女の子が泣いている。お腹を押さえながら、痛そうに。 ―どうしたの？― 僕は少女に尋ねた。しかし、少女は応えない。 ―ねえ、いったいどう…― 少女に近づこうとした時、足元が水たまりに浸かった。 ―水溜り？― 僕は視線を足元に移すと、そこにあったのは血の海だった。 ―え…― 僕は慌てて視線を戻す。すると、そこにあったのは地獄絵だ。 無残にも惨殺された中年の女性と、まだ幼稚園児と思われる男の子。そして、血まみれの女の子だ。 ―賢！！― 僕は少女めがけて走りだした。 Another View 川崎 賢 優一は僕の腕の中で寝息を立てている。あまにも安らかに眠っているからつい意地悪をしたくなって頬を突っついてみる。 「優一、可愛い」 でも、優一は起きない。 「ほらほら」 今度は頬をちょっとだけつまんでみたりする。 でも、優一は起きない。 「優一、全然起きない」 思わずクスクスと笑ってしまう。 すると、なぜか神妙な気分になって 「ねえ、優一……どうしてなんか僕を選んだの？どうして…好きになってくれたの？」 こんなにも優しくて、思いやりがあって、僕なんかよりこ比べ物にならないぐらいに強いのに。どうして、僕なんかを？ そう思ってしまった。 「すぅ…すぅ…」 でも、優一は答えてくれない。 「優一…僕ね…今まで優一を好きにならないように生きてきたんだよ？好きになっちゃだめだって……。なのに……」 不意に涙が溢れてくる。 「優一が…ずっと傍にいてくれたから…僕…どうしても我慢できなくなっちゃった……」 そう、僕は優一を愛してはいけない。そして、愛されてもいけなかった。 ―なぜなら、僕も、《人殺し》になるのだから― 僕の父を同じように…。 僕は優一の頭を離すと優一を起こさないよう音を立てずに押入れの前にたった。そして、その中から私は黒くて湾曲している棒をとり出した。 ずっしりと重く、暗闇の中でも異様な光沢を放つ棒。それをそっと引き抜くと、鋭利な刃が露わになる。 「あいつは…僕がこの手で…絶対に殺す……」 その時までには、優一ともさよならをしないといけない。人の命を救いたいと、医者を目指す少年の恋人が、復讐の鬼であるなど許してはいけないから。 「ごめんね…優一…」 もう一度、僕は寝息を立てている優一に振り返った。 「愛してる…心から……」 Another View end 7月11日火曜日 「賢！！」 僕は悪夢から覚めて飛び起きた。 （夢か…） 僕はほっと胸を撫で下ろし、窓の外を見た。 朝日が昇りつつある。 僕は夢のことは忘れようと頭を切り替た。 そしていつもと同じように体を起こして背伸びをする。でも、いつもとは少し違う朝。僕の隣には、気持ちよさそうに眠っている下着姿の女の子がいた。 「賢、起きて」 僕は賢の肩に手を置いて激しくゆすってやる。 「むぅ…」 案の定、賢は直ぐに目を開けた。 「ふぁ…」 大きなあくびをして、寝転がりながら背伸びをする。そして、僕と目が合うと少し恥ずかしそうに頬を赤くしながら 「おはよう、優一。や〜ははぁ〜」 「もう朝だよ。早く支度しないと朝練に遅刻するよ」 賢は面倒そうにため息をつきながら 「うん、わかってる。直ぐに支度するよ」 と言ってベッドから出た。 「じゃあ、僕も部屋に戻るかな」 昨日、僕は賢の部屋に泊まったのだ。僕は賢が支度をしている間に部屋に戻り、僕自身の身支度も整えた。 それから、支度を終えた賢が僕の部屋にやってきて、僕らは揃って登校する。仲良く手を繋いで。 朝のＨＲ前の時間、教室がなぜかざわざわしている。 僕があまり気に留めず本を読んでいると 「よう、優一」 一輝が登校してきた。いつも通りの明るくて気さくな雰囲気で。 「あ、おはよう。朝練お疲れ様」 「ああ、サンキュー」 そこで僕は水筒に口をつけてお茶を飲み始めた。 「お前と賢、付き合い始めてんだって」 ぶぅぅぅぅ！！！ 思わずお茶を噴きだした。そして、顔に熱を帯びるのを感じた。 「ど、どどど、どうしてそれを……」 「へいへい、そう驚くなってカウボーイ。