| （前編） 「先生、麻衣ちゃん先生ッ」 不意に名前を呼ばれたような気がして、わたしは首だけで振りかえった。 都心の真んなかの繁華街。人でにぎわう夜の横断歩道。 少年の顔が車のヘッドライトに照らされている。 「覚えてませんか？ 去年卒業した石川です」 「え、石川って……石川忠司くん？」 「はい」 「やだァ、本当に忠司くんなの？」 まだ半信半疑の声。 だって、わたしの知ってる石川忠司くんとは別人なんだもの。 わたしが勤務する中学校の卒業生で、陸上部のキャプテンだった彼。 身体つきは小柄で、たぶん、百五十七センチのわたしと同じくらいの背丈だったはず。在学中は確かにそうだった。 なのに今は……。 「ずいぶん背が大きくなったのねえ」 「はい、一年で十六センチ伸びましたから」 「そんなに……」 身長だけじゃなく、体格や肩幅もがっちりとしている。 顔立ちも以前より大人びて、なんか、もうすっかりオトコって感じ。 でも、笑うと年相応の子供の顔になる。それがまた可愛い。 若い女性の教師仲間のあいだでも、彼、評判の美少年だったからなァ。 「先生、どこかに出かけるんですか」 交差点の角でしばらく世間話をしたあと、彼は言った。 「もしかして、これから彼氏とデートとか？」 「ええ。実はそうなの」 「えッ……」 「ウフフ、冗談よ」 真顔で驚いちゃって。なんかカワイイ。 「買いものがてらブラブラしてただけよ」 「じゃあ、このあとは？」 「特に予定はないけど」 「だったら、少しお茶しません？」 視線を斜めに落としたまま、遠慮がちの口調で忠司くんは言った。 うーん。もしかして……これってお誘い？ 「もう、だめよォ。高校生のくせに先生をナンパなんかしちゃあ」 「別にそんなんじゃないけど……ただ、久しぶりに先生と話がしたいなと思って」 「でもねえ、人の目もあるし」 「お願いしますよ。ね？ 少しだけ」 「うーん……」 仕方ないから、近場の公園でちょっとだけ話すことにした。 自動販売機でジュースを買って、ふたりでベンチに腰かける。 「先生はあんまり変わってないですね」 と、缶コーヒーをチビチビ飲みながら忠司くん。 「相変わらず美人だし」 「ウフフ。高校に入ってお世辞まで覚えたのね」 「お世辞じゃないですよ」 「忠司くんこそ、すっかり男らしくなったじゃない」 私服の彼の胸元からコロンの匂いが漂ってくる。でも、チャラチャラとした印象はない。 「身長もそうだけど、顔立ちだってかなり凛々しくなったし」 それに、洋服のセンスもいい。 中学のころは、子供子供って感じなだけの男の子だったのに。 ずいぶんと垢抜けたものだ……なんて、ちょっとオバサン臭いかな。 「きっと女の子にモテモテなんでしょうね」 「そんなことないですよ」 「またまたァ」 「俺、そういうの興味ないから」 「え、それって」 「興味ないんです、クラスの女子とかって」 あ、そういう意味か。 一瞬、あっちの趣味なのかなァ、なんてばかなことを考えちゃった。 「ぜんぜんガキッぽいし、うるさいだけだし」 「女子高生なんだから当然よ、わたしもそうだったわ」 「麻衣ちゃん先生は別ですよ」 「あはは。やめてよォ、その呼びかた」 生徒から親近感を持たれるのは悪い気がしないけど、同時に、もしかしてナメられてる？ って思うときもあるのよね。年が近いから仕方がないんだろうけど。 「なんか教師って感じがしないんですよね、麻衣ちゃん先生って」 「えー、それってばかにしてない？」 「ち、違いますよ」 冗談半分で口を尖らせると、忠司くん、あからさまに困った顔。 「そうじゃなくて……なんか、ほかの先生とは違うんです」 「違うって、どんなふうに？」 「大人っぽいのに無邪気というか、綺麗なのに尖った感じもないし」 「もう、やめてよ」 「それにさ、先生って特徴的な美人だから」 「え、特徴的？」 「うん。なんていうか……普通の美人よりもインパクトあるからさ、先生の顔って」 わたしは愛想混じりの照れ笑いを浮かべた。でも、内心は複雑な気分だった。 彼の言いたいことがすぐにわかったから、素直には喜べない。 おちょぼ口なのに、妙にぽってりとした厚い唇。 実は、昔からコンプレックスだったりする。 「顔の上半分は子供っぽいのに、鼻から下だけが妙にエロいんだよなあ、麻衣って」 そんな失礼なことを言っていたのは、学生時代につきあった男。 