「ふう…」
　グリフォン宮田店の店長室で麦倉哲也は電話を切ると、軽くのびをした。
　上体を反らして視界が逆さになると、仁王立ちの浅黒い南洋系の顔立ちの女がいた。
　荒井真紀は、その大きな乳房を誇るかのように胸をそらし、自分の乳房ごしに麦倉を見おろして言った。
「麦ちゃん何やってんだよぉ」
「んー、ちょっと高嶋店の知り合いに電話だよ」
　麦倉が、伸ばした両腕の先にあった真紀の乳首を人差し指でつんと突くと
「バーカ！」
　真紀が麦倉の額をぴしゃりと叩いた。

　高嶋店と違い、この店は閉店直前は完全に客足が途絶える。
　時間帯の人件費としては、麦倉一人でやった方がいいのだが、麦倉は、この時間は楽をする方を選び、だいたい真紀がラストまでいた。
　誰もいないフロアにBGMが退屈そうに流れ、あとはレジ締め業務を残すのみとなった。
　麦倉はレジに立つと現金の勘定を始めた。

「店長、さすがに今日はヒマだからあたしあがっていいかなあ」
「メシ食いにいかないか？」
　真紀は一瞬間をおいて、片方の眉を上げて答えた。
「つーかさぁ、素直に『やらせてくれ』って言えよ麦ちゃん」
「いや…メシも食いたいんだが…まあ…そうだな、やらせてくれよ」
　フロアに客がいないせいか、真紀は厨房にまで聞こえるような大声で笑い、どこか満足げな顔で、麦倉にだけ聞こえる声で答えた。
「いいよ」

　パントリーから消えた真紀が、厨房のバイト高校生をからかう声が遠のく。
　窓に映る自分のネクタイが曲がっているのを見て、麦倉はおもむろにそれを直した。

　麦倉はこれでもかというくらいに端正な顔立ちの男だった。
　中学生のときに、上級生の女の子達に「王子様」というあだ名で呼ばれ、その中の一人が「抜け駆け」して麦倉の童貞を奪った。
　それは極端な例としても、女の子の気を惹く努力は、ほとんど麦倉には無用だった。
　学生のときにやっていたビジュアル系のバンドには、相変わらず麦倉目当ての女の子達がつねに周りをうろついていたし、はっきり言って「入れ食い」状態だったが、なぜか恋愛としては長続きすることがなかった。

　レジ締めをしながら、幾重にもフラッシュバックする光景が脳裏に浮かんだ。
　ブレザー姿の春日さと子が顔を赤らめている。
　ベッドの上で髪を乱して激しく応えるさと子。
　麦倉の頬を打ち、激しく慟哭し、やがて嘔吐するさと子。
「俺だって傷ついたんだけどなあ」
　麦倉は小さな声で呟いた。

　やがて床下の金庫に売上金をしまい込み、立ち上がると、レジの前に位置する、満席時に案内待ちの客が座るウェイティング席に着替え終わった真紀が、黒いデニム地のミニスカートがはちきれそうな太ももを組んで座っていた。

　フロアの照明を全部消すと、麦倉がレジの机に両手をかけて飛び越え、そのまま向きを変えて真紀の隣に尻から着地するように、どすんと座った。
「ひゃー！かっこいいねえ！」
「ありがとう　テイクアウトの棚蹴飛ばしてひっくり返りそうだったけどな」
　そう言うと麦倉は真紀の肩を抱き寄せキスをした。
　真紀は、それに応えて麦倉の体に手を回したりはせずに、ただ体を委ね、唇を吸わせ、また吸い、舌を絡ませた。

　麦倉の細く白い指が、真紀の綿のダンガリーシャツの第二ボタンと第三ボタンの間からブラジャーの縁をつぅっとなぞり、繊細な動きで乳首を軽く何度か押すと、真紀はぴくんっとなり、唇を離して小さな声で言った。
「まだ控え室に厨房の連中いるんだぜぇ？」
　豊満な乳房と感度のいい乳首の持ち主とは思えないような言葉遣いだが、それがまた真紀の色っぽさを際立たせた。
「そうだな…とりあえず店は出るか」
　軽く焦らされた形の麦倉が、もう一度キスをしようとしたがすかさず今度は真紀の方からキスしてきた。
「行こうぜ！麦ちゃん」
　と真紀は立ち上がり先にたってパントリーに向けて歩き始めた。

