１３

　それからのわたしたちは、また『彼女と彼氏』に戻った。純水くんもまた学校に来るようになったし、わたしもクラスメイトに気づかれない程度に彼と話をするようになっていった。
　『あのこと』はショッキングだったけれども、わたしが純水くんを好きだという気持ちには変わりはない。
　むしろ、あそこまで積極的（？）になれる風花姉さんのことをうらやましく思えないこともなかった。

　ちょっと前まではそんなことを考える由もなかったけれど、言うなれば、『あれこそが』、男女の恋愛の集大成ともいえるわけで…。
（わたしは…どうなのかなぁ）
　そんなことまでしなくても、わたしは純水くんが好きだ、といえばそうなるけれども。

　いつもどおりの学校、いつもどおりの授業。眠くなるような国語の授業も、純水くんと付き合いだしてから余計に長く感じるようになった。
　毎日が充実している…というよりは舞い上がっていて、『早く終わらないかな』とか嫌でも考えてしまう。

『弓華ちゃん』
　不意に呼びかける声に顔を上げると、目の前には純水くんが。それも、なぜか裸の。
「えっ？あっ？どうしたの？なんで？」
　わたしはもう、尋常じゃないほどに混乱した。
『風花さんと僕がしたこと…弓華ちゃんもしたい…かな？』
　少しだけ恥ずかしそうに聞いてくる純水くんがなんとなくかわいらしく思えた。
（あんなこと…わたしにできるのかな。わたしにも、あんなふうにしてくれるのかな）
　戸惑いながら自分の体を見ると、わたし自身も裸だった。わたしはわけもわからずに胸を押さえていた。
　自覚できるほど膨らみのない胸だけど…。
「…純水くんはどうなの？」
　わたしは聞き返していた。
『僕は…弓華ちゃんと…したい…』
　（ええ〜っ！）
　わたしの胸の中が熱くなるのを感じた。『あのときの光景』が頭に思い浮かんだ。わたしは目の前の純水くんに答えていた。
「わたしも…その、純水くんと…」

『雪村っ！』
「ふにゃっ！」
　いきなり、頭の中に『別の声』が響いた。ちょっとだけ…というかかなりやましいことを考えていたわたしは、しかりつけるように浴びせられた声にあわてふためいた。
「ご、ごめんなさいっ、もうしません、もうそんなこと考えませんっ！！」
「・・・何がよ？もう国語の授業終わっちゃったよ？」
「へっ？」
　聞きなれた声に辺りを見回すと、そこはいつもの教室。
「え？何？何？わたし、寝てたの？今の、夢？」
「弓華が授業中に熟睡なんて珍しいこともあるよね。眠そうにしてることは多いけどさ」
　気がついてみると目の前にいるのは、国語の先生でも純水くんでもなくクラスメイトの河野綺紗（きさ）だった。
「それよりも、『もうそんなこと考えません』って何のこと？エッチな夢でも見てたの？」
「そそそ、そんなことないよっ！！」
　わたしは両手を思い切り振って否定した。実際見た夢はあれなんだけど…。
「ふ〜ん、そうなんだ、図星なんだ…」
　否定の仕方が悪かったのか、思いっきりニヤニヤされた。
「弓華って、そういう方面のことはまるで興味ないんだと思ってたけど、案外エッチな思考もできるんだ」
「あ、あのね…！」
　さっきの夢と同じく、胸の奥が熱く燃え上がるのを感じる。わたしはやっぱり純水くんと…。
（うう、あの時しておけばよかったのかなぁ、でも嫌われるとイヤだし…）
　わたしはやっぱり、風花姉さんのように積極的になれそうにない。

「はい、お弁当」
　昼休みに、いつものように屋上で昼食を手渡す。少しは慣れたけれど、まだちょっと自分の腕には自信がない。
（彼女って、『彼氏』のために何をすればいいんだろう？）
　わたしの『彼女生活』はそんな疑問から生まれた。
　『好き』とかそういうふうには思うけれど、彼女になったらなったで何をしたらいいか分からなかったのは事実。純水くんに聞くのもなんだか気まずいし…。
（とりあえず、何をしてあげたいかな…何をされたら嬉しいのかな）
　わたしはそんなことから考え始めた。もともとＯＫしてもらえるとは思っていない告白だったし、彼女にしてもらった後のことなんて考えていなかった。
　だから、告白した日の夜なんて、何をすればいいのか考えに考えた。
　その結果思いついたのが『お弁当』だった、というわけで…。

「ね、おいしい？」
（あ〜、我ながら月並みというか、ありふれたセリフだなぁ…）
　横に並んだ純水くんのほうも、わたしと一緒のお弁当にまだ慣れていないのか、ちょっと箸を持つ手がぎこちないのがわたしだって分かる。
　お互い初めてなんだなぁ、と思う瞬間。
「うん、おいしい」
　純水くんは、笑顔でそう言ってくれた。わたしは胸のそこから嬉しい気持ちで一杯になった。

