朝８時。シャワーを浴びて下着の上にバスタオルを羽織り自分の部屋に戻って来た桂月は、収納壁前面を占める巨大な姿見の前で、バスタオルを取ると下着姿の自分を見つめた。
　上品な趣味の白いブラジャーとパンティに包まれたその体は豊満で、男から見たら相当のスレンダー好みの男でもない限り、むしゃぶりつきたい程に官能的だった。
　しかし桂月は自分のこの体が嫌いだった。劣等感の根源と言ってもよかった。
　グリフォンで道子が、パートの二人が、その乳房の大きさと形を誉めても桂月にとってそれは、なんの賛辞にもならず、ただイヤな事を思い出すだけだった。

　しばらく鏡の中の自分を睨み続けると、桂月は右足を軽く上げかけ、そしてやめた。
「店長さん・・今日新しい制服持ってきてくれないかな・・・・。」

「桂月！あなた今日もアルバイトなの？」母親が階下から桂月に声をかけた。
「うん！3時には終わるから4時までに帰るわよ！」
「あなた世間知らずだから、お店の人に迷惑かけないように気をつけなさいよ！」

　桂月はそれには答えなかった。（わかってる、わかってるのに！）
　その苛立ちを抑えるように、収納の扉を開けると桂月は、着て行く服を物色し始めた。

　グリフォンの従業員出入り口のカギを眠そうな顔で開け、ドアを開けると同時に作動する時限式セキュリティを、パネルまで小走りに向かって解除した加藤は、返す刀で厨房の早番のパートが嫌がる堅いガスの元栓を、気を利かせて開けるまでが土日祭日の朝の日課だった。そして大きなあくびをしながら控え室に向かって歩く加藤は、控え室に人の気配を感じた。

「店長・・また酒飲んで帰れなくなって店泊まったのかな？」
　加藤が控え室のドアを開けると、中で座布団が山のように積み重ねられていた。
　そしてその山の中から、細く白い脚が二本のぞいていた。
　加藤は一瞬ぎょっとしたが、脚の持ち主が誰かと言うことよりも、なぜこんな所に泊まってるんだと疑問が移るまで数秒しかかからなかった。

「ま、とりあえず・・」と加藤は控え室に入ると座布団の山の前に仁王立ちになり、てっぺんの一枚だけを蹴り飛ばして怒鳴った。
「起きろ！松月！！！」

　座布団の山の中から眠そうに道子がむっくりと起き上がると、
「・・・加藤さん・・おはよー・・・・」と言い、ぼさぼさの髪で、
「んー・・・」っと道子は伸びをした。

　加藤は頭の中で懸命に言葉を整理して、やがて言った
「お前、なんでここにいるんだ？店長がよく許したな。」
「んー・・・・・」と道子は頭をぼりぼり掻いた。
　さすがに昨夜店長とセックスしてたとは、寝起きでも道子は言わなかった。

「お前なあ、ここセキュリティの設定したら、控え室のドア開けただけでアラーム鳴るんだぞ！」
「はぁい・・・いやー昨日友達の約束キャンセルになっちゃったんだけど
うち帰るの面倒で・・・それで店泊めてって店長に頼んだんです。」
「まったく店長もこいつにそんな事許可してぇ！」
「・・・その代わり今日は遅刻しないじゃん。」と道子が笑った。

　そのとき桂月が控え室に入って来た。
「おはようございます。」
　仁王立ちになってる加藤と、座布団に埋もれて寝起きの道子を観て桂月は状況を把握できなかった。
「えっと・・・これは・・？」
「こいつゆうべ家にかえらないで店に泊まったんすよ！」
「へへへ・・桂月さんオハヨ！」
「おうちの人心配してるでしょう？」
「ああ、そりゃ大丈夫。」と、道子と、なぜか加藤が声を合わせて答えた。
「こいつのおふくろスナックやってるから夜いないんすよ。」
「うちのママはちょうど今ごろ帰って来る頃だから。」

