１２　相思相愛

「やめなさい！」
　真夜の凛とした声とともに、部屋の明かりがぱっ、と点けられた。部屋には突然のことに狼狽している恭介と、そして白い裸身を美しくあらわにした慈雨…いや、『日向優姫』がいた。
　真夜がとめなかったら、どうなっていただろうか。それは真夜自身が考えていた。

「止めないで。わたしは、わたしはこの時を望んできた…前世でわたしの体、そして心を奪ったこの人を、この人のすべてをわたしのものとする日を…」
　優姫は振り向かずに答えた。
「いいえ、止めるわ。これはあなただけの問題じゃない。あなたは、慈雨ちゃんの体を使っている。だからこそ、させられない…！」
「それじゃ、やはり、この女性は…慈雨ちゃん…！？」
　恭介が言った。しかし、その表情はあまり驚いてはいなかった。むしろ悟っていたようにも思えた。
思えば無理も無いだろう。日向優姫と一夜を過ごしたことは、真夜も聞いている。そして、その夜明けに恭介の隣にいたのが誰だったのかも。
「慈雨ちゃんの前世…日向優姫さん。それが、この人の正体です」
　真夜の目はまっすぐに優姫を捉えていた。しかし、優姫のほうは真夜の言葉に耳を貸さず、恭介に歩み寄り、跪く。
「…好きにさせてもらうわ。この人はすでにわたしのもの。この体も慈雨ではなく、わたしのもの…」
（なんて強い自我なの…？これじゃ、慈雨ちゃんが前世の人格に消される…！）
　真夜の不安はそこにもあった。自身の体にもいえることなのだ。今の自分は『魅夜』というもう一つの『魂』と入れ替わることで超人的な能力を使うことができる。しかし、それをやればやるだけ真夜の存在が希薄になる。
　それと同じことが、真夜と慈雨にもいえるのだ。
　どちらかがいなくなれば両方死んでしまう真夜と魅夜とは違い、優姫は慈雨を消し去ることで完全に乗っ取ってしまうこともできる。

　ゆっくりと恭介のズボンが下ろされ、優姫の手が恭介を包み、口は早くも彼を咥えていた。

「んっ、んっ…」
　喜悦と満足の入り混じったような表情の優姫を見て、真夜は動けずにいた。同じ女として優姫の気持ちが分からないでもなかったからだ。
　恭介のものはすぐに固くなり、気がつけば咥え込んだ優姫の喉元に迫る勢いだった。
「うあっ！」
　やがて恭介の体がびくん、と震えるのが真夜にも分かった。

　優姫は動きを止め、やがて『こくん』と何かを飲み込む音が聞こえた。

「欲しかったの。わたしは、この人のこれが、すごく欲しかった。…真夜さん、わたしはあなたと違って、こうでもしなければ求めるものを得ることができない体になってしまっていたの…」
　口元の白濁をゆっくりと指でぬぐい、そして舌先で舐めとる。その表情はなんともなまめかしかった。
「あなたは、すでに結婚しているわ。そして何より今を生きている。愛する人を求めるのにためらいはないだろうし、求められれば受け入れることにも抵抗はないでしょう。けれどわたしは…わたしは違う…」
　優姫は、恭介をさらに求めるべく、その裸身で彼の全身を強く抱きしめる。
（これが、わたしの幸せ。生きている間に求めていた幸せ…）
　恭介がベッドの上に押し倒されても、真夜は何もいえなかった。ここにいる『優姫』という人間は、生きている間に愛するものを得ることができなかった、そんな人間なのだ。同情ではない。自分がそうなったら、と思っていた。
「やめて…！これ以上慈雨ちゃんの体を傷つけないで！！」
　やっと声が出たときにはもう遅く、すでに濡れた優姫の体が恭介を受け入れていた。

「ああーっ！」
　よほど深く受け入れてしまったのか、上になった優姫の体がびくんと跳ねた。溢れかえった愛液が潤滑をよくしているらしく、優姫の体はすぐに上下に動き始めた。
（だめ…だめよ、止めなきゃ…！）
　恭介の手が優姫の手に伸びた。
「ああっ、そう、わたしをあのときのように犯してぇっ！」
　優姫のほうは、体を激しく上下に動き出しながらわめいていた。

