６　　輪廻転生

「冴、遅いな…」
　ガラにもなく、冴を心配している自分がいることに、脩平は苦笑していた。真夜からは、明日あたり『苦情の電話』があるだろうし、とくに心配することはないだろう。しかし、冴は違う。
　自分と同じで『別の存在』がついているとはいえ、やはり真夜と同じで依頼を単独で受けさせたことがなかったのである。
　脩平が今、『所長代理』となっているのは、所長である氷室と妻彼方の間に子供ができたからである。そのため、つい最近までは自分自身も『使われる立場』だったのである。そんな中、気を遣われていたのか、脩平たちは氷室の指示で『三人一緒』の行動をとることが多く、脩平も脩平で、単独の依頼というのはあまり経験していないのだ。

　最初、脩平は冴が『依頼を受けた』とは思っていなかった。しかし、あまりにも帰りが遅いため、直感したのである。
（アイツの性格なら、無断で単独依頼を受けることも考えられるな…）
　ともあれ、帰ってきたら何かしら言わなければならないのも、『所長代理』の立場なのだ。

「やれやれ、冴が帰ってきたら、叱らなきゃならないし、真夜から電話がきたら油を絞られるだろうし、今日の俺はきっと女難の相だろうな」
『それはいつもどおりでしょう？』
『もう一人』の声に、脩平はうなだれた…・

「やっぱり、現在の写真があるとはいえ、写真だけで人を探すのは難しいわね」
　当の冴は、夜八時を回った繁華街でまだ聞き込みを続けていた。普通なら、女性が一人で動き回るのは危険な場所である。
　しかし、冴のほうは『もう一人』がいるため強気なものである。
『当たり前だ。この世界…この国、この地方に限定したとしても、どのくらい人間がいると思っているんだ？』
「だって、前世とか現世とかのことなら、『あなた』なら詳しいと思ったんだもの」
『もう一人』に呼びかける冴。もともと『魂』とか『死者』に関連する位置づけだった『もう一人』が、この依頼では頼りになる、と思ったのである。

『警察機関に知り合いがいるんだから、確認してみればいいだろう？依頼者の話では、前世の被害者は陵辱されたのを苦に自殺したのではなかったか？』
「いつの事件だかわからないでしょう？」
『少なくとも２５年くらいは前だろうな。写真を見るに、この男はお前や脩平たちと同じくらいの年のようだが…。
　ともあれ、もう帰ったほうがいい。無断で依頼を受けたこともあるし、こんな時間にこんな場所を女一人で歩いていいものでもない』
「…そうね。脩平君には叱られるだろうけど、仕方ないか…」
　冴がため息をついたところで、携帯電話の着信音が響いたのだった。

『何かわかりましたか？』
　電話は依頼人からだった。

（この人、いったい何者なのかしら）
　ネオンサインが輝く中、冴と依頼者は近くの喫茶店で落ち合った。近頃は喫茶店自体少なくなっているせいもあってか、脩平も氷室も、この喫茶店を依頼者との相談に使うことも多い。客も比較的少なく（店にとっては難儀だろうが）、落ち着いた雰囲気が依頼主との話をしやすくしてくれるのだろう。
　時間が遅いこともあってか、喫茶店の中の人はまばらだった。

　依頼者は、見たところ『落ち着いた女性』だった。少なくとも、冴は『自分とは違う人種ね』と理解している。
　薄いグリーンのワンピースで質素に着飾ったその姿は、この時間でも見るものを振り返らせるほどの美貌である。
「…とりあえず、情報が少なすぎるので難儀しているわけで…」
　冴のほうはなんと報告していいのかわからず、そういうしかなかった。もともと依頼者への報告などは真夜や脩平がすることが多く、元来口数が多くて余計なことまでしゃべりそうな冴は、言葉より行動で成果を出すことのほうが多いのだ。

