その１１ ガード


　手を触る口実なのかもしれないが、こうやって、男にマメに勧められてしまえば、酒に唇をつけるくらいは、しないと悪い。
「お、いいね、いける、いける」
　成美も酒に弱いから、唇を湿らせるだけのはず。
　けれども、こうやって何度も勧められ、そのたび唇を湿らせば、いつしか、アルコールは体内に染み渡ってくる。
『あ〜ん、なんか、いつの間にか、すこーしアルコールが回ってきたみたい』
　顔が熱い。
『結婚以来、外で飲むこともなくなったし……　ううん、そういえば、お酒を飲むのも、ずいぶん久しぶりかも』
　普段、夫は家で飲まない。
　まさか、妻だけが晩酌というわけにも行かないし、成美だって元々お酒が好きというわけでもなかった。
　いきおい、成美も飲む機会などめったになくなった。　
　それが、今夜は、勧められるままに唇をつけ、けっこうな量を飲んでいたのだ。
『計算外よ〜　熱い……　身体が、なんだか熱い……』
　男達に酌をすることはあっても、男と向き合って飲むことなど、夫以外とあるはずなどない。
　だから、こうやって、男に、それも夫の上司に、マメに酌をされて、飲むことになるなんて、まさに、計算外だったのだ。
「いやあ、ほんと、今夜の酒は旨い！」
　日本酒に合うのかどうかは微妙だが、生ハムを使ったイタリアンのサラダを口に放り込んで、また、ぐっと酒を飲む。
　大量に作ったはずのつまみも、驚くほどの健啖ぶりで、半ば、消えてしまった。
　手料理を褒めてくれて、おまけに、言葉通りに、なんでもモリモリと平らげてくれるのは、作った人間としてはうれしい限りなのは事実。
　その点で言えば、江川は、理想的な客とも言える。
　蜂蜜とオレンジで煮込んだ鶏肉を、ホイッと口に放り込んで、また、がっはっはと笑う上機嫌な江川は、単なるスケベ親父ではなく、夫の直属の課長なのだ。
「かっかっかっ、う〜ん、奥さんも、ほんのり赤くなって、美人が、ますます、お色気アップ。これなら街を歩いたら男どもが放っておかないでしょ〜」
「あら、やだ。こんなオバサンにですかぁ」
「何言ってんのぉ。まだ２７だろ？栗本君がいっつも自慢してるよ。エッチだって、これから、本格的に良くなる年だよ」
　後半は、聞かなかったフリ。
「もう！　えっと、それは、ミステリーってことにしてほしいで〜す」
　軽い酔いが、いつものかしこまった口調を、だんだん、クダけたものにしていた。
「そうそう、そのミス、ミス、えっと、ミス東北なんて軽いって。おっと、そういえば、奥さんは大学時代に、学園祭でホンモノのミスに選ばれたんでしょ？」
「あ、やだっ、そんなことまで、彼が？」
　そんな過去のことを会社で喋っているとは思わなかった。
『ひどいじゃない。そんなことまで喋っちゃって』
　チラッと夫を見たが、机にほおづえを突き、こっくりこっくりと船をこぎ始めている。
「えっと、あの、出場した人が……　あの、私みたいなお調子者が少なくって、あんまり人もいなかったし、えっと、あの、まぐれって言うか、審査員の方が勘違いでぇ……」
「何言っての、ちゃんとしたミスに選ばれたんじゃないのぉ。奥さん、Ｊ大出身だっていうじゃない。あそこのミスコンなら、マスコミだって取材に来たんでしょ」
「え、えぇ、まぁ」
　愛想笑いでごまかしながらも、お一つどうぞと酌をしながら話を変えてしまおうとする成美。
　その件は、成美にとっては黒歴史なのだ。
『う〜　そりゃそうだけど、あれほど恥ずかしいのは、もうごめんよ。友達が勝手に応募したってこと、まさかまさかの、なんて、誰も信じてくれないし』
　悪いことに、事件も事故も起きないその日は、学園祭特集のヒマネタをテレビが流してしまったのだ。
