１６

「珍しいこともあるものだな」
　わたしの口から、すっ、とその言葉が出て行った。
「そのセリフは、先日わたしが言ったものではないですか？」
「それもそうだ」
　思えば、この前姉がいる教会を訪れたときには、このセリフをその姉、聖架から言われたものだ。

　だが、今度はその聖架がわたしの会社を訪れていた。それも、私服で。
　とはいえ、あまり肌の露出を好まない聖架は、普段着もシスターの服もあまり変わらない印象を受ける。見た目的にわたしや弓華とは違い、清楚清潔、純潔無垢な印象を与える。
　思えば、うちの会社の小野沢が聖架を選んだのには、そういった理由があるのかもしれない。
（そういった面で、小野沢には女性を見る目がある、ということか）
　わたしはどこかほほえましく思わないこともなかった。

「仕事がある、とは思ったのですが…」
「かまわないさ。わたしは確かに社長だが、わたし自身は若すぎる社長だ。わたしより仕事ができる人間は、この会社に何人でもいる」
　わたしはそう答えていた。事実は事実だった。もとよりわたしの本業は表の会社ではない。そんなものは氷室に任せてしまってかまわない。

　そういうわけで、わたしたち二人は久々に姉妹での外出をすることになった。
「…それで、わたしを外出に誘ってどうするつもりだったんだ？」
　とりあえず近くの公園のベンチに腰を落ち着けて、わたしは聖架に尋ねた。
（この前のことで相談でもあるか？）
　と思ったものの、わたしを相手に相談することではない。
「実は、ですね…あの、時久純水さんに…会いたいと思っています…」
　少し頬を赤くして、聖架が伏せ目がちに言った。

「…弓華と姉妹喧嘩でもする気なのか？」
　自分のことを棚にあげているのを百も承知で、わたしは聞いた。平日とはいえ天気がいいため、子供を連れた母親がよく通る。
　そんな中、双子姉妹が珍しいのか、大抵の人々がわたしたちを振り返って通り過ぎていく。
「いえ、そうではなくて…わたし自身、本当にあの人を好きになってしまったのかを…確かめようと思っています。もしそうだったのなら、わたしは…」
「シスターをやめる、とでもいうのか？」
　わたしの質問に、聖架はゆっくりとうなずいた。
「…そう思ったのならば、止めはしないが…だが、なぜそれをわたしに相談したんだ？」
「よくよく考えれば、純水さんの家をわたしは知りません。あなたなら、弓華から上手く聞きだせるか、と思ったものですから」
（参ったな…）
　わたしは微笑というよりも苦笑してしまった。
「それは困るといえば困るな…」
「無理なお願いなのは分かっていますが…それともう一つ」
　わたしが言う『困る』の意味を、聖架はまだ知らない。それは、わたしも弓華も純水のことを『好き』だということである。
　聖架は純水が弓華の彼氏なのを知っている。だが、わたしが体を交えたことまではさすがに知りえないだろう。
（…結局、わたしたち三姉妹は、どこまでも三つ子だということか。まさか男を見る目まで同じとは…）
「もう一つ？」
「ええ。会うに際して、どのような服装をすればいいかよく分からないんです。わたしは普段教会に篭りきりみたいなものですし、いつでもシスターの服でしたから」
「それをわたしに聞くあたり、壊滅的に間違っているような気がするが…」
　わたしは素直に悩まざるをえなかった。

　思えば、姉妹二人で商店街を歩くのは久方ぶりのような気がする。
　わたしたち三人がどれだけ離れてしまったかを考えれば、仕方の無いことなのかもしれないが…。

「ちょ、ちょっと風花、ここ、ものすごく高価そうなお店なんですが…っ」
「だが、聖架に似合いそうな服といえば、もはや特注になってしまうだろう。どうせなら本格的なほうがいい」
　清楚さを引き立てている、露出度の極端に少ないロングスカートを纏う聖架。そして、彼女の胸は上着を大きく押し上げてしまっている。
「まあ、とりあえず入ってみよう。わたしだって姉のために一肌脱ぐさ」
　自動ドアをくぐり、ちょっと高級そうな雰囲気を持つ店の中へ。

　わたしは、いわゆる『ブランド物』には極端に疎い。ひとえに興味がないからなのだが…。中学時代に悪友が持ってきた『シャネル』を『チャネル』と読んだりして笑われたものだ。
　さて、そんなわたしが聖架に相談されたのだから、『これだ』というものなど選べるはずもない。
　だからこそわざわざこういう店を選んだのだ。
「いらっしゃいませ」
　見るからに『大人の雰囲気』を持つ店員が話しかけてくる。とはいえ、あまりにも若すぎる客の来店に、ちょっと戸惑ったようにも見えた。
「彼女に似合うような服を見繕って欲しい」
　単刀直入にそう告げると、店員は『かしこまりました』と言って、聖架を簡単に見回した。
「ただ、露出度の高い服装は嫌いらしいから、考慮してほしい」
「はい」

　高級店に来訪した『若すぎる』二人、それも同じ外見をした二人がこんなふうにものを注文してきたらどう思うだろうか？
　少なくともわたしたちはまだ二十歳前だし、そうそうこんな店に入れるような金を持っているとは思えないだろう。
　それでもこの店員は、聖架に似合いそうな服ということで何着か見繕ってくれた。

