7月19日水曜日 ―女の子の鳴き声が聞こえる― そう思った時だ。僕の目の前に広がったのは、地獄絵と言っても過言ではない惨状だ。 包丁でめった刺しされた中年女性と小さな男の子。そして、その中で泣き続ける少女。 また、あの夢だ。 ―賢！！― 僕が駆けている。泣いている少女に向かって、ただひたすらに。 手には何か重量感のある物が握られていた。そして、包丁で女の子に切りかかろうとしている男に向けてそれを振り上げると ―やめろ！！この悪魔！！― 容赦なく振り下ろした。 ―いやぁぁぁぁぁ！！！― ぐちゃり、という生々しい音と共に、女の子の悲鳴が木霊する。 「は！！」 僕は悪夢から覚めて飛び起きた。 「夢……」 僕はほっと胸を撫で下ろす。時間は午前2時を過ぎたころだった。 「優一、大丈夫？」 傍らには、パジャマ姿の賢がいて、僕の肩に手を置いて心配そうに見つめていた。 「大丈夫だよ。少し、変な夢を見ただけだから」 それでも賢は心配そうに僕を見つめてくる。無理もない。僕はあれこれ一週間も毎晩のようにあの悪夢を見て飛び起きている。それを毎日隣で一緒に寝ている賢は見続けてきたのだから心配するなという方が無理だろう。 （過去の記憶…か……） ずっと昔の、僕と賢がしまい続けてきた忌まわしい過去。つい最近まで思い出すこともなかったのに、なぜ今になってあの時の夢を見るようになったのか僕にはわからない。 賢と屋上でキスしたあの日から、賢は僕の部屋で寝泊まりするようになった。ご飯も僕の部屋で食べる。御風呂も、だ。賢が自分の部屋に戻るのは制服に着替える時と、私服に着替える時ぐらいだろう。 「最近、ちょっと変だよ。やっぱり、僕が一緒にいるようになったから、優一、疲れて変な夢を…」 「そんなんじゃないよ」 そう言って僕は賢の頭をなでる。 「大丈夫。本当に大たことのない夢なんだ」 僕は必死に作り笑いをして賢を心配させまいとする。でも、勘の鋭い賢のことだ。これが作り笑いであることはきっと見抜いているだろう。それでも、僕は必死に作り笑いを続けた。どうしても、あの夢のことを忘れたくて。 Another View 川崎 賢 ようやく、優一が寝付いてくれた。きっと眠るのが怖かったんだろう。 「優一……」 あの作り笑いを見るたびに、胸が締め付けられる。僕に言えない夢…そんなのはあの日のことしかない。 「ごめんね…優一…」 きっと、僕が一緒にいるようになったからだ。《復讐の鬼》になることを誓った、この僕が、隣に立っているから。 何度も離れようと試みた。今の距離から一歩でも優一から遠ざかる事が出来れば、と。でも、できない。遠ざかろうとすればするほど優一に近づいてしまう。そしてその度に、封印してきたはずの僕の中の《女》が目覚めてくる。そして、《女》が目覚めるほど優一を激しく求めてしまう。 僕は完全に負のスパイラルに陥っている。 （このままじゃ、駄目だよ…） そう、離れないと。本来なら、今すぐにでも。 そもそも、なぜ優一の告白を受けたのか。それそもそもの、僕にとっての最大の過ちだった。 （でも…口が勝手に……） あの時、断ろうとした。断らなくては、と確かに心の中で思った。でも、体は正直だ。唇が勝手に私の本心を口走ってしまった。 「優一……」 僕はまたしても涙を零す。優一が寝付く度に幾度となく流す涙。優一を愛し、それ故に離れなければならないのに離れようとしない自分への罪悪感と、それ故に傍にいたいという恋心。二つの激しい感情で、僕の心が引き裂かれそうになる。 「優…一…」 苦しくて、呼吸が出来ない。胸に何かが詰まるような感触が僕の意識を遠のかせる。きっと、いつもの痛みがやってきたのだ。 「う…く…優…一…助けて……」 そして僕は、すがるように優一に口づけする。 弱い女…。愛する人をみんな不幸にするペテン女…。生きていてはいけない血塗られた女…。 私が、私自身を見下し、罵声する。 「ごめんね…ゆ…う…一…」 その一言で、私の意識は激痛の中へと落ちていく。 Another View end 僕らのいつも通りの朝がやってくる。賢の朝練に合わせて早起きするのはいつも通り。でも、屋上でキスしたあの日を境に同棲するようになった僕らは毎朝並んで朝食を採る。 