| 42 「ほんとはプライベートなことを聞いちゃいけないんだけど・・・」 夜になって定期で見回りに来た看護師さんが言った。便意があったときに対応してくれたあの看護師さんだ。 「なんですか？」 「今井さんって高校生よね？」 「はい。白鳥学園の一年です」 「今日来ていた女の子たちも同級生？」 「いえ、文芸部の先輩です。茶髪の娘が二年生で、もうひとりが三年で部長なんです」 「ただの先輩後輩じゃなさそうね。普通、お友達なんかに清拭なんてしないし、彼女なの？」 なんて答えたらいいのか迷った。 「看護師さん」 「なあに？」 「なんで、そんなこと聞くんですか？」 「ごめんね。ちょっと興味があったの。この仕事をしていると、いろんな人の本性みたいなものが見えることがあるの。今井さんと、あの娘さんたちの関係がとっても不思議に感じたわ。ごめんなさい。立ち入り過ぎちゃった。聞かなかったことにしてね」 「いえ・・・いいんですけど、看護師さん秘密守れます？」 この病院で味方を作っておくのも悪くないと思った。事情を知ってもらえれば、いろいろと便宜を図ってもらえる。この看護師さんなら信用できそうだ。 「大丈夫よ。お母さんにも話さないから」 看護師さんは笑顔で答える。 「あの二人の名前は瞳と亜理咲、僕らは恋人とか言うより運命共同体みたいな感じかな。二人とも僕にとっては彼女以上の存在なんです」 「へえ・・・」 看護師さんは眼を丸くしている。 「そうだよね。友だちが身体を拭くなんておかしいって思われて当然ですね。亜理咲が清拭のやり方を聞いたのって・・・ええと、安川さんだったんだ」 僕は胸のネームプレートを見て言った。安川美菜子って書いてある。 「ええ。すごく真剣だったんで教えちゃったんだけど、いいのかなって心配になったの」 「アリサらしいや」 「あの娘が本命なの？」 僕が笑うと看護師さんが聞いてきた。 「いや、僕らは三人でひとつなんですよ。常識じゃ考えられないことかもしれないけど事実なんです。僕らには家族以上の絆があるんです」 「家族以上・・・？」 「はい。高校生のくせにって思われそうだけど・・・」 「そうなんだ・・・」 看護師さんはますます驚いた顔をしている。 「ねえ・・・聞きたいんだけど・・・」 「なんですか？」 「もうすぐ準夜勤が終わるから、話を聞かせてもらえないかな？」 「いいですよ・・・病院の夜は退屈だし・・・」 「じゃあ、後で来るわね」 看護師さんはそう言い残すと病室を出て行った。 僕は少し眠っていたようだ。 気がつくと看護師さんがいた。 「ごめんね。寝ていたのに」 「さっきから、ずっと誤ってるよ」 「そうね」 看護師さんが笑った。 「私服になったから安川さんって呼んでいい？」 「もちろん。名前でもいいわよ」 「ええと・・・」 「美菜子よ。美しい菜っ葉の子」 名前で呼んだ方がいいと思った。 「じゃあ、美菜子さんって呼ぶよ。私服だとずいぶん印象が違うから、そう呼ばせて」 美菜子さんはハワイっぽい花柄のワンピースに白いカーディガンを羽織っていた。看護帽をかぶっているときはアップにしていた明るい栗色に染めた髪をおろしていたので、よけい印象が違ったんだ。 「いいわよ。で・・・さっきの話だけど・・・」 「三人の関係だね」 「そう。言いにくいんだけど・・・あの・・・男と女の・・・」 「そうだよ」 「やっぱり・・・」 美菜子さんはなにか考えている様子だった。 「ねえ、教えて。どうしたら三人でうまくやっていけるの？ じつは私、付き合ってる人がいるんだけど、どうやら二股をかけられてるみたいで・・・すごく悩んでるの」 「う〜ん・・・いいけど、参考にはならないと思うよ」 「いいから聞かせて」 美菜子さんの眼は真剣だった。 「わかった。亜理咲、あの茶髪の娘だけど、彼女は性的なDVで悩んでたんだ。詳しいことは言えないけど。それをもうひとりの瞳っていう娘に相談した。