秘密の箱リスペクト

南田朗 作
プロローグ

　夕暮れの光が差し込む図書室のテーブルに僕は吉川先輩と並んで座っていた。

　吉川先輩が書いた小説をパソコンで書き起こしていたんだ。

　憧れの先輩とふたりっきりで、しかも隣り合わせでいられるなんて、すごく幸せな気分だ。

　寄り添うようにしてモニタを覗き込む先輩の身体からは、なんていうんだろう、花にも似た甘いかおりが漂ってくる。

「ごめんね。今井君にこんなこと頼んじゃって」

「いえ、これくらいはおやすい御用ですけど・・・先輩ってパソコン使わないんですか？」

「うん・・・なんとなく・・・機械って苦手な感じがして・・・」

「文芸部なのに原稿用紙を使っているのって先輩くらいですよねぇ」

　四百字詰めの原稿用紙にびっしり並んだ独特な丸みを帯びた文字を眺めながら僕は言った。

「そうよねぇ・・・べつに理由はないんだけど・・・」

「先輩。ここの囲った部分はどうしますか？　矢印の通りにすると文章の間に入っちゃいますけど」

「あっ、ごめん。ここは『こわばった声でたずねた』の後に改行して入れたいの」

「こうですか？」

「やっぱりパソコンって便利よねぇ」

　打ち込んであった文章をドラッグして言われた場所にコピペすると、先輩はしみじみと言った。

「ねえ、文字打つのって難しくない？」

「慣れれば手で書くのより早いと思いますよ。それに、こうやって後から直すのも簡単だし」

「パソコンっていくらくらいするの？」

「そうですねぇ・・・ノートだったら12万くらい出せばいいのが買えますよ。回線業者との抱き合わせでメチャメチャ安いのもあるけど、それはオススメしません」

「うん、決めた。明日、土曜日だから買いに行こう。今井君、詳しそうだから付き合ってくれる？」

　先輩がこっちを向いて言ったので制服のプリーツスカートから伸びた生足のひざ小僧が僕のひざにちょっと触れた。

「もちろん・・・いいですよ」

　その白いひざ小僧から目を離すことができなかった。

　それに学校の外で吉川先輩と会えるって考えるとドキドキしてきた。

　そして、この日、僕は先輩の携帯番号とアドレスをゲットした。

　翌日の昼過ぎにマンションの入り口で待ち合わせして渋谷にある量販店に行く約束をした。

　僕ってなんてラッキーなんだろう。

　先輩との出会いは去年の暮れのことだった。

　推薦で入学が決まっていた私立白鳥学園高校にも近く、母の仕事先である渋谷へも急行なら十数分という駅そばにあるマンションに引っ越してきたときのことだ。引っ越し業者に荷物をどこに入れるのかトラックの荷台の前で説明していると、マンションの中で首をかしげてこちらを見ている美少女がいた。

　美少女なんて表現は古くさくてどうかと思うけど、ストレートのロングヘアーに卵形の小さな顔、切れ長で涼やかな目元は、やっぱり古典的な美少女という言葉がピッタリだった。

　このマンションで暮らすようになって彼女のことを何度か見かけた。

　僕は、どちらかというと内気で人見知りをする方なので挨拶もできず、ただ顔を赤くして彼女を見ているだけだった。

　変化がおとずれたのは入学式の日だった。

　白鳥学園では部活に力を入れているそうで、なにかしらの部に入ることが必須になっている。体育館で行われた式が終わったあとに各部の説明会があったんだ。そのとき文芸部の代表で壇上に上がったのが吉川先輩だった。

　僕はびっくりした。

　だって、おなじマンションに住んでいて、見かけるたびに気になっていた美少女がそこにいたんだから。

　白鳥学園の制服を着ているところを見たことはあったはずだったけど、あまり意識しなかったし、中学生の僕にとってスラリと伸びた生足のふとももを見ただけで興奮していたから、おなじ学校だなんて考えがまわらなかった。

　挨拶もできないでいた彼女と近しくなれるチャンスがそこにあった。

　僕はその場で文芸部に入ることを決めた。

「文芸部の吉川瞳です」からはじまる説明を聞いてびっくり。クールビューティーという言葉がぴったりの顔立ちなのに、その小さな口から出てくる声は、なんていうか甘ったるい舌足らずな口調で、その落差にもキュンときてしまった僕だった。

　文芸部といったって、ちゃんと小説を読んだり書いたりしている生徒は少ない。部員たちの話題のほとんどはケータイ小説やタレント本のことばかりだったが、吉川先輩は本格派で原稿用紙を綴じた作品を何編も持っていた。それを見たとき、僕はパソコンで清書することを提案した。文集を作ろうという話が出たばかりだったし、赤入れなどの修正で読みにくいのはもったいないと思ったからだ。もちろん先輩に取り入ろうとする下心はあったけどね。

　そして、ゴールデンウイークも近いある日の放課後、部室になっている図書室で吉川先輩の作品をデータ化するため、僕はふたりっきりで先輩とこうしている。

　ちょっと自己紹介をしよう。僕は今井雄一郎。16才。かっこわるい名前だと思わないか？　父親の家系では長男に「雄」という字を使うのが習わしらしいんだけど、もうちょっとなんとかならなかったんだろうか。あまり自分の名前が好きじゃないのは内側を向いた僕の性格のせいかもしれない。趣味はパソコンで、兄弟はいない。父親は地方に単身赴任中で、小さな会社を経営している母はほとんど家にいないから、わりと自由に暮らしている。生まれも育ちも東京のヒヨワで目立たないオトコノコっていう感じかなぁ・・・

　三年の吉川先輩は早生まれなのでまだ17才。超が付くほどの美少女でスタイルも抜群。成績も優秀で実力テストの結果はいつも学年のトップクラス。学園のアイドルでファンも多いんだけど、前にも言ったとおり話をするとズッこける。舌足らずな声と話し方がすごくアンバランスなんだ。性格も声に近い。天然系って言うのかな。ピュアすぎる感じでブリッ子だと陰口をたたく女子もいるくらいだ。まあ、嫉妬なんだけどね。
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2011.4.13掲載
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