Another View 川崎 賢 「ん……」 どれぐらい眠ったのかよくわからない。私は重い瞼を開ける。 「あ、気がついた？」 すると、晴香の顔が目に飛び込んできた。 「晴香……」 ここはどうやら保健室。あの後、私は保健室のベッドで眠り続けてたみたい。 その瞬間、優一の姿が脳裏を過る。 「優一！！」 （そうだ、優一！！） 私はベッドから飛び起きて、職員室へと走り出そうとする。でも 「え…」 ベッドから勢いよく飛び出した所で、目の前がぐらりと揺れて全身から力が抜けた。 「あ！」 倒れかける私を晴香が抱きとめてくれる。 「無理しちゃ駄目！熱が38.8℃もあるのよ！」 「え…？」 「賢、体が異常に熱かったからさっき体温計で熱を計ったのよ。そしたら」 「そんな…」 （どうして…こんなときに…私は…） こうも役立たずなのか。 情けなくて涙が溢れてくる。 「賢…とにかく、横になろう？ね？」 晴香が私の体を再びベッドに横たえる。 「優一…どうなるの？」 私の問いかけに、晴香は口を瞑って応えてくれない。 「私…また優一の…」 夢を妨げた。 （あの時…私がちゃんと言い返せたら…） 吉備の言葉に動揺しなければ、優一は手を挙げたりしなかったかもしれない。なんでそう出来なかったのか、私は悔やんでも悔やみきれない。 「でも…」 本当の所、どうなんだろう？私さえいなければ、そもそもこんな事件は起こらなかった。 （そうだ…私が優一の傍にいたから…こんな事に…。こんな簡単な事に…どうしてもっと早くに気づかなかったんだろう？） 「はは…ははは…」 不意に笑いが込み上げてくる。 「賢…？」 「そうだよ…なんで…なんで気付かなかったんだろう……」 いや、前々から気付いていた。でも、優一に甘えて続けていたかったから、ずっと気付かないふりをし続けてきた。 「本当に…なんて女なんだろう…私……」 もう限界、と言わんばかりに、大粒の涙が溢れ出て来る。片腕で両目を覆っても、庇いきれないほどに。 「ははは…ははは…はははは！！」 そして、今までずっと私が目を背けてきた事が、私の心に飛び込んできた。 「そもそも…おかしいよね…」 私が性同一性障害だなんて、あまりにもおかしい。 （だって…優一の事…ずっと好きだったんだもん…） 人格が男なら、男である優一を好きになんてならない。優一が、長い髪が好きなのを知ってて、髪を伸ばしたりなんてするはずがない。スタイルを気にして食事制限をしたりもしない。 じゃあ、なんで男のように振る舞ってきたか。 （そんなの…簡単だよ…） 優一に優しくしてもらいたかったから。哀れんで欲しかったから。過去の悲しい出来事のせいで、自らを男と思いこむ哀れな少女として、優一の同情を誘いたかったから。そうすれば、優一は私を見てくれる。傍にいて、いつも慰めてくれる。 この事が、どんなに悪い事かなんてわかってる。 （でも、でもどうしても…私は優一に…優しくしてほしかった…） それにもう一つ。父親に刺された、という勘違い。そう、勘違いである事なんて、病院で目が覚めた時から気付いてた。でも、勘違いだと気づけずに痛がってると優一が心配してくれた。お腹を撫でてくれて、優しく介抱してくれた。 （ずっとそうされていたかった…） そう思うと、痛みがきて、私を苦しめた。でも、本当にそれが嬉しかった。痛みが来てくれれば、私は不幸な女の子として生きる事が出来たから。優一に甘えられるから。 （剣道もそうだ……） 剣道で、わざと相手に怪我をさせるような激しい戦い方をしてきた。それも、剣道を憎んでいると優一に思われたかったから。親との思い出を踏みにじる事で、復讐しようとしている少女を演じたかったから。 （どこまで汚い女なんだろう…私って…） これで全ての説明がついた。そして私は、ちゃんとわかってこれらの事をやってきた、いわば確信犯。 