　ミスキャン女王の姿が全国に流れてしまった。
　おかげで、テレビを見た親にバレて、激怒された。
　旧家の「跡取り娘」がとんでもないことを、と。
　あの時は、危うく父親に退学させられてしまうところだった。
　夫に逆らったことのない物静かで優しい母親が、びしっと一歩も引かずに反対したおかげで、事なきを得たのだ。
　もちろん、ミスキャンの栄誉は、即刻辞退となってしまった。
　だから、これは「黒歴史」でこそあれ、他人に言われてうれしいことでもなんでもないのだ。　
　かといって、その時の騒動を説明するのも煩わしい。
　笑ってごまかすしかなかった。
「ほら、ね、じゃあ、世が世なら、今頃、奥さんは人気女優か、グラビアモデルとか？いや、今からだって、ミス東北くらい軽いですよ」
「そんなぁ。あ、そ、それに、それに、ミス、じゃ、もう出場資格もありませんし〜」
『あんまり、触れて欲しくないだけど。でも、江川さんは、きっとお世辞のつもりなのよね』
　そう思えば、むげにもできない。
　成美の愛想笑いは、先とは別の理由でこわばるしかないのだが、そんなことには、一切気づかない江川の声には、ますます力がこもっていた。
「お〜、そうだそうだ。うん、うん、失礼だよなあ。こんな美しい人を、ミスに出られないなんて。断固として抗議するぞ！奥さんのミス東北を認めろ！ってね〜」
　なんだか、勝手に納得して、日本語も怪しくなっているが、褒めているつもりだということだけは成美にもひしひしと伝わるから、難しい。
「まあ、お上手ですこと。もうひとつ。どうぞ」
「あ、どうも、どうも」
　こんな時には、お酌をするのも、あうんの呼吸、大人のオヤクソク。
　酒の席の言葉を、悪く取らないこと、良い気持ちで酔わせて上げることを心がけるのは、客の多い旧家の一人娘にとって、小さいときから自然にしていることだった。
「イヤ、美人のお酌の一杯は、ホント格別ですよ。う〜ん、栗本君がうらやましい。こんな美人の奥さんと、きっと毎晩エッチしちゃうんだろうなあ、うん、うん」
『後半は聞こえませ〜ん』
　さらっと流したはずが、江川は、流されたことも気が付かない。
「どうなの？奥さんは、結構、かわいがってもらってるの？」
　スケベさを浮かべた目だ。
　もちろん、下ネタを聞かれてるのだと、すぐわかる。
『もうっ。いい加減にしてよ！』
　そして、心の中でため息一つ。
　だが、表面では曖昧な笑いを浮かべて、しなやかな手を差し出して、もう一つと、お酌をしてみせる。
　すかさず、その手を撫でられてしまうが、かわりに、ちょっとトックリを滑らせて、手にこぼしてみせるのは、成美もちょっと酔ってしまったせいかもしれない。
「おっとっと」
　上機嫌で、ぐいっと一気に空けて、ついでに、こぼれた手を舐め、おまけに、さっきサラサラとしなやかな手を撫でた手をペロリと舐めてみせる江川。
『いやん！』
　なんだか、直接、手を舐められたよりも、エッチな仕草に思えて、心の悲鳴を上げてしまう成美だ。
「ふぃ〜　やっぱり、ね、あれ？奥さんもフェラなんかは得意？すっごくエッチな唇だもんなあ。こんな美人さんのフェラなんて、う〜ん、栗本君は幸せだよ」
『え？ふぇら？　あ、フェラちぉ……　そんな、なにを言い出すのよ！』
　さすがに、ここまであからさまな言葉は、初めてだ。目の前のコップを投げつけてやりたくもなる。
『だけど、ここはガマンよ、ガマン。相手は旦那様の上司ですもの。それに、こんなことくらい、酔った男の人の言うことですもの。マに受ける方がいけないの』
　むりやり曖昧な笑いをほっぺたに浮かべ、何も聞こえてないってな表情で、知らんぷりする成美。
