桂月が店を出て9時間後、閉店したグリフォンには辻元と加藤、そして栗原裕美だけになった。
　レジからの売上レポートを整理する辻元に栗原裕美が話し掛けた。
「店長・・・あの嘉納さんって人短期ですか・・？」
「いや・・いちおう長期だけどね。」
「・・・・・・。」
「どうした？ムカつくか？ああいうタイプ。」
「いえ・・なんか住む世界の違う人だなって思って。」

　そのとき帰り支度を済ませた加藤が現れ
「んじゃ！店長！お先に失礼します！」と言ったと同時に、裕美が立ち上がった。
「まって！加藤くん！免許取って車買ったんでしょ？」
「いや違うっすよ。親父の車借りただけっすよ！」
「今着替えるから送ってってよ。」
「あ、いいっすよ。じゃエンジンかけてますね。」
「お先に失礼します。店長。」
「おー、気をつけてな。」

（まずいな・・）と辻元は考えていた。栗原裕美は自分からはめったに喋らない子だ。
　しかも特定の従業員の事で何かさぐりを入れて来るとは、何かが癇に触ったのだ。
　おとなしく、それでいて仕事ぶりはまじめでよく気がつく裕美が、桂月とぶつかりはしないか。
　かと言って人員は足りないから、長続きするかわからない桂月でも人手は切りたくない。
「やれやれ・・・少し様子を見るかな・・」と一人声に出して言ってみた。

「なんの様子を見るの？店長。」
　辻元がびっくりして振り返ると、そこには2時間ほど前に仕事を終えて帰って行ったはずの松月道子がいた。

「ああ、びっくりしたぜ。」と辻元が言うと、
「今夜急にヒマになったから、約束してた御礼をしに来たの。」
　へへへっと道子は笑った。

　父親から借りた車に裕美を乗せて、加藤は国道を走っていた。
　加藤はこの、自分よりも二つ年上の大学生である裕美が、正直苦手だった。
　とにかくほとんど喋らないから、何を考えているのかわからない。
　いつも軽く上目遣いの表情で、うっすらと微笑している裕美は確かに美人だった。
　しかし、比較的単純な性格である加藤にとっては不気味にさえ映っていたし、他のバイト仲間から、かすかに聞こえてくる「あの噂」もあり、加藤にとって謎の女だった。

「加藤くん、おなかすいたね。なんか食べて行こうよ。」
「ああ、いいっすよ。じゃあそこにしましょうか。」
　と行く手にあったファミレスに車を入れると、二人は店の中に入った。
　グリフォンと違い、24時間営業のその店は、深夜特有の客層による軽い混雑をしていたが、比較的あっさりと二人は席に案内された。
　メニューをながめる加藤に、裕美はテーブルに肘をつき、両手を頬に当て、小首をかしげる仕草と、あの上目遣いの表情で加藤を見つめて言った。
「ねえ加藤くん・・・嘉納さんってどう思う？」
「どうって・・・まあお嬢様タイプですねえ。」
「K大だってさ・・私、あなた達とは違うのよって顔してない？」
「んー・・・こういうバイトに来る人ではないでしょうねえ。」

　運ばれて来たハンバーグを食べる加藤を、裕美はあの上目遣いで見つめた。
　加藤は、裕美に関する「あの噂」はどうやら本当らしいと感じたが、それよりも桂月に対する、さりげない敵意の扱いの方に考えをめぐらせていた。
　加藤は、グリフォンというアルバイト先に居心地の良さを感じていたし、店長の辻元のことも慕っていた。だから従業員の中でも、自分は特定の派閥に入るまいと心がけていた。いやそれ以前に、加藤のキャリアはすでにベテランの域にあり、先輩クラスのアルバイトたちは、この時期就職活動に入っていて、ほとんど店に来なかったためいわゆる「世代交代」が済んでおり、むしろ「加藤派」というものすら漠然と存在していた。そして当の加藤自身は辻元を慕っていたので、言うなれば加藤はアルバイトの大番頭であった。大番頭は店に忠誠を誓うもの、加藤は店を考え、裕美と桂月の衝突を避ける方法を加藤なりに模索していた。

　軽く雑談をしながら、しばらく二人は食事をしていた。
　しかし食事が終わった瞬間、数秒の沈黙のあと裕美が、テーブルに乗り出し加藤に顔を近づけた。
　そして次の瞬間、加藤の脚に裕美の脚が絡みついた。

「加藤くん・・・ちょっと寄り道しようよ・・・・。」

（来たあ・・・・）加藤は観念した。