お前ら学校に手を繋いで登校したんだろ？目立つ賢と一緒なんだから噂も直ぐに立つさ」 「どうりで…」 僕が周りを見回すとクラスメイト達は慌てて僕から目線を反らす。 「さっきから教室が騒がしかったのか…」 （賢がいなくてよかった……） もしこの場に居合わせたらあの賢の事だ。きっと恥ずかしさのあまり暴走列車と化すだろう。 そんな時だ。最悪なタイミングで最悪な悪友がやってきた。 「やっほ〜優一〜」 晴香だ。悪戯っぽく笑いながら教室に入ってきた。しかも 「うう〜優一…ごめん…」 晴香は後ろから抱きしめる形で拘束された賢がいた。 「つ、賢……」 「ごめんね、優一…。朝の事、晴香が無理やり……」 やはりか…、と僕は肩を落とす。 朝早くに登校した僕らの姿を見た生徒などごくわずかだった。にもかかわらず、朝練から朝のHR前までのわずかな時間にここまで噂が広まるなんでおかしかった。 「ははは、やはりもつものは友人だよ」 そしてその原因はやはり晴香だ。 「だれからきいた？」 僕は諦め気味に聞いてみる。 「陸上部の子だよ。二人の姿を見たって言ってたから、賢を捕まえて無理やり聞き出したのです」 「余計な事をしないでください」 すると晴香はいじけたように 「いいじゃん〜〜！！私の大切な二人の親友がついに結ばれたのに〜〜！！ああ〜〜愛する二人を祝福して、何が悪いというのかしら、ああ〜神よ〜〜」 晴香の言葉で噂が確信的事実に変化してクラス中がどよめきだした。 「ちょっと！！ど、どうして人前でそんなこと……！！」 賢が顔を真赤にして晴香に迫るが、背が足りないのと、恥ずかしさで動揺しているせいでまるで迫力がない。 「いいじゃん、どうせすぐばれるよ。それに」 またしても晴香が意地悪そうにほほ笑んで 「学校公認のカップルになれば屋上でキスも出来るかもよ？」 「キ……！！」 賢の顔が真赤なまま硬直する。 「あれ？もうしちゃった？」 「あ……あ…そ…それは……」 口が必死に違うと言いたげだが声が出ない。あまりの緊張のせいだ。 「はぁ……」 僕は諦めたようにため息をつく。 「賢、可愛い〜」 晴香は真赤になってたじろいでいる賢をまるで子猫を可愛がるように抱きしめた。 「ひゃぁ〜、や、やめて〜」 混乱している賢が余計に混乱しておかしくなっている。 「ほらほら、もっとお姉さんが可愛くして、あ、げ、る！」 晴香は賢の両脇から腕を通して思いっきり賢の双乳を鷲頭掴みにした。 「やぁ！！や、やめてぇ！！！」 もはやクラスは果てしなくカオスな状況へと落ちていった。 「流石に同情するぜ、優一」 一輝が真剣な表情で俺の肩に手を置いた。 「はぁ……」 僕はもう一度ため息をついた。あの一輝に、本気で同情されたのだ。 結局、先生が教室にやってきても事態はなかなか収拾することが出来なかった。 そしてやってきた昼放課。 「はぁ……」 僕はため息をつく。ため息一回につき千の幸せを失うとしたら今日の僕は億単位で幸せを喪失しただろう。 僕は幾つもの視線を無視してかばんから弁当をとり出す。そして、いつものメンバーで昼食を採るのだが 「あ、あのさ…賢？」 晴香が気まずそうに賢にお伺いを立てる。 「なに？」 鋭い眼光で賢は晴香を睨んだ。 「そ、そんなに怒ってるの…？」 「あれで怒らない人間がいればそれはきっと神様の化身だよ」 僕もさりげなく晴香に言葉の暴力で応戦した。 「ご、ごめん！本当にごめん！このとおり！だから許して！！」 顔の前で両手の平を合わせて拝むように賢を見る晴香。 「やだ」 一瞬で一蹴され撃沈。 「そ、そんな〜賢様〜許して〜〜」 今度は必死に腕にすがりつく晴香。 「帰れ」 またしても一蹴。 「そんな〜」 そしてまたしてもすがりつく。 「哀れだ……」 一輝が本気で晴香を憐れんだ。 「やっぱり因果は巡るんだね」 僕ら男性陣は女性陣のコントのようなやり取りを寒々しい目で眺め続けた。 全ての授業が終わり、生徒達が部活へと向い始める。僕も、いつも通り図書館へ向かおうと席を立った時だ。 