| ４２ 「気分はどうだ？風花」 聖架たちが帰った後、父がわたしに声をかけた。 「…どうだろう。わたしにもよく分からない…。怖いとも思うし、幸せだとも思う。別れの辛さと安心感が一緒になったような気分だ…」 「…そうか」 いずれ終わる命。誰にでも等しく与えられる死。わたしはそれが少し早かっただけだ。 「…医者にあと数年の命だ、と言われたのは…二年ほど前だったかな…もうそろそろ、と思っていたが…」 （これは、報いだ…。今までわたしが奪ってきた命に対する、報いなんだろう…だから、わたしは抗わない…理不尽とは思わない） 聖架も純水も、わたしに『生きろ』とは一言も言わなかった。何も知らない弓華はともかくとして、聖架や純水はわたしの過去を知っている。 そして、わたしの苦しみも知っている。だからこそ、わたしに命を長らえる選択を望まなかったのだろう。 「あいつにそっくりだよ、お前は…」 「…あいつ？」 父さんに言われ、わたしは顔をそちらに向けた。 「…お前の母さんだよ。美人なのに優しさも慈しみも素直に表に出さない人間だった」 「わたしが、似てるって？」 「ああ。外見も雰囲気も何もかもな…」 ふっ、と父さんが笑った。 そういえば、わたしは母さんのことを覚えていない。死んだ、と聞いただけに等しかった。写真も見たことがない。知っているのは父さんだけだ。 不思議と、嬉しかった。でも、扱いにくかっただろうな、とも思う。わたしに性格や雰囲気まで似ているのでは、さぞかし苦労したことだろう。 どれくらいの時間がたっただろうか。父さんもわたしも、言葉を発することなく時間ばかり過ぎていく。 そんな中、わたしは記憶の片隅にすらない母親のことを考えていた。 「…父さん、わたしは…先に母さんのところに、行くんだな…」 「…」 父さんは言葉を返さなかった。 「今まで、ありがとう、父さん。わたしは、父さんがいたから生きてこられた…できれば、ずっと父さんと一緒に生きていたかった。 でも、それももうできないみたいだ…」 わたしは目を閉じた。わたしが本当に幼いころから育ててくれた父さん、わたしの病気を知って、自分が裏の仕事で得た収入のほとんどをわたしのために使っていた父さん。そして、自分と同じ道に入ったわたしを止めようとしてくれた父さん。感謝しきれるものではなかった。 「はぁ…っ、はぁ…っ」 息が苦しい。体の中に酸素を取り入れようと必死になっているのに、上手くいかなくてむせ返りそうになる。 「…父さん」 わたしは、父さんに向かって手を伸ばした。父さんはそれをしっかり握ったあと、何かに気づいたかのように病室を飛び出していく。 視界が少しぼやけた。わたしは胸を手で抑えていた。病室の外で父さんの声が聞こえた。叫んでいる。ここは病院だというのに。 心臓の鼓動がとても早く、痛いほどに強く波打っていた。誰にこの痛みを告げていいのか分からなかった。 「風花さん！」 「風花！」 「風花姉さん！」 いくつかの声が重なると同時に、病室のドアが音を立てて開いた。 （なんだ、家に帰ってなかったのか） やっぱり、と思った。聖架のことだ。おそらく、わたしを苦しませないように配慮したのだろう。 （…聖架、わたしの前では泣かなかったんだな） 少し目の周りが赤くなっている聖架を見て、わたしの胸がさらに痛んだ。 「…せ…いか…、ゆみ…か…」 さっきは上手く出せた声が出てこない。頭が重い。それだけでなく、激しい苦しみの中で、なぜか眠さに近い感情が襲い掛かってくる。 さらに騒がしくなった気がする。わたしの体に誰かが手を触れている。大勢の人間だ。この病院の人間だろうか？ 「い…ずみ…わたしは…わ…たし…は…」 三人の手がわたしの手を握った。とても暖かかい。自分の手もこんなぬくもりを持っていたのだろうか、とふと思う。 「わた…しは…いずみに…あうことができて…しあわせ…」 口が上手く動かない。あと一言だけ言いたいがために、わたしは右手で苦しい胸を必死に抑え、声を絞り出す。 弓華も聖架も、そして純水や父さんもわたしに何か呼びかけている。でも、声が聞こえてこない。目の辺りに熱いものを感じる。わたしは泣いているのだろうか？ 「…しあわせ…だ…」 そこまで言って、わたしはやっと目を閉じることができた。もう苦しくはない。一番言いたかったことを、大事な人に言うことができた。 （…ありがとう、みんな） 薄れていく意識の中で、わたしは今まで関わった全ての人に向けてそう言った。 |
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| 2007.12.12掲載 |
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