９　荒唐無稽

　朝になっても、あの幼さを残す少女…慈雨ちゃんは見つからなかった。さすがに（見た目はそう見えなくても)探偵である真夜さんは冷静だったものの、両親…とくに玲依さんの動揺は見ていてこちらが悲しくなるほどだった（もちろん、透明人間だけに僕には見えないんだけれども）。
　草那木氏がいうには、彼女はそのまま眠ってしまったらしかった。
（あの子…よっぽど溺愛されてきたんだろうな…）
　昼間の玲依さんや慈雨ちゃんの話によると、玲依さんは数年の間、慈雨ちゃんと二人だけで暮らしてきたらしい。そのときは失踪していたのは草那木氏のほうだったようで、忘れ形見となる慈雨ちゃんを溺愛したのは当然のなりゆきともいえる。加えて、慈雨ちゃんは脚が動かない上、目が見えないというハンデをもっている。手間がかかるぶん愛情も強いのだろう。

「…最悪、誘拐の可能性があるにしても、いつ、どうやって誘拐したんでしょうか」
　真夜さんの質問ももっともなものだった。慈雨ちゃんの車椅子には無線機のようなものがついているらしく、片手だけでも操作ができると聞いた。
　そして、部屋にもインターフォンが取り付けられており、玲依さんや草那木氏といつでも連絡が取れるようになっている。
「慈雨は…抵抗できる体ではありません。寝ている間にさらうことはある意味容易ではあるでしょう。ですが…」
　草那木氏が言葉をにごらせる。
「あの子は、目が見えず体が不自由なぶん、直感力があったり、物音に敏感だったりします…何も言わずにさらわれたりするものでしょうか」

　先天的な身体障害者が、体が不自由な分、別のところの能力が高かったりする、というのはよくある話だという。
　目が見えない人間が耳はよかったり、あるいは感覚的に優れていたり。
　おそらく、慈雨ちゃんもその類なのだろう。

　僕たちは広い屋敷の中を再び探しまわっていた。無駄だとは分かっていたけれども、それをせずにはいられなかった。
（…もし誘拐されたのならば、必ず犯人から何らかのコンタクトがあるはず…）
　身代金なのか、慈雨ちゃんの体が目的なのかは分からない。しかし、草那木家は資産家だ。慈雨ちゃんを誘拐するとすれば、身代金目的と見ていい。
　もしも犯人の目的が、抵抗する術を持たない慈雨ちゃんの体だったとすれば、そいつは最低最悪の下衆野郎に他ならない。

　目を覚ました玲依さんも捜索に加わったものの、僕も真夜さんも成果なく広間に戻ることになった。さすがに真夜さんの目にも不安が表れていた。
　草那木氏も戻ってきて、残りは玲依さんだけとなったその直後だった。

「あなた！大変です！」
　その玲依さんが、血相を変えて（やっぱり僕には見えないのだが）広間に飛び込んできたのだった。
「身代金の要求がきたんですか！？」
　真夜さんが声を上げた。しかし、玲依さんの反応は本当に意外なものだった。
「…慈雨が…部屋で寝てるんです！」

　玲依さん、草那木氏、真夜さん、それに僕を含めた四人は、二階の慈雨ちゃんの部屋に駆けつけることになった。
（そんなバカな話があるものか）
　僕の考えはそれだった。だが、僕の考えは完全に裏切られる形となる。

　慈雨ちゃんは、自分のベッドの上で安らかに寝息を立てていたのである。
「…うそ…、さっきは、いなかったのに…！？」
　真夜さんが呆然とその光景を見ていた。ここに慈雨ちゃんの体がなかったのは、僕も先刻承知済みだ。もちろん、ただ単に『どこかへ行っていた』だけなら別に驚かなくてもいい。しかし、ここにいるのは目が見えず、脚を動かすこともできない慈雨ちゃんだ。『一人でどこかへ行く』ことそのものがありえないのだ。
　四人が四人、彼女がいないのを確認しているのだ…。

「いったい…どういうことなんですか？」
　僕は、誰に声をかけていいのか分からず、つぶやくようにそういっていた。誰も答えられるわけがないのに。
「…分かりません…分かりませんが…」
　草那木氏の声が聞こえた。彼の声も困惑気味だ。
「今は、慈雨が無事だったことを祝いましょう」
　もっともな意見だった。いきなり消えようが現れようが、彼女の体が無事であればそれでいい。無論謎は残るが、それは彼女が目覚めてから聞いてもいいだろう。

