラでアルバムに映る企画課社員の写真をこっそりと撮り始めた。
　その時、管理室では、応接室に設置されたモニターに映る裕二と西田を怪訝そうに見ている男がいた。

「おい、あいつら何か怪しくないか？」

　受付で応対していた隣の男が、返答した。

「・・・警察ですかね？」
「警察？・・風俗営業も届けてあるし、ここの商女もやばい奴はいないんだろう。」
「ええ・・・と思うんですが。」
「ひょっとして、劉さんの事を嗅ぎつけたか？」
「ま、まさか・・・しくじる人じゃありませんよ。」
「・・・んー・・・まあいいだろう。よく観察しておけ。」
「はい。」

　裕二は、西田と相談の結果、今日は確認のみとし店を出る事にした。

　受付に向かう裕二と西田・・・
　受付のブザーを押し店員を呼んだ。

「申し訳ないが、ちょっと俺達の好みが指名されてる娘ばかりなのでまた来るよ。」
「え、そうですか。・・・でも他にもサービス満点の娘が沢山いますよ。」
「いや、すまん。また出直すよ。」
「・・・そうですか。・・・では、またのご来店をお持ちしております。」
「ああ。」

　裕二と西田は、店を後にした。
　管理室に戻った男は、もう一人の男から指示を受けた。

「やはり、何か探ってるな。写真まで撮っていたし。おい、纐纈をつけさせろ。」
「はい。」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「課長、帰ってから作戦を練りましょう。何から手をつけたらいいか、行動方法がわかりません。それに、直接店を当たるのは危険です。」
「ああ、そうだな。直接、社員に当たるより課長の青木順子を狙ったほうが早いかもしれんしな。」
「ええ。」

　二人は、Ｕを出ると大通りに出た

　裕二と西田は肩を並べて歩いていたが、互いが妙な殺気を背中に感じとった。

「裕二・・・」
「ええ、誰かつけてきますね。」
「態勢をとっておけ。」
「はい。」

　裕二と西田は、後ろを振り向くことなく車に向かって歩いた。

　車にたどり着こうとしたとき、前からも３人の男が裕二たちの方に向かって歩み寄ってくる。

「ちっ、やつらも仲間だぜ。」
「そのようですね。」

　裕二が、ポケットから車のキーを取り出した。

「おい、出したキーはしまえよ。」

　裕二の出したキーを確認して、後ろの男から声が掛かった。
　裕二と西田は立ち止まって路地横の塀に背中を向ける。

「俺達に何か用かい？」

　西田の言葉に声を掛けた男が呟いた。

「お前ら、Ｕで、店の女を調べていたようだが何者だ？」
「何者って、俺達は普通のサラリーマンさ。」
「そんな、面構えのいいサラリーマンがいるかっ！」
「・・・・・・・」

　裕二と西田は、相変わらず黙ったまま答えない。

「ふーむ・・・警察ではなさそうだな。」
「だから俺達は・・・」

　そこまで喋ると前の男の一人が、いきなり西田に飛び掛ってきた。
　西田は、軽くフェイクし、飛び掛かった男の背中を押して塀に押しぶつける。
　男は顔面を強打し地面にうずくまった。

