| ４７ 「みんな揃ってるな。さ、出発しようか」 その日は、まるでわたしたちを迎えるように青空が広がりました。 父が運転する車は、きっかりと午前九時に家の前に到着し、わたしと、弓華、そして純水さんを乗せて発車しました。 風花が埋葬されたのは、もちろん浅見空海住職のお寺でした。本人曰く、わたしたちを赤ちゃんのころから知っている、ということと家から近いということもあってのことでした。 バッド・スクエアの重鎮なのは知っていますが、なぜわたしたちのことをそんなに長く見守ってきたのかは分かりませんが…。 流れていく風景を見ながら、わたしは風花が亡くなる際の表情を思い浮かべていました。 とても安らかで、清らかな顔だったのを覚えています。 誰も声を出しませんでした。わたしを含め四人とも、風花への想いが胸に溢れて声に出せなかったんだと思います。 弓華は昔からわたしや風花に甘えていましたし、父はわたしたち三人を溺愛していました。 わたしだって、風花のことをとても大事に思っていました。そして、純水さんも…。 「…お父さんが帰ってきた代わりに、風花姉さんがいなくなって…頭がどうにかしそうで今まで気にしなかったけど、お父さん、わたしたちにも生きていることを隠してたんだよね」 数分ほどしてから、ようやく弓華が言いました。わたしも風花もさすがに父が生きていたことには驚いたものです。 「…まぁ、死んだふりは雪村家の『お家芸』だからな。それに、敵を欺くにはまず味方からというだろう？」 「『お家芸』？」 気になることを言われ、わたしが質問を返そうとしたときに、車がゆっくりと左折しました。 「ほら、着いたぞ」 車を降りると、立派な門扉が目に入りました。わたしたちがまだ小さかったころ、このお寺をよく遊び場にしていたものですが最近になってそんな余裕もなく、向こうから出向かない限りは住職さんに会う機会もなくなっていました。 妙に懐かしく覚えたのはそのせいでしょうか？ 「おお、来たか」 門をくぐると、すでに住職さんが立っていました。おそらくは、わたしたちを待っていたんでしょう。 「うむ、おぬしも一緒か。きっと風花も喜ぶじゃろうよ」 さすがにこの日は、この人もわたしたちのお尻や胸に手を出すつもりはないようでちょっと安心しました。 「すまんが、三人とも先に行っててくれ。住職と話があるんだ」 「分かりました」 「うん」 父の言葉に、わたしたちは素直にうなずきました。青空の下、静かなお寺を吹き抜ける風が心地よく思えます。 「…もう一年なんだね。信じられないなぁ」 弓華が言いました。 今日からちょうど一年前、風花はベッドの上で息を引き取りました。ここにいる弓華は知りませんが、その生涯は決して幸せに満ちたものではありませんでした。 自分の病と闘いつつ、けれども自分の命を縮める日々…それでも、彼女は純水さんという人に出会い、幸せに、笑顔で逝きました。 それこそが、わたしにとっては唯一の救いだったのです。 お寺には誰もいませんでした。まるで、風花がわたしたちだけを呼んだように思えるくらい静かでした。 「…風花姉さん、一週間ぶりだね」 まだ新しく思える風花のお墓の前で、弓華がぽつりとつぶやきました。わたしたち三人、週に一度は必ずここへ来るようにしていました。 風花が悲しまないように、そしてわたしたちが風花のことを忘れないように。 「あれから一年立ったけど、わたしたちは相変わらずだよ…」 「そうだね。僕達は…互いに自分の進むべき道を見つけて、それに向かってはいるけど…僕達はまだあのころのままだ」 「そして、これからも…」 わたしたちは横に並んで、お墓に向かって手を合わせていました。 知らぬ間に涙が溢れていました。一年も前に流しつくしたはずなのに、わたしにはまだ亡き妹のために流す涙があったのです。 （風花…わたしたちは今、幸せでいます。ですから、あなたもどうか安らかに眠ってください。憎しみも悲しみもない場所で…） 「…お前達は、本当に仲がいい姉妹じゃったのう」 黙祷から顔を上げた直後、後ろから穏やかに声をかけられました。振り返ると、住職さんと、そして父がいました。 「一つのものは三つにして分け合うのは当たり前、弓華がガラスを割ったのを風花や聖架が庇うのも当たり前、人一倍甘えん坊だった風花に弓華が嫉妬したのも当たり前だったのう…そんな昔のことがありありと思い出せるわ」 「風花姉さんが、人一倍甘えん坊だった？」 