自分でもかなり真剣に悩んだ時期もある。 ま。悩んだところでどうしようもないんだけどね。 忠司くんだって、悪気があって言ったわけじゃないんだろうし。 「ねえ、先生」 「え、何？」 「あの、俺さ……先生のこと」 そこで、不意に忠司くんの声が切れた。 唖然とする彼の視線を追って……わたしまで唖然。 公園内の木立の陰で、若いカップルがイチャイチャしてる。 ううん、イチャイチャなんて程度のものじゃない。 貪るようなキスを交わしながら、男の手が、女のブラウスの内側に潜りこんでる。しきりに胸を揉んでいる。 女の子の半分ほど捲れた黒いブラジャーも、のけぞり気味で喘ぐ顔も、全部見える。 よくよく見ると、狭い公園内にはほかにも数組のカップルがいた。 女の尻を鷲掴みにしながら歩く若い男。 身を寄せあって談笑しながら、男の股間に指を添える水商売風の女。 草むらの陰で前後に揺れる背広の後ろ姿。そこに絡みつく二本の白い足……って。 これって間違いなく……アレよね？ 歓楽街に隣接する場所柄のせいか、公園内は完全にラブホの待合室になってる。 暗いから、これまで少しも気づかなかった。 「忠司くん、そ、そろそろ帰りましょう」 慌てて腰を浮かせたものだから、つい、忠司くんの手が身体に当たってしまった。 あッ、と声をだしたときには、もう遅かった。 乾いた音をたてて地面にころがる缶コーヒー。 スカートの生地に黒い染みがひろがる。 「先生、ご、ごめんなさい」 悪いのはわたしのほうなのに、焦り顔で平謝りをする忠司くん。 「大丈夫よ、たいした染みじゃないから」 「でも」 「本当に大丈夫なの、大丈夫だから」 声が裏がえる。やだ、わたしまで動揺しちゃってる。 「とりあえず拭かないと……」 わたしはハンドバッグからハンカチを取り出した。 「俺が拭きます」 「え？ 平気よ、自分でやるから」 「いえ、俺のせいだし」 「いいのよ、本当に」 けれども勝手にハンカチを取りあげて、忠司くんは地面に膝をついた。 申しわけなさそうな顔でスカートを拭きはじめる。 「ねえ、本当に大丈夫だから、わたしがやるから」 口では遠慮するものの、この状況では拒みようがない。 だって彼、本当に必死そうなんだもの。 わたしのほうが申しわけない気持ちになっちゃう。 コーヒーは膝のほうにもかかっていて、忠司くんはそこにもハンカチを押しつけてきた。熱いコーヒーじゃなくてよかったかも……なんて、一瞬考えた。 異変に気づいたのは、その直後だった。 どうしたんだろう、忠司くん。妙にソワソワしちゃって。 急に黙りこんじゃうし。それに、顔も真っ赤。 さっきまでのオロオロとは雰囲気が違う。 「あの、先生」 「え、何？」 「…………」視線を横にそらして、また黙りこんじゃう。 そこでやっと……やっと、彼の動揺の理由がわかった。 わたしの今日の服装は、花柄の黒っぽいプリントワンピース。ニーハイのブーツも黒で、スカートの裾はだいたい膝上十センチくらい。 で、服を拭いてもらうために足を開き気味にしてる。 そして忠司くんは、地面に膝をついている。わたしのすぐ正面で。 つまり……いやでもスカートのなかが見えてしまう、ってことだ。 認識したとたん、身体が急速に火照ってきた。 「先生」 ハンカチを握った忠司くんの手が止まった。 あれ。 どうしたんだろう、わたし。 なんで足を開きっぱなしにしてるんだろう、悲鳴をあげてスカートの前を隠さないんだろう。 もういいわ、あとは自分で拭くから……って言わないんだろう。 「先生、あの」 「な、なあに？」 「……コーヒー、膝の奥にもかかってるから」 忠司くん、チラチラとわたしの太腿を盗み見てる。 ううん、太腿の奥にあるものを見てる。 「ふ、拭いてもいいですか？」 そんなのだめよ、とわたしは言おうとした。 だって、拭いてもらうにはもっと足を開かなくちゃならない。 開けば、確実にパンティを見られることになる。 ううん。見られるじゃなく、見せびらかすことになる。 なのにわたしは、拒絶とはまるきり逆のことをした。 彼はどんな反応をするのだろう、大人の女に性的なことでからかわれて、この美少年くんはどんな顔をして驚くのだろう。 見たい。ちょっとだけでいいから、その顔が見てみたい。 