三　

「ビデオを見れば、――それも当の女と一緒に見れば、あるいは奇跡が起こらないともかぎらない。――そう思いませんか？」
　そして、杯を空け、
「いや、起こりますね、これは。――起こる起こる、きっと起こる」
　断言するように男は言った。
「――でしょうな」
　笹山も同意した。
「しかし、ひどい話ですな、惚れた女に――」
「いや、惚れたといっても、会長にとっては所詮金で買ったという認識しかない。あるのは動物並の情欲だけです。なんとか自分の不毛な情念を、惚れた女の中にたぎらせたい。ま、持てるものの最後の足掻きですかな。破廉恥なんていう概念は会長にはない。だからいいだしたら手段を選ばない」
「ますますひどいじゃないですか。手前勝手もいいところだ。それじゃ女はどうなるんですか」
　笹山は我にもなく反発した。
「手前勝手？　会長は会長になってこのかた、手前勝手でなかったことは一度もない」
　それから改まって笹山を見た。
「報酬は桜井社長を通じてご呈示した通りです。もっとも桜井氏としても、私がどんなことをあなたにお願いしすることになるか、その内容はまったくご存じありません。そして、やるやらないはともかく、あなたもこの話は絶対に秘密にしていただきたい。――私としてはですね、絶対に秘密を守っていただくという条件で、いかがでしょう、あなたにぜひ乗っていただきたいのです」
　ビジネスマンがビジネスの上の依頼をする口調になっていた。
　奇妙な依頼であった。奇妙な依頼ではあったが、この話を仲介してくれた桜井社長は絶対に信頼のおける人物である。それに何にもまして、呈示されている報酬に魅力がある。
　笹山としては、今、咽から手がでるほど、金が欲しかった。正直、会社が倒産に至るまで、人には話せないようなきわどいことも何度かやってきている。いまさら青くさい青年のように正義漢ぶるつもりは毛頭ない。それに、話の内容は不気味だが、引き受けたからといって、悪質な凶悪犯罪に荷担するわけでもなさそうである。いってみれば、男と女の、きわめて私的ななりわいの部分に、第三者がちょっと介入して〈活性化〉してやるだけの話である。依頼主にしても、この男の話を聞いている限りは、依頼の内容の不気味さの割には、ごく普通の当たり前の企業のような気もする。広い世間にはこんな途方もない話もあっていいのかも知れぬ――と笹山は思った。
　腕を組み直し、暫く座椅子に背をもたせ、男の目に真っ直ぐに目をやって、やがて笹山は決心した。
「――で、もし、お受けするということで、私とすればどうすればいいのですか」
　男はぐっと杯を飲み干し、安心したように微笑んだ。
「有難い。助けていただけるんですね」
　と念を押し、それからおもむろに自分の身分を明らかにした。笹山は改めて驚いた。男が秘書をしているという会社は東証一部上場企業のｘｘ興業という関西でも有数の工作機械メーカーであった。会長という男も、新聞の経済欄にたびたび登場している。いわば立志伝中の人物として、笹山もその会長のことはよく承知していた。
「驚きましたな、あの会長にそんな趣味があったのですか」
「ですから、くどいようですが、これは絶対の秘密です。信頼できる桜井社長のご指名だからこそ、洗いざらいお話してあなたにお願いした。そこんとこを充分ご承知おきいただいきたい」
「なるほどよくわかりました。――が、まあ、やると決心した以上はまかせてください。桜井社長をご信頼戴いているように、私を信頼戴いて結構です。秘密は絶対に守らせて戴きます」
「いうまでもないが、ビデオの複製は絶対ダメです。あとにもさきにも、このビデオはこの世の中でたった一本しかないというのでないと困ります。――お分かりですね」
「もちろんです」
「それと、会長に奮い立って戴くのが目的ですから、ビデオはできるだけ生なましくエロチックに。部分のクローズアップや音声なんかもふんだんに入れて戴く」
　引き受けた以上、うなずくしかなかった。
「――で、実行者は？」
「実行者？」
「つまり、その元女優さんをナニする――」
　男はカニの肉をつつきながら言った。
「お願いする以上はすべてあなたにお任せする。ただ、あとで会長が嫉妬するような相手ではだめですな、例えばあなたのようないい男が実行者だと困ります」
　笹山は苦笑した。
「ま、目的が目的ですからね、相手はできるだけ普通でないのがよろしい。それ、美女と野獣というでしょうが。むしろ相手は醜悪なヤツほど迫力があるような気もする――」
「――でしょうな」
「ま、涎のでるような美女を犯すのです。ルール違反は覚悟の上だ。組み合わせはできるだけ突飛なのがよろしい。会長もきっとそうお望みなはずです。ただ、荒っぽいのは結構ですが、この美女に傷をつけたらいかん。絶対にいかん。なにせ会長が金にいとめをかけず磨きあげてきた女ですからな。その点は充分お含みおき願いたい」
　もとより笹山に異存はなかった。
「で、何時、――やるんです」
「会長は取り巻きを連れて、今朝アンカレッジ経由で欧州に飛んだ。帰るのは来週の中頃です。ですから、会長が日本に帰ってくるまでに、ということになりますな」
「それはまた急だ」
「こういう邪しまな企みは早く終わってしまうべきです。その方がお互い気が楽だ。で、場所なんですが、これはウチのリクレーションの保養所の建設予定地が大阪と奈良の境界の山林にありましてな。そこを使っていただく」
「――――」
「山の中にきこりが住んでいた廃屋があるのです。ウチの地所ですから、平素はだれもきません。山の番人が一人いますが、当日は予め外しておきます」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　――――』

――――――
　男同士の相談を、あっさりとまとめて、大助は鼻毛をむしった。
　どうしてこうなんだろう。商売での執筆の時はなかなか筆が進まないのに、つまらないことを想像し始めるとまるで際限がない。愚劣な想像の翼は次々と広がっていく。
　いつの間にか、女を手込めにする場所と時間までがすんなりと決まってしまった。
「さて、どうする大助？」
　と大助はつぶやいた。
暫くコンピュータの画面を眺めながら、鼻毛をむしっていた。
「約束したんだ。やるっきゃねえじゃねえか」
　大助は覚悟を決めた。空想の世界の中でも約束は約束である。ここまでくれば男たるもの後へは引けぬ。大助は十本の指を再びポリポリと折り、それから改めて膝を組み直した。腹に力を込めてコンピュータのデスプレイを睨む。激しく心臓が鼓動した。ぞくりと身内に戦慄が走った。

『――――――

「で、その気の毒な元女優さんというのは――」
「今は本名で矢加部冴子――といいましてね。生駒の高級マンションに、平素は一人で住んでいます」
「や、矢加部冴子！」
「おや、お存じですか」
「い、いや――」
「でしょうね。元女優といってもそれほど売れていたわけでない。――これが彼女の写真です。マンションの所在をお教えしておきますから、明日にでも面を通して、実物を確認しておいてください」
　刑事が使うような言葉を使って会長秘書は言った。男の言葉のトーンも心なしか上ずって聞こえた。