「ほぉーぅ・・・いい身のこなしだ。最近のサラリーマンは、強いんだな。」
「ふんっ、避けただけだぜ。」
「お前ら、可愛がってやれ。」

　残りの二人の男が、西田の前に、ふてぶてしく笑いながら立った。

「俺たちに勝てるかな？」
「やれやれ・・」

　西田が、面倒臭そうに呟く・・

「課長、久しぶりに、お手並みを拝見させてもらいます。」
「チェッ・・」
「テメェら、何、ほざいてやがんだっ！」

　そう言って、男が西田に飛び掛っていった。
　西田の前蹴りが男の膝にヒットする。
　軽い骨折音と共に悲鳴をあげて男が倒れこんだ。

「クソッタレがぁっ！」

　もう一人の男がナイフを手に西田にダッシュした。
　しかし、反掌で、ナイフを握った手を払うと後ろ回し蹴りで男の頚椎にかかとを振り下ろす。

「グエッ・・ウガガッ・・」

　男は、白目をむいて気絶してしまった。その間、僅か数秒・・・・
　すかさず、裕二が西田に声を掛けた。

「ほほぉー、さすが、元、全日本チャンピオンっ。」
「・・・お前ほどじゃないがな。」

　後ろの男が、苦笑いをしながら裕二らに近づいてきた。

「やはり、お前ら、只者ではないな。」
「いや、マジで普通のサラリーマンだ。」
「黙れ。詳しい事は、お前らを倒してから聞こうじゃねぇか。」

　そう言うと、男は、腰を少々落として身構えた。

「裕二、今度は、お前の番だぜ。」
「・・・・」

　裕二は、落ち着き払っているのか、まだ野獣のような雰囲気を曝け出していない。
　その男と対しても両手は下に降ろしたままだった。

　男は、裕二の仕草に口だけで小さく笑うと手刀を裕二に見舞った。
　風を切りながら裕二の頬をかすめていく・・・

（おっと、危ねぇ・・危ねぇ・・・・早ぇーな・・）
（ムッ・・・こ、こいつ・・やるな・・・）

　裕二が、男に声を掛ける。

「おい、アンタ、名前は？」
「俺は、纐纈だ。お前は？」
「俺は、香坂だ。」

　そう言うと、纐纈は、ローキックを物凄い速さで裕二に見舞った。
　かわす暇なく足を曲げてブロックする裕二・・・

（な、何っ・・・初めてだぜ・・ブロックされたのは・・・）
（・・・・ちっ・・・やりやがる・・・・気配がなかったぜ。）

　更に纐纈の連続した蹴りが裕二を襲った。
　裕二は、防戦一方で、なかなか反撃するチャンスが無い。
　纐纈の繰り出すパンチや蹴りによる空気を切る音は尋常ではなかった。
　まともに食らえば、裕二といえども立っている事は不可能であろう。

　そして、二人を見ていた西田は、驚きを隠せなかった。
　裕二と互角にやりあえる人間が、こんな間近にいるとは思っていなかったのだ。

（強ぇ！・・・しかし、この男・・・・どこかで・・・・・？？？）

　纐纈は、裕二の実力を瞬時に判断し背中から短めの棍棒を２本取り出した。

「お前、なかなかだ。」

　それを見た西田が車のトランクからトンファを取り出し裕二に投げ渡す。

「裕二、これを使えっ！」
「すいません。」
「ほう、トンファか・・・では、どれくらい使えるか見せてもらうか。」

　纐纈が、２本の棍棒をそれぞれの手に持ち、クロスしながら、ゆっくりと裕二に近づいた。
　目を細めて息を吐き出すと、一気に纐纈の全身から闘気が湧き出した。
　間合いを伸ばしていく裕二・・・
　しかし、見えないほどの速さで纐纈の棍棒が目の前を交差していく。

（こ、この技は・・・・）

　裕二は、纐纈の攻めに、相変わらず防戦一方だった。
　いや、正確に言うと隙を見つけることが出来ないでいたのだ。
　裕二のトンファと纐纈の棍棒が何度も弾き合い摩擦する焦げた臭いが鼻をつく・・・

　その時、西田が何かを思い出したように裕二に大声で叫んだ。

（お、思い出した・・・）

「裕二っ！　そいつは・・」

　西田の声を合図にしたかのように、纐纈が、クロスした棍棒を上下から裕二に向かって強烈に見舞った。

（９４）

　纐纈が、上下から見舞った棍棒が裕二を襲った。

「グッ・・・・」
「裕二ぃーっ！」

　下からの棍棒を何とか足の裏で受け止めたものの、上から振り下ろされた棍棒が受け止めた裕二のトンファをへし折り肩に食い込ませていた。

「チッ・・避けやがったな・・・」

　裕二の顔つきが一気に変貌した。
　折れたトンファを捨てると上着を脱ぎファイティングポーズをとる。

　小さく長い息を吐くと裕二の全身の筋肉が、徐々に隆起していった。
　そして、強烈なオーラが、纐纈の全身を包んでいく。

（こ、こいつ、絶対に素人じゃねぇ・・・そして、この構え・・まさか・・・・）

　纐纈の体が一瞬硬直した。
　恐怖と戦慄が纐纈の内部に侵入していく・・・・
　纐纈の額からは、急激に汗が噴出し、背中と脇の下に冷たい冷気を感じた。

　しかし纐纈は、恐怖を打ち消すかのように棍棒を裕二の頭上と腹部にめがけて打ち込んだ。

　裕二は、冷静に攻撃を判断する。
　近間に入りサイドの棍棒を無効にすると得意のエンピを右腹部にヒットさせた。
　さらに見えぬほどのスピードで、もう片方の肘を纐纈の左腹部に打ち込む。