「優一」 賢が話しかけてきた。 「どうしたの、賢？」 「今日は居残り練習しないから、先に帰ってて」 僕は、珍しいな、と思いながらも 「ああ。そうなのか、わかった」 と頷いた。 （賢もたまには息抜きをしたいんだろう） 「じゃあ、また明日ね」 賢はそう言って道場の方へと消えていった。 「まぁ、僕も早く帰れることだし復習でもするか」 僕は久々に早く帰宅したのだった。 Another View 宮之下 一輝 「可愛かったな、賢」 俺は本気でそう思った。 「そう思うでしょ？私がちゃんとアドヴァイスしたおかげだよ」 隣で歩く晴香が自慢げに胸を張る。 俺と晴香と賢の三人で部活帰りに駅前へ行ってきた。賢の女心に応えるために。 「でも、ようやくだな」 俺が神妙な面持ちでそう言うと、晴香も真剣な表情で頷いた。 「やっと…付き合うようになったね……」 晴香は不安げな瞳で俺を見つめると 「これで賢は、救われるかな……？」 「わからない…」 「でも…救われなきゃ…賢は……」 「復讐の鬼か……」 「ねぇ……」 晴香が不安を抑えきれない様子で、俺の腕に絡んできた。賢や優一が見たら驚くだろう。 「やっぱり…優一に……」 「それは駄目だ」 俺はきっぱりと言い切った。 「でも…優一ならきっと…」 「ああ、それは間違いない」 優一の事だ。賢のためなら何でもするだろう。命を懸けてでも… 「で、その後はどうする？賢も優一もそこまで強くはない。たとえ優一に教えて、それで賢が諦めたとしてもその後、二人が何事もなく生きていけると思うか？」 無理ね、と晴香は肩を落とした。 あの二人は、近すぎてしまう。だから、他人に見えないところが見えても、他人が簡単に見える事が全く見えていない。 「とにかく、今は様子を見る。でも、いざという時の覚悟はしておいてくれ」 「………」 「晴香？」 隣を見ると、涙を流している晴香の顔があった。 「本当にお前は」 俺は晴香の小さな頭を撫でた。 （こいつも…まだ子供だからな…） 晴香は体ばっかり育って、心はまだ子供に近い。たぶん、俺達の中で一番…。だから純真で、無垢で、どこまでも真直ぐだった。だから、俺のようにきっぱりと割り切ることが出来なくて、いつも板挟みになる。 でも、俺はそんな晴香が好きだ。 「ん……」 俺は晴香の頭を引き寄せて、薄らと開かれた唇に吸いついた。 「はぁ…」 晴香が甘い吐息を漏らし、少し恥ずかしそうにほほ笑んだ。 「外で、キス、しちゃったね…」 嬉しそうにほほ笑む晴香はまるで初めて男の子と手を繋いだことに喜ぶ女の子のようだ。 「なあ、晴香」 「なに？」 「愛してる」 「……私も……」 頬をリンゴのように赤らめた晴香の唇に俺はもう一度吸いついた。 ―やり遂げよう― 俺たちは互いの意思を確認し合うように強く手を握った。 そう、地獄の淵にいた俺と晴香を救ってくれた、優一のためにも。 『えっと、君が一輝で、君が晴香、で、僕が優一。これで僕達、友達だね？』 （ああ、友達だ、優一。絶対に、お前と賢の幸せな日々を、失わせはしない） たとえ、俺達が友達でなくなっても、絶対に。 Another View end 夜の十時を超えた頃に賢からメールが来た。 内容は 《よっす！明日のことなんだけど、朝練ないから別々に登校しよう？》 というものだ。 「そうか、明日は朝練なしか」 僕は特に理由もないので一言、了解、と送った。しかし、今日の帰りといい、明日の朝といい、練習がないなら一緒に登下校してもいいような気もするのだが。なんだか、少しさびしい気がする。 （今は一人がよくなったのかな？） 最近、賢は少しずつ女の子に近づいてきている気がする。その心境の変化のせいかもしれない。 |
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| 2011.2.16掲載 |
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