　こういうときに恥ずかしがってみせると、スケベな酔っ払いを余計、喜ばせてしまうことくらい、分かっているつもりだった。
　素っ気なく知らん顔して、またお酌。
『へ〜んだ。喜ばせてあげないも〜んだ』
　心の中で、あっかんべーをしてみせるが、それを知ってかしらずか、江川は上機嫌で、ぐっと、ぐい飲みについだぬる燗を一気に飲み干した。
「か〜ぁ、実にうまい。美人と飲む酒はうまいねぇ、ったくう〜」
　満面の笑み。
『はぁ〜』
　まだ笑顔を貼り付けてあるけれど、心の中は半べそになりかけているのは確かだった。
『もう〜　お母さん余計なことを言うから』
　新しい家に引っ越したら、夫の上司をお招きして、ご覧に入れるくらいはするものだ、というのは、しきたりを重んじる母の勧めというより、命令だった。
　成美の実家が無理矢理与えてくれた、この新築マンションは「二人」で暮らすにはゆとりがありすぎた。
　もちろん、それがどういう意味なのか、よく分かってはいる。しかし、せっかくのマンションに住まないわけにもいかなかった。
　結局、マンション代の半ばを越える「頭金」を受け取って、残りをローンで支払うことで落ち着いた。
　実際、今の給料で家が買えるのだと考えれば、ありがたい話であるのは確かなのだ。
　だから、こうなってしまうと「上司をお招き」という母親の言葉に逆らうのも、難しい。
　軽く母親を恨んでも見るが、そもそも、それはお門違いだと成美だって分かってる。
『こんなにスケベ親父だったのがいけないのよ』
　がはは、と調子よく笑う客に、一生懸命、愛想笑いを浮かべながら、成美は、また酒をついだ。もちろん、サラサラと手を撫でられながら。
　こうなってくると、まるで、触られるために、酒を注いでいる気さえしてきてしまう。
『あ〜　何でこんな人を。それにしても、あん、なんか、ヘンになっちゃいそう』
　江川が家にやって来て、まだ２時間。
　その間に、何度、心の中でため息をついたことか。だが、最初のためいきとは、いささか意味が違ってきている。
　さっきから「多彩なワザ」で、あっちを触り、こっちにちょっかいの江川の手が、微妙な効果をもたらしているのを、気づきたくなくても、自覚し始めているのだ。
『びみょう〜に、感じちゃうのよね』
　それは、既に、微妙の領域を越えているのは、考えないようにしてしまう成美だった。
　スケベ親父「だから」なのか、「なのに」なのかは分からないけど、意外なほどのテクニシャンなのだと認めざるを得なかった。
『ちょっと、危険よね、この人の触り方』
ちょっと触られる度に、背中にゾクッと泡立つような電気が生まれるのを認めざるをえない。
　今は生理前で一番、敏感だということもあるのかもしれない。
　だが、さっきから何度も触られてる、お尻も、手も、指も、その触り方が、電車の痴漢なんて比べものにならないくらい繊細で、絶妙なモノなのだ。
　今のところ、触られるのは、ホンの一瞬だった。
　だがその一瞬のタッチは、成美の身体に絶妙の電流を発生させる。
　オンナのカンは、この分厚く、丸っこい手に危険な匂いを感じてしまうのだ。
　なによりも、既に、だいぶアルコールが入っていた。
　酔うと、自分が普段よりも感じやすく、エッチな身体になってしまうのを、夫との営みの中で知っていた。
　普段は、理性と羞恥心とが、感じすぎるのを押さえているのかもしれないが、酔うと、羞恥心も理性も弱くなってしまうからだろう。
　おまけに、並河によって目覚めさせられてしまった、Ｍっぽさが、悪さをしてる。
　こうやってチカンもどきにしつこく触られると、余計に感じてしまうのだ。
