１７

　あの翌日、僕達二人は一緒に登校することになった。結局弓華ちゃんは、僕の家に宿泊してしまったことになる。
　あの夜に出会った『烏丸翔一』と名乗る男のことは気になっていたけれども、それよりも今は彼女がそばにいることがとても嬉しい。

　いつものように学校が終わり、僕たちはまた一緒に帰ることになった。…そしてなぜか、本当に僕の家まで一緒に帰ってきてしまっていた。

　弓華ちゃんにとっては『ちょっとしたデート気分』だったのかもしれないし、僕も彼女のそばにいるのは楽しい。
　僕にとって、紛れもなく弓華ちゃんは『彼女』になっているんだろう（体を交えたことも含めて）。
　もちろん、僕にその資格があるかどうかは分からないけれども。

「今日は、自分の家に帰るからね。迷惑はかけないからね」
　昨日のことを思い出したのか、顔を真っ赤にして言う弓華ちゃんが可愛い。

　しばらく話をしていると、あっという間に夕暮れになった。時間が短く感じる理由はただ一つ、彼女といることが楽しいからだ。
「あ、遅くなっちゃうからもう帰るね。また明日…」
　と弓華ちゃんが言いかけたところで、呼び鈴が鳴り響いた。
「あ、誰か来たみたいだよ」
　立ち上がりかけた弓華ちゃんが、再び床に座り込むのを見て、僕は玄関へ。
（新聞勧誘か何かかな。長引かなければいいけど）
　そんなことを考えつつ、ドアを開ける。すると…。

「あれっ！？」
　僕は頓狂な声をあげたと思う。なにしろドアを開けた先には、見覚えのある顔が二つ並んでいたからだ。
　二人とも同じ顔で、髪型と服装だけが違うような感じ。一人は、前にもこの家に来たことがある風花さんだ。そして、もう一人は…。
「風花さん、それに…」
　前に道端で不良に襲われているのを助けたことがある、あの人だ。
「聖架さん」
　聖架さんのほうはなぜか恥ずかししそうに、風花さんの背中の後ろに隠れてしまっていた。
「久しぶりだな、純水」
「え、えーと…その節はありがとうございました」
　相変わらず威風堂々としている風花さんと、なぜかちょっといづらそうな聖架さんが対照的に思える。
「弓華がいつも世話になっている」
「はあ…」
（今この中にいるんですけど…）
　やましいところは（今は）ないものの、なんとなく後ろめたいのは何故だろうか。
「お姉ちゃん、風花姉さん！」
　そんなふうに思っていたら、僕の後ろから声がした。
「あ、弓華」
「なんだ、弓華もいたのか」
　振り返ると弓華ちゃんがいた。
「いたのか、じゃないでしょ。二人一緒になって来るなんて…」
「かわいい妹の彼氏を見に来るくらいいいじゃないか」
　風花さんの言葉はどこまでが本気なのか僕にはうかがい知れない。
「なんで、お姉ちゃんまで。しかも、私服、それもすごく高そうな服まで着て」
「妙に目ざといな」
（…そういえば、聖架さん私服だな）
　余所行き用の服なのだろうか。白い服は聖架さんの優しげな微笑を際立たせている。もっとも、今の聖架さんもなぜか少し困ったような顔をしているが。
「…ほら聖架、いつまでも妹の背中に隠れているものではない。早く結論を出しなさい」
（なんで風花さんがお姉さん口調なんだろう）
　同じ顔が三つ揃いぶみするなかで、僕はどうでもいいことを考えた。それに、結論を出す、とは…。
「まだ…よく分かりません。わたしは…」
　よく分からない、といわれても、僕のほうにも聖架さんまでここにいる理由が想像できない。ひょっとしたら弓華ちゃんを連れ戻しに来たのかとも思ったけれども、今彼女がここにいることを、この二人は知らないはずだ。
「弓華。どうやら、わたしたち三人は本当にあらゆる意味で『三つ子』だったらしい」
　風花さんがいきなりそんな風に切り出すと、弓華ちゃんが目を丸くした。
「ど、どういう意味？」
「つまりだ。ここにいる聖架も、何の縁があってかは知らないが、純水のことを好きになってしまったようなんだ」
「は？」
　僕と弓華ちゃんで顔を見合わせた。