弓華が驚いたようにいいました。純水さんも、露骨に『えっ？』という顔をしたのを、わたしは見逃してはいませんでした。 もちろん、それに関してはわたしもうろ覚えではありますが覚えています。もっとも、わたしも弓華も、母のことをほとんど覚えていません。 どんな顔をしていたのか、そしていつ亡くなったのかさえも、父の口からは語られていませんでした。 ただ、わたしたちにはとても優しかったことだけは覚えています。 「住職さんは、わたしたちの母もご存知なんですね」 「…うむ」 （…？） 何気なく聞いたつもりだったのですが、住職さんは意味深な表情を浮かべました。 「…お前達、そんなことよりも墓参りは終わったのか？」 「あ、うん、これからお線香とお供えと…それからお墓もキレイにしないとね」 弓華がそう言ったときでした。 『気持ちは嬉しいが、そんなことはしなくてもいいさ』 わたしも、弓華も、そして純水さんも絶句しました。一瞬時間が止まりました。 『…そんなところにわたしはいないんだからな』 静かなお寺に響いたその声に、わたしたちは互いの顔を見合わせました。父と住職さんだけは平然としていました。 お墓の後ろで、さらっ、と何かがゆれました。女性の髪だということはすぐに分かりました。 「久しぶりだな、聖架、弓華」 そういいながら、いつものどこか優雅な足取りでお墓の後ろから現れたのは…。 「ふ…ふ…ふふ、ふう…かっ！？」 「ふっ、風花姉さん…っ！？」 「風花さん！？…一体、どういうことで…！？」 わたしたちはあわてふためきながら父と風花を見回しました。目の前にいるのは、本物の風花でした。 そう、一年前に亡くなったはずの実の妹だったのです。 わたしたちが騒ぐ中、苦笑しながら父がこういいました。 「言ったろう？死んだふりは雪村家の『お家芸』だってな」 「とはいえ、わたし自身もまさか生きているとは思わなかった。今だって信じられない。 …わたしは本当に『死ぬんだ』と思って観念していたからな」 目の前の風花がそう言いました。その言葉に父が、 「俺は医師免許も持ってるんでね。こと麻酔に関しては自分でも詳しいと思っている。 …あのとき、俺はひそかに風花の点滴に少しずつ麻酔を混ぜ、死んだと見せかけて眠らせたんだ。風花には前もって伝えておいたがね。 その後お前達に部屋から出て行ってもらったあとで住職と示し合わせ、風花の体を外国に運んだ」 「意図して苦しいふりをする、というのはなかなか大変だったぞ」 風花が微笑しましたが、わたしたちは気が気ではありません。 「風花の病気は、日本では治せない。それに、外国で手術したって助かる確率は１０％にも満たないものだったんだ。 一か八かの賭けみたいなものだった。そして、風花の手術は奇跡的に成功した」 「一つだけ質問してもいいですか？」 言ったのは純水さんでした。 「ああ」 「何故、わざわざ僕達にまで風花さんが亡くなったことにしていたんですか？少なくとも、外国で手術をすれば助かる可能性があることくらい、聖架さんや弓華ちゃんに言っておいても…」 それはわたしも思いました。わたしたちは姉妹です。そのわたしたちになぜ風花が死んだことにする必要があったのでしょうか？ 「…これは本人の要望だった。先ほども言ったように手術をしても助かる確率は非常に低かった。 失敗したら命はない。そのときには苦しんで死ぬだろう。『純水たちには、自分は笑って死んだのだ、と思わせておきたい』ということでな」 風花が照れたような困ったような、微妙な表情をしました。 「もう一つは、俺の勝手な考え方だ。…もう風花は以前の風花じゃない。今まで仕事と命との狭間で苦しんだ風花は…一年前に死んだ。 今ここにいる風花は、今までの苦しみも悲しみも痛みも捨てた…生まれたばかりの風花だ」 父の言いたいことは痛いほどに分かりました。おそらく、何も知らない弓華には分からなかったとは思いますが…。 純水さんがゆっくりとうなずくのが見えました。とはいえ、未だに驚きを抑えることができませんでしたが。 「…どうして一年も何も連絡をくれなかったのよ？」 弓華がちょっと怒った顔で言いました。 「…当たり前だ。数日前までベッドの上だったんだからな。一度昏睡状態に陥ったこともあって、軽々しく風花を動かすわけにはいかなかったんだ。それに、風花に『驚かせてやりたいから』と頼まれてね」 「風花さん、もう体のほうは…？」 