９．

　なぜ、慈雨にはあの人が分かるのでしょうか？もちろん、部屋にわたしが入ってくれば何かで判断するでしょう。
　しかし、部屋に入ってきただけで、『そこにいることが分かる』のが不思議なのです。

　主人に呼びかけた翌朝、わたしは一つ目の確信をもっていました。その日の夜のうちに来訪者がなかったことです。
「慈雨、家の中を散歩しましょうか」
　わたしは、そう言って慈雨を連れ出しました。彼女なら、わたしの知らない誰かを見ることができるかもしれない。そう思ったからです。
　あの時、わたしは目を隠していました。そのため、直接は顔や姿を見ていません。ただただ交接しただけで存在を感じ取っただけでした。
　しかし、慈雨は違います。実際に、見えない目ながら何かを感じ取り、通じ合ったのです。
　（やはり、あなたなのですか…？）

　三十キログラムをほんの少し超えるほどしかない慈雨を抱えるのは、女のわたしでもたいした労力ではありません。車椅子を押すよりも、背中に背負ったほうが楽ともいえます。
「…お母様、お父様は見つかりましたか？」
「いいえ、でも、多分わたしのすぐ近くにいるんだと思います」
　慈雨も、自分がなぜ連れ出されたか感じ取っていたようです。
「それに、もしかしたら今日、帰ってくるかもしれません」
　わたしは、『実験』のことを話しはしませんでしたが、慈雨にそれだけ言いました。

「…この近くに、見えませんか、慈雨？」
「いいえ、いないみたいです」
　ちょっと残念そうな返事が、慈雨からは返ってきました。彼女ならば、たとえあの人がどのような姿をしていたとしても、見ることができる。そう、どのような姿を…。
「…！」
　思わず、廊下を歩く足が止まりました。なぜ、今まで気付かなかったのでしょうか。現にわたしは今、こうして慈雨を連れて歩いています。
　そして、あの人が見えるのは慈雨だけです。わたしと会うときは、目隠しをされていました。実際に姿を見てはいません。
　そして、わたしだけでなく、飛田さんも影村弁護士も、全く主人の姿を見ていないのです。でも、なぜか慈雨だけには、どこかにいる主人を感じることができる。

（途方もない話ですが、そうとしか…あなた、あの後何があったというのですか？）
　以前、影村弁護士（のニセモノ）に襲われたとき、ドアがひとりでに開いて、花瓶が落ちたことがありました。そのおかげでわたしは助かりましたが…。
　あのときは、なんだか主人に守ってもらえたような気がして、『そこにいるんですか？』と尋ねていました。しかし、そこには誰もいなかったのです。目に見えないのだから、そう思うのは当然でした。

　お風呂で体を洗い、わたしは夜が来るのを待ちました。自分で目隠しをしようとも考えましたが、それはやめました。今、あの人がどんな姿をしているのか知りたかったのです。
　でも、『目に見えない逢瀬は意味が無い』というわけでもないことを、わたしは知っています。だからこそ、目隠しされたままの状態でも、あの人を感じることができましたし、それに、わたしは普段目が見えない慈雨を抱き上げ、共に暮らしているのですから。

　慈雨も飛田さんも寝静まったあと、わたしは念のためインターホンの電源を切っておきました。その直後、何の警戒もなくドアが開きました。

　…そこには、誰もいませんでした。ただ、ドアの向こうの景色がわたしの目に映っただけでした。
「…あなた…？」
「…玲依さん…」
　昨晩のわたしの言葉どおりに、この人はわたしの部屋を訪れてくれました。しかし、声がするだけで、わたしの目にはいつもどおりの風景しか映らず、五年前に消えた最愛の夫の姿はどこをどう探しても見つかりませんでした。
「…僕は、こういう体なんだ…自分でもよく分からない。自分が玲依さんの夫なのかどうかも、分からない。そうなのかもしれないし、違うのかもしれない…」
　姿は見えないものの、そこに『いる』のは、間違いなく主人…少なくとも、前にわたしの部屋を訪れ、そしてわたしを奪っていったあの人でした。
「…でも、僕は、玲依さんを…」
「…あなた…！」
　わたしは、強い確信と共に、そこにいる『主人』に抱きついていました。しかし、そのつもりにはなっていても何しろ相手の姿が見えないため、思い切り床に顔から突っ伏して鼻を強く打ちました。
「…れ、玲依さん！」
「だ、大丈夫です。ちょっと、どこにいるのかわからないものでしたから」
　わたしは鼻をさすりながら、なんとか笑顔を作ります。それから、主人が開いたドアを閉め、鍵をかけます。
「…僕を、『あなた』と呼んでくれるのかい？」
「あなた以外に、誰を『あなた』と呼べばいいんですか！」
　今度は、主人からわたしを抱きしめてくれました。わたしがただ、何かに抱きついている『ポーズ』を作っているようにしか見えない光景。しかし、ここにいるのは間違いなくわたしの主人であり、抱き着いているわたしにはその感触が伝わってきます。