「ゥゥ・・ゥグッ・・・・そ・・その技・・・・や・・・やはり・・・」

　纐纈は、強烈な痛みで膝まづいてしまった。
　裕二は、戦意をなくした纐纈に対し闘気を鎮めていく。

「裕二、大丈夫か？」
「ええ、肩に入った棍棒で肋軟骨が折れたみたいですが、大した事ありません。」
「そうか。」
「それより、課長、さっき、何を言おうと？」
「おお、そうだった。そいつは、纐纈秀樹だ。」
「纐纈・・・秀樹・・・・・・ですか？」
「総合格闘技の１０年前の王者さ。」
「・・・ほぉー、どおりで・・」

　地面に膝をつく纐纈が、苦しそうに声を上げる。

「・・・教えろっ！　お前ら・・本当に何者だ。」
「教えて欲しくば、纐纈さん、まず、あんたから言え。」

　その時、大通りのほうからパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「くそ、通報されたか。・・・裕二、纐纈を車に乗せるぞ。」
「はい。」

　裕二は、纐纈を車の後部座席に乗せると急いで、その場を立ち去った。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

　裕二と西田は、センターがもつシークレットハウスに移動していた。

「纐纈さん、話してもらおうか。何故、アンタほどの男が、あんな店で・・・」
「何を聞かれても俺は喋らん。・・・・焼くなり煮るなり好きにしろ。」

　西田は、纐纈が簡単には、口を割らないだろうと判断した。

「そうか・・・なら、こちらから調べるとするか。」

　西田は、携帯で鏑木に連絡を入れた。

「鏑木、俺だ。」
『西田か。上手くいったか？』
「いや、ちょっと手を焼いてるんだ。それより調べて欲しい事がある。」
『ああ、いいぜ。』
「纐纈秀樹という男の詳細を早急に調査してくれ。」
『どの程度？』
「全てを。」
『判った。１時間くれ。』
「ああ、いつまでも待ってる。」

　西田は、電話を切ると纐纈に話し掛けた。

「纐纈さん、訳ありだろ。」

　纐纈は、西田の問いに答えない。
　反対に裕二に質問を投げかけた。

「おい、香坂とやら、どこで、その格闘技を習った。」
「アンタが、答えたら俺も言おう。」

　裕二は、纐纈が使ったの棍棒を手にすると、それを観察した。

（ゆずの木か・・・・・・まさか・・・）

　纐纈は、棍棒を見る裕二を見て、何かを思い出したのか、ふてぶてしく笑いながら喋り始めた。

「・・・・・・お前、東城の教え子だろう。」
「ん！・・・・先生を知っているのか？」
「まあな。東城の格闘技術は世界一だ。しかし、お前が、あいつの弟子とはな。」
「俺の師匠をあいつ呼ばわりするんじゃねぇよ。」
「フンッ、俺を破門をしやがった大馬鹿野郎だ。まだ、生きてるのか？」
「な、何だと・・・お前が、先生の・・・・・・・・なるほど、どおりで・・」
「ふっ、驚いたか・・・・」
「纐纈さんよ、残念ながら・・・・・先生は、５年前に亡くなった。」
「な・・・な・・にぃ・・・・・」　　

　裕二は、纐纈の一瞬、曇った顔を見逃さなかった。
　しかし、纐纈は直ぐに表情を戻し大声をあげる。

「フハハハハッ・・・そうか、おっ死んだか・・」
「貴様、もう一度、肘を食らわすぞ。」
「・・・うるせぇ！俺を破門した罰だ。」
「破門は当然だ。技術を教えるだけじゃなく道を教えるんだからな。」
「！・・・・・・」

