| 45 「ごめんなさい・・・また来ちゃった・・・」 消灯後、まるで女子高生みたいなセリフを言いながら病室に入ってきたのは水島先生だった。 「あ・・・先生・・・」 「ごめんね・・・いい？」 「もしかして・・・先生、不安なんですか？」 「えっ・・・ええ・・・」 「僕は話し相手になってもらえてうれしいけど・・・座ってください・・・」 僕は先生の態度に妖しいものを感じていた。そう、なんていうかエロティックな雰囲気なんだ。 「ちょっと気になったことがあるの」 水島先生は折りたたみの椅子を開いてベッドの横に座った。 「なんですか？」 「今井君、吉川さんのことをファーストネームで呼んでいたわよね」 「そう・・・だったっけ・・・」 ちょっと失敗したと思った。油断していた。先生は僕が付き合っているのは亜理咲だと思っている。なのに僕はさっき瞳のことを呼び捨てにしてしまっていた。 「とても仲がよくていい関係なのはわかるわ。不思議なくらい」 「そんな、普通ですよ」 昨日、美菜子さんが不思議と言っていたのを思い出した。たしかに不思議なんだろうと思う。すこし注意しなくちゃならない。 「あなたたちが、あそこまで信頼し合えるのはなぜかしら。考えてみたら私には友だちと言えるような人はいなかった。それは孝も同じ。あの子は引き籠もりがちで、高校のときにはあまり学校にも行かなくなっていたの。相談に乗ったのが私。あのとき・・・」 「なんとなくわかる気がする。僕だって引き籠もりまではいかなかったけど、先生の話を聞いて納得できる部分もある」 「聞かせて欲しいの」 「なにを・・・ですか？」 もしかしたら三人の関係のことを話さなきゃならないのかと僕は思った。 「事件のこと・・・なぜ、あの子が今井君にこんなひどいことをしたのか・・・警察は何も教えてくれないし・・・」 「あ・・・そっちですか・・・僕の一方的な見方だけど、それでもいいですか？」 「ええ。聞かせて」 「最初、あいつが狙っていたのは、たぶん吉川先輩だったんです。先生と引き離したのは吉川先輩のお母さんだって言っていましたから。僕らが学校から帰るところを待ち伏せしていました。そして、僕や亜理咲のことも覚えていました。先生の写真を確かめたくってあいつの部屋に忍び込む前にバイト先へ行って終わり時間を確認したのが亜理咲でした。僕らはグルなんだって言ってナイフを出したんです」 「・・・」 水島先生は何も言わずに僕の顔を見つめていた。 「ナイフを見たときに僕は・・・もう、吉川先輩と亜理咲を守ることしか考えられなくなっていました。気がついたら僕はあいつにつかみかかっていた。お腹が熱くなって・・・血が出ているのがわかって・・・ここで倒れてしまったら二人を守れないと思って・・・その後はよく覚えていないんです」 「やっぱり・・・一方的に孝が悪いのね・・・」 「僕にはよくわかりません」 「なのに、あなたは孝のことを恨んでいないって言ってくれる・・・」 「恨みはありません。でも、また吉川先輩や亜理咲に危害を加えるようだったら同じことをすると思うけど」 「私には孝があんなことをした理由が・・・まだ信じられないことが多くて」 「それは先生に対してのこと？ それとも僕の怪我？」 「ふたつのことは切り離せないんでしょうけど、孝はおとなしいと言うよりかは気弱な子で・・・他人に暴力をふるうようなことはいままで一度もなかったから・・・」 「たぶん、きっかけは小さなことだったんでしょう。どこかで掛け違えたことが、気がついたら取り返しのつかない状況になっていて・・・きっと、あいつにとって先生は唯一の救いだったんだ。それを僕らが取り上げたと思った。だから、あんなことをしたんだろうね」 「どうして今井君にはわかるの？ 私には・・・」 「もしかしたら、僕が逆の立場になっていたかもしれないって思うからです。僕だって学校の中でずっと疎外感を持っていましたから。きっかけなんて些細なことなんですよ。きっと」 「そんな・・・今井君が疎外感なんて・・・」 「いえ、もしかしたら僕だって吉川先輩につきまとうストーカーになってもおかしくない状況だったんです。クラスの中では目立たないようにしようってばかり考えていて、人と接するのが苦手だったから」 「知らなかった。