　空は晴れているのに、わたしたち以外の誰もいなくて静かだった。いまどき屋上でお弁当なんて流行らないのかな。
（今なら…誰も…）
　わたしの中に、一瞬いけない考えが浮かんだ。イヤでも、あのときの風花姉さんの姿が浮かんできた。わたしは、それを振り払うかのように頭を振っていた。
（どうかしてる、わたし…）
「弓華ちゃん、どうかした？」
　さすがに不審に思われたのか、純水くんに声をかけられてしまった。
（わたし…エッチになったのかなぁ）
「ううん、なんでもない」
　悟られないように言ったつもりだったものの、胸の鼓動が急に高くなっていくのを感じていた。

（どうしよう…わたしも、風花姉さんみたいに…純水くんに、されたいよ…）
　あのときの風花姉さんは、こんな気持ちだったの？
「…ね、ねぇ、純水くん」
「ん？」
　わたしは精一杯頭の中で考えた。これ以上、二人きりでいたら、わたしは純水くんを押し倒してしまいかねない。暴走しそうな体が怖かった。
「…キス…して…」
「…うん」
　自分から言い出した二度目のキス。純水くんは拒まずにしてくれた。
（これで、満足できるかな…ううん、満足して、わたしの体…）
　わたしは目を閉じていた。触れた唇の感触が優しい。だけど…。
（ああ、ダメ、余計に体が熱くなっちゃうよ…）
　
「…！」
　不意に体が離された。イヤだったのかな、と思ったものの、そうではないことにすぐ気づいた。
（誰か来る）
　わたしたちはぱっ、と体を離していた。間髪いれずに、屋上に集団が入り込んできていた。わたしは屋上の柵のそばで外を見ているふりを、純水くんは寝そべって昼寝しているふり。
　彼氏彼女の間柄はともかくとして、さすがにキスの現場なんて見られたくないもんね。それは純水くんもまだ同じみたい。
　確かに純水くんのことはとても好きだけど、『見られて快感』という領域にはまだ踏み込みたくない。

（あぁ〜もう、わたし絶対ヘンだよ…）
　放課後になってもわたしの体の熱は止まらなかった。女友達が次々に『じゃあね』とか『また明日』とか言いながら下校していくのを、わたしはただほうけたように眺めていた。
　もちろん、今日だって純水くんと一緒に帰る（途中までだけど）ことになると思う。でも、そうなったらわたしは自分の胸の鼓動を抑えることができるだろうか？
（風花姉さんのせいだからね…風花姉さんの）
　そう、風花姉さんさえ、わたしの目の前であんなことをしなければ、こんな感覚に陥ることはなかったのに。

（本当に、風花姉さんのせいなのかな？）
　ふっ、とそんな考えが頭に浮かんできた。よくよく考えればわたしだって女だ。胸が小さかろうとなんだろうと、女だ。これだけは譲れない。
　女だから、好きな人とそういうことをしたい、と思うのはある意味当然なのかもしれない。ただ単にわたしが今までそういう機会に恵まれなかっただけで。
「弓華ちゃん？」
　わたしがぼうっ、と考えていると、純水くんのほうから話しかけてきた。
「あ、うん」
（今日のわたし、ヘンに思ってるだろうなぁ、ああ、風花姉さんみたいに大胆になれればなぁ…）
　正直、本当に風花姉さんがうらやましい。

「今日、何か考え事でもしていた？」
　廊下を歩いていると、純水くんのほうから聞いてきた。
（げっ、やっぱりヘンに思われてたんだ…そりゃそうだよね…授業中に居眠りしたり、屋上でいきなりキスを迫ったり…）
「え、ええと…」
　ようやく静かになろうとしていた胸の鼓動がまた高まるのが分かる。
「…か、考え事とかじゃなくて、体が…変なの…」
「体が？具合が悪いの？」
「違うの、そんなんじゃなくて…その…」
　直接いえるわけがなく、やっぱり言葉が濁る。廊下に誰もいなくてよかった、と心底思った。回りに誰かがいたら、どう思われたか分かったものじゃない。
　夕方の日差しが暖かかったけれど、今のわたしはそんなことを気にするまでもなく、全身が熱かった。
「…純水くん…風花姉さんのこと、どう思ってる？」
「え？」
　わたしが聞いてみると、純水くんは戸惑ったようだった。
「風花姉さんと…その、したとき…どうだったの…？」
「え、その…」
　バカなことを聞いているのはよくわかっていた。でも、聞いてみたかった。
「…わたしも、体が、熱いの…あのときから、風花姉さんと純水くんがしているのを見たときから、体が熱くて止まらないの…どうすればいいの？わたし、どうすればいいか分からないよ…」
「弓華ちゃん…」
「…わたし、本当に…ヘンになったのかなぁ…？」
　わたしは、恥ずかしくて死んでしまいそうだった。涙まで滲んできた。
　それ以上何も言えずにいると、不意に純水くんの腕がわたしを包み込んだ。
「…純水…くん」
　わたしはゆっくりと目を閉じていた。
「…さすがにここじゃできないから、とりあえず、帰ろうか」
　純水くんの声も、なぜか震えているのが分かった。わたしの心は、どこか複雑だった。嬉しいような、悲しいような…。