| １． 「由紀恵さん・・・すごく・・・きれいだ・・・」 ファインダーを覗きながら潤がため息をつくように言う。 場所は伊豆高原にある潤の家の別荘。 春を待つ低い日差しが窓から差し込み、オーガンジーのキャミソールから露出した由紀恵の肌を逆光気味に浮かび上がらせている。 パシャ、パシャ デジタル一眼レフの乾いたシャッター音が暖房のきいた部屋に響き、同時にストロボの光が閃く。 文字通りライトアップされた場所で、ファインダー越しに見つめられていることがわかる。 恥ずかしさと見られることの悦びで妖しい感覚が疼き、由紀恵の白い肌は桜色に染まっていた。 「由紀恵さん。こんどは後ろを向いて」 「こう・・・？」 「うん、それで窓の上の方を見上げるように・・・」 由紀恵が上を向いた瞬間、またシャッター音が響く。 「あ・・・あのさ・・・」 アングルを変えて何度もシャッターを切った後で潤が言った。 「なに？」 「背中だけでいいんだ。服を脱いで撮らせてもらえないかと思って・・・」 ある程度は予想していたこととはいえ、やはり戸惑ってしまう。 「あのさ・・・そんな約束じゃないのは分かってる・・・けど、由紀恵さんの肌ってすごくきれいで・・・せめて背中だけでも撮れないかなって・・・ごめん・・・怒った？」 潤の真剣な顔を見たとき、由紀恵の心の中でなにかが弾けた。彼は、この日のために信じられないくらいの努力をしてきたのだ。 「いいわ・・・そのかわり、その写真は誰にも見せないって約束してね」 「えっ、ほんと？！ 約束する。ほんとに、いいの・・・」 すでにキャミソールを脱ぎはじめた由紀恵を、潤は息を飲んで見つめていた。 由紀恵は私立の美大出身の23才。 興味本位で始めたフラワーコーディネートにはまり、大学に通っているときから、その世界では有名なコーディネーター、沢田今日子の手伝いをはじめ、卒業後は本格的に今日子の助手として働いている。 潤は、今日子の息子で高校三年生。 母親の仕事に興味があるらしく、よく手伝いに来る。 長いまつげと二重のまぶたが印象的な美少年だ。 一緒に作業をする機会も多く、二人はすぐにファーストネームで呼び合うほど親しくなった。 潤は明るくて頭の回転が良く、仕事の手際は由紀恵以上かもしれない。 でも、彼は母親の存在を傘にするようなことはせず、いつも年上の由紀恵を立てて接してくれる。 由紀恵は、そんな潤のことを弟のように可愛がるようになっていた。 由紀恵と潤が二人きりで別荘にいるのには訳がある。 由紀恵の才能を認めた今日子は、本場イギリスで勉強をすることを勧め、知り合いの学校を紹介した。 そして、四月から留学することが決まったのが去年の夏。 うれしさで胸を弾ませながらアパートへ帰ると建物の前に潤がいた。 「あら、潤くんじゃない。どうしたの？」 「母さんから聞いたんだ。由紀恵さん、イギリスへ行くってほんと？」 「ほんとうよ。どうして？」 「お・・・おれ・・・由紀恵さんに・・・頼みがあるんだ・・・」 「なぁに？」 「写真のモデルになって欲しいんだ。だって、由紀恵さんがいなくなると思うと、おれ・・・前から頼もうと思ってたんだけど・・・ずっと、由紀恵さんに会えないなんて我慢できない・・・だから、せめて由紀恵さんの姿を残しておきたいんだ・・・」 一種、愛の告白を伴った言葉に由紀恵はうろたえた。 でも、潤は受験を控えた大切な時期だし、今日子への手前もある。 それに、潤のことはかわいいと思っていたが、それ以上ではない。 「だめよ。だって、潤くんは受験生でしょ。そんなことより今は勉強しなきゃ」 「だったら、大学に受かったら頼みを聞いてくれる？」 「そうね、潤くんが頑張って芸大に受かったらいいわよ」 「げ、芸大・・・」 さすがに今日子の息子だけあって潤は美的センスが鋭く、本人も美術系の大学への進学を希望していることを由紀恵は知っていた。 写真が趣味で、よく今日子がコーディネイトした花の写真を撮っていたが、アングルやテーマを見抜く目に、はっとさせられることが多く、非凡な才能を感じさせた。 それなりに成績もいいらしいので、普通の美大だったら何処だって受かるだろう。 しかし、国立大学となれば話は違ってくる。 しばらく、うつむいて黙っていた潤。 「分かった。おれ、頑張る。約束だからね」 そう言い残すと、潤は走り去ったのだった。 「潤ったら、どうしちゃったのかしら？ いきなり芸大に入るって言い出して、猛勉強をはじめるし、デッサン教室にまで通っているのよ」 手伝いに来ないで勉強している潤のことを、今日子は不思議そうな顔をして由紀恵に言ったものだ。 いくらモデルを断る口実だったとはいえ、由紀恵は責任を感じて胸が痛んだ。まさか、潤が、それほどまでに本気だとは思ってもみなかった。 年が明けて三月。潤は芸大に合格した。 「由紀恵さん、おれ受かったよ。約束、覚えてるよね？」 合格発表の会場から潤が電話をかけてきた。 「ほ、ほんとに・・・？」 「おれ、由紀恵さんのために頑張ったんだ」 「・・・」 由紀恵はとっさに答えられなかった。が、すごく感動していた。 「由紀恵さん。聞いてる？」 「う、うん。聞いてるわ。潤くん、おめでとう・・・」 なんだか自分のことのように涙が出てきてしまう。携帯電話を握りしめる手が震えていた。 |
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| 2010.11.20掲載 |
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