『まさか、ってことはないだろうけど、用心、用心っと』
　結婚前なら考えもしないことだが、自分がどれほど「開発」されているのか、このところ、思い知らされていた。
　不妊の検査に行って、思いがけなくも淫らになって、それだけでもありえないのに、一時は、毎日、オナニーが止まらなくなってしまった。
『あんな風なのはもう、絶対にダメなんだから』
　初めての不妊検査の、あの時のコト。
　思い出すだけでも恥ずかしかった。
　結局、やり過ぎたと、謝ってくれたのだが、あの時、偶然電話が鳴らなければ、あのまま「浮気」してしまうところだったのをよく知っていた。
　オナニーだって、このところ、ようやく、週に３回ほどに減らせたのだ。　
　だが何よりも、あの、犯されてしまったかもしれない体験よりも、あの時、身体にあふれる「切なさ」をこらえきれず「イカせて」と思ってしまったことは大きい。
　いや、あの電話が鳴る、ホンの直前「欲しい」と思ってしまったのは、ぬぐえない事実なのだ。
　夫以外のオトコに入れられて、拒否できなかったのかと思えば、自分の淫らさにショックを受けてしまうのも当然だった。
　だから、その後「調子に乗ってしまった」と土下座して謝られたことよりも、自分にスキがあったことがイケナイのだと、成美は恥じらいで一杯だった。
　自分の身体に淫らなものが隠されていたんだと、思い知ってしまったのは、真面目な成美にとっては、ショック以外の何者でもない。
　だが、自分の身体に、淫猥な快楽が潜んでいるのを知ってしまった今としては、警戒をする気持ちが生まれるのも当然だった。
『もう、絶対、触らせるわけにはいかないわ』
　セックスレスも乗り越えようと、ようやく、あきらめがつきかけたところだ。
『やっぱり、こども、こどもって言いすぎたのよね』
　新婚以来、それなりのペースでしてきたエッチで満たされてきた身体は、もう、半年も放っておかれたままだった。
　一人エッチをする度に、自分の身体がムラムラと太いモノに満たして欲しくなるのに気づいていた。
『でも、夫以外の手で、貞淑な人妻がエッチになったら、いけないんだもん』
　貞淑な人妻の成美にとって、いくらセックスレスになっても浮気など論外なこと。だから、用心するに越したことはないのだ。
『まぁ、同じ手でくるなんて、向こうも多少は酔ってきたのかもしれないけどぉ』
　それにしても、と思う。　
　普通「オレの上司はスケベ親父だよ」っと言って紹介すれば、それは、割り引いて考えるものだ。
　どうしようもないスケベ上司のはずが、実物はナイスミドルってコトだって、けっこう多いんではないかと、成美は思っていたのだ。
　だが、江川は、全く違っていた。
『この人、話の５割増し、いえ、３倍掛けのエッチじゃないの！』
　ただ、スケベ親父だけれど、愛想が良くて、話がおもしろいことだけは、救いだった。
　おまけに、一生懸命、おだててくれて、やれ美人だ、器量よしだ、料理が美味いって、褒めちぎってくれている。
『それはさ、正直嬉しいけど』
　なにしろ、主婦になって以来、成美を褒めてくれるどころか、こんな風なお世辞や、冗談で笑わそうとしてくれる男は一人も身近にいない。
　それどころか、一日、買い物以外で人と口を利かないということも多いのだ。
　座持ちの良い、ということばもあるが、その意味で、江川はスケベ親父ではあっても、話をする苦痛よりも、話をする楽しさのようなモノがギリギリ上回っている。
　だからこそ、スケベ親父を放っておいて、座を立つことができないのだ。
　おまけに、自分のことを褒める以上に、夫を褒められればうれしい。
