３２

「ぐああっ！？」
　目の前の男が銃を打つ前に、いきなり悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「…仲間がいたのか！撃て！殺してしまえっ！」
　リーダーの女の言葉に、男達がいっせいに銃を構えるも、立て続けに撃たれる弾丸が、見事に男達の足を撃ちぬき、その戦闘力を奪っていく。
　僕はその光景に見とれていた。あまりにも鮮やかな銃撃だったからだ。
　あっという間に男達が床にひれ伏すのを見て、僕はようやく後ろを振り返った。

「バッド・スクエアには、その名前の由来となった『四人の幹部』がいます」
　優しく穏やかな声、肩までの髪、ぱっちりとした瞳…そして、胸の十字架…彼女の慈愛を象徴するような、シスター服…。
「一人は社長である風花、二人目は浅見住職、三人目は氷室さん、そして四人目は…」
　しかし、その声とは裏腹に、瞳はまっすぐに前を見据えていた。両手には拳銃が構えられている。
「聖架っ！」
　風花さんが叫んだ瞬間、聖架さんの両手の銃が、上方を捉えて火を噴いた。
　どさっ、という音が響いた。上を走る二階部分の廊下にも狙撃手がいたらしい。
（すごい…）
　僕は息を呑んだ。彼女はまるで上を見ていなかった。気配を察知し、銃を構える音に反応して、姿の見えない人間を撃ったのである。
「四人目は、このわたし、雪村聖架です」

「…そんな服装して、拳銃を振り回すなんてね」
「…そこにいる風花と同じで、わたしも罪を背負って生きてきた身ですから。とはいえ、先ほども言ったように、二度と使いたくなかったものです…」
　聖架さんは悲しげだった。彼女は僕の隣に歩み寄ってきたものの、僕はなんと声をかけていいのか分からなかった。
「今ならまだ間に合います。風花を離してください。でなければ、わたしはあなたを撃たなければなりません。…峰要女さん」
　僕の知らない名前が耳に飛び込んできた。しかし、聖架さんはリーダーの女のことを知っているようだった。そして、向こうも聖架さんのことを知っている。
「あなたにわたしを撃つことができるの？理由は知らないけど、バッド・スクエアから逃げてシスターになったんでしょう？その貴女がわたしを殺すことができるの？」
「…ええ。こんなわたしでも…可愛い妹と、大好きな男性を守るためなら」
　その言葉とともに、聖架さんの右手の銃がくるりと回転し、『どん』と音を放った。ロクに狙いを定めていないようにしか思えなかった僕は、思わず目を背けていた。
「っ！」
　目を戻すと、右手の銃を横向きに構えたままの聖架さんと、右の頬から薄く出血しているリーダー…峰要女の姿があった。
「まさか…聖架が…」
　風花さんも驚愕の表情を見せていた。僕は何も言えずに、姉妹のやり取りを見ているしかなかった。
「…わたしの変わりにあなたが父のあとを継いだことも、もちろん知っていました。あなたには何一つ姉らしいことをしてやれたことがありません。
　ですから、この呪われた腕で、妹のために二回目の…いえ、最後の人殺しという罪を甘んじて受け入れましょう。
　風花と同様、わたしも…隠し事のない自分で純水さんに接したいですから」
（聖架さん…）
　僕と聖架さんの付き合いは、不良に絡まれた彼女を助けたことから始まった。しかし、銃を使う使わないは別として、彼女ならあの不良を追い払うことくらいは簡単にできたのかもしれない。ただ、それを誰かに見せるようなマネはしたくなかっただけで。
　誰もがみんな隠し事をしている。互いの『真の想い』というカードを切らずに済ませようとしている。でも、風花さんも聖架さんも僕という人間の前で全てをさらけ出し、そして『接したい』と言っている。
「…次は、確実にあなたの頭を撃ち抜きます。楽に死にたければ動かないでください。動けば苦しんで死ぬことになりますから」
「聖架、ダメだ！撃つな！」
　風花さんが叫んだ。要女の表情は緊張していた。神聖な雰囲気すら漂わせる彼女の前に、威圧されきった獲物のような表情だった。
　たとえ数ミリ動いたとしても、聖架さんの銃は確実に彼女を撃ち抜くだろう。僕にもそれが分かる。
「聖架さん、撃っちゃだめだ！」
　僕も、聖架さんに向けて言った。一瞬、僕のほうに聖架さんの瞳が移ったそのとき、要女の手が風花さんの首筋に伸びた。
「銃を捨てなさい！でないと、彼女を殺すわ！」
「…！」
　その手にはナイフが握られていた。聖架さんは銃をピクリとも動かさなかった。
「…早く銃を捨てなさい！実の妹を見殺しにする気なの！？」
　その刃が風花さんの首に当てられる。風花さんはほとんど表情を変えていなかった。しかし、観念した、という表情でもない。
「…それをやったところで、あなたの命が失われることには何の違いもありませんから。むしろ、もっと苦しんで死ぬことになります。
　まず足を、そして両腕を、目を…」
　そう言ったあと、聖架さんがもう一度こちらに目を向けた。
「…純水さん、わたしはこういう人間です。…相手に向けてこういうことを平気で言える人間です。
　最初からすべてを晒して接することができなかったわたしを…許してください。そして…」
　僕は聖架さんから目を離すことができなかった。でも、聖架さんが何を考えているのかは、すぐに分かった。
「そして…風花と弓華をお願いします」
　そう言って、聖架さんは僕に向けて笑顔を作った。…と同時に、両手の銃を要女に向かって放り投げた。
　鈍い音とともに、銃が転がる音がし、僕はようやく風花さんのほうを向きなおした。
「…妹思いのいい子ね。だけど、それが命取りになったわ。狙撃班！」
「いけない！」
　要女の右腕が高々と上げられた。おそらく、倉庫の外にいるという彼女の仲間に合図を送ったのだろう。