　しかし、依頼人のほうは冴の言葉を聞いても別に怒ったりはせず、むしろ『そうでしょうね』という顔をした。
　その顔が少し残念そうに見えたのも、なぜか冴の印象に深く残っていた。
「ですが、まだ依頼を受けたばかりですし、もう少し調べてみたいと思っています」
「ええ。お願いいたします」
　女性は素直に頭を下げた。

　本当のところ、『日向優姫（ひなたゆうき）』と名乗ったこの女性のことを、冴はむしろ不審に捉えていた。
　この名前自体本名とは限らないし、『前世』という突拍子もないことを調べさせられていることもある。
　しかし、何よりもこの女性の持つある種『神聖な』雰囲気が、逆に冴の警戒心を刺激しているのだった。

「あまり長くお話しできませんで申し訳ないですが、わたし、そろそろ家に戻ろうと思います…」
　優姫が店内の時計を見上げてから言った。なるほど、もうかなり遅い時間だ。
　とはいえ、冴のほうはもう少し彼女と話をしたかった。捜索対象について詳しい話を聞けるかもしれなかったからだ。
　しかし、時間が時間だから、と冴もうなずくほかはなかった。

「いったいどういうつもりなのよ！あなた、知っててわたしをこの屋敷によこしたのね！」
　屋敷の一室を借りた真夜は、携帯電話で脩平と話していた。そもそも、この屋敷は人畜無害なもので、幽霊など存在しない、ということを脩平は、恭介に依頼を受ける前から知っていたことになる。そして、脩平はそれを承知で真夜を派遣した。
『そう騒ぐなよ。今回のことは、真夜に対する、一種の試験でもあったんだからさ』
　脩平のほうも怒られるのを覚悟していたらしかった。それもそうだろう。いかに向こうが真夜の顔を知らなくても、氷室探偵事務所の名前を出せばどうしたって脩平のことを思いつくに決まっている。つまり、『絶対にバレる隠し事』だったのだ。
「試験って…」
『真夜が一人で依頼を受けて行動できるかどうかの試験さ…っと、冴が帰ってきたな。あいつ、こんな遅くまで何してたんだ…？』
　ばたん、と扉が閉まる音を、真夜の耳が捉えていた。冴のほうも何か動いていたらしい。
『ねえねえ、脩平君、この人知らないッ！？』
　どたばた、と何か音がすると、いきなり受話器から冴の声が響いた。どうやら、受話器の向こうにいる真夜を無視して脩平に飛びついたらしい。
「ちょっと、冴！今脩平と話してるのはわたしよ！？人の夫を寝取るんじゃないわよ！！」
『人聞きの悪いことを言うな！』
　脩平の声が飛んできた。
『大丈夫よ、チャンスはいくらでもあるんですからね！』
「こらーっ！」
　こうなるともう、依頼の確認報告どころではなかったのだが、やがて脩平の声が受話器から漏れた。
『ん…？冴、この写真どうしたんだ？なんでお前がこんなもん持っているんだ？』

「どうしたの？何があったの？」
　真夜は真夜で、自分のところに声が返ってこないので、不安になってしまう。冴はいったい何を持ってきたのだろうか？
（まったく…わたしがいない間に浮気なんかしたら、承知しないんですからね…！！）
　とはいえ、脩平がそれをやる人間ではないことを、真夜はよく知っている。むしろ危ないのは冴のほうだ。
(冴なら、脩平の寝込みを襲うくらいやりかねない…）
　そんなどこかいかがわしいことを考えているときだった。

　突然、部屋の扉が音を立てて開かれたのだった。
「！？」
　その場で飛び上がるほど驚いた真夜は、思わずドアのほうを振り返ったが誰もいない。ここは屋敷の中だし、部屋のドアを開けるほど風が強いわけでもない。
「真夜さん、大変、大変なんです…っ！」
　ところが、誰もいないところから声が聞こえた。そこで真夜はようやくこの屋敷の事情を思い出した。この声は玲依のものだ。
「え、何があったんですか！？」
　珍しく落ち着きのない声を出す（表情はまったくわからないのだが）玲依に対して、真夜は反対に冷静に反応していた。
「…慈雨が、慈雨がいないんです！どこを探しても…！！」