　グリフォン宮田店の場所は、バイパス近くの国道沿いとはいえ、土手を一つ越えると街灯すらなく、段々畑とあぜ道ばかりである。
　店を出て国道を左に行って信号を曲がると、片側3車線の広い通りになり、夜でも明るいその両側には、カラオケボックスやボーリング場もあり、競合するファミレスも立ち並ぶのだが、麦倉の車は右に曲がった。

　大通りと反対の真っ暗な方角に車を走り始めたとき、真紀は何も言わず、ただ（ああ…また『あそこ』でするんだな…）と思っただけだった。

　小高い山に入り、減反政策で休眠状態となった雑草生い茂る畑と並ぶ雑木林に、今にも壊れそうな小さな納屋があり、麦倉はそこに車を停めた。
　ライトを消すと月明かりだけでも明るかった。今夜は満月だった。

　納屋の中は狭く、六畳間程度の広さで中央に畳一枚分の作業台があり、その上に段ボールが養生するように敷いてあった。
　それは麦倉と真紀が「前に来たとき」と変わらずそのままだった。

　真紀は麦倉と関係を持ったことは何度かある。そしてそれはラブホテルだったり、車の中だったりしたが、あるとき、たまたまドライヴがてら通ったこの納屋の中でセックスして以来、なぜか麦倉は真紀を誘うとき、この納屋に連れてきた。
　ホテル代がもったいない？いや…違う。何か麦倉の性的嗜好を刺激するらしいことは、真紀にもわかった。

　セックスに関して、女と違って男には明確な嗜好がある。
　フェティシズムの一言で片付けてしまうのは簡単だが、その嗜好は多岐に渡り、擬似レイプであったり、擬似SMであったり、コスプレなどの非日常であったりである。

　真紀自身もそれは心得たもので、その男に応えることで付き合うことができた。
　擬似レイプ好きの男なら、両手を押さえつけられたまま挿入されて、弱々しく抵抗したり、コスプレ好きの男ならスチュワーデスの格好をしたり、応えることで真紀自身も興奮して楽しめるものだったが、麦倉のこれは理解できなかった。

　と言ってもそれは「嫌悪感」ではなく、「戸惑い」であった。
（廃屋フェチ？）
　真紀はそれでも、流儀は崩さなかった。曰く「男の嗜好に説明を求めない」

　麦倉は真紀の両脇を抱えて抱き上げるようにして作業台に座らせると、そのまま真紀をゆっくり押し倒してキスをしようとして止め、両手が真紀の体をまっすぐ撫でるように、太股を滑り降りた。
「はっ…」
　その手の動き。さっき店の中で乳房をまさぐられたときもそうだったが、麦倉の愛撫は自然かつ的確で、ふわりと女を発情させるものであり、実際にはサンダルを脱がすためだったのだが、思わず真紀はスカートの中に麦倉の白い手が入りこみ、パンティを脱がされるものと、腰を軽く浮かせそうになった。

　麦倉は再び真紀の上に覆いかぶさり、キスをした。
　いや、真紀の方が麦倉の首筋を抱きしめるように激しいキスをしてきた。
　そして麦倉の巧みな愛撫は、真紀の乳房をシャツの上から責め始めており、
「ん…あ…ん…」と小さく喘ぐ声がもれ始めていた。
　ブラジャーとシャツの上からの愛撫なのに、じわぁっと真紀を発情させるのは、麦倉が、揉むことではなく撫でることに重点を置いているからだった。
　決して性急にシャツをむしり取るようなことはせず、服の上から優しくである。
　そしてそれは、麦倉自身の趣味でもあった。

　天井の隙間から月が見え始めた。かなり長い時間の愛撫で真紀の体は熱く火照って、（脱がして欲しい）と思ったところで、麦倉は真紀のシャツのボタンをはずし、前を開くとそのまま背中に手を回してブラジャーのホックをもはずした。

　自分の上に馬乗りになった麦倉が自分のワイシャツを脱ぎ始めると真紀は自分でシャツの袖から腕を抜き、ブラジャーもはずした。
「真紀…俺のこと好きか？」
「好きだよ…顔がね…」