「ねぇ…晴香……」 さっきからずっと黙ってる晴香。必死に押し黙ってるのが雰囲気でわかる。 「いつから気付いてた…？」 「最初からよ…」 即答で帰ってきた。 「全部…自演なんでしょ？優一の同情を誘うための」 「ええ…そうよ…。バカでしょ？」 本当に大馬鹿。 （しかも、呆れるほどにまで演技派じゃない…私…？） だって、ずっと自分自身まで演技で騙してきたんだから。 私は、性同一性障害、親に刺された、剣道を憎み続ける、これらの事を、優一の同情を誘うために、私自身にもわからないよう不幸な女の子を演じてきたんだから。 「……私も…一緒…」 「え？」 「私もね…一輝に同情してほしくて、ずっと不幸な女の子を演じてきたの…」 晴香は暗い過去を持つ少女。そして、その暗い過去の影響で、小さい頃、口を利く事が出来なかった。 「口が利けなかったのは本当…。でも、口が利けなくなったんじゃないの…。口を…利けなくしちゃったんだ…私…無意識の内にね…。そうする事で、自分の殻にわざと閉じこもる女の子を演出できるって、心のどこかでわかってた…。そうすれば…一輝が優しくしてくれるって事もね…。でもね…その事と向き合わなきゃいけなくなった出来事があったの…」 晴香は一度小さく深呼吸すると話を続けた。 「私達が中学一年の時、一輝がかなりぐれちゃったのよね…。私がずっと、一輝に寄りかかってたから…。一輝が、私の重みに耐えきれなくなって…音を立てて軋みだしたの…。でも…当たり前だよね、そんな事…？だって…一輝だって辛い思いをしてきた、私と同い年の男の子だもん…。本当は一輝だって、甘えたかったはず。優しくされたかったはず。でも…私が一方的に甘え続てきたから、優しい一輝はどうしてもそれを出来なかった…。だから、一輝はどこにも自分の気持ちをぶつける場所が出来なくて…それで…」 大きく曲がってしまった。重みに耐えられなくて。 「その時ね、私は向き合ったの…自分の弱さに…。愚かさに…。それで思ったの。今度は私が、一輝に優しくする番だって。でも…やってみて初めてその重さがわかったの…。私はなんて重い物をずっと一輝に背負わせてきたんだろうって…。結局…一輝は自分で立ち直っちゃってさ…また…私に優しくしてくれて……。本当に…私は無力だった…。だから、せめて美味しい料理を作ったり、美味しいお茶を淹れたりできるように頑張って練習したんだ…」 「晴香は偉いよ……。ちゃんと…頑張れるもん…。でも…私は…違う…」 背負わせすぎた。あまりにも重すぎる物を。 「違わないよ…賢…」 「違う…」 「違わない」 「違う…」 「違わない…」 「違うってば！！」 私はまた、ベッドから飛び起きて、晴香に詰め寄った。 「私は優一に、重すぎる物をずっと背負わせ続けてた！私はずっと、その事に気づいてた！！無意識なんかじゃない！！それを自分で否定して逃げてたのよ！！晴香はちゃんと向き合って、一輝に尽くそうと今でも努力してる！！でも、私には無理だよ！！私は弱いの！！どこまでも、どこまでも！！優一が背負ってきたように、私は背負ってなんていけない！！」 「賢……」 「今日、優一が吉備を殴ってた時の顔を私は前にも見た！あの時の優一、お父さんと同じ顔をしてた！！憎しみに満ちてて、鬼みたいな顔をして…。でも…私さえいなければ、お父さんもお母さんも憎しみ合わずにすんだのよ！！私がいたせいで…二人は不幸になったの！！私がいなければ、二人は好きな人と一緒になれたの！！私はあの二人のとっての疫病神…。そして、優一にとってもそうだよ！！」 「賢、それは違う！！」 「違わない！！だって、背負わせてきた！！苦しめてきた！！全部、優一にぶつけてきた！！でも、優一の苦しみや悲しみなんて一度も受け止めたことなんてない！！そればかりか、今回のテストだって優一の足を引っ張った！！