（９）

「ただいまーっ。センターの方たちを連れてきたわ。」

　亜美の声に、奥から礼子が出てきた。

「いらっしゃいませ。亜美の母です。いつもお世話になっております。」
「突然、お邪魔して申し訳ありません。鏑木と申します。急遽、私も来てしまいまして。」
「いいんですよ。主人も沢山来て頂いた方が喜びますもの。」
「恐れ入ります。」

　洋子も鏑木の横で一緒に頭を下げた。

「貴女は、加納シンディ洋子さんね。」
「し、知ってるんですか？・・・私を・・・」
「勿論ですわ。亜美が一番お世話になってますし・・・それに・・」
「え・・？」
「あ、それより、どうぞ、お上がりになって下さい。」
「それでは、お邪魔します。」

　鏑木達は、礼子に居間に通された。
　既に礼子が作っておいた料理がテーブルに並べられている。

「すごい、ご馳走ね。」

　康平がいない事に気付いた亜美が、礼子に尋ねる。

「お父さんは？」
「もう帰ってくると思うわ。甲斐さんと釣りに行ってるの。」
「そうなの。」
「亜美、ビール持ってくるから先にやってましょうか。」
「そうね。」

　礼子が、キッチンに入っていった。
　すかさず洋子が亜美に言葉を投げる。

「ねぇねぇ、亜美のお母さん、凄ぉっい美人ねーっ。」
「ああ、ベッピンだな・・・・」

　鏑木の真意こもった言葉に眉を顰める洋子・・・
　直ぐに気付いた鏑木が、しまったという顔で目をそらした。

「帰ったぞぉー！」
「あ、帰ってきたわ。」

　３人が一斉に緊張をした。
　居間のドアを開けて中に入ってくる康平・・・・

「やぁ、皆さん、いらっしゃい。」

　３人は、立ち上がって康平に挨拶をした。

「は、始めまして・・わ、私たち・・・」
「はは、楽にしててください。ちょっと着替えてきますので待っててください。」
「は、はい。」

　康平とのやり取りの中、ちょうど礼子がビールを持って現れた。

「おう、礼子、飲んでてもらえ。」
「ええ。」
「いえ、そんな。待ってます。」

　気を使う鏑木たち・・・・

「・・・・・・・それじゃ急いで着替えてきますから。」

　康平は、そう言って寝室に向かった。
　礼子が、３人の緊張した顔を見て笑いながら声をあげる・・

「皆さん、どうぞ寛んでください。主人も、もう昔の人間なんですから。」
「は、はい・・」

　しばらくして、康平が軽装で現れた。

「お待たせしました・・・・では、さっそく乾杯しましょうか。」

　康平の声に、３人が一斉にビールを持って康平に注ぎかける。

「あ、こりゃ、皆さんに・・・すいませんね。」

　康平は、皆からビールを受けると３人にも一人一人に注ぎ返した。

「それでは、乾杯っ！」

　全員でグラスを合わせてビールを口に運んだ。
　鏑木が、すかさず挨拶をし始める。

「ご挨拶が遅れました。私、センターで調査を担当しています課長補佐の鏑木洋と申します。
　今日は、香坂に話を聞き、亜美君に無理を言って突然お邪魔をさせていただきました。」
「ほぉー、調査を・・・・。そういえば、黒田君や遠藤君も担当していましたよ。調査担当は、センターでは武器を作るような部署ですらね、大変でしょう。」
「ええ、しかし、非常にやりがいのある部署でもあります。」

　康平が、鏑木の言葉に素直に頷いた。

「君は、亜美を世話してくれている加納さんですね。」
「あっ、は、始めまして。・・・わ、わたし加納シンディ洋子と言います。業務係長をやらせていただいてます。亜美・・・・あ、いえ亜美さんと、いつもペアを組んでます。私も一度お会いしたいと思っていました。」

