アルバイト募集
　10：00〜15：00　17：00〜24：00
　上記のうち三時間以上　交通費支給　土日祭できる人　週3日より
　高校生以上　時給750円
　大学生・一般時給800円
　ファミリーレストラン　グリフォン高嶋店

　ある日曜の朝、ほんの少し寝坊をして食卓でパンを食べながら新聞の折込み求人広告を見ていた嘉納桂月の目に、こんな文句が入って来た。
　けだるい初夏の陽光が台所のテーブルを照らす。桂月は何の気なしに何度も読み返した。

　五月に入って大学の履修届も終わり、去年所定以上の単位を取った桂月は二年になった今年、余裕をもって履修しても授業は土日を休みにできたこともあり、有効に時間を使う方法は何かないかな、と色々考えていた。

　そういえば今年からゼミでコンピュータを使う事になっていた。
　学校にもパソコンルームはあったが、そこはいつもほぼ満室でそれよりも、そこにいつもたむろしている人種が、桂月はどうも好きになれなかった。
　あきらかに桂月よりもスキルの高そうな彼ら、彼らがときおりチラチラッと自分に送る視線を桂月は感じていた。しかし桂月と目が合うと彼らはふっと視線をそらして、自分たちの話題を大声で始めるのだ。

　いわゆる「オタク」と呼ばれる彼らの「風貌」が気に入らなかったのではない。人懐っこくとまでは言わないから、はにかみながらでもいいから、興味があるなら女の子に自分から勇気を出して声をかけるくらいの気概を見せさえすれば、友達にだってなれるのに、そのリスクを負おうとは絶対にしない彼ら。
　自分から話し掛ける勇気はないくせに、自分の得意な話題には注目してもらいたい。
　その小賢しいちっぽけで醜悪なプライドを必死に守り合う、似た者同士の集団がいやだったのだ。
　そして理系である桂月の専攻する科目には、そんな男たちが多かった。

　パソコンには前から興味はあった。そういえば今度ウィンドウズが98からMeに変わるらしい。いい機会だからお金を貯めて買おうと桂月は決めていた。
　裕福な桂月の家庭で、それは決して破滅的な値段ではなかったし、一人娘の桂月が大学の勉強に使うためにそれをねだったなら、彼女の父親は簡単に買ってくれるだろう。
　しかし桂月はこのときそれをあえて避けた。自分で買おうと決めたのだ。

　桂月はアルバイトというものをした事がなかった。厳粛な規則のある女子高にいた頃、学校に内緒でアルバイトをしている同級生は何人もいた。当時の桂月の目に彼女たちは
「規則を破ってまでお金が欲しいひとたち」という印象でうつっていた。
　いや、ほんの一週間前、卒業以来一年ぶりのクラス会に出席するまではそうだった。

　クラス会の待ち合わせ場所に向かう途中、桂月は配られていたティッシュを受け取った。
　よく見ると、そのティッシュは二枚重ねてあった。
　一緒にいた、別の場所で待ち合わせていた友人に桂月は言った。
「あら、二枚もらっちゃったわ。あの人間違ったのかしら？？」
　すると友人は少しばかり、あきれた顔で言った。
「早く終わらせたいからに決まってるでしょ？桂月、そんなの常識でしょ。」
　桂月はきょとん、としていたがよく考えるともっともな話だった。
　しかし疑問が残って、「常識でしょ？」という言葉が引っかかったがさらに訊いた。
「でもあれを配り終わっても時間が来ないと帰れないじゃないの？」
「何言ってるの、あれはいくつ配ったかでバイト代が決まるのよ。」
　桂月は顔から火が出そうな気持ちになった。この友人は別に素行不良だったわけではない。
　いやむしろ、高校のときは桂月と同じタイプの子であった。
　それなのに、時給と歩合給の性質の違いを「常識」として理解している彼女と、「まちがって二枚もらった」と思っていた自分の差が無限に思えたのだ。

　クラス会でもその事で、桂月は友人たちにからかわれた。と言っても彼女たちに悪意はなく、
「桂月はまじめだもんね。」と好意的に結論づけられる軽いものであるが、テレ笑いしながらも桂月の屈辱ははかり知れないものであった。自分で自分が許せなかった。

　ほんの些細な出来事だったが、自分のまじめさは、「世間知らず」とイコールなのだと言う事。
　そして年齢相応に知っておいてしかるべき「世間」というものが存在する事。
　このティッシュの一件は桂月の中で、自分を見つめ直す大きなきっかけとなっていた。　そして桂月は、今年大学二年になったのを機にアルバイトをすることに決めた。
　パソコンは確かに欲しい。しかしそれよりも桂月の胸の中にあったのは、世間知らずの自分を、自分を変えたいという思いだった。

　即座に電話を取り、グリフォン高嶋店の電話番号を確認してダイヤルした。
　しかし、一向に誰も電話に出なかった。
　電話番号を確認してもう一度かけて見ると、高校生くらいの女の子が出た。

「毎度ありがとうございます。グリフォン高嶋店でございまぁす」

　ちょっとだるそうなその声の主は、間違いなく桂月よりは年下であろう。
　もしも自分がそこに入ったら、その子に仕事を教わるのかな？と思った。

「あの・・お忙しいところすみません・・求人の募集を拝見してお電話した嘉納と申します。」
「あ、はぁい！少々お待ちくださぁい」

　しかしそれっきり電話は数分間にわたって放置された。

　やがて電話口に出てきた男が慌てた口調でまくしたてた。

「あ、すみません！バイトの面接ですね？明日の三時に面接来られますか？」
「はい・・うかがいます。」
「じゃお待ちしていますね。」
「よろしくお願・・・」

　電話はすでに切れていた。

（忙しいんだろうな・・・自分で勤まるかしら？）と漠然と不安になった。
　しかしそれを急いで打ち消した。自分を変えるのだ。桂月は自分に言い聞かせた。