２

　わたしを取り巻く環境は、明らかに他の人間のものとは違う。…それは自覚している。
　冷たい言い方になるが、父の命はよく今までもってくれた、というべきものなのだろう。わたしが中学を卒業するかしないかというときに倒れ、そして、中学を卒業したわたしは、父がそれまでやっていたことを継ぐことになった。

　奇しくも、父が倒れるまではわたしは何も知らなかった。父がわたしを庇った理由も、わたしが狙われた理由も。

　そして、その父を継ぐものとしてわたしが選ばれた理由も…。

（弓華はわたしを軽蔑しているだろうな…冷たい姉だと思っているだろうな…）
　同じ顔をしているものの、まるで異なる道を選んでしまったわたしたち三人ではある。しかし、少なくともわたしは、自分の選んだ道を後悔してはいない。
　いや、いなかった、というべきだろう。

　自分に思春期というものがあるとは、まったく信じられなかった。おそらくはとても遅い到来だったと思う。
　わたしは自分自身を『女』だと自覚してはいるが、家業のこともあり、その部分は捨て去った、ともある種考えていた。
　だが、結果はどうだろう。

　父が死んで数ヶ月後、季節は冬にさしかかろうというとき、妹の弓華が連れて歩いていた同い年の高校生。その姿を見たのがそもそもの発端だったのだろう。

　あとで弓華に聞いてみれば、彼女の同級生だということだった。そして、奥手な弓華には珍しく（人のことはいえないかもしれないが）自分から告白し、ＯＫサインをもらって付き合いをはじめたのだとか。
　だが、その時点では自分に何が起こったのかがわかるはずもなかった。

　次の日、その次の日と時を重ねるごとに、わたしの体は熱くなっていった。
　朝から夜まで体が火照り、文字通り熱でもあるのかと思えばそうでもない。体中が重く、震えそうになるくらいに熱い。

　そんなときだった。

「うわぁっ！」
　わたしは、胸と尻に来た思わぬ感触に声を上げていた。
「ぬわぁっ！」
　犯人はいつもどおり、浅見空海その人だった。が、わたしの驚き方があまりにも異様だったのか、老齢の住職もわたし以上に驚いていた。
「な、なんじゃ、妙に大げさに驚きおってからに！」
「反論するのはわたしのほうだろう。まったく、いい年をして…」
　文句を言うのもいつもどおりだが、いつもと違うこともあった。胸の鼓動がいつまでも止まらないのだ。先ほど胸や尻に感じた感触が抜けていかない。
　むしろ、もう一度同じことをされたいかのような感覚。
　それらを振り払うように、わたしはすぐに頭を大きく振っていた。

　何を思ったのかは分からない。夢中だったのかもしれない。その日の夜、体中に走る熱いものに耐え切れず、ベッドにもぐりこんだわたしは、自分の胸に手を当てていた。
　いや、当てただけじゃない。手全体で胸を包むように…昼間の空海住職のように、揉み解していた。
「あっ…」
　普段の生活からは考えられないような声が出た。
「うあっ」
　今度は少し強めに。次に痛いくらいに。しかし、痛いはずなのに痛さに混じってやってくる快感に、わたしは体をよじらせていた。
（ふ、服の上からじゃ、ダメだ…）
　パジャマのボタンを全てはずし、胸を露出させ、直接手を当てる。
（な、なんだこれは…）
　わたしの胸の頂点が、いつの間にか硬く膨らんでいた。胸が張っている、という状況とは違っているのは分かった。
　触れるたびに、揉むたびに気持ちいいのだ。

　自分の胸だというのに、柔らかさが心地よく感じる。いつからわたしは変態になってしまったのだろうか？

「はっ、あはぁっ、んっ…あ…っ」
　右手をズボンの中、そして下着の中に差し込むと、下腹部が湿っていた。
　それでわたしはようやく悟った。

（どうかしている…他人の、それも実の妹の恋人に欲情してるのか、わたしは…）
　馬鹿なことだと心底思った。だが、体の震えは止まらなかった。わたしは思わず、右手人差し指を亀裂の中に差し込んでいた。
　柔らかいとも硬いともいえる妙な感触。そして、自分の中身の体温。すべてが快感に思えた。
「ふああぁっ！」
　ゆっくりと膣壁をめくり上げつつ、指を前後させる。そう太くもない指だというのに、膣の締め付けが異常に思えるほどに感じた。
（わたしは…何をやっているんだろう…）

「ああーーっ！」
　やがてわたしは、今まで感じたことのない快感の絶頂に体をさらに震わせていた。

　頭の中に、先日見たばかりの弓華の『彼氏』の顔が浮かんでいた。いや、浮かんだまま離れていかなかった。

（あぁ…わたしは、わたしは…）
　恋をしたのだ。そして、その恋する人を想いながら自慰に浸っていたのだ。人間離れした組織に属しつつも、性欲という人間のもっとも単純な欲望に負けている自分が情けなかった。

　それだけわたしが、浮世離れした生活を送ってきたせいだったのかもしれない。

　高校には行かなかったわたしではあるが、男と女が子供を作るのに何をするのかは分かっているつもりだ。
　だからこそ、自分の指を膣内に差し込むような真似ができたのだし、それでさも『セックスした』ような快感に浸れることも知ってはいた。
　実践したことが今までなかっただけのことだ。

　しかし、それからのわたしはどこか違っていた。空海住職にも氷室にも『体調が悪い』と伝え、数日にわたって、ベッドの上に自慰に浸る毎日が続いた。
　名前も知らないあの弓華の彼氏に、陵辱される光景を思いながら…。

　それは、あまりにも突然な恋だった。

『今日未明、Ｓ県Ａ市で男性の遺体が発見され、この男性は、数日前に代議士になることが決まったばかりの…』
　一週間後、早朝のテレビがニュースを告げた。わたしは朝食のための箸を止めず、それを聞いていた。
『遺体には首が無く、警察の見解では鋭利な刃物で首を切られたのが直接の死因だとしています。遺体の首はすぐ近くに落ちていたということです』

「相変わらず見事な腕じゃよ」
　空海住職が、わたしを見ながら言った。その口には、焼き魚が咥えられている。この住職の生臭ぶりは、もはや言うまでもない。
「できれば、お嬢にはこういうことをやってほしくはないんですがね」
　氷室も怪訝そうにわたしを見ていた。この男は、最近妻を娶ったのだが、ここで朝食をとっていていいのだろうか？
「わたしは、父の職業を継いだ。そのことに後悔はないさ」

　そう、この代議士はわたしがこの手で斬ったのだ。未明の闇に紛れ、すれ違いざまに一撃。
「今の時代、居合いを極めた十七歳の少女がいるとは誰も思わんじゃろうな」
　空海住職の言葉は、どこかさびしげに聞こえた…。

　あの数日間で、わたしの体の中の熱はなんとか治まった。氷室たちは不思議そうにしていたものの、『体調がよくなった』とし、仕事もこなせるようになった（現に、今朝未明に遂行している）し、その直後だというのに飯も食える。慣れというものは怖いものだ。
『結局あの数日間は、『メス』というわたし自身の本能が起こした一時的な欲情で、『恋』ではないのだ』
　それがわたしの出した結論だった。

　しかし、さらに数日後、それを否定するような出来事が起こるのだった。