（１４２）

　裕二の連絡で、鏑木が怒鳴り声を上げた。

『あの、クソアマァァァァァァー！　裕二ぃっ！　絶対に、あの女を潰すぞっ！』

　鏑木が、始めて裕二の名前を呼んだ瞬間だった。
　それだけ、怒りが爆発したのだろう。

　電話越しに鏑木の怒りが伝わってくる。

「・・・・鏑木さん・・・・・・・美貢さんですが・・・・・」

　その言葉に、鏑木も言葉が止まった。

『・・・・ゆ、裕二・・・・・・まだ、わからんのだ・・・気を張ってくれっ。』
「・・・・・ええ。」

　裕二は、電話を切った。

　鏑木は、メアリーの顔を思い浮かべながら受話器を電話に叩きつけた。

「どうした、鏑木？」

　西田が、いつも冷静な鏑木を気に掛けて声をかけてきた。

「・・・・・・」
「お前らしくないぞ、どうしたんだ？」

　鏑木は、西田に裕二からの話を聞かせた。

「なんだとっ！・・・・あの女狐が・・・」
「西田・・・俺も取り乱した。冷静になろう。あの女のペースにはまったら負ける。」
「・・・・・・・そうだな。」

　鏑木は、握っていたボールペンを指で圧し折った。

　西田が、鏑木の肩を叩き声を掛ける。

「鏑木、落ち着け・・・夜食でも買って来てやる・・・・・」
「・・・・すまん・・・・・西田・・」

　西田は、もう一度、鏑木の肩を叩いてオフィスを出て行った。

　鏑木は、目を瞑って作戦を練り始めた。
　自分自身の持つ全ての知識とデータを駆使して完璧に打ちのめすために・・・
　鏑木は、コンピューターを弾き始めた。
　ラインアウトしウォールを掛ける事を忘れない。

　３０分程経過しただろうか、ガラスに雨が当たる音が耳に入ってきた。

（雨か・・・・・）

　鏑木は、西田の帰りが遅い事に気がついた。

（何やってんだ・・・西田の奴・・）

　そして、西田のデスクから車のキーが床に落ちた。
　同時に鏑木のデスクの電話が鳴り響く。

（西田だな・・）

　鏑木は、受話器をとった。

「西田、早く戻れよ・・・腹減ったぞ・・・」
『私を食べてくださる・・・・ミスター・ヒロシ・カブラギ・・・』
「！・・・・・・メ、メアリー・・・・メアリー・ブライアンかっ！・・」
『お久しぶりね。色男さん。』
「何のようだ。俺は、お前を落とす作戦で忙しいんだ。」
『あら、一人で？』
「センターを舐めるなよ・・・お前が思ってるほど半端じゃないぜ。」
『でしょうねぇ・・』
「お前とタイマンはれる奴は、幾らでもいるぜ。」
『へぇー、そう・・・・・その割には、ハンバーガー持った男が外で倒れてるわよ。』
「・・・・・？」

　メアリーは、そう言って電話を切った。

（ハンバーガー・・・？・・・・・・・・・）

「な！・・・に、西田・・・」

　鏑木は、受話器を放り投げると、急いで１階フロントに走り出した。

　下に到着すると、港から戻った裕二が、地下駐車場の入口からちょうど上がってきたところだった。
　険しい顔で、ロビーを抜けようとしている鏑木を見て裕二が声を掛ける・・・

「あ、鏑木さん・・どうしたんですか？・・そんなに慌てて・・」
「こ、香坂っ・・・・に、西田が・・・西田が・・・・・」
「西田次長がどうかしました？」

　裕二は、鏑木の尋常ではない態度と表情で状況を判断した・・・・・・

「・・・・・・・・・・・・・ぇ！　ま、まさか・・」

　裕二は、鏑木と共に急いで外に出た。
　周りを見渡す裕二と鏑木・・・・
　その時、裕二の身体が一瞬、硬直した・・・

「・・・・か・・・・鏑木さん・・・」

　裕二に振り向く鏑木・・・
　裕二の視線を恐る恐る目で追った・・・・・・・
　専用通路の壁に、紙袋を抱えて男がもたれている。
　それを見た裕二と鏑木は、なかなか足が動かないでいた。
　僅かに二人の時間が、停止し、急激に心臓の鼓動が強くなっていく・・・
　鏑木の頬に、冷たい雨が当たった。