朝食といっても焼いた食パンにインスタントのスープがつくだけだが。 「それでね、晴香ったらまた変な事いっておちょくってくるのよ」 最初の内はぎこちなかった朝食だが、今では賢が楽しそうに話をするようになった。僕は毎朝、それを聞いて楽しんでいる。 支度も終わり、玄関で並んで靴を履いていると ピンポ〜ン インターホンが鳴った。 「は〜い」 僕はドアを開く。 「おはよう！優一！」 外にいたのは晴香と 「おっす、おはよう御二人さん」 一輝だった。 「どうしたの、二人して？」 「いや、たまには四人で登校するのもいいかな、と思ってさ。昔みたいに」 と一輝。 「そうそう、たまにはね？それとも、二人のラブラブな登校の御邪魔になっちゃうかな？つ、か、さ？」 ニカニカと笑いながら晴香がきいてくる。 「べ、べつにそんなこと、ないけど……」 少し嬉しそうに頬を赤らめて賢が頷く。 「じゃ、決まりだね！」 晴香が嬉しそうに賢に抱きついた。 いつも二人の登校、でも、今日は違った。 「もう！晴香、いろんな人に私の事言い過ぎ！」 「ええ〜、どうして〜？こんなラブラブカップルの幸せを少しでも恵まれない人たちにお裾分けして上げることのどこに間違いがあるというのですか〜？」 「自分の幸せを分けてください。僕と優一の幸せは僕達の物ですから」 「あ、賢、また自分の事を僕って言った！」 「あ…わ、私の幸せは私の物ですから！」 「あれ？優一の幸せは？」 「え！あ、優一の幸せも、わ、私の幸せ」 「うわ、欲張り…」 悪妻でも見るような目で晴香が賢を見る。 「え、そ、それは違う！言い間違いだって！も、もう！！」 「朝から騒がしいな」 一輝が額に人差指を当ててため息をつく。 「うん、まだ朝早いのに近所迷惑だね」 （でも、自分のこと、私、って言おうとしてたんだ） ここ一週間、いつも自分の事を僕と言っている。 （でも、こんな朝もいいな） 懐かしい朝。高校に入る前までの僕らはいつもこうだった。毎日が楽しくて、嬉しい事に溢れていた。 でも― あの血塗られた悲劇が、僕らを一変させてしまった。 ―許さない…― 憎悪の籠った目で、女の子が男に向かって言った。 ―お前なんか、絶対殺してやる！！― そして、女の子は、《復讐の鬼》に…。 「は！」 いけない、と僕は頭を振る。 （変な事を考えてはいけない） そう、あれはもう過去のこと。いつまでもとらわれていてはいけない、と暗い記憶を頭の片隅から抹消する。 学校に着くと、面白い事があった。 「あれ、何これ？」 賢が不思議そうに三枚の手紙を眺めていた。 「どうしたの、それ？」 と僕。 「なんか、僕の、じゃなくて私の下駄箱に入ってた」 それを聞きつけて晴香が飛んできた。 「それ、絶対！ラブレターだよ！！」 確かに、封筒にはそれらしい決まり文句が書かれていた。 「へ〜それはすごいな」 一輝もいつの間にかやってきた。 （最近、可愛くなったもんな） 身近にい続けた僕でさえも、女の子らしくなった賢は反則的なまでに可愛かったのだ。今まで接点のない他人からすれば衝撃は僕ら以上だろう。 「ふ〜ん」 でも賢はあまり反応がない。 そればかりか― ビリビリビリ ラブレターを躊躇なく破り捨ててしまったのだ。 「あ、賢！それ……」 僕が止める間もなく三枚のラブレターはただの紙くずと化した。 「ああ、男の子達の勇気の結晶が……」 僕は思わずラブレターを出した顔も知らない男子達に同情した。 （せめて、文面ぐらいは見てほしかっただろうに） 「なにいってるのよ、優一」 賢が僕を見つめてきて、ぽっと頬を赤くすると 「私は、優一の彼女だもん…。他の男に、興味ない」 それだけ言って僕に背を向けると、すたすたと先に行ってしまった。揺れる髪の間から除かれた耳が真赤なのを僕は見た。 「あらら、相変わらず照れ屋さんね」 晴香が幼い少女を見るような目で、賢の後姿を見つめる。 こんな感じの日々が、何日も続いた。楽しくて、彼氏と彼女の時間が、何日も。 |
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| 2011.2.26掲載 |
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