「おはようございます！」
　翌朝、早めに出勤してきた辻元に、厨房で八百屋の検品をしていた公子が笑顔で言った。あの日以来、公子は劇的な変貌を遂げていた。
　まず髪型が丸っこいボブだったのに細かいウェーヴをかけていたし、もっとも違っていたのが、「笑顔」だった。これは他のパートも少なからず驚いていたが、公子は気にとめる様子もなかった。

　店長室で辻元は椅子にどっかり座ると、大きなため息をついた。
（俺とした事が・・・・昨日は本当に先走り過ぎた・・）
　桂月の官能的な体を見たときに、多くのバイトの女の子に手を出して来た自分が、フェロモンに誘われるように、つい行動に移してしまったのだ。

　今日のラストは加藤と道子の「最強コンビ」だから、もしも桂月が出勤して来なかったとしても、店の運営に問題はないが、あの桂月の反応を思い出し、何より桂月が可哀想になったのだ。
（いまどき「不埒」だもんなあ・・・・・・）

　しかしその日の夕方、桂月は普通に出勤して来た。
　辻元は安心したが、同時に今度は気まずくなってしまった。
「・・・おはようございます」
　桂月は辻元とは目を合わせなかった。

　その晩のピークは、客の切れが良く、あっさりとヒマになり加藤が舌打ちをしながら言った。
「店長！もう今日は終わりっすよ。あがって下さいよ！」
「帰れ、帰れえ・・・・へへへ」と道子もからかうように笑った。
　しかし桂月は黙って、洗い場から戻って来たコーヒーカップをコンテナに並べていた。

「桂月さんもいいよ！今日は9時まででしょ？」
「昨日ラストだったじゃないすか！もうあとは俺とこのバカで充分っすよ。」
「う・・うん・・・じゃあこれ並べ終わったらね。」

　謝るタイミングを逸したまま、重い気持ちで辻元は店長室に戻った。
　タイムカードを押して、書類をカバンに入れていると、桂月が現れた。
「あ・・あのさ・・昨日・・」と辻元が言うと同時に
「店長・・どうして昨日・・」と桂月が言ったため、数秒の沈黙があった。

　その気まずい沈黙を破り、辻元が言った。
「あのさ・・・俺の作ったパソコン見に来る？」
　桂月はこわばった表情で辻元の目を見つめた。
（しまった・・来るわけないよな）と思ったが、意外にも桂月は言った。

「行きます」

　車の中で、桂月はほとんど無言だった。
　とんでもないお嬢さんに、とんでもない失敗をしたと辻元は後悔した。

　マンションに着いて、辻元の部屋に入ると桂月はようやく口を開いた。
「店長・・・どうして昨日、あんな事したんですか・・？」
「ごめん！！」と辻元は言い訳せず素直に謝った。
　次の瞬間、桂月は涙を流しながら怒り出した。

「そのごめんはなんのごめんですか！」
「ごめん！」と辻元はまた平謝りをしたが、桂月は耳まで真っ赤にして一層大きな声で辻元に詰め寄った。
「謝るんじゃなくて・・・理由を言って下さい！」
「君が魅力的だったからです！」と辻元が言った瞬間、桂月が止まった。

「・・・・からかってるんですか・・」
「からかってないよ。」辻元が真顔になった。
「だいたいそうじゃなかったら、30過ぎの俺がこんな小娘相手に
　平謝りするような事を回避するくらいの理性は元々持ってるよ。」

「・・・・意味がわかりません・・・」
「君はすごく可愛い。君が自分でどう思ってるのかは知らないけどね。」
「私は・・劣等感を持ってます。」
「なんで？知的だわ礼儀正しいわグラマーだわで、俺の理性を奪うには充分だ。」
「グラマーじゃないです・・太ってます。」
　桂月がぎゅっと自分を抱くような仕草をすると、肩に指が食い込んだ。

　辻元は、桂月の劣等感は体型にあるらしいと気づいた。
　大抵の女の子は、体型に劣等感はあるが、桂月の場合非常に官能的な肉体で今まで多くの男達の視線を集めて来ただろうし、本人も気づいていただろう。
　それが劣等感？

「いきなり・・あんなの失礼です・・」
「わかったよ・・謝っただろう？」
「もし・・本当にそう思ったんなら、堂々と誘えばいいじゃないですか・・」
　蚊の鳴くような声で桂月がそう言ったとき、辻元は「形勢逆転」を本能で感じ取った。

「じゃあ、今からでもいいか？」
　桂月は横を向きながら、かすかにうなずいた。しかし辻元は今回は油断しなかった。
　大げさなくらいに慎重に桂月に言葉をかけた。
「嘉納桂月さん、キスしていいですか？」
　桂月は黙ったまま、またかすかにうなずいた。

（処女か・・？）と思いながらゆっくりと辻元は桂月に近づきデリケートに桂月を抱き寄せるとキスをした。
　今回の桂月は、黙って目を閉じて、唇を委ねた。
　桂月の唇の奥で、かすかに歯がカチカチと鳴っていた。

　辻元はもう余裕を取り戻していたが、まだ大げさな物言いは続いた。
「もう一回キスしていいですか？」
　桂月はまた黙ってうなずいた。まだ辻元は舌を入れたりはしなかった。
　二回目のキスのとき、桂月の歯の鳴る音がやみ、桂月の白い腕がおずおずと辻元の背中に回された。

　舞台のように大げさなセリフだが、辻元は言った。
「嘉納桂月さん、魅力的な女性のあなたに私は男性として興奮しています。
　今夜あなたを抱いてもいいでしょうか？」

　その瞬間、はっと我に返った表情をした桂月だったが、必死に自制しながら答えた。
「・・・はい・・」