（…こ、高級店だけあってどれもよさそうなものばかりなんですけど…どれも目が飛び出そうなほどの値段なんですが〜…）
　聖架が不安そうにこっちを見た。
　選んできてくれたのは三着。どれも聖架好みの露出度が少ないものだった。そして、胸まわりもゆったりとしていて、白が基調。
「ふむ…確かに聖架にならよく似合いそうだな」
　わたしも少し楽しくなり、選ばれた三着を、かわるがわる聖架の体に合わせてみたりしていた。
「しかも、あつらえたかのように身長までぴったりだ。これでいいんじゃないのか？」
「え、ええ、ですが…」
　聖架がためらいがちにうなずくのを見てから、わたしは店員を振り返った。
「この三着を頂こう」
「は？」
　あからさまに驚いている店員。いくらなのかはよく見ていないが（聖架は気にしているが）、結構な値段なのだろう。
「ちょっと風花、わたしそんなにお金持ってな…」
「三十万も出せば釣りがくるだろう？」
　わたしは財布を取り出した。

「いいんですか？あんなに使わせちゃって…返すあてがないんですが…」
　かなり不安そうな実の姉がなんとなくかわいらしく思える。
「金の面くらいでしか、聖架の役に立てそうにないからな」
「さ、さすが社長…」
　あきれているのか驚いているのかはよく分からないが、聖架が言った。

　夕暮れも近くなり、わたしたちは再び公園のベンチに腰を落ち着けていた。聖架の手には、先ほどの店の袋が抱かれている。
「それに、会社はもともと父のものだった。そう考えれば、会社の財産は、聖架や弓華の財産でもある。使い込むわけにはいかないが、ある程度の自由はきく。困ったら言ってくれればいいさ」

「で、最初の話に戻るが…いったいどうやって純水に会うつもりだ？」
「え〜と、それがまったく何も考えていなかったりするんですよね…」
（そうだろうな…）
　聖架ののんびりさは幼いころからよく知っている。この前のことがあってもまだ『自分が純水を好きなのか確かめたい』などと言っているのだから。
（いや、それは聖架自身が『好き』だということを否定したいだけなんだ。だが、聖架の体も心も、もう…）

「…一つ聞いてもいいですか？」
「ん？」
　聖架に言われ、わたしは彼女を振り向いた。自分と同じ顔ではあるが、わたしと違って穏やかで優しい印象を与える聖架の微笑。
　まだ若いといえるわたしたちの年齢ではあるが、今までの中で姉の笑顔にはずいぶんと励まされてきたものだ。もちろん、今だって。
「なぜ、父を継いで社長になろうと思ったのですか？」
　当たり前のように継いでしまった会社だったが、わたしはこの質問に対して真面目に答えを探していた。
（…そう、それが当然だと思っていた。バッド・スクエアは四人いて初めて成立する。以前は父さん、空海住職、そして氷室…。父が死んで、わたし、空海住職、氷室…）
　そして…あと一人は、わたしたちですら名前も知らない『誰か』がいる…らしい。
「…弓華の性格では社長は無理だっただろうし、聖架はシスターになろうとしていた。残ったのはわたしだけだろう。それに、わたしと父の唯一の接点であるあの会社を潰したくはなかった…。そう思っている」
　わたしはうつむいたままそう語り、最後に顔を上げた。
「聖架はなぜ、シスターになろうと思ったんだ？」
　わたしの質問に、今度は聖架が顔をゆがめた。わたしにはその苦悶の表情の意味がよく分からなかった。
　確かに聖架は清楚だし、誰が見ても清らかでシスターには向いているだろう。だが、彼女がなぜシスターになろうとしたのかわたしはまったく知らない。
　少なくとも相当の覚悟をしたことだろう。わたしはそう考える。
「…わたしは…わたしがシスターを目指したのは…」
「待て聖架。聞いておいてなんだが、話さなくていい」
　わたしは思わず聖架を止めた。今まで話をしていた彼女の様相とはまったく違い、どこか辛そうにうつむくその姿はわたしにも耐え難いものがあった。
　空の向こうに夕日が落ちかけているのを見て、わたしは聖架に再び声をかけた。
（…たとえ過去に何があったとしても、聖架は聖架だ。そしてわたしは…たとえどんなに離れたとしても、聖架と弓華の味方だ。それは変わらない）
「…さあ、服も買ったことだし、純水に会いに行こうか」

「…あの、ちょっと気になったのですが」
　いよいよたどり着いた純水の家の前で、聖架がやっと気づいたかのようにわたしに呟いた。
「…風花って、純水さんのこと前々から知ってるんですか？」
「どうしてそう思う？」
　内心笑い出したいのを必死にこらえながら、わたしはあえて聞いてみる。
「だって、純水さんのことを呼び捨てにしているし、『調べてほしい』って言ったのにその日のうちに見事にたどり着いているし…」
「今頃気づいたのか」
「…意地悪」
　聖架の視線がちょっと痛い。わたしはそれを無視するかのように、インターホンに手を…。
「わわわっ、ま、待ってください」
「どうした？服ももう着替えたし準備万端だろう？」
「だ、だって、いきなりインターホン押したりしたら、純水さん出てきちゃうじゃないですか」
　慌てふためく聖架がやっぱりかわいらしく思える。のんびりとしているが、蓋を開けてみれば恋愛に関しては弓華以上に奥手だ。
「…その純水に会いに来たんじゃないか」
「それはそうですが、その、心の準備というものが…っ」
　ピンポーン、と軽快な音が鳴り響くのが聞こえた。聖架が言葉を終える前にボタンを押したのである。
「…っ！」
　聖架の顔がこわばるのが見えた。さっき着替えてきた、買ったばかりの白い服が眩しい。彼女にも弓華にも好かれた純水という人間はつくづく幸せものだな、と思ったりもする。
　長い沈黙の末、ついにドアが開こうとする中、当の聖架はわたしの背中の後ろに隠れてしまっていた…。