「に・・・・・・西田ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ！」

　鏑木が、全力疾走した。
　裕二も後を追う・・・

　その場で西田を抱きかかえる鏑木・・・

「に、西田っ、西田ぁぁーっ！」

　西田は、ゆっくりと目を開く。
　西田の足元には、大量の血が雨に流されていた・・・

「西田・・わかるかっ・・俺だ・・鏑木だっ！」
「・・・・・・・・ぁ・・ぁぁ・・」

　裕二も、西田の身体を支えてゆっくりと地面に寝かせた。
　急いで救急車を呼び、遠藤にも連絡を入れた。

「・・・か・・鏑木・・・・す・・ま・・・・・ん・・・」
「・・・西田、喋るな！　俺の手を握れ・・・・・メアリーだな・・」

　そう言うと、西田が鏑木の手を強く握った。

「・・・・・か・・鏑木・・・・・・・・・裕・・二・・・・」
「西田次長、喋っちゃ駄目だ。」
「・・・ふっ・・・も、もう・・・・・手遅・・れだ・・・・・ぜ・・」
「喋るなって言ってるだろうっ！　止めろぉっ！」

　それでも、西田は、目を瞑って喋り始めた。

「鏑木・・・・お・・俺は・・・お前・・・と、仕事が・・・で、できて　し、幸せだ・・・っ・・・たぞ・・・・・・最高・・の・・・ラ、ライバル・・・で・・・親友・・で・」
「西田・・・・喋るな・・・頼むから・・」

　西田の脳裏には、過去の出来事が走馬灯のように回っていた

　西田が、苦しそうに、ゆっくりと目を開いた。
　目に裕二の顔が飛び込んでくる。西田は、笑みを作ろうと必死だった。

「ゆ・・裕二・・・・・お、俺が・・ここ・・までに・・・・なれたの・・は、お・お・・・・お・前の・・・・刺激が・・・あった・・か・・らだぜ・・」
「に、西田さん、お願いですから　喋らないで下さい。」

　裕二は、涙で西田の顔が確認できないほどだった。

「・・・・お、・・・俺は・・・・倒れん・・・・かった・・だろ・・・」

　西田の言葉に、裕二と鏑木は、無言で何度も何度も頷いた。

「鏑木　・・・・裕二っ・・・・・あ、後は・・・・・た・・・頼むぞ。」

　救急車のサイレンが、聞こえ始めた。

「に、西田・・・来た・・救急車が来たぞ・・・頑張ってくれ・・・・」
「・・・・・・か・・・鏑木・・・・・・にょ・・・女房・・と・・む、息子を・・」

　西田の瞳から血の涙が流れた・・・そして・・・・・

「おい、西田・・・・・西田・・・・・・おいっ、西田・・・・・・・・・西田っ・・・西田っ・・・西田ぁっ・・・・・・・西田・・おいっ・・・・・・・・・・・西田ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ！」

　裕二が、拳を握り、目をきつく閉じた。

「・・・西田・・・・さ・・・ん・・・」

　鏑木は、西田を抱きしめて、何度も何度も名前を呼び続けている・・・

「西田・・・・・・西・・・・・田・・・」

　鏑木の声が、だんだんと小さくなっていく・・
　まるで一緒にひきとるように・・・・

（・・・・西田・・・・・俺は・・・・俺は・・・・）

＜鏑木・・・・裕二・・・・・後は、頼むぞ！＞

　そう叫んだ西田の声が、鏑木と裕二の全身に確実に突き刺さった・・・・・・・

（１４３）

　遠藤に付き添われて、西田の妻、知恵が病室に入ってきた。
　信じられないといった様子で、西田を見つめる知恵・・・
　知恵は、ゆっくりと、ベッドに寝る西田に近づいた。
　震える知恵の背中を見て、遠藤、鏑木、そして、裕二は、全く声を出すことが出来なかった。
　鏑木が、涙を堪え、そっと知恵に近づき肩に手を掛けた。

「・・・ち、知恵さん・・・」

　なかなか出す事の出来ない声を振り絞って知恵が呟く・・・・

「・・・・・・洋さん・・・・・すいません・・・・今は・・・・・一人に・・」
「・・・・・・」

　遠藤が、鏑木と裕二に外に出るよう促す。
　３人は、廊下に出ると静かにドアを閉めた・・
　その瞬間・・・・・・

「ゥッ・・・ゥッ・・・・い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ・・・」

　大声で泣き叫び、西田の亡骸に飛びつく知恵・・・
　廊下では、他のセンター幹部が、声を絞って大粒の涙を流した。

　鏑木は、知恵の泣き声と同時に廊下の壁を拳で叩き始めた。

　裕二が、必死で止めるが、鏑木は冷静さを失っている。
　クールで、決して、弱音や、その態度を見せない鏑木が、荒れ狂っていた。

「鏑木さんっ、止めてくださいっ！」
「離せっ！」

　そう言って裕二は、突き飛ばされた。
　今度は、額を壁に打ち付ける鏑木・・・・
　そんな鏑木に、遠藤が思いっきり拳を放った。

「馬鹿野郎っ！」

　遠藤の目からは、涙が大量に流れていた。

「・・・か、鏑木、お前も悔しいだろうが、俺も悔しいんだ・・・・・・・・・だが・・・・・・だがな・・・・・・もっと悔しいのは、西田だ。そして奥さんと息子だろう。・・・・鏑木・・・・俺達の役目は何だ。」

