翌日、約束どおり桂月はグリフォンにやってきた。
　昼食どきを過ぎ、閑散とした駐車場を横切るとき、その隅に止まった車に桂月は目を止めた。
　運転席のシートを倒して両足をハンドルの上に乗せ、男が顔にスポーツ新聞をかぶせて眠っていた。

「あの・・・ごめんください・・」
　店の裏口から、こわごわ声をかけてみた。

　桂月がのぞき込むと、山積みになった30キロ入り米袋の上に座った白衣姿の男とネクタイをゆるめた制服姿の男がくたびれきった表情で、不機嫌そうに一瞥をよこした。
　二人ともタバコをくわえながら、ニコリともせずに「はぁい」と返事をした。
　その無愛想な表情は、あきらかに店で見るウェイターのそれではなかったが、ここは「関係者以外立ち入り禁止」のバックヤードである。
　言わば自分は勝手に入ろうとしている侵入者であり客ではない。
　さすがの桂月も頭では理解していたが、実際に直面するとやはり緊張した。

「あの・・・今日面接していただくお約束をしていた嘉納と申しますが・・」

　するとウェイターの方が少しだけはっとした表情になった。

「はい、ご苦労様です。すみませんが店の正面から入ってもらえますか？」

　言われた通り桂月は裏口を出て、正面玄関へ向かった。
　駐車場の隅に止まっている車では、さっきの男がまだ眠っていた。


　レジの前にはさっきのウェイターがネクタイをきちんと締めて立っていた。
　表情もおだやかで、「さっきはすみません」と言いながら桂月を客席に通した。
　そしてA4サイズの紙を桂月に渡すと、こう言った。

「これに名前と住所と生年月日と学校・・大学生ですよね？それとここの表にですね
　一週間に出られる日のところに都合のいい時間、何時から何時までって書いておいてください。」
「はい・・わかりました」
「店長がそのうち来ると思いますので」

　そう言った瞬間、客が入って来た。ウェイターはにこやかに「いらっしゃいませ！」と言い桂月のテーブルを離れた。桂月は言われた通りにその紙に記入した。
　すると数分後、バックヤードからパントリーを通過して、ワイシャツのボタンを三つくらいはずした、あきらかに寝起きの男がフロアに出てきた。
　歳はだいたい三十を少し過ぎた位の、中肉中背のその男は桂月の顔を見ると、人懐っこく笑った。
　その笑顔は、いわゆる「営業スマイル」の類ではなく、本当に屈託のないものだった。男は桂月の前に座って言った。

「どうもご苦労様です。店長の辻元です」
「あの・・お忙しいところ恐れ入ります。嘉納桂月と申します。」

　そう言って履歴書の入った白い封筒を手渡したが、辻元はさっき桂月に渡された紙の方を手にとりしばらく読みながら、一人でぶつぶついいながら指を折り、何かを数える仕草を見せた。

「いつから来られますか？」
「はい、明日・・土曜日からでも来られます。」

　辻元はその紙を二つに折って胸ポケットに入れると立ち上がりながら桂月に言った。

「はい、じゃ採用です。明日の10時からね。一応初日だから30分前に来てね。」
「は・・はい。」

　嘉納桂月生まれて初めてのアルバイトの面接は、たったの30秒で終わった。
　あまりのあっけなさに、帰り道を歩きながら桂月は呆然としていた。
　大変緊張していただけに、そのあっけなさは桂月を困惑すらさせていた。

　今日のうちに桂月は、面接のあらゆるシミュレーションをしていた。
　志望動機、希望勤務日数、あらゆる質問に立て板に水が如く答えるために、桂月は何度も仮想面接を反芻し、昼休みには大学の図書館で四季報まで引っ張り出しグリフォンの会社概要に至るまで頭に叩き込んでいた。
　それなのに実際の面接はわずか30秒で終わってしまった。

　桂月が何度も清書した履歴書に至っては、封筒の封すら開けられることがなかった。
　あの飄々とした男。辻元と言う人は本当に店長なのだろうか？？
　家にたどり着くまでの間、桂月は軽いショックから抜け出せないでいた。

「店長、どうっすかあの面接の子」
　店長室で遅い昼食のカップラーメンを食べながら、桂月が裏口で最初に会ったウェイターのアルバイトである、加藤真一が訊いた。
「んー・・・夏乗り切ったら残るだろうけど、夏で消えるかなあ。」
「なんかお嬢様っぽいっすからねえ。」
「ああいう『社会勉強』っぽいバイトってだいたいもたないんだよな。」

　加藤はなるほど、と頷いた。加藤は高校一年生のとき、バイク欲しさにこの店にバイトに入ってもう二年。出入りの激しいこの業種のバイトとしてはベテランの域に達しており、夏休みなどの長期休暇の時期などほとんど休みなく働き、扶養控除の限度額を危うく越えそうになり、あわてて辻元が休みを与えたほどだった。
　このため通常のバイト業務はもちろん店舗管理の書類も、給与計算などを除けばこなしてしまうまでに成長していた。だから多少生意気な口もきくのだが、辻元は黙認していた。

「びっくりしましたよ。あんまり礼儀正しい人が来たから俺、なんかの勧誘かと思っちゃった。」
　加藤はカップラーメンのつゆを飲み干してつけ加えた。

「でもあの人・・・・なにげに巨乳っすよね」
「ああ、ケツも大迫力だったな。」
「かと言ってデブってわけじゃないんすよね、グラマーっていうのかな。背が少し高いからかな。」

　仕入れ伝票をクリップにはさんで引き出しに放り込みながら辻元が言った。

「まあそれもあるだろうけど・・あの子はな、姿勢がいいんだ。」
「さすが店長！よくお気づきで！！！」

　加藤は笑った。