「きょ、恭介さんもやめてっ！！」
　真夜の叫びは悲痛だった。

「ごめん、真夜さん、僕は…いや、僕も、彼女のことを…愛しているんだ」
「…えっ！？」
　恭介からのやっとの返事に、真夜が顔をゆがめた。
「…今、思い出した。僕は…俺は…俺は優姫が…好きだった」
　その言葉が恭介から発せられたと同時に、彼の体が青い炎に包まれた。つい先ほどまでの優姫と同じように。
　そしてその青い炎は、さきほどまでそこにいた恭介とは別の男の姿を描いていく。
「…！！ああっ！あなた…！」

　真夜の目の前で信じられないことが起こっていた。出口恭介は別人となり、自分の上になった優姫を欲望のままに犯していた。
　そして責められている優姫も、思わぬ邂逅に歓喜の声をあげ、快楽に浸っていた。
「なぜ！なぜ、死んでしまったのですか！わたしはあなたに会いたかった！あなたにまた…抱いてほしかった…」
　優姫の目から光るものが落ちた。幽霊に涙が流せるものなのだろうか？真夜はそう思ったものの、自然に自分の目からも涙が溢れるのを止めることができずにいた。
　ここにいる二人は、かつて一度の行為の末、遠く離れ愛し合ったまま二度と会うこともなく散った二人なのだ。

「この体が・・お前が欲しかったんだ…！」
「ああっ！わたしもっ！わたしも、あなたがっ、あぁっ、ほ、欲しかった、のぉっ！」
　喘ぎが混じった声にならない叫びを上げながら、二人は自分たちの想いを告げあっていた。

「あっ、い、イく…ぅっ！」
「優姫ッ！」
　二人の体が激しく震えた。

　やがて二人の体が離れた。恭介・・・いや恭介の前世となった男の体はまだ青白い炎に包まれ揺らめいていた。
「…慈雨ちゃんは、わたしを憎むかしら…？」
　その言葉とともに、優姫の体も再び青く揺らめき始めた。
　二人は抱きしめあっていた。死んでから出会うという、ありえない再開を果たし、そして今までの空白を埋めるかのように。

「…ごめんなさい。真夜さん。わたしはやっと、この体を慈雨ちゃんに返すことができる…。わたしのせいで、慈雨ちゃんにはずいぶんと迷惑をかけたもの。これからは…これからは、普通の女の子として生きていってほしい」
　男の胸に身をゆだねながら、優姫が言った。
「どういう意味ですか？」
　震える声で真夜が訊ねた。
「…一つの体に二つの魂。あなたたちと違い、わたしたちは二人ともごく普通の人間だった。そのため、わたしたち二つの魂が共存するためには体のどこかを犠牲にする必要があった…。わたしの場合は夜しか出歩けない体、慈雨ちゃんの場合は…」
「見えない目と…動かない、足…」
「…そういうこと。だから、わたしがいなくなれば、彼女は元に戻ることができるの。遅すぎたのかもしれないけれど…」
　優姫が自身の秘密をある程度分かっていたことに、真夜は驚いていた。しかし、それ以上に、優姫は慈雨への優しさを持っていたことにも驚いていた。
「心配はいらない。…今度は俺も一緒に行く。今度の件で、出口恭介の体を完全に乗っ取ってしまった以上、俺の命の長くは持たないんだ。だが、恭介は俺を許してくれた。『僕も優姫さんを愛してしまった』と言ってくれた」
（だから、途中で入れ替わったのね…）
　真夜も、納得できたようなできないような心境だった。結果、恭介は死んでしまうことになるのだ。

「…さようなら、真夜さん、そして…慈雨ちゃん…」
　涙をたたえた微笑のなか、優姫が言った。はじめてみる彼女の笑顔だった。
「あなたたちのおかげで、わたしは…愛する人とついに結ばれることができます。本当に…ありがとう」
　優姫がゆっくりと目を閉じ、そして恭介の姿が少しずつ消えていく。
（これでよかったの…？）

　二つの光が、二人の体から放出されていった。その光は寄り添いながら、窓をつきぬけ空へ昇っていく。
　さながら、『魂が仲良く旅立っていった』ような光景だった。

「…幸せになってください。わたしも、ずっと、ずっと祈っていますから」
　最後に残された慈雨が、ぽつりと言葉を漏らしたのを、真夜は聞き逃さなかった。