　裕二の、その言葉に、纐纈は、顔色を変え、一切、口を開かなくなった。

　１時間を過ぎたであろうか、鏑木から電話が入った。

『西田か。調べたぞ。』
「そうか。わかった、送ってくれ。」

　西田は、データをモバイルＰＣに送ってもらうよう鏑木に頼んだようだ。
　少々、時間をおいて西田がデータにアクセスをする。

「ほぉー・・・なるほど・・・裕二っ、見てみろ。」

　裕二が、モニターに目を向け纐纈という男を再確認した。

「そうか・・・・やはり・・・・この男・・・・思い出したぜ。」
「え、知ってるのか、裕二・・」
「ええ、・・・あ、いえ、直接には知りませんが・・・」

　裕二の、驚きように、纐纈が、二人を見て眉を顰めている。
　更に、モニターを食い入るように見る裕二と西田・・・・

「そうか・・・・・大体、読めたぜ。」

　裕二と西田は、小声で互いの推理を確認しあった。
　頷きあう二人・・・
　間を置いて裕二が纐纈に近寄り話しを始めた。

「纐纈秀樹、３５歳、沖縄生まれで幼い頃から父親に武道を学んだようだな。お前の父、纐纈全一郎と、東城先生は、共に武術修行した親友同士だった。」
「・・・・だ、黙れっ！」
「アンタは、病床中の父、全一郎から東城先生に身を預けられ修行を開始したんだ。」
「黙れってんだっ！」
「アンタは、必死で修行をしていた。先生直々に、且つ模範弟子とも言える人間で東城先生自身からも、厚く信頼をされていた。が・・・」
「・・・・・」
「ある日、東城先生の一人娘、凛子さんが、他の道場生に集団で襲われ怪我を負った。だが、幸い、通りかかった者に警察に通報され、大したこともなく、難を逃れたが、お前は許す事が出来なかった。修行中であるため、道場外では、格闘や試合を一切禁止されていたにも関わらず、アンタは、それを無視し、道場に強引に押しかけ師範を含めた全員を半殺しに合わせたんだ。新聞にも大きく報道されたようだな。総合格闘技のチャンピオン、暴走する、と。アンタは、一切言い訳をしなかった。」
「・・・・・・・・・」
「気持ちは、良くわかる。お前は、凛子さんを愛していたからだ。もちろん、凛子さんもアンタを愛していた。しかし、当然ながら決まりを破ったアンタは、破門になってしまった。先生も胸を痛めての決断だったに違いないだろう。しかし例外を作れない。」
「・・・・・も、もう、やめろ・・・」
「凛子さんと、お前は、考えに考え抜いた末、駆け落ちをした。本当は、アンタも、心から東城先生を尊敬しており、決断には時間が掛かっただろうな。しかし、反面、先生自身も愛弟子のアンタに対し、いずれは、許しを与えて、自分の道場を任せるつもりだったに違いない。その気持ちを本当は、纐纈さんっ、アンタも察していたんだろう。そう言う弟子だったに違いない。」
「・・・ぅ・・・ぅぅ・・・」
「凛子さんも必死だった。自分のためにやったと、先生に祈願したが許してもらえなかった。そして、凛子さんは、意を決し、アンタと駆け落ちをするが、運悪くその事実を知ったある組織に凛子さんは殺害されてしまった。駆け落ちした、僅か１年後にな・・・・・。」
「・・うるさいっ、それ以上、喋るなっ！」

　しかし、裕二は、遠慮なく話を続けた。

「殺された原因は、組織員として勧誘された凛子さんが断ったからだ。当然だろう。正義と誠、そして真を貫く大武道家の娘なんだから。全容を話してしまった以上、生かしておくわけにはいかんからな。」
「・・・・ぅぅ・・」
「アンタは、何年も掛かって凛子さんを殺害した組織を追っていた。そして遂に見つけ出した。相手は、香港にある、新鋭地下組織で龍栄、別名、ドラゴン・ウォーをな。龍栄は、凛子さんを日本の担当にさせようとした訳だ。武術に長け頭脳も明晰だった彼女を。」
「・・・・」
「凛子さんの敵をとるまでは、先生に連絡も入れていなかった。だが、しかし、先生は・・・・先生は、５年前に・・・亡くなってしまった。」

