１．

「いやっ・・・」
　抗うヒトミの唇を追って私の左腕が伸びた。
　捕らえた細い顎先は小刻みに震えている。

　彼女との始まり2年前。
　それは突然やってきた。

　誘われた飲み会ではあったが、気にかけていたヒトミも来るというので、内心そわそわして出かけて行ったことを覚えている。
　残務処理を終え　到着したのは23時を回っていた。
「遅くなって・・・」
　そこまで言った途端、座敷に踏み出した私の足に誰かが抱きついてきた。
「江口さ〜ん　おそ〜い！」
　それは聡子だった。
（かなり酔ってるな・・・）
　その場にいたメンバーも困り顔の様子である。
「なんだか聡子ちゃん　今日ピッチ早くて・・・」
　そう取り繕うヒトミに笑顔でこう言った。
「いいさ。ヒトミちゃんは聡子ちゃんのアパート知ってるよね？　俺、車出すから一緒に送って行ってもらえるかな？」
　結局その場はお開きになり、私とヒトミは聡子を抱えて店を出た。
　その時は、深い意味もなく口を出た言葉ではあったが、全く下心がなかった訳ではなかった。
（ヒトミと一緒にいられる）
　後部座席で寝息を立てる聡子に感謝すらした。
「遠回りになっちゃいますね・・・」
　ほんのりピンクに染まった頬を上げ、ヒトミが言った。
　ヒトミが纏っていたクリーム色のミニタイトのワンピースがまぶしい。
　思わず目の端が好色で滲んでしまう。
「いいんだ。今日はヒトミちゃんに会いたくて行った様なものだからね。」
　本気とも冗談とも取れる口調で笑って見せた。
　それまで、時々飲み会で顔をあわせる事はあったものの彼女とこうやって話すのは初めてだった。
　夜だったことも手伝って、車は順調に聡子のアパートに到着した。
　聡子を部屋のベッドに横にすると、ヒトミが言った。
「先に車に戻っていてください。聡子ちゃん着替えさせてから戻りますから。」
　聡子の部屋を出た私は、言われた通りに車で待った。
　車にもたれかかりタバコをくゆらせながら、聡子の部屋の電気が消えるのを。
　10分程で車に戻ってきたヒトミをぼんやりと眺めながら
「飲みなおさないか？」
　口をついて出た言葉は、自分でも不思議なほど自然にその場に流れた。
「そうですね・・・ちょっとだけなら。」
　心は決まった。
　今夜はヒトミを帰さない。

　時計の針は0時を少し過ぎたところをさしていた。
　特に行き着けという訳ではなかったが、残業帰りに時々立ち寄るショットバーにヒトミを連れて行くことにした。
「こういうところ初めてです。」
　ヒトミは珍しそうに店の中を見回した。
「そう？彼とも来た事ないの？」
　あえて冷静に、紳士的な真顔で聞いた。
「彼とは、あんまり飲みに行かないんですよ。彼、飲めなくって・・・」
　ちょっとはにかんだヒトミの笑顔に胸の奥が軋むような音をたてた。
（やっぱり男がいるのか・・・）
　平然を装うのが辛かったが、ここは大人の男に徹しよう。
「へぇ！彼飲めないのか。彼はいくつ？」
「25です。高校時代の同級生なんですけど・・・」
　そこまで言うと、ヒトミはちょっと口ごもってしまった。
（こんなおじさんに、彼のこと話すのは気が引けるのかな）
　そんなことを思いながらタバコに火をつける。
　彼女がスプモー二を一口飲んでこう続けた。
「彼、最近仕事辞めちゃって・・・自分の感性と合わないとか何とか言って。でもこれで3つ目なんです、そうやって辞めちゃったの。」
「そうかぁ、それは心配だよね。」
　ノンアルコールビールを口にしながら、相談に乗るふりをして、ヒトミの太ももに目を泳がせた。
（張りがあるな・・・手を伸ばしてしまいそうだ）
　そのまま視線を上げていく。
　ウエストは、その張りのある太ももに比べるとかなり引き締まっている。
　胸元には大きめなドレープがあるため、その膨らみは定かではないが、それほど大きくは見えない。
　白い首筋が艶かしい。
　耳から顎にかけてすっと伸びた線に目が留まり思わず生唾を飲んだ。
　切れ長の目が少し潤んでいるのは、アルコールのせいばかりではないようだ。
　見ればヒトミのグラスは空になっていた。
「同じものでいい？・・・で、ヒトミちゃん不安なんだね？」
　バーテンにスプモー二を注文し続けた。
「でもさ彼はヒトミちゃんとのこと、どう思ってるんだろうね。結婚考えてるなら、もっとちゃんとするだろう？」
　ヒトミの目から涙がこぼれた。
「ごめんよ、なんだか辛くなるようなこと言っちゃったかな。」
　そっとその肩に手を置いて慰める口調で言った。
「もう聞かないから。この話はおしまい。」
　つとめて明るくそう言い放ってはみたもののヒトミは泣くのを止められないようだった。
「・・・出よう。」
　手早く会計を済ませ車を店の前に回すとヒトミを助手席に乗せた。