| 27 帰り道、なにを話していいのかわからなかった。 亜理咲と並んで歩きながら僕らは無言だった。 「痛くて・・・悲しくて・・・頭の中が真っ白になって・・・身体が動かなかったの」 「えっ・・・？」 沈黙を破ったのは亜理咲だった。 「あたしも寝てるときにお兄ちゃんに襲われたの」 亜理咲の声には抑揚がない。 「女って悲しいよね・・・どうして嫌でも受け入れちゃうんだろう・・・」 亜理咲は遠くを見つめて言った。 「男って・・・みんなああなのかな？ 女って・・・」 「アリサ・・・」 「ん？」 「自分のことと比べたって意味はないよ。僕じゃ力が足りないかもしれないけど、僕はアリサのことが好きだから・・・前のアリサも含めてだよ・・・だから、これからは僕がアリサを守る・・・過去に縛られちゃダメだ」 ものすごく亜理咲のことが愛おしくなって言葉が自然に出た。 「あ・・・うれしい・・・あたしもユーイチローのこと大好き。ユーイチローにだったら襲われても・・・なにされてもいいよ・・・」 亜理咲に笑顔が戻った。 「ユーイチロー、あたしのこと襲いたい？」 僕の顔を覗き込むようにして亜理咲がニッと笑った。 いつもの亜理咲だ。 けど、まだ亜理咲の心の闇は消えていないのがわかった。いや、一生消えることはないのかもしれない。亜理咲自身もそのことがわかっているんだろう。だから、こうやって僕を挑発というか、甘えてくるんだ。きっと身体を合わせていくたびに僕らの心の絆が深くなって闇よりも大きな存在になっていくはずだ。 「襲って欲しいの？」 僕は冗談で返す。 「ばか・・・」 亜理咲の顔が赤くなる。 僕は「犯されてるって思ったら感じちゃった」と言った亜理咲を思い出してしまった。そう、後ろだけど僕と初体験がしたいと言ったのは亜理咲だ。男と女の不思議さを感じてしまう。 それに、寝ている亜理咲の布団の中へ忍び込むところを想像してしまい、なんだかすごく興奮してしまっていた。ふたりとも、あの動画の影響を受けてしまっているのかもしれない。 お互いに、なんとなくしゃべりづらくなってしまった。 気がつくとマンションの前に着いていた。 28 あのタカシって奴がカワイソウナヤツに思えてきた。 それというのもメーラーを見てもほとんどやりとりがなく友だちがいない印象だったし、IEの履歴はいくつかの掲示板を行き来しているだけでアダルトサイトとかにはあまり行ってない。僕の方が見てるくらいだ。 僕の想像だけど、あいつは水島先生一筋なんじゃないだろうか。 写真をバラ蒔くなんて言ってるのもただの脅しなんだと思う。 水島先生との関係を続けるための手段のような気がする。 パソコンは古いものでスペック的にも大したものじゃない。ソフトもデフォルトのものしか入っていないから、それほどスキルがあるとは思えない。DVDに焼いたバックアップだってピクチャフォルダをそのままコピーしただけで整理もされていない。ファイル名すらいじった形跡がないんだ。それに日付の付いたフォルダしかないということは他の写真は保存してないと考えられる。 総合してみると、あいつは水島先生を追って一年前にやってきて、他にはつながりを持たずに暮らしている。ネットへの流出とか外部サーバーへのバックアップも心配ないだろう。そう考えてよさそうだ。 水島先生を苦しめているのは許せないけど、男としてはさみしいというか同情の念を禁じ得ない。 そんなことを先輩の家のリビングで僕は話した。 「だったら、あのときパソコン壊してDVDも割っちゃえばよかったんだよ」 「いや・・・それだけじゃ解決にはならないと思う」 僕は亜理咲の言葉を制した。 「それより、あなたたち・・・もう、そんな危ないことしないで・・・」 「す・・・みません・・・」 先輩には反論できない。 先輩の話だと、水島先生は告訴せずに念書を書かせる方を選んだという。 事務所の人に応援を頼んだから僕らはこれ以上深入りをするなとお母さんに釘を刺されたらしい。 「あたしね・・・」 亜理咲がしゃべり出した。 「最初、ちょっといい気味だって思ってたの」 「先生のこと？」 「そう。だって進路指導のことでしつこくって頭にきてたんだよね」 「なんとなくわかる」 「でしょ？ でも問題が違うっていうか・・・あたしとおんなじ苦しみを抱えているのはかわいそうだって・・・あと・・・あいつが憎かった・・・」 「これは教師と生徒の問題じゃなくて、女性としての問題よ。それに林さんがそう思うのも無理はないわ。