　そう真紀がいうと麦倉が笑った。

「麦ちゃんあたしのこと好き？」
「好きだよ」
「どこが…？」
「おっぱいが」
　右手の人差し指と中指の根元で乳首をはさむように、真紀の乳房を揉みながら麦倉が答えると、真紀は喘ぎながら笑った。
　やや窮屈なデニムのスカートを腰のあたりまでめくり上げると、麦倉は真紀のパンティをすっと脱がし、すでに愛液の溢れた真紀の亀裂のぬめりを確かめるように、何度かクリトリスを軽く指で転がして、脚を開かせて自分の体を割り込ませ、そのまま反り返った自分のものを亀裂に沈み込ませた。
「んんっ…はぁぁぁぁぁぁぁんっ…」

　真紀の熱い粘膜が麦倉のものを飲み込むように迎え入れた。
　そして麦倉がゆっくり腰を動かし始めると真紀は体を反り返らせて応えた。
「あ…いいっ…あ…ああ…ん…ああああっ！」

　半径1キロほどには誰もいない、忘れ去られた納屋の中で真紀の激しい喘ぎ声がひびく。
「あああっ麦…ちゃ…ん…すごいっすごいっ…あああああああああ！」
　子宮を突き上げるたびに真紀の眉間にしわが寄る。

　体位は変えない。麦倉のセックスはいつもそうだ。
　女の顔を見ながら腰を動かすのが麦倉の好みで、あまり凝った体位だとかえって興ざめしてさえしまうときもある。

　麦倉がこの店に異動してきたとき、その端正な顔立ちにアルバイトの、そしてパートの女たちでさえも一斉に色めきたった。
　しかし麦倉自身は店長という立場上、いきなり手を出したりはしなかった。
　正確には慣れない店でそれどころじゃなかったのもあるのだが。

　普通の男だったら、睡眠時間を削ろうがなんだろうが据え膳には手を出すが、そこは中学生のときから、何が途切れても女が途切れたことのない麦倉であった。
　完全に女たちへの関心を断ち、露骨な秋波など黙殺した。

　店の運営に没頭していると、当然サポートするのは力量のあるアルバイトである。
　そしてその役目は古豪の真紀であることが多く、次第に店の体制が見えて来た麦倉を、ある日の閉店後に誘ったのは真紀の方だった。

「女から誘われる」なんて別に麦倉には珍しいことではないし、その晩ラブホテルで真紀を堪能した麦倉は、翌朝ホテルから直接出勤するとき（さーてこの子は口は軽くなさそうかなあ…）と、アルバイトの女の子に手を出した社員が、誰もが思う軽い疑心暗鬼にあった。
　しかし店での真紀はいつもどおりの真紀で、特に誰かに昨夜の情事を話していた様子もなかった。

　その晩ラスト業務を真紀と二人でこなしていたとき、麦倉が真紀を誘った。
　しかし真紀の返事は意外なものであった。

「何？あたしに惚れたのか？そう毎晩やらせる気にはならないぜぇ？」

　そう言って笑った真紀に、つられて笑いながら麦倉は、自分でも意識してないうちに
伸びていた天狗の鼻がポキンとやられたのを感じた。
　なんのことはない。遊びなのは真紀の方も同じだったのだ。
　しかし麦倉は、この軽い屈辱がどこか心地よくさえあった。

　後日、他の店長から聞いたが、荒井真紀は高校のときからグリフォンでアルバイトをしており、一応彼氏がいたこともあったが、卒業後フリーターとしてフルタイムで働くようになってからは、特に彼氏を作る様子もなく、時折気が合った社員と関係を持つような日々だという。

（あー…なるほど…この子の彼氏は、「この店」かあ）
　麦倉は納得した。

　それ以来麦倉は、真紀に対して、ある意味恋人よりもオープンに接するようになった。　セックスも食事の延長みたいな感覚で誘い、ときにそれは真紀の同意を得ることもあれば、断られることもあった。
「友情以上愛情未満」
　確かに少し寂寥感のある肉体関係だが、セックスフレンドとして真紀は申し分ない相手であり、麦倉はそれが気楽であった。
　ただし、先日「師匠」である辻元から、春日さと子の復帰を告げられたとき麦倉は、さと子に会わないといけないと思っていた。
　たとえさと子にどんなに軽蔑されたとしても。

　天井の裂け目から月明かりが照らす狭い納屋でのセックスは、麦倉の抽送が最後のスパートに入っていた。
　子宮に何度も突き上げる麦倉のものに真紀が激しく応えた
「あああああああっんんっ…いっくぅぅぅ！」

　真紀の中で麦倉が破裂した。

　射精を終えた麦倉が真紀の弾力のある体に崩れ落ちる。
　荒い二人の息。
　初夏の雑木林から虫の音が聞こえてきた。