文芸部のあなたは活動的だったし」 「吉川先輩に気に入られたい一心だったんですよ」 僕は自嘲気味に言った。 「まあ、ちょっと、そのことは置いといて・・・たぶん、あいつにとって先生はそれ以上の存在だったんじゃないかな。あいつは先生に認められたかった、あいつは先生に振り向いて欲しかった、なのに僕らはそれを奪った」 「だって私たちは・・・」 「わかってます。最初は男の生理と屈折した感情だったのかもしれない。でも、あいつにとって先生は特別だったんですよ。あいつの部屋で写真とビデオを見たときにそう思った」 「あっ・・・」 「ごめんなさい。確かめずにはいられなかったんです。昨日も言ったとおり僕が見てしまったことは誰にも口外しません。だから安心してとは言えないけど、約束は守ります」 「ぜんぶ・・・見られてしまったのね・・・」 「すみません・・・」 「どうしてかしら・・・」 「えっ・・・？」 「ほんとうだったら逃げ出してもおかしくないくらい恥ずかしいことなのに、なぜだかわからないけど、今井君になら見られてもいいって・・・」 「それは僕に負い目があるからじゃないですか？」 「そういう面があることは否定しないわ。でも、それだけじゃない・・・」 「先生は疲れているんだよ。先生だって癒しが欲しいんだ」 「そう・・・かも・・・こうやって今井君に話を聞いてもらえるだけでも落ち着くの・・・でも、加害者の姉が被害者に救いを求めるなんていけないこと。まして、あなたは私の生徒だったのに・・・なのに、ここへ来てしまうなんて、弱くてごめんなさいね・・・」 「そういう考え方がいけないんだ。言ったじゃないか。加害者も被害者もないって。心を縛らない方がいい・・・」 「また・・・」 水島先生は泣き笑いの顔になった。 「あなたに元気づけられちゃった・・・なのに・・・私にはなんにもできない」 「僕は先生に感謝しているし、こうして話ができてうれしいよ。先生のファンの生徒が見たら羨ましがりそうだ」 「私のファンなんて・・・いないわ。一部の生徒が騒いでいるのは知ってるけど、それは高校生の男の子らしい一時の感情からよ・・・」 「先生はきれいだし、生徒のことにも熱心で、男子生徒の憧れなんだよ。反感を持っている奴だって、そういう気持ちの裏返しに過ぎないんだ。まあ、男子なんてバカだからエッチなことも考えちゃうけど・・・それくらいは許してよ」 「ほんと・・・あなたって不思議な人ね。昨日は哲学者って言ったけど、達観していて仙人みたい」 「買いかぶりすぎだよ。僕だってエッチなことばかり考えてる男子のひとりにすぎないんだから」 「そうは見えないわ。セクハラまがいのことを言ったりする教師よりずっと紳士よ」 「そんなことがあったの？」 「ええ、もう白鳥学園の教師じゃないから言っちゃうけど、よくそれで生徒に対して先生だって言える人がいるのは事実よ。大人と子供っていう判断基準が間違っているのかも。あなたを見ていると、そう思うわ」 「ふ〜ん・・・先生も辛かったんだね」 「また・・・」 先生がおかしそうな顔をする。 「なに？」 「また慰められちゃった」 「これくらいで？」 「ねえ・・・聞かせて」 「なにを・・・ですか？」 先生の声は媚びを含んだものだった。胸騒ぎがした。 「あなたもエッチなことを考えるって言ったわよね」 「は・・・い・・・」 「男の人って、みんなそうなのかしら？」 「それは本能ですし、聖人君子みたいに言われている人だって子供がいるでしょ。エッチなことを考えなきゃ子供はできないんだし・・・それに・・・」 「それに・・・？」 「入院して思ったんですけど、食べることとエッチすることは似てるって思ったんです。エサとして食べる食事は悲しいけど、みんなで食べる食事は楽しくって内容にかかわらずおいしく感じられるんだって。一緒にいる人が幸せになれるから・・・」 「今井君」 「は・・い・・・」 先生の目がすこし怖かった。 「それは、あなたが幸せなセックスをしているってこと・・・よね？」 「そう・・・ですね・・・」 「林さんと・・・なのね？」 「想像にお任せします」 そう答えるしかなかった。 「最近、林さんの様子が変わったのはあなたのせいだったのね」 「う〜ん・・・それだけじゃないと思うけど・・・彼女には複雑な事情があって、少しは役に立てたかもしれない。