それがはじまり。瞳はそれを小説にした。露骨なものじゃなくて精神的な世界を描いたものにね。それは亜理咲の物語じゃなくて、瞳自身の話でもあったんだ。ふたりは心の奥底で共通する闇を持っていたんだね。それを心の中にある秘密の箱に仕舞っていた。その箱を開けたのが僕なんだ。僕はふたりの鍵だったんだよ」 「よく・・・わからないけど・・・すてきな話に聞こえる・・・」 「僕は、あのふたりの一部だったんだ。きっと、世の中で僕みたいな巡り合わせを体験できる人は滅多にいないと思う。それだけに大切な出会いだったし、ある意味、僕にはあのふたりがすべてなんだ」 はたして通じるのだろうかと疑問を抱きながら僕は続けた。 「今回の事件でよくわかった。ふたりが危険な目に逢うくらいなら僕は命なんていらない。そう思ったっていうよりかは身体が先に動いて、こんなになっちゃった」 「すごい。そんなふうに愛されるなんて・・・」 美菜子さんは遠くを見るような眼で言った。 「うん、ふたりにも言ったんだけど、僕には愛だとか恋なんてわからない。でも、ふたりがかけがえのない存在だってことはわかってる。だから家族以上って言ったんだ」 「あなたが怪我をしたのって暴行事件だって聞いたけど・・・あのHCUにいる水島さんが加害者なのよね・・・」 「HCUって？」 「ハイケアユニットの略なの。最初、あなたも入っていた病室よ」 「そうなんだ。で、加害者とか被害者っていう言葉は使いたくないんだ。僕は危険からふたりを守ろうとした・・・それだけ・・・」 「わかるような気がする・・・」 「そ・・・う・・・？」 「ええ。あなたみたいな男性だったら、あなたみたいな男性だから、あのふたりもついてこれるのよね」 「う〜ん・・・ちょっと違うかも。僕らの間で精神的なリーダーは瞳なんだ」 美菜子さんはかなり誤解してる。僕を買いかぶりすぎている。 「あの人ってどうなの？」 僕は話題を変えることにした。 「水島さんのこと？」 「うん・・・気になるんだ・・・」 「やさしいのね。あなたって・・・」 「そんなんじゃないよ。付き添ってる人がいるでしょ。彼女は僕らの先生なんだ。文芸部の顧問だし、亜理咲の担任でもあるんだ」 「なんか複雑そうね」 「うん・・・これも微妙な話だから詳しくは言えないんだ。僕らは先生の悩みを解決しようとして、あいつに逆恨みされたんだ」 「そう・・・なの。ほんとは言っちゃいけないんだけど教えてあげる。外科病棟に6年間いた経験からすると目が覚めても重い障害が残ると思うわ」 「重い障害って・・・？」 「たとえば車椅子の世話になるとか、どこかが動かないとか、頸椎に損傷があったの。少なくても数年は身体を思うようには動かせない。そうなると悪循環で身体も弱るの」 「そうか・・・」 「ごめんね。嫌な話を聞かせちゃったみたい」 僕はそうとう落ち込んだ顔をしていたらしい。美菜子さんは僕の顔を覗き込むようにして言った。それは、あの慈愛に満ちた看護師さんの眼だった。 「また謝ってる。いや、かえって感謝してるよ。だって、いずれは知ることになるし、いまなら考える時間もたっぷりある」 「あなた・・・ほんとに高校生？」 「どういうこと？」 「大人っぽすぎる。あんなにすてきな彼女がふたりもいて、うまくやってて、落ち着いてるし、そんなふうに考えられる人ってなかなかいないよ」 「うん。たぶん瞳のおかげなんだ。それにアリサも」 「それそれ」 「どれ？」 「そういうふうに言えるところ。だから・・・私もあなたみたいな男性に出会いたかったなぁ」 美菜子さんはしみじみ言った。 「出会ってるじゃないか」 「ずるいわ。だって、私とあなたとは恋人同士になれない・・・」 「そうだね。でも、僕は美菜子さんにはすごく感謝しているんだ。いろいろと面倒を見てくれて、ほんとに天使っているんだって思った」 「仕事だからよ」 「そうじゃない。美菜子さんは違う気がする。