純水さんの顔は怒ってはいませんでした。 「もう大丈夫だ。そう簡単に死にはしないさ。みんなに心配をかけたぶんはきっちりと生き抜いてみせる。そのつもりだ。 すまなかったな、純水、聖架、それに弓華。それから…」 まるで照れたかのようにちょっと頬を染めた風花が、わたしたちに向けて言いました。 「…ありがとう、みんな。わたしは聖架の妹として、弓華の姉として生まれてきてよかった。純水を好きになることができて、よかった」 最後のほうが涙声になっていたのを、わたしたちは聞き逃しはしませんでしたが、彼女は涙を見せる前に純水さんに抱きついていたので頬を伝う涙までは見ることができませんでした。 しかし、わたしは心から彼女の言葉を嬉しいと思いました。実の姉妹にすら黙っていた『迫りくる死』という恐怖を乗り越えた風花の表情は、本当の意味で『少女』たるものでした。 「…風花さん、みんな見てるよ」 さすがに父に気を遣った純水さんが、ためらいがちに言いました。父はもはや咎める様子もなくただ苦笑していましたが…。 「ふふっ…今のうちに父さんにわたしたちの仲がいいところを見せておけば、あとあと困ることはないだろう？」 純水さんに抱きついたまま顔を上げた風花が、純水さんに顔を寄せるのを見て、弓華が止めに入りました。続いてわたしも。 「ちょっと、いい加減にしてよね。いきなりいなくなったと思ったらひょっこり帰ってきて抜け駆けなんて、絶対許せないんだから！」 「そうですよ風花。あなただって言っていたじゃないですか。わたしたちは平等だ、と。今までもそうだったじゃないですか」 弓華に無理やり純水さんの体から引き剥がされた風花を眺めながら、わたしはそう言いました。 「…ああ。そして、これからも…これからも、三人ずっと純水を好きでいよう」 「…ちょっと悔しいけどね…」 風花の言葉に、今度は弓華が苦笑しました。 「…純水くん、いっそ、この三人の誰かと結婚してしまえ。こうも堂々と実の親の目の前でのろけられると怒る気にもならん」 「えっ！？」 その言葉に、わたしたち四人の視線がいっせいに父に注がれました。 「…それはいいな。父さんも認めてくれたことだし、純水、わたしと結婚しようか」 「それは駄目！結婚するのはわたしだからね」 「じゃあ、わたしも立候補しておきますね」 「これ！墓場でする話ではないじゃろうが、お前らいい加減にせんか！」 確かに、墓場で結婚云々の話をするものではなく、わたしたちは一度に静まりました。 …そう、確かに風花は死にました。バッド・スクエアの社長だった風花は…。そして、今ここにいる風花は、わたしたちと同じ人を愛する恋敵であり、わたしの妹、弓華の姉…そして、純水さんの彼女の一人。かけがえのない存在です。 （…わたしはシスターの道を違えはしましたが、違う道を見つけました。大切な人も見つけました。 シスターを辞めて、神様に感謝するのは終わりになると思っていましたが…神様は風花に罰を与えず、生きるという形の慈悲を与えたのですね） わたしはその場で、誰にも見られないように、人生で最後になる十字を切りました。 目の前で再び純水さんに抱きつく風花と、それを引き剥がす弓華を見ながら、わたしは微笑していました。 （そう、ずっとわたしたちはこのままでいましょう…わたしたちの命がある限り…） 墓地ではしゃぐ妹達を見ながら苦笑する大人二人に会釈をしてから、わたしは妹達のほうへ駆け寄っていきました。 ＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿ 「いい子たちじゃな。本当に」 浅見空海住職が、遠ざかる四人を目を細めながら見つめていた。 「…ええ。俺には勿体無い娘たちですよ。彼は、誰を選ぶんでしょうかね。…いや、それは今決めることじゃないか」 雪村はもう一度苦笑した。三人の自慢の娘を一人の少年に取られたというのは、嬉しいような悔しいような少々複雑な気分でもあった。 「だが、彼なら三人を大事にしてくれる…そう思ってますよ」 「…そうじゃな。風花にも、これからは幸せな人生を送ってもらいたい。…ところで、あの会社はどうするんじゃ？」 もはや完全に三人の姿が見えなくなり、二人は穏やかな陽光の下にたたずんでいた。 「もちろん、終わりにしますよ。住職には申し訳ないですが、風花の命も助かったし、ヤツらも壊滅させた。 