「純水さん…わたしは…」
　聖架さんが目を伏せた。その姿にはどこか哀愁めいたものさえ感じられる。この前見せた優しい微笑もなく、何かにためらっているようにも見える。
「わたしは、純水さんのことが…でも、それは許されないことで…」
「許されない…？」
　僕は聞き返していた。消えてしまいそうな聖架さんが見るに耐えなかったからだ。
「今のわたしは、神に仕える身です。誰か一人を愛することなど、あってはならないことです。でも…」
　なぜか胸が高鳴ってくるのがわかった。今までにない聖架さんの姿を見たからなのだろうか、それとも…。
「でも、わたしはそれ以上に、自分の気持ちに嘘をつくことが辛いんです。だから、面と向かって言います」
　後ろから弓華ちゃんが僕の腕を抱き寄せるのが分かった。でも、僕は聖架さんから目を離せずにいた。
「…好きです。わたしも…わたしも、純水さんの『彼女』にしてください…」

「だから、なんでそうなるのよ…」
　玄関前で同じ顔を三つ揃えて立ち話するのも何なので、結局は三人とも家の中に入ってもらうことにして、当然のように弓華ちゃんが大きなため息をついていた。
「まあ、そう言うな。こういう恋愛もありじゃないか」
　風花さんが楽しそうに笑った。聖架さんは複雑そうな表情だ。
「普通はないよぉ。まさか、三人が三人、純水くんが好きだなんて」
「えっ？」
　その言葉に、聖架さんが風花さんを見る。
「三人が三人って、まさか、風花、あなたも…！？」
「今頃気づいたのか。何でわたしが純水の家を知っていたと思うんだ？」
　風花さんの言葉に、聖架さんが首を深く深くうなだれた。なんとなく部屋に流れる空気が重い。

　そう、ここにいる中で僕以外は実の姉妹で、しかも三つ子、同じ顔をしている。違いといえば服装と髪型、そして若干体型が違うくらいだ。
　それがなければ、僕にはまるで見分けがつかなくなってしまうだろう。
　不思議な気分だった。三人が三人（同じ顔だけあって）全員美少女だし、向こうから僕を好いてくれたのはとても嬉しい。けれども、弓華ちゃんが言うように『あまりにも現実離れしている現実』を僕はすぐに受け止め飲み込むことができなかった。

「…じゃあ、ここにいる三人、わたしたち全員、純水くんの彼女ってこと…？」
「そうなるな。実に単純明快だ」
　ちっとも単純明快ではない気がする。ここで即座に姉妹ゲンカにならないのは、やはりこの三人の仲がいい証拠なのだろうか？
「…わたしはまだ、純水さんの返事を聞いていません」
　弓華ちゃんと風花さんの会話が和やかに進む中で、聖架さんが顔をあげた。その瞳にはどこか決意のようなものが漂っていた。