　纐纈は、裕二から聞いた話に、相当なショックを受けていた。
　凛子ではなく、師匠、東城の死を・・・・

（・・・・・・・・先生・・・・・・・な、なんと・・・なんとお詫びを・・・・）

　纐纈は、身動きせず、ずっと下を向いたまま、胸の内で号泣した。

　裕二が、頃合を見て纐纈の名を呼ぶ。

「纐纈さん・・・・・」

　ゆっくりと顔をあげる纐纈・・・・

「・・・・・こ・・・・香坂・・・と言ったな。」
「ええ。」
「お前は、いつから先生に習い始めたんだ。凛子の事を聞かされたことはあるのか。」
「高校を出て直ぐです。ちょうど纐纈さん、あんたと入れ替わりの時期でしょう。当時、先生から名は教えてはくれなかったんですが、強い弟子が一人いたと聞いたことが何度かありますよ。その話をするたびに寂しい目をされていた。」
「・・・・・・」
「そもそも、俺が入門した時は、弟子は、俺一人だったんですよ。」
「お前、一人・・・・なぜ？」
「娘の凛子さんがいなくなって直ぐに、先生は、道場を閉めたと言っていました。」
「・・・え・・・・・？」
「俺は、幼少の頃から習っていた八拳道の黄大厳先生に東城先生を紹介されたんです。」
「な、なに・・・・・・あ、あの黄先生に・・・」
「ええ。道場は閉めたんですが、黄先生の紹介という事で特別に東城先生に受け入れて頂きました。俺は、住み込みで道場から大学に通ってたんです。」
「・・・・・・」
「そして、俺と東城先生のマンツーマンでの修行が始まりました。先生は一切、私に身内話などせず、毎日が厳しい技法と心法の繰り返しでした。」

　纐纈が、目を細めて裕二の話に食い入った。
　自分と裕二を重ね合わしたのであろう。

「そして、４年後、ようやく私が、習得出来ようかという時に先生は、身体を壊され長い闘病生活を余儀なくされたんです。日に日に身体中から生気が弱くなっていくのが解りました。」

（・・・クッ・・・・ゥゥ・・ゥ・・・）

　纐纈が、心痛な表情で顔を歪めた。

「そして、先生が亡くなる前に、初めて娘さんがいることを知ったんです。色々と、お話を伺いました。東城先生が亡くなる直前まで毎日のように。まるで、遺言でも言い残すかのように、私に優しく語ってくれましたよ。」
「・・・・」
「今、思うと、・・・恐らく・・その話は・・・・・纐纈さん、アンタに話したかったんじゃないかな。」
「・・・・・・ぅっ・・ぅっ・・・・」
「そして・・・最後・・・息を引き取るときに・・・本当に小さな声で・・・」

　纐纈が、裕二を見入って問い掛けた。

「・・・・・・な、何と・・・最後は・・・・・何と言って・・・・・」

　裕二は、大きく１回、深呼吸をしてゆっくりと話した。

「先生は、生涯で鍛え上げた本物の弟子が二人いた、と言いました。一人は、・・・・・・恐れ多くも私の名を言っていただきました。」
「・・・・・・」
「そして、もう一人は、・・・・・１０年間鍛え上げ・・・・・道場を・・・・・・自分の道場を継ぐはずだった・・・・・・・・・・娘婿だと。」
「・・・む・・・む、・・・娘婿？・・・・」
「纐纈さん・・・・アンタの事さ。」

　纐纈の精悍な、眼つきが崩れ始めた。
　肩が小刻みに震え瞼が痙攣している。

　そして、耳が劈くような大声で纐纈が叫んだ。

「・・・・・・・・・せ・・・・・・・・・・・・・・・せ・・・・・・・・・・・・・せ・・・・・先生ぇぇぇぇぇぇぇぇぇーっ！」

　まるで天にいる東城の前で頭を下げるように、何度も床に額を打ち付けている。

　纐纈は、裕二と西田、二人を前にしながらも、全く憚らずに大声で号泣していた・・・