ちょうど奥寺と、一週間くらいで入れ替わりになる。
　奥寺は、少しびっくりしたような当惑した表情になっていた。
　自分は今回が初めての異動で、前の店の雰囲気に慣れていて
　異動そのものに対する脅威があったのだから、辻元もさぞかしそうだろうと思って声をかけた。
「えらい急な話ですね。」
「そんなことはないよ、お前だってここに来るのは急にだったろ。」

　実際辻元にとっては異動なんて、毎度のことなのだ。
　しいて挙げれば引越しの手間くらいしか、憂鬱になる要素はない。
「お前ももうちょっと異動を重ねればこんなの屁でもなくなるよ。」
　と辻元は笑った。

　仕事というよりは、学級会的な単位で奥寺は店というものを考えていた。
　みんな仲良し楽しい仲間、これは新入社員特有の勘違いであり、実際社員の出入りは流動的で、一度出た人間は、ずっとそこにいるパートやバイトにとって、いずれ忘れられていく存在なのだが、それを理解していない奥寺は前の店に対するホームシックの真っ最中だった。
　その店のバイトにとって、実際には「前にここにいた人間」に過ぎないのだが、そうとも知らず奥寺は公休のたびに、前の店に顔を出していた。
　この日も、奥寺は公休で、例によって前の店に行く途中に立ち寄ったところだった。
　こんな奥寺だから、辻元のどこか冷やかな反応が理解できなかった。

　バイトはみんな学校へ行っている時間だったが、真紀が富樫勝の携帯に入れたメールがわずかな時間で、バイト達に広まって行った。
　そしてそれは当然、それぞれの学校にいた智子と操にも届いた。
　そして富樫とは別に真紀は、桂月にもメールを送った。

　大学の図書館で、桂月は冷静にそれを読んだ。

　学校からまっすぐ通用口を飛び込んで来たのは操の方だった。
　店長室に入ると、辻元が真紀と世間話をしていた。
　察しのいい真紀は、無言で店長室を出て行き、真紀が座っていた椅子に座った操が辻元に話しかけた。

「店長・・・・本当に異動なの？」
「うん、これはしょうがないだろう。」
「だって・・・・・急じゃない・・」
「異動ってのは急なもんなんだよ、俺が来る前の店長の、小野寺だって急に動いただろ？」
「だって・・・・あの人は・・どうでもよかったし・・」

　どうでもいい、この言葉の中に操はできるだけたくさんの意味を込めたし、辻元もよくわかっていた。
　操は辻元をじっと見つめた。精一杯女の目をして見つめた。
　智子との死闘に決着をつけるには、辻元自身に自分を選ばせるしかない。
　だが辻元は、まだ智子と操の大ケンカを知らなかったから、このまま自然消滅するつもりだった。
　フロアのパントリーから、客席を見まわす一方で真紀が、店長室での、二人のやりとりに聞き耳を立てていた。

　夕方、桂月は大学の図書館を出ると辻元の携帯に電話をかけようとして、やめた。
　そして、辻元のパソコンにメールを書いた。

「ご栄転おめでとう、江南町だったらうちからあまり遠くないところへ
　引っ越して欲しいな、それから今夜遅くに電話していいですか？まずかったら
　出なくてもいいからね：桂月」

　恋愛で距離は大きなネックになる。
　辻元の今住むマンションは宮田店のすぐ近く、そして桂月の住む高嶋町、今度辻元が異動する江南町は、車だったら30分くらいで移動できる距離だが、電車かバス以外の交通機関を持たない智子には、かなりの距離となる。
　桂月はとっくに智子の存在に気づいていたのだ。
　おっとりとしたお嬢様でも、桂月には歳相応の女の情念があった。
　辻元に対する想いが完全に再燃した桂月にとって、自分よりも四つも年下でも野坂智子は、排除するべき存在になっていた。
　それでも、理性的な桂月はヒステリックになることなく論理的に策を練っていた。
　桂月もまた、心に蛇のいる「女」だったのだ。

　駐車場から国道に出た桂月の車が、ある車とすれ違った。
　その車は、桂月とは面識のない奥寺が運転していたが、助手席に座っていたのは野坂智子だった。
　智子は桂月に気づかなかったようだが、桂月は見逃さなかった。
　桂月は瞬時に、智子の弱みを握ったと気づいた。
　どれほど貞淑な女でも、女は女に容赦しない。それは桂月とて例外ではなかった。
　どうして智子が辻元以外の男の車に乗っているのかわからなかったがバックミラー越しに桂月は、その車のナンバーを暗記した。