で・・・先生・・・いくら先生が相手だって・・・いや、先生が相手だからかもしれないけど、こんなことを話すのはけっこう恥ずかしいんだ」 「もうすこしだけ聞かせて」 「いい・・・ですけど・・・」 「すくなくとも、あなたは林さんを幸せにしてあげられたのよね・・・その・・・結ばれることによってだけじゃないかもしれないけど」 「そういうことになりますね。僕と亜理咲とは運命に近いものがあったんだと思います」 「すてきね・・・そんなふうに結ばれるなんて・・・」 「先生にだって、きっと鍵が見つかりますよ」 「鍵？」 「あっ・・・そうだね。先生にだったら話してもいいかな・・・吉川先輩が書いた作品のこと」 「どういうこと？」 「吉川先輩の作品は亜理咲の体験が元だったんだ。あの作品の中に秘密の箱ってあったでしょ。それは亜理咲の闇を仕舞っておく箱だった。同時に、その箱は亜理咲の重荷になっていたんだね。僕は鍵になって・・・いや、僕の運命はその箱を開ける鍵だったんだ。箱の中の闇は身体を交えるたびに消えていった。そういうこと」 「・・・」 先生は目をまんまるにして僕の顔を見つめていた。 「僕は自分が鍵だって気がついたとき、すごくうれしかった。それまでは自分が誰なのかがわからなかったからね。僕が亜理咲や吉川先輩を守ろうって思ったのは、彼女たちが自分より大切な存在だからなんだ」 「すごいわ・・・まるで小説みたい・・・それ以上ね・・・」 「事実は小説よりも奇なりっていうからね」 僕は少しだけ笑った。 「今井君・・・」 「なんですか？」 「あなた・・・私にもエッチなことを考えるって言ってたわよね・・・」 「えっ・・・」 「ごめんなさい。そういう言い方はずるいわよね。はっきり言うわ。私には、そんなに幸せなセックスの経験がないの。あなたの話を聞いて・・・あなたに抱かれてみたいって・・・思ったの・・・こんなこと言うのはいけないこと・・・なのに・・・」 「先生・・・先生の気持ちはうれしいよ。でも、やっぱり疲れていて癒しが欲しいんだと思う。僕が癒せるのならそうしてあげたいけど、いまの僕じゃ先生を抱きしめることもできない。もっと先生の精神状態が落ち着いて、こういう話ができるんだったら・・・そして僕の身体が自由になったら考えようよ」 そんなことを言いながら僕はすごく不安になった。だって、こんなにエロティックな話をしているのに、僕のものはまったく反応しないんだ。ひょっとしたら、この怪我の後遺症でインポになってしまったんじゃないかと思ったからだ。だいたい興奮していたら、こんな受け答えはできない。 「あなたって・・・私ったら恥ずかしいわ・・・こんなことを言い出すなんて」 「先生・・・」 「なに？」 「僕もちょっと怖いんだ・・・」 「なにが？」 「じつを言うと・・・先生とエッチなことを話しているのに・・・ちっともエッチな気分になれなくて・・・もしかしたら・・・怪我のせいじゃないかって」 「い・・・まい・・・くん・・・」 「ちょっとだけ僕を助けて・・・」 「どうしたらいいの？」 「昨日みたいに・・・僕を抱きしめて・・・」 策を弄したわけじゃない。本気で不安だった。十代の男の子にとって能力がなくなってしまうのは恐怖以外の何者でもなかった。 そんな気持ちが伝わったのか、先生は僕に身を寄せて優しく抱きしめてくれた。 「今井君・・・安心して。もし、あなたになにがあっても私はあなたに尽くすわ。つぐないとか、それだけじゃなくて、そうしてあげたい。そうしなきゃいけない」 そう言いながら先生は僕の顔にバストを押しつけ、やさしく頭を撫でてくれた。 瞳や亜理咲を怒らせてしまうんじゃないかと少しだけ罪悪感があった。 でも、怖かった。 僕は先生の柔らかい肉を感じながら少しだけ甘えた。 先生の体臭がなぜか心地よかった。 そうしているうちに眠ってしまったらしい。 当たり前のことだけど、朝、目を覚ましたときに先生の姿はなかった。 |
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| 2012.5.12掲載 |
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