そして、暴力沙汰まで起こさせた！！これを疫病神以外のなんだっていうのよ！！」 「わかってないよ…賢…」 晴香の表情が険しくなる。 「私なんて、あの時お父さんに殺されていればよかった！！そしたら、優一は夢の邪魔をされなくてすんだんだから！！」 そうだ、私が生きてるから優一が不幸になる。なら、私が消えちゃえばいい。 私が自分の舌を噛み切ろうとした、その時だ。 バチン！！ 保健室中に響き渡る程の大きな音と共に、私の頬に痛みが走った。 「え…」 晴香が、私にビンタした。 「この…大馬鹿！！」 バチン！！ そして、次は反対側の頬にビンタされ、そして胸倉を凄い力で掴まれると、そのまま背後の壁に押し付けられた。 「自分を憎むのはいい…嫌うのもいい…嘆くのだってかまわない！！でも、命を無駄にするなんて絶対に許さない！！賢、あんた自分が何をしようとしたかわかってるの！！死ぬってことはね、優一の思いを全部捨てるってことなのよ！！今までの優一の優しさ全てを無駄にするってことなのよ！！わかってるの！！」 「え…あ…」 何も言葉が出てこない。目の前の晴香の顔は、今までに見たことない程、怒りに満ちていた。 「最近だってそう…。優一はね、あんたが元気ないのをずっと心配してたのよ！！それなのに、あんたはずっといじけて、暗い顔して…。甘えるのもいい加減にしなさい！！優一の事、愛してるんでしょ？だったらいじけてないで笑いなさいよ！！そうすれば優一がどれほど喜ぶか！！」 「でも、無理だよ…。私…背負ってなんて…」 「生きなくたっていい！！私も背負えなかった！！でも、前を向いて、一輝と一緒に生きていく道を選ぶ事は出来た！！賢だって出来るでしょ！！いつまでも下なんか見てないで、前を向いて歩きなさい！！そして走るのよ！！優一のいる所まで。優一はね、賢なんかよりも遥かに先を歩いてるんだから、全力で追いかけなさい！！」 「でも…でも…」 走り続ける自信がない。そもそも、私にこれ以上、優一の傍にいる資格があるのかもわからない。 「でもなによ！！賢は優一の隣にいたくないの？ずっと傍に居続けたくないの？」 そんな事、きまりきってる。 「いたいよ…ずっと傍にいたい……」 また、涙が溢れる。 「ずっと…優一の隣で生きたいよ…」 「だったら…」 晴香が、私を優しく抱きしめる。 「だったら、諦めるな、バカ」 そして、頭を撫でてくれた。 「うぅ…くぅ…」 私は晴香の胸の中で、久々に、声を挙げて泣いた。 「落ち着いた？」 「うん…」 私は晴香の胸から顔を離すと、小さく深呼吸する。 「もう、大丈夫」 覚悟は出来た。 「そう」 「一度、家に帰る」 ちゃんと準備して、それから、ちゃんと優一と向き合う。 「それから、ちゃんと優一に伝えるよ」 全ての真実を。そして、自分の思いを。 「そう」 「それから、ちゃんと謝る」 全てを背負わせ続けた事を。 「うん。頑張れ」 また、晴香が私の頭を撫でた。 「ありがとう、晴香」 （もう、命を投げ出さないから。前を向いて歩くから） だから優一、待ってて。直ぐに、会いに行くから。 私は決意を胸に、保健室を飛び出した。 Another View end Another View 西条 晴香 「ふぅ…」 私はベッドに腰掛けて大きく息を吐いた。 「ずいぶん、ご立派なこと言っちゃったな…」 私自身、まだ一輝に寄りかかってる所があるくせに。 「私も、ちゃんと向き合わなきゃ…」 私はスカートの上から丹田辺りを撫でる。 「この病気ともね…」 Another View end |
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| 2011.4.23掲載 |
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