（・・・ふむ・・・・立派になったな・・・ケアリーにそっくりだ・・・・）

　その時、亜美が横から口を出した。

「お父さん、加納係長には、いつも色々なことを教わっているのよ。」
「そうですかぁ、加納さん、どうか遠慮なく亜美をしごいてやって下さい。」
「は、はい。」

　礼子が、３人の緊張を見て取ったのか康平の脇を軽くつつきだす。
　康平も、それに気付き頷いた。

「皆さん、どうかリラックスしてください。私は、今では、ただのおじさんですから。」

　そういって３人に酒を注ぐ康平・・・

「ところで、香坂君、私に色々と聞きたいとのことだが？」

　香坂は、さすがに礼子や亜美、そして洋子の前では聞きづらかった。

「は、はぁ・・・その・・・要するに・・・」

　亜美が香坂に助け舟を出す・・・

「お父さん、裕二さんは、お父さんの凄さの秘密は女性関係にあるって思ってるの。」
「えぇ？」

　康平が笑いながら亜美を見た。

「それで、その真意と凄さの繋がりをどうしても教えてほしいって言ってるのよ。」

　鏑木が焦りながら香坂に振り向く・・・・

「こ、香坂・・・お、お前・・・・」
「いや、鏑木君、いいんですよ。」

　康平が笑いながら答えた。

「しかし、香坂君、何故そう思ったのかな？」
「はい、先週、泥棒に間違えられた時、荒尾さんの凄みというか、迫力には圧倒されました。１３年間という長い間、センターの業務から離れていたにも関わらず、まだ衰えを見せてない事を不思議に思ったんです。それで月曜日に荒尾さんの全てを知るために、いや、凄さを知るといった方がいいかもしれませんが、過去の経歴や業務を分析していたんですが、どうにも解らなくて悩んでいる所に遠藤所長が、たまたま、私のデスクに顔を出してくれて、詳細をお話したら、その内容のヒントをくれたんですよ。」
「ほぉー・・・・で、遠藤は何と？」
「一言、女性だって言いました。」
「・・・・・・ふむ、・・・それだけしか言わなかったかい？」
「ええ、具体的には、俺も説明ができないって。」
「なるほど・・・・・・だろうね。」
「私も色々と考えたんです。例えば格闘力にしても、頭脳や身体全体の迫力にしても、それなりに訓練したり経験を踏めば、最低でもある程度の所まで行くと思うんです。
　しかし、荒尾さんの場合は、それだけでなく、もっと奥深い所まで鍛えていた様な気がしたんです。そして、それを力の根源にしていたように思えてならないんです。」
「なるほど・・・・で、それが女性って事ですか・・・」
「え、えぇ・・・・」

（・・・ふっ・・・遠藤の奴、難しいヒントを言いやがったな・・・）

　康平は、笑いながら煙草を咥えると反対に質問をしていった。

「君らは、遠藤が何故、センター長になれたか知ってるかい？」
「い、いえ・・。」「・・・それは・・・」
「私が、いなくなった後、センター長は、東堂と黒田、両本部長が共同で勤めていたね。それは、何故だか香坂君に判るかな？」
「さ、さぁ・・・ちょっと・・」
「鏑木君は、どうだい？」
「すいません、よく・・・」
「ふむ。」
「しかし、今は単独で遠藤一人が務めている。遠藤が優秀で東堂、黒田が劣っていたと思うかな？」
「・・・・」
「頭脳的には、東堂や黒田の方が私や遠藤よりも恐らく上だろう。」
「・・？」
「私が、まだセンターにいた頃、調査係長だった遠藤が香坂君と同じような質問を私にしたよ。」
「ええー？」
「私も、こうしろって言うことは、なかなか説明しづらいんだがね。ただ、その本質を見極める事が出来たのは妻のおかげなのさ。」

　そう言って康平は、礼子を見た。
　礼子が、微笑みながら鏑木たちに酒を注ぐ。

「荒尾さんの・・・・奥さん・・・ですか？」

　康平は、丁寧に言葉を選びながら説明をした。

「ええ、・・・・例えば生きること、働くこと、恋愛すること、遊ぶこと、人間は、すべて一人では出来ない。センターの仕事もそうだろう。
　私はね、どんな事でも調和することを心がけるようにしたんです。」
「・・・調和ですか？」

　康平が、数回、ゆっくりと首を縦に振った。

「その活力現になったのが、妻と二人で追い求めた愛欲の果てに到達したいという願望からなんですよ。」
「・・・愛欲の・・・果て・・・・とは？」
「皆さんは、愛っていうことを語れますか？　説明できますか？　出来たとしても受け売り言葉になってしまうでしょう。愛は、言葉では説明できないんです。」
「・・・・・」
「愛してると言われて心底から信用しますか？」
「・・・・・」
「心と心で通じ合わないとね。だから私も妻も他の異性と関係を持ったんです。」
「！・・・・・・・・・・・・・・ぁ・・・ぁ・・」

　鏑木と香坂、そして洋子が康平の説明を理解したのだろうか、言葉を失った・・・
　康平が３人の様子を見て、さらに話を続ける。

「普通、出来ないでしょう、そんな馬鹿な事を。それを私と妻はやったんですよ。そして見えるはずのないものが見え始めました。それを知ったときに私も妻も人の心理や行動が読み取れるようになったんです。もちろん伝えることもね。」
「・・・・・」
「もう、解るでしょう。妻、礼子がいたからこそ私も、そこまで到達する事ができた。そして愛を求めたからこそ、全ての事と調和が出来たからこそ、部下や友人達が私をそういう目で見てくれるまでになったんですよ。全ては、ここからと思ってます。」

　香坂ら３人は勿論、亜美も康平の話に、心の奥に一槍刺された気分だった。

「ま、まずは形から入れって、よく言いますけど近道をしないことですね。あえて遠回りをすればいいと思いますよ。吸収する数が違いますから。」
「・・・・・」
「ハハッ、しかし正直なところ、私もよく失敗はしました。ただＳＥＸと遊びでは、あまり失敗したことがありません。」