「…っ」
　数分にわたる長い間わたしを抱きしめていた主人は、やっと体を離し、わたしをベッドの上に横たえます。何も知らない人が見たら、どう思うでしょうか。わたしはすべてを知ったものの、信じられない光景が目の前にあることに違いはありません。
　きっと、前に目隠しをさせたのも、わたしにそんな不安や恐怖を抱かせないためだったのでしょう。
　わたしは自分から、脚を広げて、主人の前にすべてをさらけ出していました。

　どこをどうされているのか、わたしにはわかりません。が、手の感触、広げられる感覚それらは掴むことができます。
「ああっ！」
　やがて、わたしの雌蘂に温かい『何か』が触れました。それは、おそらく…。
「あっ、あっ…あなた、ああっ」
　下から上へ。優しく『舌』で撫でられ、わたしは声を上げずにはいられません。主人は、いつもわたしを舐めるところからはじめました。
「玲依さん、いつ見ても綺麗だ」
「ああっ、恥ずかしいからそんなことを言わないでください…」
　その言葉が終わらないうちに、主人がわたしの雌蘂に吸い付きました（実際には、まったく見えませんが…）。
　口に含まれているであろう雌蘂が、勝手に赤く火照り、そして勝手に愛液を吐き出す光景は、まさにこっけいというか、異様なものでした。まるで、わたしの体ではないような、そんな感覚すらしました。
　ちゅっ、ちゅっ、という、愛液としたが擦れあう小さな音が、緩やかに流れこんでくる快感と共に響いてきます。
「あっ！」
　突然、わたしの目に奇妙な光景が映りました。雌蘂の入口が勝手に広げられ、中が丸見えになってしまったのです。
　そして、何かが貫いてくる感覚。
　（まさか、もう…？）
　不便なものですね。『何をされているのか見当もつかない』というのは。わたしは、早い挿入かと思いましたが、そうではないことが次の快感でわかりました。
「ああっ！」
　今度は、肉芽から快感が走ったのです。
（あ、ああっ、あなたの、舌がわたしを舐めていて、指がわたしの膣内に入っているのですね…）
　雌蘂を指で激しく突きとおされながら、舌での激しい刺激を受ける。わたしは、いつまでも耐え抜いていられるものでもありませんでした。
　しかし、会館とは裏腹に、目の前の光景は不自然なものでした。ここにはわたし一人の姿しかないのに、自分で慰めているわけでもないのに、わたしの体は勝手に愛液を垂れ流し、火照り、そして雌蘂は押し広げられ、肉の芽はひとりでにぴくぴくと震えているのです。
（ああ…、あなたはこの光景をわたしに見せないために、目隠しをさせたのですね）
　自分が透明人間であることも知られたくはなかったでしょう。しかし、それに輪をかけて、この不自然な光景が解せませんでした。
　なぜ、主人は姿をなくしたのか、わたしのことをよく覚えていないのか。ほんの少しの間だけ、そんな疑問がわたしの頭の仲を横切りましたが、それもひと時のこと。すぐに主人から絶え間なく与えられる快感に、わたしは埋没していきました。