　桂月はなんと言ったらいいのかわからなかったので、ただ「へぇ・・・」とだけ答えた。

「さて、顔洗って歯磨いてくるかなあ・・・」と道子はカバンの中から歯ブラシと洗顔フォームを取り出すと、控え室を出て厨房へ向かった。
「持ち歩いてるの・・・・？」残された桂月は加藤に訊いた。
「言ったでしょ？家に帰らなかったってのは奴にはよくある事なんすよ。」

　加藤は舌打ちをして、座布団を片付け始めた。
「問題は、なんで店に泊まってるんだ！！って事なんすよ。」
　座布団の整理を手伝いながら桂月は、まったく歩んできた世界の違う道子に、ただ驚くばかりだった。しかしそれでも不思議と（距離を置こう）といった悪い感情は湧かなかった。
　それはこのガラの悪いながらも、妙に責任感の強い加藤に対してもだった。
　むしろ桂月の心にささやかな、本当にささやかな感情、「喜び」が芽生えていた。
　それは道子が「嘉納さん」ではなく「桂月さん」と呼んだ事だった。

　客のいない開店前のフロアで、桂月は各テーブルの掃除をしていた。
　ポップメニューとナプキンをどけて、クリーナーのスプレーをかけダスターで拭き取り、ナプキンと爪楊枝の補充をする。
　その作業を桂月はていねいに一つずつやっていた。

　フロアの向こうで道子が掃除機をかけながら言った。
「桂月さぁん！それね、あまり気合入れすぎるとかえってまずいよ！」
「え？私普通にやってるだけよ？」
「へへへ・・・新人はみんなやるんだよ、これは。」
　と道子が掃除機を引きずりながら桂月の所へやって来て、今詰めたばかりのナプキンのその一枚をつまみ上げると、詰め込み過ぎのあまり、それはホルダーごと持ち上がった。
「ほらね？だから適当に手を抜いてないとこうなるの。」
　道子は大笑いし、桂月は真っ赤になった。

「お前みたいに、あまり手を抜きすぎるのも考えものなんだがな！」
　加藤が金庫からつり銭の入ったコンテナを抱えて二人の後ろをのっしのっしと通り、レジの電源を入れ責任者番号を入力すると加藤は、現金を勘定しながら舌打ちした。
「やべえ、千円札が足りねえや。今日日曜だから持たないぞ。店長に電話しなきゃ。」

　加藤は、携帯を取り出すと辻元に電話をした。それを見ながら桂月は
（あの・・・・私の制服もなんとかして欲しいな・・・）と言いたかった。
　あの小さいサイズの制服では、桂月のグラマーな体を包みきれない。
　道子が言うように、まるで往年の流行ボディコンのような見た目、そして何よりスカートが短すぎて、昨日もフロアで何度か桂月は、落としたものを拾うために、やむを得ずしゃがむとき、スカートの中のパンティが客から丸見えにならざるを得なかった。

　ふいに道子が加藤に向かって叫んだ。
「加藤さん！店長に嘉納さんの制服の事言って！！！」
　桂月が驚いて道子を見ると、道子のキツネのような細い目がにっこり笑った。
　加藤は制服の事を辻元に告げ、何度か返事をすると、頷いて道子と桂月に指でＯＫをした。
「嘉納さんの制服は、店長もう手に入れて来たそうっすよ。」
「ありがとうございます。」

　桂月は道子に対しては驚く事ばかりだった。正直言って決して素行のいい子ではない。言葉遣いも悪いし、タバコも吸う、そして昨夜のような無断外泊も頻繁にしている。
　家庭環境は最悪だろうし、肯定的要素が何一つないと言うのに、昨日一日の桂月に対するフォローといい、今の一瞬の桂月の表情ですべてを理解し、加藤にそれを伝える機転といい、（ただ者ではない・・）と桂月がぼぉっと思ってるとその視線は、ナプキンを引っこ抜く道子の胸元にぼんやりと固定されていたらしく
「なに？桂月さん。揉む？あたし桂月さんより小さいよ！へへへへ！」
　と道子はふざけて桂月に、その細身の割に大きめの胸を突き出して笑った。