　不器用な夫が、会社で、どんな風に有能なのかを語られれば、もっと聞かせて欲しくなるのも当然だった。
　さっきは、夫も起きていた。
　その目の前で、臆面もなく、部下を褒めまくる江川に、照れるコトしきり。
『だけど、彼だってホントはうれしかったのよね』
　男として、上司に褒められるのはうれしくとも、それを妻に話されれば、ひどく恥ずかしいモノだ。
　それで、ついつい、酒を過ごしてしまったのだろう。
　まだ快調に飲み続ける上司をよそに、とうとう、自分だけ横になってしまった夫へも、優しい視線を送ってしまう成美だ。
「がはは。いやあ、酒は弱いけど、奥さん美人だし、仕事はできる。ここは、寝かせておいてやりましょう。いやあ、栗本君なしでは、ウチの仕事はうまくいかなくてね」
　酔ってはいても、寝ている人間に配慮したのか、だんだんと声は小さくなっている。
「いや、この間もね、こんなことがありまして、最初は小さなトラブルだったんだけど、あの時も、彼がいなかったらと思うと……」
　次々と話してくれるのは良いが、ちょっと隙があれば、必ず、成美の白い頬を指でサッと撫で、酌をする手をサラサラと撫で回す。
　そのマメさは、成美が見たこともないほどだ。
　だが、一方では、上司が話す夫の手柄を「部下の妻」が、喜ぶのを知っていて、微に入り細をうがって話し続けてもいる。
　その姿は、まさに「褒め称える」と言っても良く、妻として、これ以上ないほどうれしくなってしまうのも事実なのだ。
『そうよ、こんなに褒めてくれるんだから、この上司はいい人よ！』
　懸命に、そう思い込もうとするのだが、さっきから何度も、あちこち触られてる限り、怒りが完全に消えるのは難しくもある。
　おまけに、その触り方が絶妙だった。
　もちろん、表面には絶対に出せないが、身体が微妙だけれども、敏感に反応してしまうのが、悔しかった。
　だが、それを知られてはならなかった。
『もう〜　このままじゃ、一晩中飲み続けて、触ってくるつもりかしら』
　成美の困惑をよそに、ドングリ眼は、にこにこしながら愛想を、ばらまいている。
　いくらエッチに触られても、この愛嬌の良さに、怒りを煮えたぎらせることもできない成美だった。
「ふふふ。お酒、もう少し、足してきますね」
　しかし、酔いも手伝って、成美もそろそろ、こらえる限度だった。
　自分の身体が微妙に反応し始めているのを自覚してしまうと、なおさら、これ以上触らせるわけには行かないのだ。
　またまた触ってくる手を、とっさに、はたき落としたい衝動をグッと抑えて、優しくどかしながら、ついに、成美は立ち上がった。
『相手は、愛するだんな様の上司ですもの。ガマンよ、ガマン』
　ムリにムリを重ねて、必死の愛想笑いを作ってから、そそくさと、空いたお皿を取ってキッチンに避難する。
　テーブルの横には、まだ、半ば残ったままの二本目の一升瓶が載っていた。
　チラッと夫を見ると、ごろんと横になったまま、起きているのか、寝ているのか。
『ああなっちゃうと、寝ちゃうのは時間の問題よね。後でお見送りも起きられるかしら？』
さっきだって、声を掛けても生返事しかできなくなっていた。
『彼って都会育ちだから、こっちのペースで飲んじゃうと、ついてけないのよね。ね、でも、ちょっと、しっかりしてよ！スケベ上司は、また、こんなに元気なんだから！』
　心の中で、夫を励ましてから、スカートの端に気をつけながら立ち上がる。
　パッと寝転んでみせる江川。
『もう〜、ここまで露骨に覗く人なんて、初めてよ！こんなことなら、いくら彼に頼まれても、ミニなんてはかなきゃよかった』
　今日になって、夫が言い出したことだった。
