１０

「…好きです、私と結婚してください！」
　そういわれたのは、わたしが不良のカツアゲ騒ぎに巻き込まれて数日の後でした。
　わたしはどんな顔をしたでしょうか。
　第一、この人は、いったいわたしのことを何歳だととらえたのでしょうか？わたしはまだ十七歳です。世間一般的には高校生です。
　結婚を考えるような年齢ではありませんでした∝う。
「それはもちろん、その清楚な心根、優しい人柄、のんびりと暖かい笑顔、ぱっちりと開いた愛らしい瞳…」
「ま、待ってください…は、歯が浮くどころか翼が生えて飛んでいってしまいそうです…」
　わたしは両手を大きく振って止めました。教会で言っていいセリフとは思えません。
「それに、わたしはまだ十七歳です。結婚なんて、とても考える年齢ではありません」
「そんなことは関係ありません。自分もまだ十九歳です」
　わたしもがくん、とうなだれました。どういう十九歳でしょうか…。
「と、とにかく、わたしは結婚なんて考えられる身ではありません。わたしの体と心はすでに主の下にささげるものであって、他の誰のものでもありません。誰かを愛せよというのならば、誰も彼も愛するのが、今のわたしの立場なんです」

　わたしにとって、この告白はとてもショッキングなものでした。以前に酔った男性に突然求婚されたことはありましたが、今回は年齢も同じくらいですし、また大真面目に言い寄ってきたものでした。
　しかし、わたしはこの小野沢慎太郎という男性をよく知りませんでしたし、向こうだってたった一度しか見たことのないわたしに、『結婚』を迫るほどの親密感を覚えたとは思えません。
　そのときは引き下がってくれましたが、わたしの心中ではまた違った形で心の中に影を落としていました。

　『違う形』とは、まだわたしのなかに一人の男性の影があったからでした。
　そして、そのわたしの心の中の影は、こともあろうに、実の妹の…。

（…そんなことを考えていてはいけない…）
　わたしは、頭を大きく振るようにしてその思いを跳ね除けようとしていました。昔はいざ知らず、今のわたしは神に仕える、そういう身なのです。

