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　もしも、貴方が今突然『透明人間』になったら何をするだろう？貴方が男だとしたら、大抵はロクなことを考えないんじゃないかな。
　たとえば、知り合いの女性の家に忍び込んで堂々と着替えを覗くとか、でなければ風呂に入る、ひどいヤツなら強姦とか銀行で盗みを働くかもしれない。
　何せ姿が見えないんだから、何も気にすることはないわけだからね。

　しかし、現実はそうじゃぁない。これはこれで不便な体なんだ。
　たとえば、道を歩いているとするだろう？そうすると、なまじ姿が見えないもんだからみんな容赦なく突っ込んでくる。自転車だろうと原付だろうと、人が歩いているところへ突っ込んでくるもんだから、こちらが回避しなければならない。
　ひどい時は、赤信号直前に突っ込んでくるトラックなんてのもいるよ。

　確かに、透明な体、誰にも見えない体というのは便利なところもある。僕も実際、女風呂を覗いたことがあるし、気になった女性を家まで尾行したこともある。けれども、利点以上にリスクが大きすぎるんだ。とても危ない。
　交通機関も使えない。乗用車は免許が取れないし、タクシーは乗るどころか止まってももらえない。
　電車のほうは、空いているときはまだしも、満員電車なんかにでくわすことを思うと怖くてとても乗る気にならないね。いっぺんに正体がバレてしまうよ。

　君がもし、『透明人間』になれるとしたらどうする？僕は絶対にならないことを勧めるね。間違いなく後悔するよ。

　なんで僕がまるで見てきたかのように言うって？違う違う、見てきたんじゃない。

　なぜなら、僕自身透明な体で生きてきた人間なのだから。

　僕は、どんな姿をしているのだろう？いや、姿なんてないんだからどうしようもないんだけれど、もし姿がある体だったら、どんな体だっただろうか？
　顔はハンサムかな、細面かな、太っているのかな、足は長いかな。
　本当はどうでもいいことなんだろうけど、周りを闊歩する人間たちを見ていると、どうしてもそんなことを考えてしまうんだ。
　しまいには、『もしかしたら人間じゃなくて、犬とかネコなのかもしれない』なんて思ってしまうよ。実際には言葉を発することができるし、ものを掴むこともできるから人間であることは間違いないようだけれども。

　とにかく、普段することがない。まぁ、住むところには困らないけどね。でも、怖くて外に出ることができない。横断歩道の前に立っていても車は止まってくれないからね。
　買い物はできないし、娯楽施設に行くこともできない。いくら透明といっても、誰もいないのに、パチンコの玉が機械のなかをグルグル回っていたら不思議に思われるだろう？

　とりあえず、僕は男であるようだ。前述の通り、女性が気になることはあるし、自分の体を触れてみても、胸にふくらみはないことは分かる。
　昔の映画の透明人間は、物を食べると体のなかを通り過ぎるところが見える、という表現がなされていることもあったけれど、僕の体にはそういうことはないようだ。それはそれで便利だけれども、口に入れる前の食べ物は見えるから、傍目に見れば、食べ物が勝手にとんだあげく、少しずつ消えていくように見えるわけだ。実際僕にもそう見える。
　僕はなんでこんな姿になったかって？それはおいおい話さなければならないね。
　けれども、僕には、今はそんなことがどうでもよくなってきているようだ。この間、ちょっと気にかかる女性を見つけたからね。

　どんな女性かって？女性というより、まだ少女かもしれない。けれども、自分の年齢さえよく知らない、いや、そもそも歳をとっているのかさえわからない僕には、あまり年齢は関係ないんだ。まぁ、それでも高校生未満は倫理上よくないから願い下げだけれども。

　信じられないことに、その彼女は…誰にも見えないはずの僕を、見たんだ。

　昨日の夜、僕は盗みを働いた。といっても、銀行強盗をやったわけではなく、一種の万引きだ。もちろん犯罪だけれども、姿がない僕にとっては特に問題はないさ。カメラに物が映っているところを見ても、姿が見えないんだから対処できないし、無理矢理丸めこんで懐に抱えれば、盗んだものも見えなくなる。

　久しぶりに、本を読みふけった気がする。とある空家を（無許可で）住居にしている僕は、つい先ほど盗んできた本を暗い中で読んでいた。彼女に伝えたいことはたくさんある。けれども、僕は彼女の前で喋っていいのだろうか？とも思う。きっと、びっくりするだろう。

　そういえば、僕は何歳だろう？
　盗んできた本を読んでいる途中、ふとそんなことを思った。自分で自分の姿が分からないから、年齢だって想像もつかないんだ。そういえば、どのくらい生きているだろうか。少なくとも、十数年くらいは生きている気がする。
　そもそも、肉親が存在するかどうかも謎だ。もしかしたら両親まで透明人間なんじゃないかって思うと笑いがこみ上げてくるよ。
　想像してごらん、透明人間が透明人間を出産するところ。生まれて来た子供すら見えやしない。そのうえ、産んだ本人も見えない。ある意味、壮絶だね。

　…と、まぁ、その少女に興味を持つくらいだから、十代後半〜二十代少々だとは思う。もしも三十代以上だったりしたら、さすがに犯罪だからね。あの少女も、僕を見て若者だと判断したようだった。

『そこに、誰かいますか？』
　忘れもしない、少女のそのひと言。そのときの彼女の顔も覚えている。目を閉じたまま、不思議そうな顔で、僕を（僕がいる方向を）見ていた。
『誰か、いるんですよね？』
　再び、僕に問い掛けてきた彼女の顔は、屈託がなかった。不思議そうな顔であったものの、まるで『初めて透明人間を見た（表現的にヘンだけどさ）』、というような喜びを満面に浮かべた、そんな顔だったんだ。

　僕は思わず、『うん、いるよ』と返事をしてしまった。

　少しして、彼女の母親らしき人物が部屋の中に入ってきたので、僕は部屋の隅に身を潜めた。少女は特にこちらには目を向けなかったものの、『いる』ことを実感できたようで嬉しそうだった。
　少女はそのまま母親に抱きかかえられると、車椅子に乗せられた。

　あとで知ったことだけれども、彼女は生まれつき目が見えないうえ、両足がまったく動かない、感覚すらない、という状態だということだった。
　では、なぜ僕を捉えることができたのだろう？不思議だろう？目が見える健康な人間だって、僕を見るのは不可能なんだから。

　少女の名前は、『草那木　慈雨』。小さな身長に腰までの長い髪がよく似合う、十八歳（あとで分かったことだけれども、この年齢には素直に驚いた）の少女だ。