（この瞳…あのときの風花さんと同じ目だ）
　『あのとき』。すなわち、僕と風花さんが交わったとき。あの時も、確か風花さんがこういう瞳を僕に向けていた。
「聖架さん…」
　僕は何を返していいのか分からずにいた。僕がどう返事をしても、聖架さんは何かを失ってしまう、そんな気がしたからだった。
　このまま返事をして、僕は三人と同じように接することができるだろうか。全員を同じように彼女だと思うことができるだろうか。そして、いつか誰かに『好きだ』といえるのだろうか？僕にはとてもその自信がない。
「僕はまだ…全員を同じように好きになれるかどうか分からないけど…、聖架さんがそう言ってくれるのならとても嬉しい」
「決まったな」
　僕の返事はまだ終わっていないところへ、風花さんの言葉が割り込んだ。
　しかし、正直風花さんには感謝した。この後の言葉はどう続けていいのか分からなかったのだ。僕は優柔不断だった。
「…わたしたち三人は、みんな純水の彼女だ。大手を振って四人で町を歩けばいいさ」
　風花さんが僕の気持ちを汲み取ってくれたのかどうかは分からない。だけど、風花さんはどこか嬉しそうだった。
「しょうがないなぁ…でも、一番の彼女はわたしだからね」
　なぜか弓華ちゃんも乗り気に見えた。
「まあ、接する機会が一番多いわけだから仕方がないな。わたしも聖架も学校に押しかけるわけにはいかないからな」
（なるほど、それで弓華ちゃんが同意したのか）
　シスターと社長という立場がある以上、接する機会は圧倒的に弓華ちゃんが一番多くなる。

「さて聖架、それに純水」
「はい？」
「うん？」
　風花さんに突然呼ばれて、僕達は顔を見合わせた。とたんに聖架さんが顔を真っ赤にした。
「…ここは恋人同士らしく、抱き合いでもしたらどうだ。床に座ってるばかりが恋人じゃないぞ？」
「だっ、だきっ！？」
　聖架さんがあからさまに慌てふためく姿が可愛い。対して僕のほうは、風花さんの言動には若干慣れてきた面があるためあまり驚いているわけでもなかった。
　もっとも本当に抱き合うかどうかは別の問題だけど…。
　しかし、そんな僕の想いとは裏腹に、僕の体をふわり、と優しいぬくもりが包み込んだ。
「わあっ」
　声をあげたのは弓華ちゃんだ。その横で風花さんも驚いたような顔をしている。しかし一番驚いたのは僕だ。
「…おねえちゃん、以外に積極的…」
「ごめんなさい。迷惑だと思います。でも…でも、あのときから…あのとき助けていただいたときから、わたしはおそらく純水さんをこうして抱きしめたくて仕方がなかったんです」
　僕を優しく抱いているのは、聖架さんだった。消えてしまいそうなくらいか細い、弱弱しい声で僕に囁いてくる声が印象的だった。
「純水。聖架を抱きしめてやってくれ。本来、それは純水の役目だろう？」
「…いいな…」
　聖架さんに抱きしめられながら、僕は二人の顔をうかがう。風花さんはいつもどおりで、弓華ちゃんは顔を赤くして見入っている。同じ顔なのに反応がまるで違う。
　僕は、聖架さんの背中に手を回していた。そして、そのままぎゅっ、と抱きしめる。胸の感触がとても柔らかく、心地よい。
　言っちゃいけないことだけれども、やはり弓華ちゃんとは感触が違う（いいかどうかは別の問題として）。
「…聖架」
「…」
　風花さんが聖架さんの背後に回って呼びかける。しかし聖架さんのほうは抱きしめられる感触に酔いしれているらしく、言葉を返さなかった。
「聖架がしたいのは…してほしいのはそれだけじゃないだろう？」
「えっ？」
　僕と聖架さんが同時に声をあげた。
「…たとえば、こういうことをされたいんじゃないのか？」
　風花さんが聖架さんを背後から抱きしめる。僕と風花さんに挟まれ、聖架さんが『きゃっ』と声をあげた。
　僕のほうからは聖架さんが何をされているのかはよく見えないものの、聖架さんが顔を上げたほどだからよほどのことをされているらしい。
「あっ…はぁっ…ふ、風花、やめてくだ…さ…」
　僕の目の前にある聖架さんの顔がどんどん紅潮していく。聖架さんは必死そうだったものの、僕のほうはその思いがけない色気に当てられ、また彼女がそれでも僕を抱きしめている感触もあって、胸が高鳴るのを抑えられなかった。