８．
　
　　　　　　　　　　　　（Ｉ）

　誰かが、私を利用しようとした。それは、紛れもない事実だった。私自身は確かに彼方と交わった。だが、わざわざ彼女の職場に置手紙をしていくようなマネはしていない。
　『正体不明』で知られていた『ＩＣＥ　ＭＡＮ』が、わざわざ自分の存在を示すようなことはしないのが普通だ。私はアルセーヌ・ルパンでも、怪人二十面相でもないのだから。

　傷の男は確かに、私を知っているようだった。
（ヤツめ、何を企んでいる…？彼方に近付いて、何をするつもりだ？）
　少なくとも、傷の男は確かに彼方の家も職場も知っていた。尾行したのだろう。彼方は彼方で、無防備な人間だから、尾行など気付きもしなかったに違いない。

　警察の前科者リストに、ヤツの名前と写真が載っていた。前科（マエ）があったのだ。
　端末から抜き出した情報（もちろん、バレれば犯罪だ）に目を通す。
（恐喝の常習犯…？顔からして暴力団がらみかと思っていたが、もっと危険な存在らしいな）
　もっとも、自分のほうがはるかに危険な存在かもしれないのだが。
　名前は、『市川有三』。妻の名前は『留美子』となっていた。

　妻に関しては罪を問われてはいない。つまり、これまでの恐喝は市川…傷の男の独断で行われていた。
（ヤツがいるということは…彼方を脅迫するつもりか？だが、身寄りのない彼女に何を脅迫するというんだ？）
　私が彼女を陵辱したところを写真に撮った、ということはありえない。
（そうか、『私が彼方を陵辱したところを写真に撮ったふりをして』恐喝する気なのか）
　ヤツのことだ。恐らくは、彼方の家の電話番号や職場の住所なども調べてあるに違いない。
（ということは、私を騙って置手紙をしたのは、市川有三か…）
　あの時、捕まえておくべきだった、と今更ながらに悔やむ。悔しいが、私から彼方に、市川の名前を挙げて注意を促すことはできない。私は、彼女にあのようなことをしたのだから。

　仕方なく、私は自分の手で市川を阻止することにした。
「警察の情報端末に残っているのは…ヤツの写真、手口、それから妻留美子の写真か…」
　ひどいことに、ヤツは自分で女性を陵辱して恐喝したことまであるようだ。とても妻がある身とは思えない。
　だが、私はその次にあることに気付いた。
「これは、まさか…！」
　私の目線は、画面上に映し出された市川留美子の写真で止まっていた。どうもどこかで見たような気がする顔だったのだ。
「…よし、これでヤツの狙いが分かりそうだな」
　おそらく、警察は市川の存在に感づいていないだろう。今から私が訴えるのも怪しまれるだけだ。
　となれば、行動あるのみだ…。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　（Ｆ）

「んっ、んっ、んっ」
　まだ慣れていないせいか、途中でむせ返りそうになりました。先ほどまでわたしの中にあった…わたしを激しく突いていたそれは、今わたしの口に包まれています。
　普通なら、できないことだとは思いましたが、なぜか、わたしは抵抗は感じなかったのです。
　わたしが厭らしいからでしょうか。あんなことをされた後だからでしょうか？

　たぶん、『この人だから』ではないでしょうか。

「気持ちいいよ、彼方。無理せず、ゆっくりでいいんだ」
　まるで、ぎこちないわたしを励ますかのように、彼は言います。おかげさまで、わたしも一生懸命ながらも、少し緊張がほどけていくのが分かりました。
　が、口の中に含んだそれは、わたしとは裏腹にどんどん緊張していきました。ついには、口の中に入りきらなくなってしまったほどに…。
「ん…すごく、大きくなりました」
「うん、もう少しだよ」
　そう言われて、わたしはもう一度先端に舌をつけ、なるべく優しく舌先を上下させます。柔らかい感触と、先端からにじみ出た液体の味が、わたしの舌先で交じり合っています。でも、なぜかそれがとても幸せでした。

「…彼方、出るよ。先だけ、咥えてみて」
　言われて、わたしは口を大きくあけて彼の先端を口の中へ導きます。懸命に鼻で息をしながら、下を動かし、頭を前後させます。口をキュッとしめて、刺激します。
「うっ、うっ…！」
　急に先端がびくんっ、と膨れ、次の瞬間わたしの口の中を独特な匂いがする何かが突き抜けていきました。とても、とても熱い何かが…。
「んーーーーーーーーッ！」
　すごい声を上げてしまい、思わず顔を覆いました。が、その拍子に口から抜けてしまったのです。
　顔に、少しかかりました。むせ返って、口の中のそれが、ちょっと出てしまいます。思い切って、わたしは少しずつ、口の中に溜まった彼の精液を飲み下していきます。
　顔についたものも、指で拭って…。
「綺麗だよ、彼方」
　不意に、そんなことを言われました。
「本当ですか？」
　今まで、『綺麗』とは言われたことのないわたしは、そう聞き返していました。すると、彼は、口の端から白い液体をたらしているみっともないわたしを抱きしめて、優しい顔で言います。
「どんなものよりも、ね」

「ちょっと、出かけてくるよ」
　服を着替えたあと、彼は言いました。
「どちらへ？」
　聞き返しましたが、なんだか変ですよね。夫婦でもないのに、『出かけてくる』、『どちらへ』なんて会話は。
　思わず吹き出してしまったわたしを、彼は怪訝そうな顔で見ていました。

　ここ最近、色々なことがありました。夢のような出会い、そして『ＩＣＥ　ＭＡＮ』を名乗る誰かからの脅迫、そして、その後わたしは『ＩＣＥ　ＭＡＮ』がどういう人間なのかを知らされ…、そしてさらにその後、わたしは体を奪われました。
　それと同時に、わたしを本当に愛してくれる人を見つけた…。何かを恐れて人を愛するどころではなかったわたしを、あの人は愛していると言ってくれる。

『あなたとの子供なら、何人でも産みますから』
　この台詞に、嘘はないつもりでした。
　あの人がわたしを愛し、わたしがあの人を愛する。やがて間に子供が出来、それを育てるのも女性としての幸せの一つですから。

（…そういえば、『ＩＣＥ　ＭＡＮ』に気をつけろ）と警告してきたのは、誰…？）
　突然、一つ重要なことを忘れていることを思い出しました。
　確かに、『ＩＣＥ　ＭＡＮ』は実在していました。しかし、最初は『誰かからの警告を受けた』ことで、存在を知ったにすぎません。それまでは、『ＩＣＥ　ＭＡＮ』のＩの字も知らなかったことになります。
　その後、『ＩＣＥ　ＭＡＮ』はわたしと接触を試みてきました。そして、自分はそんな脅迫など行うつもりはないとも言いました。結果的に起こったことは抜きにして、危害を加えるつもりは本当になかったのでしょう。

　となると、わざわざ『気をつけろ』と警告してきた理由は何でしょうか？差出人のない手紙…それがすべての始まりでした。
　どのようにしてあの手紙が届いたのか。それを調べる必要があったのかもしれません。