第３幕


　こんなことってないじゃないか。僕が眠っている間に妻が死んで・・・。
　僕のせいで彼女がこんな目にあってしまうなんて。
　ごめん。ごめん。ごめん。晴海。
　自分の仕事のことでばっかり悩んで、側にいてくれた君のことを見えていなかった。
　僕が苦しむ以上に君だって苦しんでいたのに・・・。

　鏡を見れば少し頬のこけた妻が涙を流している。
　その頬に触れれば、愛し合っていた頃のままの柔らかさだった。
　そのまま彼女の瞳から溢れる涙を見つめながら、僕は嗚咽を漏らし続けた。


　移植後の診察は順調だった。そのまま一月程リハビリをして、僕は退院することになった。
　眠っている間に裁判に勝利して、上司と会社からたんまり慰謝料を取ってくれていた。
　それについて弁護士が来て状況を説明してくれる。
　裁判の過程、妻の死の詳細、会社が破産したこと。
　その金額に目を丸めて、よく払えたものだと驚いた。

　日本中が貴方の味方でしたからね。
　それに、あなたが起こした裁判のおかげで、労働環境保護の機運も随分高まったのですよ。
　とは言え、その反動で現在は、派遣と正規の差別は一昔前の黒人差別に近い状況ですけどね。
　淡々と話ながら、しばらくの住居からなにからの面倒を見てくれる女性を紹介された。

「堀切綾瀬と申します。一応、女性同士と言うことでよろしくお願いします。」
　若い女性だった。気弱そうで誠実そうで、黒い髪を背中に垂らしてかわいらしい。
　一応、女性同士・・・。そうだな。どう接すれば良いのだろうか。

　綾瀬さんとの共同生活は順調に進んだ。
　リハビリと言っては料理を手伝ったり、二人で掃除をしたり、遊園地や映画や観劇やら、若い頃によくして会社であの上司の下について以来、ぱったり辞めてしまった趣味を再開した。

　綾瀬さんもそれに同行することを喜んでくれているようだったし、僕達はルームメイトとして上手くやっていた。
　あまり言葉は多くない彼女だったけれど、優しい気遣いに溢れた言葉を選んで使ってくれていた。

　それでも時折、自分の姿が鏡やガラスに映ったとき、晴海の名前を読んで駆け寄ってしまいそうになると、綾瀬さんは険しい表情で僕を見詰めて腕を引く。

　彼女はもともとはシルバー相手のヘルパーだったらしい。
　中学を卒業して両親とも派遣だったのでお金がかからないように、ヘルパー事務所で働きながら資格を取ったそうだ。

　それでも老人の我侭と無理難題を押し付けるような苛めに嫌気が差して、それで転職してもどこの老人もそんなものだったそうだ。
　それで病人やリハビリ中の患者相手のヘルパーの資格を取って移った所、こっちの患者は仕事こそ複雑で大変だけれど、良い人が多いとわかってほっとしているところだそうだ。


　２ヶ月が過ぎて彼女の任期が切れる頃になると、恥ずかしいのだが、この少女に淡い恋心を隠せなくなってしまった。
　女の体でもやはり欲情は溜まるし、人を好きになる。
　その度に鏡に映る妻の姿が僕を叱りつけているようで申し訳なかったけれど、寝室で妻の姿に見惚れながら長い時間を過ごすことで少しだけ我慢ができた。

　そうは言っても彼女と一緒に生活していると処理もできないし、それに処理すら怖かった。
　男のソレみたいに握って擦って終わらせたいけれど、そうもいかなそうな現状が少し怖い。
　晴海と恋をして体を合せた時の妻の淫らな様を思い出すだけで、僕があんな風になってしまうのかと思うと怖い。

　契約が終了して、綾瀬さんは自宅に帰って言った。
　僕は何も言えずに彼女に贈り物をして、部屋から送り出した。

　その夜、初めて一人の夜、酒を飲みながら僕はどうしようもなく気持ちが昂ぶった。
　我慢できなくて、腹の奥底がじりじりと重たい。
　学生時代のようにすぐにでも吐き出して沈めたい。

　恐る恐る指先を割れ目に偲ばせる。
　滑らかな肉の感触と蜜の滴る程の粘着を指先に感じても、僕の恐れたような衝撃はなかった。

　少し臆病さを克服した僕は自分の体を、男が女を愛撫するみたいに揉みくちゃにした。
　クリトリスを剥いて、粘液をまぶしてぬらぬらと擦り上げる。
　内側に指を捻りこませて無理やり掻き混ぜる。

　でも、気持ちよくもなんともない。
　ただただ、女性に前戯を施しているような、真っ赤な興奮が内側から盛り上がるだけで、僕自身はなんにも感じることが出来なかった。

　まさか、医療ミス？
　それとも、ここだけは神経を繋がないでいずれ性転換でもする予定なんだろうか。
　でも、吐き出したい。思いっきり射精したいのに、触れても触れても溜まるばかり。
　鏡に裸の妻を映して、艶かしい女の体を観察する。
　スリムで美しいのに、愛らしい口元の妻が嬉しそうに頬を上気させていて、僕は一瞬、一番激しく愛し合っていた頃の妻を思い出した。