　しかし、そのときの告白がわたしのなかに複雑な思いを巻き起こしたまま、一週間ほどが過ぎていきました。

　
「聖架、いるか？」
　早朝の静寂に包まれた教会の中、風花の声が、まだ眠気の残るわたしの耳に響きました。
「…ええ。おはようございます。風花が何度もこの教会を訪れるのは珍しいですね」
「早朝くらいしか時間がなくてすまない。今回はきちんと用がある。わたしの部下のことだが…」
　いきなり切り出され、どきりとしました。イヤでも先日の小野沢さんの件を思い出したからです。
「前に一度だけ会った事があるだろう？あの小野沢がだいぶお前に熱を上げていてな」
（あの小野沢〜といわれても、わたしは綺麗に忘れてたんですが…）
　口には出しませんでしたが、頭の中でそんな想いが浮かびます。どんな出会い方をしたのかもよく覚えていません。
「その顔では、すっかり忘れていたな？本人が聞いたら再起不能になるぞ」
　口には出していないのですが、やっぱり顔に出たようです。
「まったく、男の顔を覚えていないというのは、すっかり体の中身までシスターになった証拠か」
「それは皮肉ですか？ほめているんですか？」
　わたしが言うと、風花はまじめに考えてから
「どちらでもあるな」
　と答えました。
「変にまじめな聖架のことだ。どうせシスターになったことで、『誰かを好きになってはいけない』とか思っているんだろう。
　その考え方は間違ってはいないのかもしれないが、正しいことでもない。他人の懺悔を聞いて正道に導いたり幸福に近づけたりするのもシスターの仕事だろうが、だからといってそのために自分の幸せを封じ込めていいわけではない」
「どういう意味ですか？」
　風花の言葉の意味は、わたしにはよくわかりませんでした。
「言葉そのままの意味だ。聖架は、シスターを一生続けるつもりか？そのために、結婚も出産も、恋愛さえもしないつもりでいるのか？」
　風花のその言葉は、わたしの胸に深々と突き刺さったように思えました。
「…責めているわけじゃないんだ。ただ、小野沢が聖架に告白したと聞いてな。見ていて悲惨に思えるほど落胆していたぞ」
　戸惑うわたしに、風花は言います。神聖な教会の中で話すようなことではないのに、妹を止めることができないのはなぜでしょうか。
「聖架。お前は、今誰かに恋をしているんじゃないか？」
　単刀直入に言われました。
「…風花こそ、なぜわたしにそんな話をするんですか？ある意味、わたしたち姉妹の中で、あなたが一番恋愛に興味がなさそうなのに」
「そういわれるのは心外だな」
　珍しく、風花が頬を人差し指で掻くようなしぐさを見せました。
「ただ、わたしだって人間だ。食欲もあれば性欲も肉欲もある。むしろ人一倍あるほうだろう」
　どうしてこの妹は、言うことが直球なのでしょうか。普通の女性というのはもう少し恥じらいをもって言うセリフだとは思うのですが…。
「聖架はないのか？」
「な、ななな、ないです…」
　わたしは両手を大きく振って否定しました。
「そうか。まぁ、わたしもつい最近までは『ない』と思っていたんだが…」
「…ということは、あなたは誰かに…その、恋を？」
「そうだな。恋愛した、といっていいだろう」
　顔を赤くしたりもせずに、風花はすっぱりと答えてくれます。
「その人のことを思い浮かべただけで、体が熱くもなるし、息苦しくもなる。胸の熱さが抑えられなくなる。
　もう、その人のことしか考えられなくなって、一晩中ベッドの中で自慰行為に浸っていたことすらある」
「風花…」
　セリフこそ過激でしたが、風花の意外な一面に驚いたのは事実でした。どこか冷めていて、達観しているとこのある風花にこういう純情な一面があるとは、姉であるわたしでさえも知ったものではありませんでした。
「風花、どうしてわたしにそういうことを聞いたんですか？確かにわたしは小野沢さんの求婚を断りましたが…」
「聖架が断った理由というのが、『誰かに恋をしているからじゃないか』と踏んだからだ」
　そういいながら、風花が微笑しました。
「確かに聖架はシスターだが、小野沢は頭が切れるし、一般的に見れば外見も悪くないし、うちの会社に勤めるくらいだから能もあるし家柄もいいはずだ。
　普通に考えれば結婚までいかなくても、付き合いを断る理由はまったくないからな」
「あなたに求婚するならまだ分かりますが、なぜわたしだったのですか？」
「わたしを好きになる男は、相当の物好きだろう？」
　風花がいいました。自分の性格のことを言いたいのか立場のことを言いたいのかはよくわかりませんが、その言葉にはどこか悲しげな表情が含まれているように感じました。風花自身はそういった思いを込めたつもりはなかったとは思いますが。
「聖架、今日は誰もいないのか？」
　そんなことを考えていると、彼女は急に話を変えてきました。
「ええ。神父様は他の教会に出ていますので、今はわたし一人です。まだ朝早いですから、懺悔や礼拝に来る方もいないですし」
　半ばほっとしつつ、わたしは答えます。辺りはとても静かでした。
「そうか。それなら問題ないな」
「…え？何がですか？」
　わたしが首をかしげていると、彼女はわたしの手を取り、引っ張っていきます。
「ちょ、ちょっと」
　そのまま、教会奥の個室へ。その個室は、普段は泊り込みしているわたしの部屋のようなものになっていました。
　前にもここに来たことのある風花は、そのことを知っています。
「ここでいい。邪魔も入らないからな」
「邪魔も入らないって、何を…」
　わたしが質問しようとすると、風花は個室のドアに鍵をかけてしまいました。
「もちろん、聖架を尋問するのさ。性欲も肉欲もまったくないのか、誰にも恋をしていないのか確かめる」
「へっ！？」
　ベッドと鏡台、クロゼット、本棚があるだけの簡素な部屋の中に、わたしの間の抜けた声が響きました。
　次の瞬間、わたしは風花によって、ベッドに押し倒されていました。