そんな好奇心がつい頭の隅に芽生えてしまって、わたしは足を左右に開いた。 「先生、もう少し」 わたしの混乱が伝わったのか、忠司くんの声がかすれている。 「もう少し開いてくれませんか、足」 「……足を開いて、何をするの？」 意味深な台詞がつい無意識にこぼれた。 やだ、わたし……何を言ってるの？ 思考が麻痺してきてる。変な気分になりはじめてる。 アソコがムズムズしてる。 「ねえ、忠司くん」 「開いてくれないと……足、拭けないから」 「ふ、拭くだけなのね？」 わたしが意味深なことを言うたびに、彼の表情に悩乱の色が濃くなる。 まるで、苛めてるみたいな気分。 でも、なんか……ちょっとゾクゾクするかも。 彼をもっと困らせてみたくなって、小さな悪戯がしたくなって、わたしはさらに足をひろげた。 あ、って忠司くんが短い声をもらした。 スカートが捲れ気味になり、集蛾灯の青い光が太腿を色っぽく照らす。 その奥にあるベビーピンク色のショーツに、忠司くんの視線が刺さる。刺さっているのがわかる。 アソコのムズムズが、明確な性感になる。 「どうしたの、はやく拭いて」 声まで低く湿った音色になってしまう。 挑発の甘声に誘われるようにして、忠司くんの右手が動いた。でも、すぐにその手を引っこめてしまって、かわりに彼、首を伸ばしてスカートのなかを覗きこんできた。躊躇や遠慮なんて少しもなかった。 予想していなかった視姦だから、逆に、わたしのほうが驚いてしまう。 「忠司くん、そ、そんなとこ……」 けれどもそれ以上の言葉を失って、わたしは小さく息を呑んだ。 彼の大胆な窃視によって、ふたりを取り巻く空気が一変した。もはや悪戯でかたづけられる状況じゃなかった。元教え子の前で足を開いて、パンティの股間を見せつけている。屋外の公園で、教師が決してやってはならないことをしている。 なのに、不思議と拒むことができない。 場所が場所なら、すぐにでも彼を咎めていたと思う。でも、ここは学校じゃない。カップルたちが淫行に耽る夜の公園だ。雰囲気に流されはじめているのが、自分でもわかる。少しくらいなら……って気持ちになってる。 かといって、このままじっとしていられるわけもない。 わたしは、自分から彼の手を取って太腿へと導いた。 もちろん、ハンカチで拭いてもらうために。 ……の、はずだったのに。 彼の手が腿に触れたとたん、あッ、て声がこぼれてしまった。 「え、先生？」 「な、なんでもないの……なんでもないから、はやく拭いて」 忠司くんはそそくさと手を動かしはじめた。 あ……ン。 いやらしい声がまた出そうになる。 ハンカチ越しに触れられているだけなのに、ひどく感じる。 瞼が、つい閉じ気味になる。 声を殺そうとすると、そのぶん性感が鋭敏になって、身体が震える。 まるで、衆人環視の屋外で公然と痴漢行為をされてるみたい。 ばかげたことだと自分でも思う。でも、あながち場違いな表現でもない。 「ンン……ゥ」 自分にだけ聞こえる声で小さく喘いで、視線を横へと逃がした。 中年の男の人と偶然に目があった。 わたしは慌てて顔をそむける。すると、今度は若いカップルの男女と視線が重なった。どこに目を向けても人の姿があった。誰もが興味津々の目でこっちを見てる。 でも、へたに身体を動かすわけにはいかない。 拒めば、忠司くんの手が離れてしまう。気持ちのいいことが中断されて、中途半端な欲情だけが身体に残されることになる。それは何よりつらいことだった。 だから、動けない。動きたくない。 視線よりも気持ちのいい指が皮膚を滑る。太腿の柔らかい部分に当たる。 スカートの上にコーヒーをこぼしただけなのだから、そんな部分まで濡れてるわけがない。なのに忠司くん、ハンカチを徐々に奥へと潜らせてくる。時折、指が直接肌に触れる。 夢中になっていて気づかないのか、それとも意図的なのか、手の動きにあわせてスカートも捲れてくる。 パンティだって、もう丸だしになってるに違いない。 だめよ、そんなことしないで……先生をさらしものにしないで……。 その言葉を口にしたかった。泣いて抗いたかった。でも、それをすればもっと恥ずかしい思いをすることになる。これが破廉恥な行為だとまわりの人間に宣告することになる。 そして……耐えることで気持ちよさも膨らむ。恥辱すら性熱の一部になる。 