「…な、何…？なんで撃たないの？」
　しかし、僕が予想したような壮絶な銃撃はなかった。
「…わたしも一人で来るほどおろかではないのです」
（『仲間』…烏丸が言っていたのはこのことだったのか！）
　つまり、烏丸翔一という人間もバッド・スクエアの人間だった、ということになる。おそらく、烏丸…そして聖架さんが連れてきた仲間が、外にいた狙撃手を一掃してしまった、ということなんだろう。
「で、でもこっちには人質が！」
　さすがにあわてた要女が右手のナイフを再度風花さんに押し付けようとしたそのとき、隣にいた聖架さんが自分のシスター服をめくり上げてしゃがみこんだ。
　どん、という音が鳴り響くと、金属音とともに『うあっ』という悲鳴が聞こえた。僕の横には、しゃがみこんだまま銃を二つ構える聖架さんの姿があった。
　そして、要女のほうはナイフを取り落とし、手を押さえていた。
「風花！」
　聖架さんの声とともにもう一つ銃声が響く。
「風花さん！」
　銃弾がロープを切ったのを確認すると、僕は風花さんに向かって走っていた。もはや風花さんの体には力が残っていなかったようで、自身を縛り付けていたロープが切られると、彼女の体は大きく前に倒れこんだ。
「…い…ず…み…」
　間一髪、風花さんの体が床に叩きつけられる前に、僕の腕が彼女を受け止める。そのぬくもりと重みがなぜか懐かしく感じられた。
「風花さん、しっかりするんだ！」
　声をかけても、彼女は反応しなかった。気絶してしまったのか、と抱き起こすと、その顔は涙に濡れていた。
　悲しみと喜びがない混ざったようなその表情に、僕はそれ以上声をかけることができそうにない。
「それ以上、その子に触らないで！」
「純水さんッ！」
　二人の女性の声が同時に響いた。僕の目前には、銃を構える峰要女の姿があった。
（聖架さんが使っていた銃…！さっき投げたのを拾ったのか）
「う、撃つな…」
　そのとき、風花さんがようやく言葉を発した。こんな状況だというのに、僕は安堵した。彼女はゆっくりと僕の前に立ちふさがると、峰要女にむかってこう言った。
「…わたしは…今になってようやく純水を好きだと堂々と言える…だから、純水を死なせたくはない。わたしを撃ってから純水を殺せ…！」
　銃口を前にして、怖じることもなく言い放った風花さんの姿には、確かに普通の女性とは違う雰囲気があった。だがそれは、決して血塗られた暗殺者が持つような陰湿な雰囲気ではないことが、僕にもよくわかる。
「それから、わたしが大事だと言ったな、わたしを好きだと言ったな…でも、それに勝るくらい、わたしは純水が大事で、好きだ。だから…お前を受け入れることはできない。
　それに…わたしのことを大事だと思うのなら、こんな手段は使ってほしくなかった…」
「あなたは…誰かから愛されることを心の底で嫌っている。そのくらいわたしだって気づいていたわ。自分から人を好きになることはできても、誰かから愛されるのは嫌なんて…勝手すぎるじゃないのよ」
「峰…」
　風花さんが言葉を失った。言い放った峰要女の顔も、涙に濡れていた。女性同士の愛についてまでは、さすがに僕には分からない。
　しかし、要女という女性は、相当の覚悟をもって風花さんを誘拐したことは理解できる。
　風花さんのほうはそれを踏まえたうえで、『こんな手段は使ってほしくなかった』と言ったのだろう。風花さんの性格ならばなおさら、直接言ってほしかったに違いない。
「…そうだ。わたしは…わたしは自分が一番嫌いだった。誰にも頼まれていないのに、独りよがりで父の跡を継ぎこの道に入って、そして人殺しのくせに貿易会社の社長をし、普通の女と同じように人を恋し、そして愛する…そんな自分が一番嫌いだった。今だって好きにはなれるわけがない」
　『自分が嫌い』。この言葉が彼女自身から出て、初めて僕は彼女の心の底を見たような気がした。情熱的な面を見せつつもどこか犠牲的で、どこか冷めていて、そして達観しているその性格…『バッド・スクエア』のことも含め、彼女は自分自身が一番信じられなかったのかもしれない。しかし、『社長』という立場上、その劣等感を、あえて自分の力一つを頼みにしてきた…と考えると、風花さんがいかに強く、弱い存在か分かる気がした。
　いや、それは彼女だけではない。僕だってそうだろう。僕だってここに立つのはとても怖い。声を出せば体が震えだすんじゃないか、と思う。
　ここにいる聖架さんや風花さんとは違い、僕は命を賭けた場所など、立ったこともない。
　しかし、そんな僕でも…風花さんを守りたい、と思うことができる。聖架さんも、妹を想ってここにいる。烏丸も、姿こそ見せなかったものの、風花さんと何らかの形でかかわっているらしい。
「風花さん…みんな、風花さんのことが…好きなんだよ。僕も、聖架さんも…そこにいる彼女も」
　僕は、やや呆然としている峰要女を見据えながら言った。
「…ああ。みんな…ありがとう」
　そのとき、やっと風花さんが笑顔を見せた。
「…わたしはやっと…やっと、少しは自分を好きになることができそうだ。重ねて、純水も、聖架も弓華も…大好きだ…」
　僕は、そう言う風花さんを強く抱きしめていた。そうせずにはいられなかった。