翌朝学校へ行く途中で、同級生に会うたびに操は内心得意だった。
　自分はもうあなた達と違って、男を知っている体なのよ、と。
　別に高校三年生となれば、処女じゃない娘は大勢いるのだが、　それでも操は得意になっていた。

　彼氏、恋人、なんと甘美な響き。
　操は一睡もしていないにも関わらず、一日中辻元のことを考えていた。
　そして智子に、辻元と別れるよう詰め寄る自分を想像した。
　ぼんやりと、そしてうっとりと一日を過ごした操は、放課後になって、自分の携帯がないことに気づいた。
　辻元のマンションに置いて来てしまったのだろうか？
　だとしたら、辻元がちゃんと持っていてくれるだろうし、もしも辻本が知らなかったら、即座に携帯の使用を停止すればいい。
　そう高い携帯でもないのだから。操は特に気にも留めなかった。

　操は、学校の帰りにグリフォンに寄ろうと決めた。
　来週の勤務シフトを提出しなくてはいけないし、辻元に会いたかった。
　昨日の今日で、辻元の顔をまともに見られそうもないとも思ったのだが、操はうきうきしながら店の通用口から控え室に入って行った。

　なんだか店の中が騒々しい、操も顔を見たことがある本社の人間も何人か来ている。
（クレームかな？）と操は思って、控え室の中に入った。
　すると元気のなさそうな菊地昌枝がいた。

「おはよう昌枝。」
「おはよう、井原ちゃん。聞いた？店長のお母さん亡くなったんだって。」

　急遽、休暇を取った辻元は、完全に参っていた。
　昨日、三人の娘を時間差で相手にしている間に、自分の母親が死んだのだ。
　帰省する準備をしながら、辻元はうっすらと目が潤んで来た。

　店には本部の人間も来ているから、営業には差し障りないはずだ。
　そして桂月には短いメールを送っておいたし、あとはやり残したことはないはず。
　大きめのショルダーバッグを持って、辻元はマンションの鍵をかけてタクシーで新幹線の駅へ向かった。

「おらぁ！しゃきっとしろお前らぁ！店長が三日いないだけだろうがぁ！」
　真紀が、どこか沈痛な雰囲気になっているバイト達にハッパをかけた。
　退職した瀬戸内の代わりに、新しく配属になった奥寺も度肝を抜かれる
　真紀のタンカだった。

　奥寺は配属前に、前の店の店長から
「あの店の女のバイトはほとんど辻元が手を出しているからな。」と言われていた。
　実際、ほとんどとは言わないまでも、辻元のお手つきとおぼしき女が何人かいたが、奥寺は智子が気になっていた。
　そうとは気づかず、智子は無表情で仕事をこなしていた。

　操は、突然寂しさが襲ってきた。
　放心状態で過ごした一日が、なんだか歯切れの悪いことになっていた。
　携帯の所在も気になったが、辻元のことを想うと胸が苦しくなった。
　会いたいという気持ちが、会えないとわかった途端激しくなっていた。
　智子が、あえて何も起こっていないかのように黙々とフロアで接客をしているのを見て操も、同じようにフロアへ出た。

　終業後、操は辻元のマンションへ行った。
　辻元がいないことはわかっていたが、何故かそこへと操の足は進んだ。
　主のいない部屋の電気は消されたままで、操は辻元の部屋の窓をしばらく見上げていた。
　つい昨日、自分が初めて女にされたあの部屋の鍵を、辻元が渡してくれていたら自分は毎晩でも掃除に行ったことだろう。
　ふと我に帰った操は、近くに人の気配を感じて振りかえった。
　そこに立っていたのは智子だった。

　智子の手には、操の黒い携帯があった。
　それは本当に偶然だった。
　操は、辻元のマンションを出るとき、正面玄関で、自宅に帰宅する旨を電話したあと、サンダルのひもがほどけていたのに気づき、なにげなく携帯を生垣のレンガの上に置いてしゃがみ込んだ。そして、放心状態だったのであろう、そのまま立ちあがって歩きだしてしまい、忘れてしまったのだ。
　その後、他のマンションの住人がそれを見つけ、管理人室前の落し物箱に入れたのだ。　智子が来たのは夜だったので、それに気づかなかったのだが、翌朝学校へ行くためにマンションを出ようとした智子は、何気なくみた管理人室前の落し物箱の中に携帯を見つけた。
　以前に智子も一緒に行ったコンサートのときに買った、バルクアンドリテールズのストラップのついたその携帯を、操のものであることを智子はすぐにわかった。