　あの日、大学でレポートを提出したあと、一人暮らしのマンションに戻り若さに溢れて僕はレンタルビデオ屋でイカガワシイものを借りて、それから大酒を飲んで一人楽しんでいた。

　友人と何回出せるんだろうかとか馬鹿な話題をしたきっかけもあって、苦しかった夏合宿用レポートの作成に終止符を打った祝いに、右手で４回吐き出した。
　５回目は無理かななどと考えていた頃、彼女から電話があって僕の部屋に押しかけられた。
　ビデオは隠して、部屋の空気を入れ替えて、それからシャワーを浴びて、クーラーを効かせる。

　完璧な準備が出来たけれど、僕のものは疲れ果ててウンともスンとも言わない。
　まぁ、彼女の裸を見れば嫌でもと軽い気持ちで考えて、酒を追加しながら待つ。

　ノースリーブにチェックのミニスカ。
　ショートカットの髪を薄く茶色に染めて、晴海は僕には勿体無い位可愛かった。
　そういえば、髪を伸ばし始めたのは春にロングの可愛い娘がサークルに入って、僕がその髪を褒めてしまったのが原因だった。
　今、思えば晴海の奴って結構やきもち焼きで、甘えん坊だったな。
　ショートカット似合ってて、結構好きだったんだけどね。

　鏡の中の妻がほんのりと恥ずかしそうに頬を染める。
　僕はその姿を学生時代の彼女とシンクロさせて、余計に欲情してしまった。
　このままじゃ鎮めようもないのに、どうすれば良い？
　明日、一度、病院に行こう。
　そう独り言を呟いて、視線は痴毛が濡れて張り付く艶かしい股座だった。

　彼女が始めての競馬で１０万円当たったと大喜びしてたっけ。
　そう言えば、女友達と始めての競馬場見学会を開くとか言って、僕になんやかんや調べさせた。
　１０万も勝ったはずなのに、友達とご飯を食べて僕の部屋に来た頃は３万しか残ってなかった。
　そして、お祝いにワインを持ってきた。

　彼女がシャワーを浴びている間に、部屋にペパーミントのオイルを焚いて、簡単なおつまみ代わりに冷凍庫に眠るカナダ牛肉を薄切りにして、ポン酢で味付けをしたのを出したっけ。
　それと夕方に大安売りのカイワレ大根を買っていたことが奇跡的なマッチングを見せて、彼女はフランス料理よりこっちが美味しいと言って嬉しそうだった。

　湿った髪を撫でながら、上目でちょろちょろ僕を見詰めて、白いＴシャツに短パンの素っ気無い姿が可愛い。
　首周りが余って胸がちらほらと見えて、目のやり場に困った。景色が良すぎた。
　肉がかたずいてから、僕達は見つめあったままワインを飲んで、丁度、二人のグラスが乾いた時に、僕は身を乗り出してキスをした。

　彼女は嬉しそうに真っ赤になって、両手を広げて僕の首に纏わりついたんだ。
　それで僕は彼女を抱きかかえて、それからベッドに押し倒した。

　でも、勃たない。そりゃ、その直前に４回もやって酒飲んで・・・。
　凄い焦ったなぁ。あの時ほど背筋が冷たくなったことはなかったかも。

　そのうち勃つだろう程度には流せなかった。
　けれど、時間を稼ごうとして、耳朶に舌を添わせながら乳首に優しく触れて、足を絡ませたまま、じっとりとした時間をすごした。
　彼女のあそこに太股を擦りつけた時に、驚く程可愛い声で鳴いて、彼女もしまったと言った表情を一瞬見せて、恥ずかしそうだった。

「ねぇ、今の声、凄い可愛いよ。もう一回聞かせて。晴海。」
「ば、馬鹿。もう、今日は焦らしすぎよ。」

　でも、勃つものも勃たないので、舌を耳の内側に捻じ込ませて、胸を下から揉み上げる。
　晴海が凄く震えているのが可愛くて、僕はその時、初めて晴海の弱点を色々知った。
　彼女の足が僕の太股に絡んでもじもじしてあそこに擦れる。
「欲しいんだ？」
「も、もう。今日の辰巳、ちょっと変。ずるいよ。」
「でも、善いんでしょ？」

　指先を胸の先端からジリジリと降ろしていき、臍を一周させる。
「ふわぁ。」
「あ、また、凄い可愛い声。ねぇねぇ、お臍の当たりも善いんだね。」
「ち、違うわよ。あん。ちょ、ちょっと。」