　鏑木は、嗚咽を漏らし始めた・・・

「鏑木、気持ちは、よく解る。特に、お前は、西田とは大親友だったからな・・同期で、そして同じくセンターに志願し、互いに頑張ってきた仲かもしれん。」
「・・・・・・」
「だがな・・・だが、弱気を見せたら負けだ。あいつは、お前と裕二に、託したはずだ。」
「・・・・うぅ・・」

　遠藤は、鏑木の襟を掴んで起こしあげた。

「いいか、弔い合戦だ。・・・鏑木、お前の全力を西田に見せてやれ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・は・・・・・ぃ・・」

　遠藤は、裕二に振り向く。

「そして、裕二っ・・・お前が、引導を渡すんだ。・・お前もセンターに入ってから、ずっと、西田と仕事をしてきた。あいつは、お前を本当の弟のように可愛がっていた。お前が、やる事が、西田本人が直接やる事と同じだなんだ。・・・・・解ったな。」
「・・・はい・・・」

　遠藤の目からは、涙が引き、顔が、徐々に怒りを増してきた・・・・

（メアリーよ・・・・・俺の・・俺の大事な部下を・・・ただで済むと思うなよ。）

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

　西田の葬儀が終わり、鏑木は、控え室でお茶を飲んでいた。
　鏑木は、生前の西田との会話を思い出していた。

＜鏑木・・・ここは、やりがいのあるところだな。＞
＜ああ、俺達も頑張ろうぜ。＞
＜いつか、単独で課を任せられるようにならんとな・・＞
＜そうだな。＞

＜鏑木、紹介するぜ。　俺の婚約者で、山中知恵だ。＞
＜な、なにぃっ！・・・・お、おい・・ベッピンじゃねぇか。＞
＜まあな・・・＞
＜まさか・・・・襲ったのか？＞
＜馬鹿やろう、大恋愛の末だ。＞

　そう言って笑う西田の顔が脳裏を過ぎていく
　新たな涙が、鏑木の頬を伝った・・・・

　その頃、裕二も本社幹部役員を送り、式場に戻ってくる車の中で、鏑木と同じように西田を思い出していた。

＜お前が、新人の香坂か。＞
＜はい。＞
＜噂は、聞いてるぞ。今日から、お前とペアを組む業務係の西田だ。＞
＜よろしくお願いします。＞
＜何でも聞いてこいよ。＞

＜裕二、綺麗なネェーちゃんの居る店見つけたぞ、行くか！＞
＜ええ、是非・・しかし、西田さんも好きですねぇー・・＞
＜お前もな・・・ハハハハハッ・・・＞

　裕二は、奥歯を強く噛んで涙を止めた・・・・・

　裕二が、最後の片づけを済まし控え室に入った。
　窓の外を見ながら鏑木が煙草をふかしている。

「・・・・・・・・・・・鏑木さん。」

　ゆっくりと裕二に振り向く鏑木・・・

「おう、ご苦労さん・・・・・終わったな。」
「・・・・・いえ、新たな戦いの始まりです。」
「・・・そうだな。」
「・・・・で、まず、どうします？」

　鏑木は、裕二に向きを変えて考えを説明した。

「香坂、色々と考えたんだが、もう一度、基本に戻って思案したんだ。メアリーの行動は、単に自分の復讐だけじゃないような気がするぜ。」
「・・・というと？」
「元ＣＩＡだ・・・機密漏れや作戦失敗を指摘され、反対にターゲットにされているヤバイ状況だろ。」
「・・・・・」
「それがどうだ・・堂々と行動をしている。つまり、メアリーはＣＩＡ復帰を掛けて、太平洋グループを相手にしてるんじゃないのかな。特にセンターはその、情報、分析、管理に掛けては、技術だけに限って言えば、ＣＩＡと遜色がない。要するに、一人で大企業、太平洋グループに勝つことによって再度、ＣＩＡエージェントとして復活を目指しているような気がしてならん。」
「だから、ＣＩＡ日本支局も目を瞑っていると・・・」
「・・・・・まあ、あくまでも憶測だ。」
「そういえば、さっき真央さんが、焼香に来ていたんですけど・・美貢さんも、まだ連絡がないそうなんです。ちょっと不安ですね。」
「お前の張った追跡シールは、直ぐにバレたようだ。海にでも捨てたんだろう。」
「そうですか・・・」
「今の、あの女は野獣だ・・」
「仮にそうなら、何をするか判ったもんじゃないですよ。」
「・・・・香坂・・・・・俺は負けん、絶対にな。」

　そういう鏑木の目も、また野獣と化していた。