『オレの上司がさ、女の子はミニに限るって普段から、断言してるんだよ、な、頼む。オレの顔を立てて』
　もともと「ご招待しよう」と言い出したのは、成美の方。
　しかも、夫にあれほど言われたら、妻たる者、たかがスカートのことくらい、言うことをきくべきだと思うのが当然ではないか。
　母は、父のどんな頼みでも聞いていたではないか。
　さすがに、謹厳な父が、ミニスカートを穿けと言うとも思えないが、逆に言えば、たかだか「衣装」を普段来ているモノから、これにしてほしいというだけのこと。
　成美が、ちょっと選択の幅を夫に従えばいいだけのことだった。
　ハイ、素直に返事をするのが、当たり前だろう。
　しかし、いざ、こうなってくると、ミニスカート、それも、今夜のように、フレア気味の柔らかなワンピは最悪の選択だったのだと、改めて分かる。
『一生懸命ガードしてるけど、たぶん、とっくに見られちゃってるよね』
　江川のやり方は、成美の想像を超えていたのだ。
飲み会の席だ。
　チラリと見えてしまうことくらいはあるかもしれない。
　だが、あからさまに、いきなり、ごろんと横になって覗いたり、あげくは、スプーンを差し出して、映し出そうとしたり。
　ここまでくると、怒りを通り越して、あきれてしまうかもしれない。
　おまけに「見る」だけではない。
　さりげなさを装うのも、半ばで、触る、触る、触る。
　何度尻を触られたか分からない。
　どさくさに紛れて、少しまくれ上がったスカートを越えて、パンティーを直接撫でられたことすらある。
　太ももに、直に手を感じたのも再三だった。
　かといって、さっきは、夫も酔いつぶれる前。
　それを騒ぐわけにもいかなかった。
　もし「妻を触る上司」を発見してしまえば、夫は当然怒るはず。
　そうなったら、この後会社で気まずくなるに決まっていた。
　分かっているから、成美は、さりげなくガードをして、それでも触られれば「オイタはダメ」と態度で表しながら、愛想笑いの控えめな抗議で抵抗するしかないのだ。
『あん、いやん』
　ゾクッと、微妙な電流が、はっきりと伝わってきた。
　手が、白い膝をサラッと撫で上がろうとしてきたのを、サッと外して、にっこりと立ち上がった。
「どうぞ、ごゆっくり」
　微笑んだつもりだったが、きっと、目が笑ってないだろうなと成美は思う。
「うん、うん、ありがとう。おっと、オレも酒が回っちまったかな」
　ごろんと横になる江川。
　信じられないことに、そうやって、スカートを覗いているのだ。
　あからさまにスカートを押さえるのも申し訳ないと思っていたのは、最初だけ。もはや成美も、しっかりとスカートを押さえている。
　だが、既に、ピンク色の下着を見られてしまっていたはずだった。
　それでも、まだまだ覗くのをやめないし、スカートを露骨に押さえてもお構いなしだった。
　ひょっとして、こういうシチュエーションでは、覗くのを義務だと思っているのかと、皮肉の一つも言いたくなるほど、マメに覗く江川なのだ。
「う〜ん。いや〜　もうちょっとだったんだけど。でも、きれいな脚だなぁ〜　いやあ〜　ホント、見事だよ」
　一人つぶやく江川だが、成美は聞こえないふり。
　しずしずとキッチンへ逃げ出してしまう。
　このまま触れていたら、どこまでエスカレートするか、わかったものではないのだ。
「どうぞ、ごゆっくりなさってくださいね」
　言葉だけは、まだ、柔らかにするゆとりが、まだあった成美だ。
「ありがとう、ありがとう。いや、美味い酒だよ、栗本君〜」
　何が楽しいのか、またガハハ、と笑う声を後ろに聞きながら、成美はキッチンで小さなため息をつくしか無かったのだ。