　わたしは、自分から四つんばいになっていました。主人のことだから、いつものように後ろから来ると思ったのです。それに、わたしの体はもう主人からの激しい愛撫に絶えられそうもありませんでした。
「…あなた」
　わたしは、姿の見えない主人に声をかけました。確かに、しっかりと、主人の手の感触を感じました。腰のあたりをそっと両手で包み、それから雌蘂に固いものがあたり、そこを押し広げ、徐々に中に入ってきます。
　ぐちゅっ、と音がして、いきなり奥までを抉られました。
「あーーーーっ！」
　そのせいで、わたしは挿入の瞬間それだけで絶頂に達し、ベッドに突っ伏してしまいました。
「玲依さん？」
「も、申し訳ございません…」
　どこからくるのか、どんなことをされているのかわからない快感と感覚。それらは、わたしに不安と一種の恐怖を齎しながらも、一方で恍惚、喜悦、快楽、そして興奮といったものも一度に与えてくれました。
（ああ、こんな、こんなことって…）
　突き立ったままの主人のものが抜けないように、ゆっくりと四つんばいに戻ると、わたしはもう次の主人の動作を心待ちにしているような、そんな状態でした。
「ああ、あなた、玲依は今、すごく乱れています…」
　言葉が終わらないうちに、ぎゅっ、と乳房を両手で強くわしづかみにされました。同時に、わたしの体が不意に起き上がりました。実際には、主人がわたしを支えたまま四つんばいから、ベッドに座ったような体勢になったのでしょう。
　不思議なことに、いえ、今の状態から見れば当然なのですが、わたしの体はベッドから少し宙に浮いていました。
　そしてわたしは今、見えないそれ…主人のものを椅子にして座っています。
「ああっ、あっ、あっ」
　勝手に乳房が捏ねられるように揺れ、跳ね上がり、乳首がピンと上を向きます。相変わらずわたしの雌蘂は押し広げられっぱなしのようになり、愛液を垂れ流しています。今の体勢なら、わたしにはそれが全て見えてしまうのです。
　下から上へ、激しく突き上げられ、わたしの体が大きく揺さぶられました。何度も、何度も、そして徐々に激しく、強く…でも、それでも…優しく。
「…玲依さん、僕は、玲依さんを愛して…」
「あなた、早く、わたしの中へ…ああ、もう、もう我慢できそうもありません」
　高ぶる快感に、意図することなく熱っぽい声を上げつづけたわたしは、もう限界に達してしまいました。先ほど主人の愛撫と、挿入直後に絶頂を迎えたばかりだというのに。
「ああっ…」
　ぐしゅっ、と音がして、わたしから主人が離れていきました。そして、わたしの体が突然向きが変わり、仰向けに押し倒されてしまいました。それは一瞬の出来事で、どこを同されてこの体勢になったのか、わたしにはよく分かりません。
「玲依さん、口を…開けて」
「…！」
　主人に言われ、わたしははっとしました。慈雨のためにも、わたしは今、子供を作ることはできない身なのです。主人はそれを考慮したのでしょうか、あるいは自分の欲望のままだったのでしょうか？
　しかし、このときのわたしは、身も心もすでに主人によって染められ、どちらでもいいとしか考えられませんでした。
「ああ、あなた、わたしの口の中に下さるのですね…」
　ゆっくりと口を開くと、固いものが入り込んできました。
　不思議でした。何も見えないのに、口の中にすごく堅いものが含まれていくんです。そして、熱いものがわたしの口の中へと…。

　口の端から垂れた液体を下で舐めとって、主人の味を何度も確かめながら、ゆっくりと飲み下していきます。わたしはすべてを知りました。いえ、正確にはすべてではありません。
　なぜ、透明になるに至ったのか。主人もそれは話そうとしてくれませんし、もしかしたら自分でも分からないのかもしれません。
「…あなた…」
　わたしは、『何もない』場所に抱きついていました。しかし、ここには確かに主人の体があります。ぬくもりもあります。
「…あなた、あなた…？」
　わたしは何度も主人に呼びかけました。眠っていることはすでに知っています。反応が欲しかったわけでもありません。
　ただ、わたしは五年間、この人から離れていたぶん、この人のことを『あなた』と呼びつづけたかったのです。
　わたしが愛し、わたしと結ばれ、そしてわたしを愛してくれ、わたしが想いつづけたこの人のことを、いつまでも『あなた』と呼んでいたかったのです…。

　幸せな夜が明けたとき、主人の姿はすでにありませんでした。いつまでも、ここにいたくなかったのかもしれません。それに、透明人間だということが慈雨やわたし以外にバレてしまうのにも抵抗があるのでしょう。

　体を軽くシャワーで流し、服装を整え終わると、まるでそれを待っていたかのように電話がかかってきました。
　わたしは、昨晩切ってしまったインターフォンのスイッチを入れなおしてから、電話を取りました。
「…もしもし？」
『あ、草那木さん、氷室探偵社の八坂です。実は、分かったんですよ！なぜ、ウルムナフ・草那木氏が行方不明になったのかが！』
「えっ！」
　弾んだ声で告げられたその事実に、わたしは思わず感嘆と驚きが混ざった声を上げていました。
『とにかく、今日の午後早くお伺いしたいのですが、構わないでしょうか？それと、一人連れてきたい人間がいるのですが』
「…分かりました。ありがとうございます。お待ちしております」
　わたしはそう言って、受話器を置きました。

　主人はなぜ透明にならなくてはならなかったのか、わたしから離れなければならなかったのか、そして慈雨には見ることができるのか。

　…その謎は、もうすぐ解けるのでしょうか？

　わたしは、慈雨と飛田さんを呼び、八坂さんの来訪を待つことにしました。