俺がバッド・スクエアを続けている理由はもうない…。俺も人殺ししか能のない人生を送ってきた。娘達にはそれを背負わせたくない。 だからこそ、俺は自分の手を血に染めてでも娘達を助けたかった。…究極の親バカだとは自分でも思っていますよ」 「ふっ…確かにのう。だが、それだけではないじゃろう？」 住職の視線を受けて、雪村はゆっくりとうなずいた。 「ええ。『あいつ』が命を賭けて守った娘達だ。俺は命どころかすべてを賭けますよ。『あいつ』のためにも。 いつか、聖架たちにも胸を張って話してやりますよ。『あいつ』の話を…」 この男にしては珍しく、雪村は住職に微笑を向けていた。次女が助かった喜びか、それとも娘達が進む道を見つけたのを喜んでいるのか。 「…そうじゃな。母親のことを知らずにいるのは、悲しいことじゃ」 住職もうなずいた。その視線は、雲ひとつない青空を指していた…。 BAD SQUARE -危険な四人- 了 蛇足 −その後− ※注 ここに書かれることはあくまでも『設定上のこと』です。本当はどうなったか、などは読者様の解釈・想像にお任せいたします。 雪村 聖架（ゆきむら せいか） アルバイトしながら保母を目指し、資格を取ることに成功する。 持ち前の子供好きである彼女にとって天職であり、子供たちにも慕われている。 風花に影響されてやや積極的に純水に接するようになったものの、その性格上自分から体を求めることができず、 結果いつも風花や弓華と一緒に純水の体に挑むことになってしまっているのを、自分では恥じている。 『火がつくと止まらなくなる』彼女は、交接の回数自体は姉妹のなかで一番多かったりする。 雪村 風花（ゆきむら ふうか） もともと社長で商才があったため、引き続きYTCの社長職を続けている。ただし弓華の家から会社に通うようになった。 もはや体の心配もなく生き生きとした仕事に社員たちも扇動され、業績は上を向いていく。 『自分の欲望に素直』である彼女は、たびたび会社が終わった後純水の家に押しかけて自分から迫ったりするが 大抵は純水の家に弓華や聖架がいたり、後からやってきたりするため二人きりでの逢瀬はめったになかった。 弓華が結婚して、純水と同棲するようになってからはほぼ奪い合いになっている。 社長に再就任する直前は、重婚できる国に全員引越しすることを考えていたが、聖架が保母になったため断念。 最近では、将来国会議員になって重婚できるように法律改正できないかを考えて法律の勉強をしているようだ。 雪村 弓華（ゆきむら ゆみか） 一浪して医科大学に入学（本人は『奇跡が起こった』と弁している）、医者への道を歩み始める。 数年して風花を手術した医師に会うため出国、彼に師事する形で外国で医学を学ぶ。 さらに数年して帰国しようやく純水と結婚して時久弓華に改名。とはいっても聖架や風花が同棲しているのだが…。 その後、凄腕の女性外科医として有名になっている。 とはいえ、その『妹的』な性格はあまり変わっていなかった。 時久 純水（ときひさ いずみ） 弓華が外国から帰ってきた後、彼女と結婚している。本人は弓華と同じように一浪した後、法律系の大学に入学、弁護士を志す。 自分を愛してくれる人の多さに戸惑いつつも、（結婚はしたが）全員を平等に愛することを心がけている。 結婚して姉妹と同棲するようになってからは、二日に一度は誰かに迫られるのが悩みの種である。 氷室 裕（ひむろ ゆう） バッド・スクエアの側面がなくなったため、ＹＴＣの専務を辞任し、妻とともに探偵事務所に専念している。 最近腕利きの助手が三人加わったようだ。 小野沢 慎太郎（おのざわ しんたろう） 峰 要女（みね かなめ） 社内結婚し、バッド・スクエアでなくなったYTCに引き続き勤務している。 ややカカァ天下なところがあるらしく、小野沢のほうは要女に頭が上がらないようだ。 なお、要女のほうは風花を諦めていない気があるらしく、会社に泊まりこんだ風花の寝込みを時折襲っている。 雪村某 純水と弓華が結婚式を挙げた直後、浅見空海住職とともに失踪している。 |
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| 2008.2.11掲載 |
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