　しかし、慈雨ちゃんはなかなか目覚めなかった。寝息は穏やかだ、という話だったものの（いくら幼く見えるとはいえ、女性が寝ている部屋にいつまでもいるわけにはいかないので、部屋からは出ていた）、一向におきだしてくる気配はなく、軽く揺すっても反応がない、ということだった。

　いつしか再び夜になってしまい、僕ら二人はまた泊り込むことになってしまった。

　真夜さんが事務所に報告の電話をいれ、僕らは別々の部屋に別れた。慈雨ちゃんは無事に戻ってきた。しかし、謎は多い。
　『なぜ消えてしまったのか』、『どうやって戻ってきたのか』である。
　本人に聞いてみればはっきりする、とは思ったものの、慈雨ちゃんはいまだ眠ったままである。

　よくよく考えてみれば、今日目覚めてから慈雨ちゃんの失踪騒ぎで走り回りっぱなしだったため、疲れているのも事実だった。
　そのため、僕はベッドにもぐりこむとすぐに眠りに落ちてしまった…。

『…こんな近くにいたんですね』
　不意に、誰かの声を聞いた気がした。優しげな女性の声だった。玲依さんでも真夜さんでも、ほかの誰でもない声。
『あなたに、ずっと会いたかったのです。あれから、あなたをずっと探していたんです…』
『誰だ、君は…？』
　僕は、その声に向かって問いかけていた。これは夢なのだろうか、幻なのだろうか？暗闇の中僕一人取り残されたような景色の中で、ただ女性の声だけが響いていた。それも、この女性は僕をずっと前から知っていたような口調で話しかけてくる。
『あなたが、わたしを知らないのは仕方がありません。ですが、わたしはあなたを…あなたを、知っています』
『え…？』
『愛して、止みませんでした。死してなお、探し続けていました。そして、あなたもすでに死んでいたと知ったとき、わたしの魂は癒されることなく、死を拒み、この世界にとどまりました。生まれ変わったあなたの魂を探すために…』

(何を言っているんだ？死してなお探し続けた？生まれ変わった僕の魂…？）
　言っていることが常識離れしすぎていて、僕にはとても理解できない。だが、一つだけ僕にもいえることがある。

（僕は…この声の主を…知っている、気がする…）

『どうして…僕は君の声を知っているんだ…！？』

　体が心なしか重く感じる。僕はようやく目を開けることが出来た。しかし、そこにはまだ『夢の続き』ではないか、という光景があった。
　灯りを消した薄暗い部屋の中、全裸の女性が僕の上で四つんばいになっていたのである。

「…わたしを、あのときのようにしてください。『生まれ代わり』であるあなたの手で」
　僕の上になった美女は、優しい声でそう言った。その姿はまさに、妖精が僕のそばにいるかのように幻想的なものだった。

（僕はまだ、夢を見ているのだろうか…！？）

　手を伸ばすと、僕の手は彼女の胸に触れた。その感触は暖かく柔らかで、もはや夢などではありえなかった。
「んっ」
　あえぐ彼女の声も、頭の中に響くような声ではなく、彼女の口をついて自然に出た声だったようだ。
　部屋の暗さに目が慣れてくると、女性の稜線がくっきりと映し出され、その美しさを改めて感じさせる。今、僕の上にいるのは女神だろうか、妖精だろうか？
「…もっと、してください。優しくなんて、しなくてもいいですから。何をされても、それはわたしが、わたし自身が望んできたことなのですから…」
　相変わらず彼女の言うことは、現実離れしている。見ず知らずの僕に何をされてもいいなんて言えるものだろうか？

（いや、僕は、間違いなく、この女性を知っているんだ…だが、なぜだ…！？なぜ知っているんだ…！？）
　僕の頭は混乱しかけた。しかし、不意に押し付けられた彼女の胸の感触に、僕の理性は完全に吹っ飛んでしまっていた。

「…ああ、あのころのまま、こんなに硬くなって…」
　裸の胸を押し付けたまま、『彼女』はズボンに手を伸ばし、僕のものを優しく握り、上下に動かす。裸を見た時点で硬直した僕のものは、彼女の手によって愛撫され、バカ正直に硬さを増していく。
「気持ちいいですか？」
　率直に聞いてくる彼女に向かって、僕はうなずいていた。すると彼女は、うれしそうに笑顔を見せた…。