「ン……ゥ」 わたしは、押し殺した吐息を何度も繰りかえした。 口のなかがカラカラに乾いてる。 そのぶん、身体の内側とアソコはドロドロに潤ってくる。 見てる。忠司くんに見られてる。 背広姿のサラリーマンに、大学生風の若い子に、中年のオジサンに……見ず知らずの男の人たちにパンティを見られてる。目だけで輪姦されて、興奮してる。 すごい。こんなゾクゾク、はじめて。 わたしって露出狂だったのかな……。 「先生……」 ようやく忠司くんの手が離れて、わたしの意識も現実へと引き戻された。 せっかく拭いてくれたのに悪いけど、やっぱり染みは消えてない。 目立つ汚れじゃないし、安物のワンピースだし、別にいいんだけどね。 彼からハンカチを受け取り、今度は自分で拭こうとした矢先、 「俺、帰りたくない」 と、元教え子の美少年くんは真顔で口にした。 「もっと見たいよ。下着なんかじゃなく、先生の全部……先生の裸が見たいよ」 遠慮がちな、けれども強い情熱を秘めた苦渋の声。 苦しいよ、どうにかしてよ、って無言ですがってるみたいな目。 わたしは、つい反射的に顔をそらしてしまう。 「やだ。忠司くん、何を言ってるの」 「せ、先生だってその気なんでしょ？」 「その気だなんて……」 わたしは、それ以上の言葉を失った。 彼の言葉が間違いではないから、すぐに反論することができなかった。 その気になりはじめている。 元教え子の少年に、二十五歳のわたしより十近くも年下の子供に、欲情しはじめている自分がいる。 生身の女の裸身を彼は目にしたことがあるのだろうか。もしないのなら、自分が彼にとって特別な存在の女になる。それは名誉なことだった。いいのではないか。少しくらいなら教師を忘れてもいいのではないか。 大人の凄みを彼に見せつけてやりたい。乳房に股間に崇拝の視線を浴びながら、強い性熱のなかで女王の優越感に浸ってみたい。場合によっては見せる以上のことだって……。 カップルたちの非常識な痴態が、欲情色に染まった彼の目が、夜の公園の暗がりが。 あらゆる状況が、わたしを淫らな方向になびかせたがっている。 だめよ、何を考えてるの……相手は子供なのよ……。 心のなかで何度も念じる。けれども、否定や理性の狭間から「でも、だけど」という言葉も浮かんでくる。 「俺、先生とセックスしたいよ」 わたしの葛藤なんておかまいなしに、忠司くん、直球の言葉を口にする。 卑怯だよ、それ。まるで強烈なカウンターパンチ。 わたしのなかの平常心がグラグラ揺れる。 セックスという生々しい単語に、アソコが、また濡れてくる。 「こんなの見せられて我慢できるわけないよォ」 「ねえ忠司くん、わたし……」 なんとか言いわけを探そうとする。その矢先、不意にカメラのシャッター音が聞こえた。 見ると、少し離れた場所に若い男の子が立っている。 暗くて顔は見えないけど、彼が手にしているものはすぐにわかった。 携帯電話だ。 やだ……もしかして、写真を撮られたの？ 「い、いやァン！」 わたしは慌ててスカートの裾をなおして、立ちあがった。 忠司くんの腕を掴んで公園を出る。 無我夢中になって、ただ足早に歩いた。 「先生、麻衣ちゃん先生ッ」 忠司くんの声に、ようやくわれにかえった。 え……やだ、わたし……。 動転していて、自分がどこをどう歩いたのかも覚えてない。 気がつくと、歓楽街のかなり外れのほうにきていた。 「先生、どこにいくんですか」 「え、どこって」 掴んでいた忠司くんの腕を離して、あたりを見まわした。 頭上で何かが光っている。 顔をあげると、そこにはビルの派手な看板があった。 心臓をドクンッ、て高鳴らせて、わたしは、つい無意識に口を開いてしまう。 「スカート、乾かさないと……」 そんなの、とっくの昔に乾いてるっていうのに。 まわりに人がいないのを確認すると、わたしは、彼の手を取ってビルの入口へと歩んだ。 頭で考えるよりも先に足が動いた。 驚く忠司くんの顔を、ラブホテルの看板の光が照らしている。 |
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| 2009.3.21掲載 |
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