　喉元に舌を這わせてから、鎖骨の辺りに強めのキスをする。
　キスマークが残るとちょっと支配欲が刺激されて嬉しい。
　そのまま乳首に舌を絡ませて、指先はもう、痴毛を弄っていた。


　あぁ、あの夜のことを思い出すだけ興奮しちゃうな。
　鏡の中の妻がねっとりとした視線で僕を見詰める。
　まるで彼女も僕と一緒に思い出に酔っているみたいだ。
　感じることは出来ないけれど、あの夜のように自分の体を触れながら指先で臍を一周させる。

（ふわぁっ。）
　あぁ、彼女の声が蘇るみたいだ。頭の奥で彼女との思い出が蘇る。
　首筋に指先を這わせてから乳首を摘んで、右手は痴毛を弄る。
（あぁ、こ、これ、思い出しちゃう。）

　僕は慰めることも出来ない、感じることもない自慰をただ、
　記憶の中で晴海を嬲るためだけに粘着質に続け、鏡の中の妻は震える程官能に浸っていた。
（あぁっ、あぁ、ま、またイッチャう。辰巳、も、もう、限界ぃ。あん、ああぁ。イックぅ。）
　愛する妻の声に耳を澄ませながら、なんどもイキ狂う様を想像して、鏡の中の妻の体は薄闇にうっすらと浮き上がりダクダクと汗を流して、肉の花弁が大きく咲いて蜜を溢れさせていた。

（た、辰巳・・・、ねぇ、ねぇ。もう、お願いだから・・・。）
　妻のものだった指を妻のものだった肉襞に埋めながら、鏡を凝視していると、まるで本当に咽び泣いて僕に懇願しているかのような、淫らで男を惹きつける妻の声が聞こえているかのようだった。

「あぁ、でも、僕は満たされない。」
　指を抜いて鏡を眺めながら、淫らなフリをして指先を舐める。
　妻の味だった。
　胸をぎゅぅっと握って、痛みが広がると、官能ではないただの感触だけが感じられる。
　赤い肉の割れ目から涎が一筋毀れていくのを黙って見詰め、僕は満たされないまま横になり、疲れに目を閉じた。

（ねぇ、辰巳。聞こえないの？私の声。ねぇ、貴方の声は私に届いているのに・・・。）
　夢現で妻と会話する。
「聞こえているよ。愛してる。君を苦しめてごめんね。」
（私こそ。あなたが、そうあの時、私も気がめいっていたの話したいことがいっぱいあるのよ。
　一番話したいことは、あなたが苦しんでいた頃のこと・・・。
　貴方は仕事から帰ると疲れて眠ってしまうし、話しかけてもほとんどちゃんとした会話なんてなかったわ。
　一人ぼっちが苦しくて苦しくて、でも、貴方との学生時代からの思い出は忘れられなくて、はやく元に戻って欲しいってずっと思っていたの。
　でも、届かなくて届かなくて、あなたはどんどん暗く沈んでいって。
　私もよ。あなたと一緒に暗い思いに押しつぶされていたわ。
　それで辰巳、私に相談もしないで会社と裁判して・・・。
　ううん。会社を辞めるのは本当はうれしかったの。元の辰巳に戻るかもって・・。
　でも、相談位して欲しかった。虚しくなって。それで私、逃げたのよ。
　ごめんなさい。妻失格ね。ごめんね。辰巳。）

「僕が君を不幸にしたんだ。ごめん。僕の方こそごめん。
　本当は苦しくっても僕は君だけのためにがんばって生きていたかったのに、それがいつのまにか、苦しさから逃れられない鎖になって、逆に君を引きずりまわして傷だらけにして・・。
　ごめん。僕は男として失格だった。
　でも、君と話せて嬉しい。僕は今、凄く嬉しいよ。晴海。」

（ありがとう。私も、ねぇ、またやり直しましょう。ね。
　二人で一人だもの。きっと幸せになれるわ。
　きっと私達のこの状態だって神様のプレゼントに違いないもの。
　愛してる。愛してる。本当に愛してるわ。辰巳。）

　暖かい。こんなに暖かい気持ちになれるなんて。
　あぁ、そっか晴海と一緒の時はいつもこんな気持ちだったんだ。
　すっかり忘れてしまっていた。幸せだ。

（わたしもよ。）

　妻の頷きが聞こえてくるようだった。
　薄い眠りの中、妻と話した幻覚は、僕を久しぶりに幸せにしてくれた。



「さて、メフィスト。
　すなわち、人間の性的な行為と愛情の深い繋がりを、我らに示したかったのか？
　君の仕事は人間の邪悪な部分を報告することだったはずだが。」

　もちろんでごぜぇます。まぁまぁ、御列席の皆々様。
　あっしが示したいのはそんな刹那的な良性ではなくってですなぁ。
　まぁ、お先を見てのお楽しみってことじゃぁなりませんかな？
　人間の愛の・・、仰る通り、人間の愛ってものを御覧にいれますぜぇ。へっへっへ。