　康平の言葉に礼子が背中を叩いた。
　その光景に、緊張した３人の心も解れていく・・・・

「そうそう、それで、さっきの話なんですが、遠藤は、私と同じ事をしてたんです。」
「えぇぇぇーっ！」
「ハハハ、知りませんでしたか？・・・・堅物に見えるからな彼は・・・」
「はい、ま、真面目で規律ある人とは思っていましたが・・・」

　香坂の言葉に康平も頷きながら話した。

「皆さんも知ってる通り、私は、１３年間、全ての記憶を失っていましたが、あの岸壁から帰る途中、車の中で、妻と亜美から遠藤がセンター長をやっていると言う話を聞きましてね、妙に頷きながら納得していましたよ。
　やはり、そういうことなのかな、と思ったんです。遠藤をセンター長に指名したのが、東堂と黒田ですから。彼らもよく理解していたんですよ。」
「と言うことは、東堂、黒田、両本部長は・・・・」
「ああ、私のこともあったと思うけど、敢えて二人で務めたんですよ。」
「そうだったんですか・・・・それにしても遠藤所長が・・・」
「実は、先月、遠藤と一緒に飲んだんですが、いたずら心で、聞いたら・・・・・」

　康平が喋る話に全員が驚いた・・・

「えぇーっ！　そ、そうなんですか？　製鉄の庶務課長や、あの人事部の憎たらしい女狐課長も遠藤所長と・・・」
「おい、おい、ここで私が話した事は秘密ですよ。」
「も、もちろんですが・・・そ、その・・・み、美津子課長・・・も・・」
「ああ、知ってるし、美津子君もです・・・でも、私ら同様二人は愛し合ってますよ。」

　もはや、全員は、いくら飲んでも酔わないくらいに興奮していた。
　更に、延々と続く皆の質問に、丁寧に答えていく康平・・・・

　洋子も興奮を抑えきれずに質問を繰り返した。

「それで、嫉妬はなかったんですか？」
「洋子君、君なら嫉妬するかい？」
「・・ええ、多分・・・・・かな・・・・でも・・・」

　洋子が鏑木を横目で見ながら有耶無耶に答える。

「異性に対する嫉妬もね、今、言った遠回りの部類に入るんだ。自分の好きな人に対して嫉妬するという事は当然なんだよ。」
「それを超越する・・・・ということですか？」
「ま、それは自分自身で考えたまえ。」
「・・・あ、・・・・は、はい。・・・」
「はは、ところで、加納さん、お母さんのケアリーさんは元気かい？」
「はい・・・・・？・・・・え、えっ・・・は、母を知ってるんですか？」
「ええ、妻も君のお母さんを知ってるよ。勿論、お父さんの統治さんもね。」
「・・そ、それで、さっき私が挨拶したときに、奥様が何か言おうと・・・」

　鏑木が恐る恐る康平に尋ねた。

「荒尾さん・・・失礼ですが・・・・もしかして・・・・その・・」
「ああ、洋子君のお母さんとも関係をもったよ。」
「えぇぇーっ！　本当ですかぁーっ！」

　洋子はかなり驚いたようだ。目を大きく開けて信じられないと言う顔で康平を見つめる。
　康平も洋子が叫んだ大声で喋ってしまったことを後悔したのか一瞬声が途切れた。

「い、・・・・・言っちゃまずかったかな？」

　しかし、康平の後悔に反するように洋子が、はしゃぎながら声を張り上げる・・・

「きゃぁー、それじゃ亜美と私は姉妹も同然ねぇーっ。」
「おいっ、洋子、失礼だぞ。」

　鏑木の言葉に恥ずかしそうに下に俯く洋子・・・
　礼子が、宥めるように話し始めた。

「フフッ、でも洋子さん、主人も私も亜美を生んでから避妊しているから貴女のお父様は、間違いなく統治さんですよ。でも、ケアリーさんも統治さんも、主人と性格がよく似ていますから、迷惑でなければ亜美と姉妹のような、お付き合いをしてくれると、私も主人も嬉しいですけど。」
「はいっ、そ、それは勿論です。」
「で、お父さん。どういう関係で加納係長のお母さんと？」

　亜美の質問に、洋子もそれを一番知りたがっている様子だった。
　康平は、洋子を見ながら呟いた。

「ははっ、洋子君、それは、お母さんに直接聞きたまえ。」
「は、はぁ・・・」
「・・・さぁ、みんな飲みが足りないよ。どんどんいこうっ！」

　康平の気さくで、かつ飽きさせない話に全員が引き込まれていった。
　やっと、緊張と興奮も途切れ心地よい酔いが現れ始める。

　香坂、鏑木、そして洋子は、なぜ、康平が皆から慕われ、また、その凄さを語り継がれているのかを解ったような気がした。

　そして亜美も、母、礼子に聞かされてきた以上に、父、康平という人間をあらためて尊敬し始めていたのだった。