「携帯拾っちゃった。」
「ありがとう。」
　携帯を渡すと、智子は操を睨みつけ、操も智子を睨み返した。

「説明してよ。」智子は肩をいからせて、震える声で操に言った
「何をよ。」長身の操はわざと見下ろすように智子に返した。
「あんた自分のやってることわかってるの？遊びとしても相手選んでよ。」
「遊び？」操は鼻を鳴らして言った。
「私は遊びなんかのつもりはないわ、私は店長が好きだったから告白しただけよ。
　それをどう取るかは店長次第で、あんたが口を出すようなことじゃないじゃない。」
「それで・・・・店長とは・・・？」
　操は得意気に智子に言い放った。
「抱かれたわよ。」
　智子の両目から涙がこぼれた。それを見て操は（勝った）と思ったが、智子はすぐに反撃してきた。
「・・・あんた遊ばれてるのよ、あの人は他にも浮気してるんだから！
　誘われたらそれに乗るのが男なんだから、あたしに勝ったつもりにならないでよ。」
「だから何？あの人が他の女に手を出すのは、あんたに引きとめ続ける力がないからでしょ？それを棚に上げて私に文句言うのは筋違いってものでしょ。」

　操と智子の口論は、操の方が、緩やかに破綻した論理だったが、智子はそれを指摘して論破する言葉を持たなかった。やがて二人はどちらを選ぶかを辻元に決めさせることにした。
　そして二人とも、勝つのは自分と信じて疑ってなかった。
　操は自分のベッドに入って、智子と自分の仲は完全に終ったと考えていた。
　同じ時期にグリフォンにアルバイトとして入って、学校は違うが同学年として気が合った智子と、次第に離れていったのは、智子に富樫勝という彼氏ができてからだ。
　女は男次第。これを知った操は、いつか自分もそうなるのだろうかと、思っていたが、あまりに友達よりも男を優先し始めた智子に対する不快感で自分は決してそうはならないと決めていた。
　しかし実際に操自身がそういう立場になり、しかも智子の最愛の人を略奪する格好になったとき、智子に対して操はなんら罪悪感を持たなかった。
　女は男次第。これは自分にも言えることだと初めて気がついた。

　智子は辻元が好きだった。
　それは恋愛感情でもあったし、セックスの悦びを初めて教わったことでもあった。
　しかし智子は自覚していないことがあった。
　智子は家を出たくてしょうがなかった。高校を卒業したらとにかく家を出たかった。
　商業高校とはいえ智子の成績はトップで、いくつかの大学への推薦の話もあった。
　大学なんかよりも、とにかく家を出たい。智子にとって外で暮らすことはあこがれであった。
　卒業したら、辻元と暮らしたい。毎日辻元と一緒に店に出勤して仕事をする。
　幼稚で、身勝手で公私混同もはなはだしい願望だが、そこまでは理解していなかった。とにかくそうやって暮らすことが智子の憧れであった。

　操と智子の修羅場を知ることなく葬儀の席で、辻元はぼんやりしていた。
　母の遺影を前に考え込んでいた。
　辻元は父を早くに亡くしており、唯一の肉親が母親だった。
　自分はもう35になった、仕事はまじめにやっているが、独身である。
　同級生にはもうほとんど子供がいるのに、自分はのんきに女漁りをしている。
　そんな暮らしを母が心配しているのはよくわかっていた。
　会うたびに、見合いや結婚の話が出て辟易していたのだが、こうやって亡くしてみてなんの親孝行もしなかった自分が、なんとも悔しかった。

　辻元の母親は、いくつかの不動産とアパートを所有しており、一人息子の辻元がそれを相続することになった。
　年度末のボーナスをもらったら、退職して嫁さんでももらうかな、と思った。
　そんな辻元の脳裏に浮かんだ女は、智子でも操でもない。
　嘉納桂月だった。

つづく