９

　場を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、風花姉さんはとっとと帰ってしまった。
　わたしはこの場所にいづらかった。ついさっきあんなことがあった純水くんの部屋で、わたしたちは向かい合って座り顔を伏せているしかなかった。

　でも、なぜか風花姉さんを怒る気にならなかった。もっとも、風花姉さんがあんな行動に出るなんて予想できなかったけれども。

　それに、胸の動悸が止まらなかった。彼氏彼女という間柄でいるわたしたちの前で、『男女の行い』を見せ付けられたせいもある。
　だけど本当は、わたしだって『風花姉さんに負けないくらい純水くんが好きだ』からだと思う。
「…純水くん」
　わたしはやっと顔を上げた。わたしは今どんな顔をしているんだろう？真っ赤になってるかもしれないし、緊張で青ざめているかもしれない。
　体が熱いせいで、自分の頬が熱いかどうかも分からなくなっていた。
「…なに？」
　控えめな返事を受けて、わたしはどうしたらいいか分からなくなった。だけど、それをすぐに振り払って、意を決したように言った。
「わ、わたしにも…風花姉さんにしたように…してくれる？」
　言葉の最後のほうがしぼんでいくのが自分自身でも分かった。なんて情けないんだろう。この体の中に、風花姉さんみたいな強さが少しでもあればと思う。

「…あのさ、さっきも風花さんに聞いたけど…」
　わたしの質問（要望？）にすぐには答えずに、純水くんが言う。
「本当に、僕でいいの？僕にその資格があるのかな？」
　確かに、さっきも風花姉さんにした質問だった。
「…そういうことをするのに資格がいるんだったら、純水くん以外に誰も資格をもってないよ。純水くんを好きなのは、わたしなんだから」
「…そうかな」
「そうだよ」
　わたしはそう言った。あの優しい純水くんでさえ、自分に自信を持てていないところがある。わたしにはそれが意外だった。
　わたしにとっては、ここにいる純水くんは誰よりも強くて優しくて、そういう存在だった。
　でも、それはむしろ安心感を与えるものだった。
「…わたしだって、純水くんが好きなんだから」
　わたしの口がわりとうまくまわったのは、風花姉さんの行為を見て少し大胆になったせいなのかな。もちろん、心の中では恥ずかしくて仕方がなかったけど。
　一緒にいたって、『好き』と面と向かって言ったのは、告白の時だけだったのに、今ではこうやってすらりと出てくれる。
　少し間を置いて、純水くんの腕がわたしを包み込んだ。とても、暖かかった。

　ふわり、と暖かい純水くんの腕が心地よい。わたしはしばらくそこにいた。自分の胸の高鳴りも。純水くんの心音も聞こえてくるようだった。
(風花姉さんは…きっと、わたしよりも不器用なんだね）
　わたしはなぜかそんな風に思った。わたしは今、ここに、純水くんの腕の中にいるだけで安心していられる。
　少しは腹も立つけど、わたしが風花姉さんと同じ立場だったらどうしただろう。
『すでに彼女がいる』という条件で、告白できない状態だったとしたら何を考えただろう。そういう面では、風花姉さんのストレートさがちょっとうらやましくもあった。
「…ごめん、ヘンなこと言っちゃったよね。純水くん、疲れてるよね」
　わたしはようやく純水くんから離れるとそう言った。
「お父さんが亡くなって、そんなときに、わたしたち姉妹そろってこんな風に押しかけて…」
「迷惑じゃないよ」
　わたしが言おうとしたことを、純水くんがさえぎってしまった。
「…確かに、風花さんが来た時には驚いたけど…だけど、弓華ちゃんが来てくれて嬉しかった。もちろん、昨日の電話だって」
「心配だったんだよ。わたしもお父さんを亡くしたとき、悲しかった。誰かに助けて欲しかった。わたしには姉さんたちがいたから、なんとかやってこられたけど…」
　純水くんが一人っ子だという話を、わたしは前に本人から聞いていた。
　しばらく沈黙が続いた。だけど、重苦しいわけではなかった。わたしはどんな目で純水くんを見つめていたんだろう？
「…ね、純水くん」
「うん？」
　わたしは少し目をそらした。相手の目を直視していえないセリフを言うために。
「…キスだけ、してくれる…？」
　返事はなかったけど、わたしは目を閉じてから純水くんのほうを向いた。しばらくの静寂のあと、優しい感触が唇に触れるのが分かった。
　顔から全身へと熱が広がっていくのがよくわかった。
（…風花姉さんはあんなことをしたけど…キスはしなかったよね。わたしが、純水くんの最初のキスなんだ）
　よくよく考えるとそれが本当にわたしが最初なのかどうかは分からない。ただ、この時点でわたしが風花姉さんにほんの一歩だけ『勝った』と思えた。

　少しして、唇は離れた。わたしのほうも、大人のキスなんてよくわからない。ほんの一瞬だったのかもしれないし、数十秒にわたるキスだったのかもしれないけど、でもわたしには最高のキスだった。
「…ありがと」
　ようやく目を開いたわたしは、純水くんの顔を眺めながら、そう言った。なんだか体が熱い。さっきの風花姉さんもこういう状態だったのかな？
「わたし…もう帰るね。純水くん、ごめんね。なんだかいろいろ迷惑かけちゃった」
　結局わたしはどうしたかったんだろう？体が燃え上がるほど熱いのは分かったけど、風花姉さんみたいにストレートに体でぶつかろうとは思わなかったし、むしろさっきのキスだけで結ばれたような気がして、満足感で一杯だった。
「…あの、もし純水くんが…さっきみたいに…したくなったら、いつでも…いい、から」
　やっぱり最後のほうに声のトーンが落ちていく。大胆に振舞ったようでも声が震えてしまう。わたしと風花姉さん、どっちがエッチなんだろう？

　返事を待たないで、わたしは『じゃあね』と声をかけて背を向け、小走りで玄関へ向かっていた。ちょっと恥ずかしかった。
（そうだよ、純水くん、わたしだって純水くんの心を受け止めてあげたい）
　ドアのノブをひねりながら前進すると、扉に頭をぶつけた。『ごん』という派手な音が鳴り響いた。

「弓華ちゃん、大丈夫！？」
　頭の激痛にこらえながら、わたしは振り向いて苦笑いで答えていた。