でも、もうお母さんたちに任せたんだから私たちは何もできない・・・」 先輩が言った。 「でも・・・気が済まない・・・せめて・・・」 「どうしたいの？」 「ちょっと見に行かない？」 「なにを？」 「昨日行った喫茶店でどうなるのか、外からだけでも見届けたい・・・」 「林さんがそうしたいんなら・・・今井君は？」 「僕は大丈夫だけど・・・っていうか、ここにいて待つのもつらいかも」 「じゃあ、そうしましょ」 僕らは、またあの喫茶店で夕食を食べることになった。 先輩の家に三人でいても、いつものように楽しい気分になれなかったから、それが正解なんだと思った。 29 「やだ。ユーイチロー、またオムライスなの」 「いいじゃないか。好きなんだし、昨日は味がわからなかったから」 「オコサマみたい」 ニコッと笑う亜理咲。本気でけなしているんじゃないことは眼を見ればわかる。でも、自分でもわかってることをはっきり言われるとグサッてくるんだよなぁ・・・ 「ちぇ・・・」 「あ〜あ、口のまわりにケチャップつけちゃって。オコチャマ決定」 「うふふ」 先輩が笑う。ちょっとだけ場が和んだ。 先生の部屋には先輩のお母さんと事務所の人がいると思うと昨日みたいな不安を感じないでいられた。亜理咲もそうなんだろう。先輩にも笑顔が見える。こんなときだから僕が道化役でいた方がいいと思った。場所を変えたのは正解だった。 「来たよ」 食後のコーヒーを飲んでいるときにあいつが現れた。 よく見ると20メートルくらい離れてスーツ姿の男が後をつけていた。携帯電話をかけている。 「あれって先輩のお母さんの事務所の人だよね・・・きっと」 「たぶんね」 先輩が答える。 「どうする？ お店出ようか」 「ここにいた方がいいと思うわ。私たちは先生の部屋に行けないし」 「そうだね・・・」 あいつがマンションに入ると、あとから来た男も続いた。 「ゴクッ」 「やあねえ、ユーイチロー。緊張しないでよ」 「だって・・・もし、あいつが暴れたりしたらと思うと」 「大丈夫よ。お母さんだって、それくらいのこと考えているはずよ。だから、もうひとり呼んだんだと思う」 「そうか・・・なんか役に立たないっていうか、情けない気分」 「そんなことないわ。もうじゅうぶん役に立ってるじゃない。すくなくとも先生にとってはいい方向に進むきっかけになったと思う」 そんなことを話しているとマンションから数人が出てきた。 先生とあいつ、先輩のお母さんと男が二人だ。 あいつは、ひどく打ちひしがれているのが遠目でもわかった。背中が丸いし、歩き方もぎこちない。 「たぶん、部屋に行ってデータとか処分させられるのよ。先生やお母さんの立ち会いのもとで」 「僕らの出る幕はなさそうですね」 「そうね・・・」 亜理咲は黙っている。 「ちょっとだけ行ってみようか」 「せんぱい・・・」 ちょっとビックリした。 この件に関して先輩の反応は理解を超えているところがある。 どうしてこんなに興味を持つのかがわからないんだ。 僕は素直に疑問をぶつけてみることにした。 「どうして先輩はそんなに熱心なんですか？」 「ひとことでは言えないけど・・・ちょっと気になることがあるの」 すこし間を置いて先輩が答えた。 「僕には先輩の気持ちがちょっと理解できなくって・・・驚いてるんです」 「あのね・・・たしか去年の春だったと思うわ。部活で水島先生が『百年の孤独』を読み返しているって話を思い出したの」 「百年の・・・孤独・・・？」 「ノーベル賞までとった有名な作品よ。その中に叔母と甥の関係を書いた物語があるの。もしかしたら・・・」 「もしかしたら？」 「先生は嫌がっているだけじゃなく、弟さんに対しての愛情っていうか、常識では割り切れない気持ちがあるんじゃないかと思ったの。だとしたら、私たちがしたことって・・・間違っていたんじゃないかと思って・・・だから、とっても気になるの」 「それは水島Tが自分で決めることだよ。瞳が気にすることない・・・」 亜理咲が言った。 熱い口調だった。 「わかりました。とにかく行ってみましょう。それで気が済むんなら」 僕らは喫茶店を出た。 そして、あいつの部屋の灯りを見ながら、なにも言えずに立ちつくしていた。 |
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| 2011.8.27掲載 |
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