最初に見たときからそう思ったもん」 「なんだか口説かれてるみたい・・・」 「あっ・・・そうだね」 僕らはお互いに照れ臭くなって笑ってしまった。 「でも、あなたにだったら口説かれてもいいかも」 美菜子さんはちょっぴり媚びを含んだ声で言った。 「そんな、たいした奴じゃないよ。それより、もうひとつ聞かせて欲しいことがあるんだ」 「なに？」 「僕のこと。いつくらいになったら歩けるようになるの？ この足のギブスだって、このカテーテルだって、すごく不安なんだ。動けないことがこんなに不自由で辛いなんて・・・経験してやっとわかったよ。いろんな人に面倒をかけるのも辛いし・・・」 「たぶん、あと1週間くらいで足の方は動かせるようになると思うわ。単純骨折だし痛みはないんでしょ？」 「うん」 「カテーテルを外せるのはそれからね。そうすると回復も早くなるわ。でも鎖骨は開放骨折だから、感染症とかに気をつけなきゃならないし・・・退院できるのは早くて1ヶ月先かなぁ・・・」 「先生は3ヶ月って言ってたけど・・・」 「医者は確実なことしか言わないの。だって1ヶ月って言って半月伸びたら不安になるでしょ。患者さんによっては怒ったりするし。でも、金具を外す手術もあるから当分は通院しなきゃならないわ」 「じゃあ、金具が外れなくても帰れるんだ」 「たぶん・・・ね。確実じゃないわ。それを決めるのは先生だし。でも、あなたは回復が早いから大丈夫だと思う」 「それも外科病棟に6年間いた経験？」 「もう・・・か弱い乙女をオバサン扱いしてるな」 「もしかして美菜子さんって26才か27才？」 「そうよ。なんで？」 「水島先生と同い年くらいなんだなぁって思って・・・」 「ずっと水島さんに付き添ってる女性ね」 「うん」 「あの先生のことも好きなの？」 「そういうんじゃなくって・・・」 「わかってるわよ。でも、あれじゃ看病疲れで倒れかねないわ」 「それが心配なんだよ。僕が気がついたとき来たんだけど、そのときだって寝てないみたいでやつれてたんだ」 「わかったわ。それとなく注意しておくから」 「頼むよ。ありがとう」 「あなたって・・・」 「なに？」 「単なるモテ男君じゃなかったのね」 「どういうこと。僕はさえない男子で、モテるとか関係ないよ。ぜんぜん」 「それは、あなたが気がつかないだけよ。きっと」 「もしかして・・・」 「えっ・・・？」 「美菜子さんが付き合ってるのってお医者さん？」 「そ・・・そうよ。どうして？」 「たぶん、美菜子さんはやさしすぎるんだ。それが男には無防備に見えて、つけ込まれちゃうんじゃないかな。そんな気がして」 「そうかしら・・・」 「そうだよ。いまだって、僕の身体が動いたら美菜子さんにキスしちゃうかもしれない。そんな雰囲気なんだよ。あぶないあぶない」 「あなただったらキスされてもいいかも・・・」 美菜子さんはイタズラっぽく笑う。 「それがいけないんだよ。天使は天使のままでいた方がいいんだ」 「そんなふうに言ってくれるのは、あなただけだわ。それに、すてきな話を聞かせてくれてありがとう。とっても元気がもらえたわ。あなたたちのこと応援するから・・・でも・・・」 そう言いながら美菜子さんは僕に近づいてきた。 「でも？」 「そう・・・ちょっぴり悔しい。あなたを夢中にさせる女の子にジェラシーかな・・・それに、お礼・・・」 そう言って、美菜子さんは僕にキスした。 予想もしていなかったので、すごくビックリした。 美菜子さんは一瞬だけ舌を絡めてから、身を翻して病室から出て行った。 ねっとりとした舌の感触だけが残った。 |
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| 2012.4.14掲載 |
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